観取の記憶

9




 悠太郎が初めてその人を見たのは、五歳の誕生日を迎えた頃であった。小学校から帰ってきた兄の浩一郎こういちろうを迎えに行った帰り、ふと、少し離れたところにある家が気になったのだ。


「にい、あそこの家には誰が住んでるの?」


 さして広くもない村だ。全員の顔を覚えるのは無理でも、どの家に誰が住んでいるかはだいたいわかってしまう規模の村だ。そんな村で、ひとつだけ浮いた家。


「ああ、聞いたことないのか?」


「聞いたことあるよ、近づいたらだめなんでしょ?」


 それだけは悠太郎も知っていた。というよりも、周囲の人間の挙動を見ていれば嫌でもわかる。あの家には誰も近寄りたがらない。どうしても行く必要があるときは、決まって祖父か父が行っていた。


 そこには、おそらく、理由はあるのだろう。けれど、悠太郎にはそれがわからなかった。わからず、皆があの家を避けるのが不思議だった。悪い人なら警察が捕まえてくれるはずだ。みんなに移るような病気の人だったら、とっくに大きな病院に行っているはずだ。怖い人なら……それは仕方ないのかもしれないけれど、でも、村全体で嫌うほど怖い人というのは逆に好奇心をそそられる。


 そんな悠太郎の疑問に気付いたのか、浩一郎は悠太郎の手を握り返しながらこう言った。


「あの家には狐が住んでるんだよ」


 兄のその言葉が気になったのが、悠太郎が家に行くきっかけとなった。幸いにも、そんな会話をした数日後に、父が件の家に行くと言うので一緒に行きたいと言ったのだが、当然のように母にも祖母にも止められた。しかし、以前までなら悠太郎も駄々を捏ねるだけであったが、五歳を迎えた悠太郎は自分ひとりでも行けるという自信があった。だから、父の後をこっそりとついていき、そして、父が話している女性に一目惚れした。父の訪問に出てきたのは、黒髪を結った和服の女性だった。その姿は、どことなく時代錯誤を感じたものの、いたって普通の人間の女性だった。そんな、女性に悠太郎は一目惚れした。


 結局、父親にはついてきていたことがバレていて、帰り道に悠太郎は父親に回収された。そんな父は、しかし悠太郎がひとりで家からここまで来たことを叱りはしたものの、あの家に近づいたことについては特に何も責めるようなことはなかった。


「お父さんはダメって言わないの?」


「ん? まあ……ダメ、ではないからな」


 悠太郎の問いに、どこか遠くを見て返す父親は、さて、と腕を組む。


「きっと母さん、今頃お前のこと探して心配してるぞ」


「僕、もう五歳だもん」


「五歳はなあ、まだ子どもだ」


「ひとりで村の中くらい歩けるもん!」


 そうかそうか、と父に頭を撫でられる悠太郎はふくれっ面で、しかし家に着けば父親の言う通り母親が顔を真っ青にしていて、直後には真っ赤になって悠太郎を叱りつけた。


 それ以降、悠太郎はなんとかあの女性ともう一度会えないかと考えた。直接行っても相手にしてもらえないかもしれない。何よりも、母親に知られないように行かなければならない。


 そんなときだった。あの家の子どもだという、信乃に出会ったのは。


 たまたま遊び場で居合わせた信乃からは、あの女性と同じ雰囲気がした。ほかの子たちに言われて、あの人の子どもなのだと理解した。


 そうだ、友達だ。


 友達になれば、家に行ってもおかしくない。


 けれど、友達になるのを悠長に待っていられる忍耐は、当時の悠太郎にはなかった。その日の帰り、信乃がもう帰ると言い出したのに、悠太郎は思わず「一緒に帰っていい?」と身を乗り出してしまった。ここまできてしまったらもう引くに引けない。周囲の制止も、戸惑う信乃も振り払うように、悠太郎は信乃の手を引いて家に押し掛けた。そして一世一代の告白をぶつけた。




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