第2話 短慮後悔
アルフレッドが愕然と見つめる前で、信じがたい光景が繰り広げられていた。
「こいつっ、がっ!」
テスラは組み付こうとしてきた男の腕をかわして、顎に左ストレートを一撃。
「とにかく抑えろ、うぎ!」
次いで後ろから殴りかかる男の腕を振り向きざまの左ジャブで打ってそらすと、すかさず右で下からすくい上げるように鳩尾を抉り打つ。
「やばいだろ何なんだよ、ごっ!」
それを見てたじろぐ三人目の男へと飛び掛かるようにして踏み込むと、勢いをつけた大ぶりな動作で右を男の頭頂部へと打ち下ろして叩き伏せる。
「な、あ、え……?」
あっという間の出来事で、ガラックを含めて四人の屈強な冒険者が倒れ伏している。その状況にアルフレッドは言葉もでず、口を開いたり閉じたりしてテスラを見つめていた。
「なんだよ、こいつらが仕掛けてきたからやり返しただけじゃねぇかよ」
どこか不貞腐れたように言うテスラに、しかしアルフレッドは何も言葉が出てこなかった。
「こっちか? あいつだ! 取り押さえろ!」
不意に聞こえた男の怒鳴り声に振り向くと、テスラは表情をひきつらせた。そこには大勢の衛兵、ラルベスカの領軍に属する治安維持部隊の兵士たち、がまなじりを吊り上げて今にも飛び掛かろうと構えていた。
「おいおいおい! オレは別に!」
あっという間に大勢から掴みかかられ、テスラは砂の上に引き倒して取り押さえられてしまっていた。
「殴って何が悪いんだよ!」
衛兵詰め所の取調室に連れてこられてからの、テスラの第一声であった。
「冒険者になれないと言われて試験官へ暴行、次いで周りにいた他の冒険者も叩きのめした。間違いないな?」
衛兵たちが到着した時点で、あまりに一方的な結果であったからか、取り調べを担当するこの壮年で厳つい顔の衛兵はとにかくテスラが一方的に暴行を働いたと認識しているようであった。
「だいたい、あの試験官だったガラックが先に殴ってきたんだ。オレはやり返しただけだって」
「やり返しただけのケンカで、冒険者たちは顎を砕かれたり肋骨を折る重傷で、お前は無傷と。そう言いたいわけか?」
骨折だけであれば、錬金術師たちが作る魔法的な効果のある薬品を惜しみなく使えば一日で直るし、惜しんで使ったところで一週間もあれば足りる話ではあった。とはいえケガの度合いとしては軽いものではなく、まして屈強な冒険者をそれだけ負傷させようと思えば、軽く殴った程度ではとても足りないのが常識的な認識といえた。
あくまで衛兵としてはテスラによる一方的かつ執拗な暴行事件と考えているようであって、さらにはそれ以外の可能性をわざわざ調べるようなつもりもなさそうだった。
これはまずい、ここに至ってテスラはようやくそう危機を感じていた。仮に衛兵に捕まって投獄されたとしても、ケンカ程度であれば身元引受人が来ることですぐに釈放される。天涯孤独の身の上であるテスラだったが、故郷では大勢彼を慕う舎弟がいたためにそういった時の身元引受人には困らなかった。
しかしここは故郷ではなく、舎弟どころか知人すらいないラルベスカである。このまま投獄されてしまえば、それもお互い様のケンカではなく一方的な暴行事件の犯人とされた場合、いつ出られるかわからない。
「いやホント、ほら、アルフレッド君とかに聞いてみてくれよ」
テスラはとっさにあの場に居合わせた冒険者試験の同期受験者であった少年の名前を出していた。しかし衛兵の厳つい顔は一切緩むことなく、低い声で淡々と返してきた。
「あの場の目撃者、新人冒険者のアルフレッドさんからは、粗野な言動を繰り返していたテスラが不合格を言い渡された途端に大暴れを始めた、そう聞いている」
テスラは天井を見上げ、手で目元を覆った。概ね間違っていない証言だが、その言い方では暴力的な狂人による襲撃あるいは暴行事件にしか聞こえなかった。
何と言い訳をすればいいかを考えながらテスラが手を下ろし、改めて衛兵と目を合わせたところで、外の廊下を歩くこつこつという靴の音が聞こえてきた。
静かな取調室内までよく響いてくるその音は、女性ものの踵部分が高い靴による足音だ、そんなことをテスラが考えたその時、やや乱暴に厚い木の扉が開かれて軋む音が室内へと響き渡った。
「冒険者ギルド暴行事件の犯人君がいるのは、ここであっているかい?」
