第13話 残念朴念仁は懸念する

 朝。朝食の席で、蜂蜜を塗った丸い白パンを食べていたセトが、ふと懸念の言葉を呟いた。


「……やはり……ミラを学校に通わせる必要なんてないんじゃないか?」


 その言葉を耳にした一同が、揃って彼の方に目を向ける。

「唐突に何を言い出すんだ、セト」

「ミラを学校に通わせようというのは、つまりこれからアヴィル家の一員として必要となる教養を身に付けさせようということなんだろう? 何もそんなもの、わざわざ学校に行かせてまで学ばせるほどのことじゃないだろう。必要なことだったら、教師でなくても俺たちだって十分に教えてやれる。学び舎は、必ずしも学校でなければならないという決まりはないはずだ」

 セトはティーカップに満たされた紅茶で軽く喉を潤すと、シュイの方に視線を向けた。

「例えば、シュイなら……頭も回るし、教え方も下手な教師よりもずっと上手い。家庭教師という形でそいつに教えさせればいいじゃないか。学校などという不特定多数の人間が大勢いるような環境だと、ミラもかえって勉強に集中できないだろうしな」

「とか何とか言って、お前、本当はミラちゃんを大勢の男共がいるような環境にやるなんて冗談じゃないとかでも考えてるんじゃないのー?」

「当たり前だ。ミラに不埒な輩が寄り付く可能性が爪の先ほどでもあるような場所に、ミラを一人でやるなんて言語道断だ。ミラは可愛いんだ、世の男共の視界に一ミリたりとも入れさせるわけにはいかん」

「……うっわ、本音炸裂だし。何なのこの独占欲丸出し発言。胸焼けしそう」

 一片の迷いもなくきっぱりと言い放たれたセトの言葉に、ナギはうぇーと舌を出して食べかけのグラティニを丸ごと頬張った。

 同じくグラティニを載っているチーズをにょーんと長く伸ばしつつ齧りながら、ウルは名の挙がったシュイにのんびりと問いかける。

「で、御指名されてるけど。澆薄賢者殿? お前の意見はどうなの? ミラちゃんの家庭教師に就任するの?」

「澆薄は余計だ」

 シュイは紅茶を一口飲んでティーカップをソーサーの上に戻すと、ちらりと横目でウルの方を見た。

「別に引き受けるのは構わんが。……だが意見を述べさせてもらうなら、彼女は学校に行かせるべきだと俺は考える」

「な……お前はミラが何処の誰とも分からん輩の慰み者にされても構わないと言うのか!?」

「セト、落ち着けって。お前ちょっと興奮しすぎ」

「人の話は最後まで聞け」

 声を張り上げて腰を浮かしかけるセトを嗜めるシュイ。

 慰み者って流石に大袈裟じゃね? というナギの呟きは、誰に反応を示されることもなくスルーされた。

「学校は確かに勉学に励むための公共施設だ。……だが、学べるものは何も学問の知識に限ったことじゃない。集団の中で生活するための社会性、礼儀作法、倫理や常識……そして人脈。こういうものを手に入れるためには、自ずから率先して人の輪の中に身を投じていかなければならない。学校は、社会の縮図とも言われている。本格的に社会に出る前の子供が社会のことを学ぶには最も利に叶った場所なんだ」

 学問の知識ならば、家でも教えてやることはできる。だが他人と直接関わる物事に関しては上っ面の知識だけしか語ってやれない、とシュイは言う。

 そういう意味でも、ミラはきちんと学校に通うべきだ、と諭すのだった。

「人脈とか交流とか、それをお前が語るの? 俺たち以外の人とはろくに関わろうともしないお前が」

 ウルは微苦笑しながら、テーブルの中央に置かれている籠から白パンを一個手に取った。

「……まあ、人付き合いは大事だよね。ミラちゃんは世界で一番有名な女の子だけど、ミラちゃんの名前は知っていてもどんな子なのかは知らないって人の方が多いだろうし。ミラちゃんの可愛さを世に布教するため、って考えれば、学校に行かせるのも悪くはないんじゃないかな? あくまで俺個人の意見だけど」

「……それでミラを狙う男が余計に増えたら、お前は責任を取れるのか」

「別に大丈夫なんじゃないかなぁ。ミラちゃんがお前の婚約者だってことはみんな知ってるもの。お前のことを知っている奴だったら、ミラちゃんに手を出そうだなんて不届きなことを考えたりなんかしないよ。一瞬の天国のために一生地獄に落とされたくなんてないじゃない」


