11
「狐だ」
帰路に着く頃には雨もやんで、少しだけ上機嫌になった信乃の耳に悠太郎の声が入ってきた。信乃がその声に振り返れば、道路の先で一匹の狐が横たわっていた。
「――………………」
それを見た信乃は、悠太郎の手を取ると少しだけ歩調を速めた。
「こういうときは役所に連絡するんだっけ?」
「放っておいても誰か通報してくれますよ。それよりカラスがうるさいので早く行きましょう」
「それにしても白い狐なんて、この地域では珍しいなあ」
きれいだ、と足を止めようとする悠太郎を信乃は無理くり引っ張る。
「信乃さん、どうしたの? もしかして、こういうのは苦手?」
「そうですね、苦手です」
足早に立ち去ろうとする信乃に、悠太郎は引きずられるようについていく。本心では、あの美しい狐を丁重に弔いたいのだが、もとより死体というものは人に限らず苦手な人は苦手である。それを苦手とする信乃がいる手前、無為に引き留めるのも申し訳なく思い、悠太郎は名残惜しむように後ろを振り返りながら信乃についていった。
村に近づくと、一台の車とすれ違った。その車は、信乃たちの姿を見つけると、ハザードを付けて停車した。それに信乃が鬱陶しそうに通り抜けようとすれば、運転席から降りてきたのは、悠太郎の兄の浩一郎であった。
「悠太郎」
「兄さん、どうかした?」
悠太郎が足を止めてしまい、信乃もさすがに兄弟の会話を裂くわけにもいかないので足を止める。浩一郎はそんな信乃をちらと見て、それから悠太郎を見た。
「ここらで、白い狐を見なかったか?」
「……ああ、それなら向こうで死んでいたよ」
「わかった。見に行きたい。お前も乗れるか?」
「僕はいいけど」
浩一郎と悠太郎の視線が信乃に向かう。信乃は、そんな二人に肩を竦めて、パッと悠太郎の手を離した。
「私は家に帰ります。どうぞご自由に」
そう言って手を振りながら背を向ける信乃に、悠太郎は引き留める理由もなく浩一郎に促されるまま助手席に乗った。すぐに浩一郎も乗るかと思ったが、しかし、意外にも浩一郎は信乃に何かを言ったようであった。ドア越しにくぐもって聞こえた浩一郎の声は、しかし悠太郎は聞き取ることができず、信乃が浩一郎の声に何も言わず立ち去る姿が、サイドミラーに写っていた。
「兄さん、信乃さんに何を言ったの?」
「……いいや、気をつけて帰れと」
「はあ」
兄と信乃はそんなやり取りをする仲だったろうかと悠太郎は首を傾げつつ、エンジン音にシートベルトを装着する。
「父さんの具合はどう?」
「あれはだめだな」
「そう」
父が病気になったとき、悠太郎は大学の試験期間の真っただ中であった。すぐに見舞いに行くのも難しくどうしようか浩一郎に相談すれば、そっちが落ち着いてから戻ってくればいい、と返された。
思えば、祖父も病気であった。祖父はまだ長生きした方らしい。石倉家の男子は、何と病に罹って死ぬことが多いらしいのだ。ゆえにか、父が病気になったと聞いたとき、悠太郎は漠然と父が死ぬのだと思った。電話口に報告してきた浩一郎もまた、父の死はほぼ確定したもののようだという雰囲気であった。だからか、今更「あれはだめだ」と浩一郎に言われても、悠太郎は「やはりな」としか思
わなかったし、思えなかった。
「俺や兄さんが父さんに近づいたら移るのかな」
「さあな。母さんには近寄るなと言われている」
「俺や兄さんも、いずれ病気になって死ぬのかな」
「さあな。勘弁してほしいところだが」
先に見つけた白い狐の姿が映る。既にカラスたちが囲んでいたが、車のエンジン音に飛び去った。
「ところで兄さん、どうしてこの狐を探していたの?」
車を止めて降りる浩一郎に続きながら悠太郎は問いを投げた。浩一郎は、しかし悠太郎には返事をせず、既に絶命している狐の前に蹲ると、目を閉じ合掌した。悠太郎は、そんな浩一郎の行動に疑問を抱きつつも、並ぶ横で手を合わせる。頭上ではカラスがざわめいている。時折吹く風に木々が鳴いている。悠太郎が目を開けたときには、既に浩一郎は手袋をして死体の回収を行っていた。ぐったりとした体が、浩一郎に持ち上げられたことで傾いた。裂かれたのか、尻尾が二本に割れている。生気のない虚ろな目が、悠太郎を反射した。
なぜか悠太郎は、その狐を知っているような気がした。
「悠太郎」
「なに?」
死体を二重に袋に詰め、後部座席に置いた浩一郎は、手袋を外しながら悠太郎を振り返った。
「今日の晩飯、食わなくていいぞ」
「は?」
突然の浩一郎の言葉に、悠太郎は目を白黒させる。晩御飯を食べなくていいぞ、と言われても、ではどうしろと言うのか。コンビニはかなり戻らなければいけない。しかし、コンビニに行きたいなら車出すよ、と浩一郎が続けるのに、おおよその事情を察する程度には、悠太郎はこの兄と会話をしてきた。
「……狐って食べられるんだ」
「推奨はされない」
助手席に乗ってから、ちらと袋詰めにされた狐を見る。
少し悩んでから、悠太郎は「いや」と首を横に振った。
「せっかくだから食べていくよ」
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