どこか取り繕ったような、男性舞台役者のような口調で言い放ったのは、非常に女性らしい体躯を内勤衛兵の制服で隙なく包み込んだ、怜悧な印象の女性であった。
「うん、なるほど、そこの彼が私の探し人のようだ」
驚いて押し黙る面々に委細構わず、その女性は眼鏡の奥にある冷たく理性的な双眸でテスラを見据える。
品定めをされているように感じて、不服を口にしようとしたテスラより早く、驚きから立ち直った取り調べ担当の衛兵が口を開いた。
「セッカン隊の隊長さんが何の用だ、応援依頼は出していないぞ」
テスラにとっては意味のわからない言葉ばかりであったが、この厳つい衛兵が一層不機嫌になったことだけは感じ取れた。元からしわ深かった彼の眉間に、追加のしわが刻まれたのを見れば一目瞭然ではあったが。
「まずはその無粋な略称はやめてもらおうか、我々は生活環境隊だ。それから応援依頼は確かに受け取っていない、私は勝手に来たからな」
腰に片手を当て、綺麗に背筋を伸ばして言う姿は美しいが、テスラにとってはどこか場違いというかこの場に浮いた存在に感じられた。
しかし厳つい衛兵にとっては、浮いたという程度の存在ではなかったらしく、もみ込むようにして眉間を右手の二指で抑えると、深くため息をついた。
その間もどこか得意げなその女性は、じろじろとテスラを見回しており、先ほどは機先を制されたテスラの不満は今度こそその口をついて出た。
「何だよ、あんた」
色々と言いつのりたい不満はあったものの、自分の状況のまずさを遅まきに感じていたテスラは、短くそれだけを言った。
「ふむ……、そうだな。私は君のことを知っているが、君はそうではない。これは不公平だったな。ならば名乗ろうか、私はラルベスカ領軍衛兵団生活環境隊隊長、レールセンだ」
「せいかつ、……かんきょう?」
流れについて行けなったテスラは、とりあえず耳に残った言葉をオウム返しにした。それぐらいしかできなかったともいえた。
「俺たち衛兵は領軍衛兵団の所属だが、当然内部には役割に応じて部隊分けがある。で、お前みたいのを捕まえる俺たちは衛兵団制圧隊、それでこのレールセン隊長は……」
「衛兵団全体の補佐、という名目の厄介者たちの集積場、それが生活環境隊だ。ちなみに先ほどのセッカン隊とはこの隊への所属を言い渡されること自体が折檻だ、という無粋かつ感性に欠ける嫌味だな」
厳つい衛兵の表情に再び苦み成分が追加される。この女性、レールセンの態度が芝居がかっていることもあって嫌味を返しているのか、単に面白がっているのかが判断できず、ただ苦々しい気分だけが残るためであった。
「そして犯人君、君はこれからその生活環境隊の一員となる! どうだ、うれしいだろう?」
「はあ?」
テスラの返事は不満の表明ではなく、完全なる疑問であった。しかし取り調べをしていた厳つい衛兵にとってはこれだけで意味がわかったらしく、不満を隠さずに食って掛かった。
「こんな乱暴なだけの小僧を引き抜いてどうなる? いや、それ以前に特別な事情も無く犯罪者の隊への引き抜きなど許されるはずが……」
「あるのだよ」
言葉の途中で割って入られたことに厳つい衛兵は不満そうであったが、しかしレールセンの自信に満ち溢れた態度に鼻白み、続く言葉は出てこなかった。
「まずは引き抜く意義だが、乱暴結構じゃないか。我が隊に今一番欠けているのは暴力なのでね。それから許可については実はもう取り付けてある。庶務隊人事担当のドントス君は愛妻家のくせに女癖が悪すぎる、まったく嘆かわしい……」
「なっ!」
遠回しに別の隊の同僚を脅迫したことをにおわせるレールセンの言葉に厳つい衛兵は愕然とする。しかしそのレールセンがひらひらと見せびらかす書類は紛れもなく本物であり、発行されている以上はいち衛兵が口を挟めるものでもなかった。
「とにかく、だ。ここでこのままおとなしく投獄されるか、あるいは私と来るか、だ。どちらがいい?」
艶然と微笑みながら、改めてテスラへと選択肢を問いかけるレールセンであったが、前者を選べるはずもないテスラは、ただ黙って何度も頷くのであった。
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