16
悠太郎は信乃の家に入り浸った。狐だったといえ、母親を失った信乃が心配だというのが名目らしい。信乃もまた狐ではないかという疑いもあったらしいが、曰く「妖狐も普通の狐も、成熟を俟たずして親に住処を追われるのが常なので、信乃の歳で親元を離れていないのはまずない」という理屈で説き伏せたらしい。それは確かに事実なのだが、それはそれとして改めて言われると親離れできない子ども感があり、信乃は暫く不貞腐れていた。
「貴方も大概物好きですね」
「それはまあ、そうだろう」
そもそも出会った初日に母に告白するような人間だ、物好きでないわけがない。悠太郎自身もその自覚はあるのだろう、いっそ「何を今さら」と言わんばかりに開き直っていた。
悠太郎と過ごす日々は、信乃にとっては特段に何もない日々であった。朝が来れば悠太郎が家に来て、日中はだらだらしているか、一緒にどこか行くか、彼は一応学生らしいので何か難しそうな書物を読んでいるときもあった。そんな日は、信乃はひとりで好き勝手やっている。
母が死んで暫くは、信乃も何もやる気が起きなかった。だが、やがて気持ちが落ち着いてきて、信乃はこれが母の言っていた別れなのだと割り切ることにし、この家を出て行こうと思った。それが今でもかなわないのは、ひとえに悠太郎のせいである。何も言わず姿を消しても良かったのだが、毎日来る悠太郎に会うのが次第に楽しみになり、信乃は結局この家を出て行かないまま過ごしている。
悠太郎とは会うだけだ。何かをするでもない。彼が特段に面白い話を持ってくるでもない。ただ、会うだけ。けれど、それが信乃にとってはとても面白いのに匹敵する価値を持っていた。そもそもみなが嫌う狐のともに通うという段階で、興味が沸かないはずもない。信乃はここにきて初めて、母が人里の中に暮らした理由がわかった気がした。
彼らは、悪戯するよりも面白いものを持って来てくれるのだ。
だが、それも長くは続かない。悠太郎は長期休暇で帰省しているだけであって、休みが終われば彼は大学のある都会に戻る。
「明日戻るよ」
「そうですか」
そう告げた悠太郎に、信乃は潮時だと思った。彼が都会に戻り、ここに来ることもなくるのなら、この家にいる理由もない。
「それで、信乃さんに伝えておきたいことがある」
「はあ」
前同様、一緒に来てくれとでも言うのだろうか。確かに信乃にはこの家にいる理由がもうない。なくなった。そして、この村に留まるのは身の危険が伴う。既にこの家は噂ではなく、本当に「狐に憑かれていた家」になってしまったのだ。
けれど、信乃は悠太郎と一緒に行く気はなかった。悠太郎と一緒にいるのは楽しいが、悠太郎と一緒に生きたいとは思っていなかった。否、正確には悠太郎とは一緒に生きられないのだと、信乃はわかっていた。悠太郎と信乃は、生きる時間が違う。
だからこそ、続いた悠太郎の言葉に、信乃は言葉を失った。
「信乃さん、好きです。付き合ってください」
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