22
「母様にそんな力はありません」
浩一郎の言葉に、信乃は反射的にそう返した。
確かに妖狐の中でも妖力が強いものはそういったこともできるだろう。だが、母はしょせんは二尾だ。人ひとり呪い殺すならまだしも、代々に亘って蔓延させるような強力な呪いは持ち得ない。
信乃の反論に浩一郎は「俺が知るか」と短く返した。それがさらに信乃の神経を逆なでする。この男は、母が死んだときもそう言った。
「貴方はいつもそうやって自分は知らないと――」
「あんた、なんで俺が浩一郎で弟が悠太郎って名前か知ってるか?」
浩一郎の問いに信乃は言葉を塞がれる。
「或いは、どうして長男の俺ではなく悠太郎が家督を継ぐか知ってるか?」
その言葉に、信乃は「知りませんよ」と短く返した。だが、確かに不自然ではある。長男が家を継ぐというのも、長男に「一郎」や「太郎」が多いのも、信乃は知っている。墓越しに座るこの男は長男であり、浩「一」郎だ。けれど、確かに悠太郎自身が自分が家を継ぐと言っていたのを信乃は覚えている。
「多分、妖狐の血が混じったからだろうな。石倉家の男子は代々あんたみたいなものがわかるんだ」
「は? あの人はまったくそんな気配ありませんでしたが」
「個人差はある。悠太郎は『なんとなく』でしかわからない。俺は……あんたらが人の姿であってもはっきりわかる」
俺は最初から知っていた。
ハッとなって信乃は耐えきれず墓石の影から飛び出した。こちらを見る浩一郎の目、黄色の混じった不思議な色。
「父さんは、どうだったのかな。祖父はよく見えてた。だから俺は祖父にはよくその話をしたんだ。家族は……あまりわかってくれなかったな」
信乃を見る目は優しいが、物悲しい。
「貴方は」
「あんたの母親を初めて見たとき、俺も惚れたんだ。でも、人間じゃないってわかってたから、悠太郎みたいに突撃はしなかった。今ならわかる、あれは『母親に対する思慕』だった」
ああ、と信乃は納得した。浩一郎や悠太郎の側から見た母が彼らにとっての母親だったなら、逆は子だ。母にとって、浩一郎や悠太郎は我が子のようなものだった。悠太郎に向けていたあの笑みは、そういう意味だったのだ。
「――でも、なら、なおのこと母様が呪うなんて」
「いや、狐の呪いだよ」
あくまでも狐の呪いだと言う浩一郎に、信乃は牙を剥く。それでなくとも、その言葉は今の信乃は聞きたくない言葉なのだ。
悠太郎が血を吐いたとき、信乃は真っ青になった。人間が倒れたときの治療法など、信乃はまったく知らない。だから信乃は――悠太郎の家に単身で走った。悠太郎が倒れたことを告げた。家族もまた真っ青になって信乃の家に訪れ、それから救急車が呼ばれ悠太郎は外に運ばれた。
――狐の呪いだ。
誰が言い出したのか、信乃は知らない。けれど、その言葉だけは記憶に残っている。信乃の身に覚えはない。けれど、相手からすれば昨年に引き続き、という案件だ。狐の呪いだと信乃を指差す人々を縫って、信乃はその場から立ち去った。悲しみよりも悔しさや憤りがあった。
なぜ、私があの人を呪い殺さなければならないのか。
信乃の疑問は最もだったが、それに答えてこれるような奇特な人間は、もう隣にはいなかった。
「あんたが怒るのはわかる。でも、これは狐の呪いだ。人間に妖狐の血は強すぎたんだ」
「……どういう意味ですか?」
返答によっては殺すと言わんばかりに牙を剥き、通常の狐の数倍の大きさになりつつある信乃に対し、浩一郎は平然としていた。
「そのままの意味だ。石倉家には妖狐の血が混じっている。つまりは、妖狐の遺伝子が混ざってる。けれど、それは、人の身で耐えられるものではなかった、ということだ」
浩一郎は信乃を正面から見据える。
「あんたの母親は悪くない。そして、俺たちのご先祖様も悪くはなかった。本来、人と狐が交わったところで子どもなんてできようがないんだ。でも、なんの気まぐれかできてしまった。あんたと俺たちのご先祖様が」
それ自体が呪いだったんだ。
そう言うと浩一郎は立ち上がった。逆に信乃はもとの狐の大きさに戻り、浩一郎を見上げた。
「あの人はそれを知って?」
「いや、悠太郎は何も知らない。俺は祖父からこの話を聞いた。父さんには教えていないと言っていたし、悠太郎にも話すつもりはないと言っていた」
「どうして」
「知らない方がいいからだよ。俺はあんたの正体がわかってた。だから祖父は知識として俺に教えたんだ」
「あの人は私が妖狐だと知っていました!」
信乃は叫んだ。それに浩一郎は驚いたように目を開き、それから嬉しそうに細めた。
「そうか……全然気付かなかった」
「なんで嬉しそうなんですか」
「嬉しいに決まってるだろ、あいつはあんたの秘密をずっと隠し通したんだから」
浩一郎の言葉に信乃はハッとなる。そうだ、今でこそ目の前の浩一郎が信乃を害さない存在であることがわかったけれど、そのときはわからなかった。もし信乃が妖狐だと知られれば真っ先に殺しにきていたかもしれないのだ。
「俺は帰るよ、そろそろ戻らないと母さんたちが来る」
ズボンの埃を払いながら、浩一郎は言った。信乃はそれに何も返さず、すっと背を向けた。
「じゃあな」
草葉に消えていく白い尻尾を見送りながら、浩一郎は片手を振った。
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