 セトは、基本的には他者に対して温和で紳士的な態度で接するが、己が『敵対者』だと認識した存在に対してはその態度が豹変する。それはもう面影など微塵もないレベルで変わる。

 もっとも、それは程度に差はあれどこの場にいる全員に対して全く同じことが言えるのだが。

 竜人ドラゴノアは、基本的に敵対者に対して容赦がない。その排除欲求は人間が抱く同様の感情など比較にもならない。特にケテル種は他の種と比較して怒りの沸点が低く、その豹変ぶりも常軌を逸脱したレベルだと言われている。常日頃から子供っぽく幼稚な悪戯ばかりやらかすナギも、大人びていてにこにこと温厚なウルも、等しくそうなるのだ。愛しい未来の義妹を前に頬の筋肉が緩みっぱなしの様子を見ていると、とてもそんな風には思えないだろうが。


 何も塗っていない白パンを齧って咀嚼して飲み込んで、ウルはにこりと微笑んだ。

「そんなに心配だったら、セト、ミラちゃんが学校にいる間はお前が傍についててあげたら? 学校に許可なく入ったら不法侵入扱いされて怒られちゃうけど、前もって事情を話して正式に許可を貰っておけば、堂々と傍にいられるよ。……どうせ今日はミラちゃんの編入について学校に話をしに行くんでしょ? ついでに話してみればいいんじゃないかな」

「そうしたいのは山々なんだが。……でも、今日はどうしても外せない用事があってな……」

 セトが言う『用事』とは、この国の王──早い話が彼らの祖父たる人物に、月に一度の定例報告をするために謁見することである。

 氏族間で発生した問題や特筆するような事象があった場合、これらを国王に報告することが氏族長の義務となっているのだ。

 セトは、四人いる次期王候補者の中では最有力候補であると言われている。次の王となる可能性が最も高い人物として、国の政に携わりそのいろはを学ぶことも、彼の重要な務めなのだ。

 彼の中では、ミラに関係する物事は最重要事項扱いになっているものの……流石に国王や国の掟には逆らえない。

 そう考えると、国から直々に与えられた王位継承権を蹴飛ばして(表向きは)行方を眩ませたニアは、如何に大それたことをやらかしたのかということが分かる。

「……ファズ。ミラの身元保証人として学校に同行するのはお前だろう? 手続きのついでに話をしてくれないか。今の話」

 何処か未練を引き摺ったようなニュアンスの眼差しでセトに見つめられ、ファズは小さく息を吐きながら手にしていたフォークをテーブルに置いた。

「まあ、話をする程度だったら構わないが……だが、仮に学校から許可を貰ったとしても、お前が在学中のミラちゃんに四六時中同行するのは難しいと思うぞ、俺は」

「何故だ?」

「お前の務めを丸ごと放棄してまで彼女の傍にいることを、一族や国王が承諾するのかって話だ。お前が担っている務めの中には、お前にしかできないことも多い。俺には関与する権限がないから代わりに処理してやることなんてできないし、そもそも俺にだって俺の務めがある。此処にいる三人だって同じだ」

「…………」

 ファズからのもっともな意見に、セトは明らかに落胆した様子で沈黙してしまう。

 ミラは彼のそんな様子が何だか気の毒に思えてしまい、つい心配の目を彼へと向けてしまうのだった。

「……あ、あの、セトさん。私でしたら、大丈夫ですから……心配して下さるのは嬉しいですけど」

「いや、駄目だ。お前は世界で一番可愛いんだ。女神なんだ。外に出したら、どんな悪いものがお前を汚しに近寄って来るか分かったものじゃない。お前を汚すことが許されているのはこの俺だけなんだ。みすみすその権利を他人なんぞに渡してたまるか」

「……あの……えっと……」

「……ねぇ。俺、胸やけ酷くて砂糖吐きそう。トイレ行ってきていい?」

 ナギが大袈裟に肩を竦めながら席を立つ。

 シュイは面倒臭そうに溜め息をつくと、空になったティーカップをソーサーに戻して、口を開いた。

「全く、世話の焼ける奴だな。──ファズ、ミラちゃんを学校に連れて行く時に、ついでに持って行ってもらいたいものがある。それを校長に渡してくれ」

「持って行くもの? 何だ?」

 また何か妙なことを考えついたな、と疑念の目を向けるファズに、シュイは自信満々の面持ちでゆっくりと頷いたのだった。

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