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 とはいえ、そんな信乃の予想通り、長期休暇に入って実家に戻ってきた悠太郎は、欠かさず二人のもとに顔を見せた。人間の成長は驚くべきもので、ついこの前まで小さく弱弱しかった子どもは、今となっては成人と大差ない体付に変化している。でかくなった、と信乃が素直な感想を言えば、成長痛が物凄く痛かったというどうでもいい話を聞く羽目になった。


 必要以上に人の姿でいることを敬遠していた母も、悠太郎がこうも頻繁にくるためにすっかり慣れたようだ。信乃からすると、母が人の姿でいると、あの美しい毛並みを見られないために若干複雑な気分なのだが。


「信乃、さん」


「はい?」


 悠太郎は、何故か信乃を「さん」付けで呼ぶ。それも、最近になってそう呼ぶようになった。小さい頃は、呼び捨てだった。どうしてそう呼ぶようになったのか、信乃は知らない。


 そうして呼び止められた信乃は、悠太郎に向き直る。


「僕は、都会の大学に進むことにしたよ」


「そうですか」


 今度こそ、本当に今度こそ、彼との縁は切れるのだろう。知り合って十数年、信乃にとっては昨日のような出来事だったけれど、それでも、今までこれほどに縁の続いた相手もいなかった。寂しい、という感情は妖狐にも存在する。


「それでは――」


「僕と一緒に来ない?」


 お達者で、と言おうとした信乃は、続く悠太郎の言葉に噎せた。


「な、な――?」


「信乃さんは、ずっとここにいて、それで満足かい?」


「そ、れは」


 ここは、信乃にとって、いずれは出て行かなければならない場所。いずれは別れを告げなければならない安寧の場所。


「外の世界が怖いのはわかる。僕も、初めて行く都会は怖い。だから、もしよければ一緒に来ない?」


「……母様はもういいんですか?」


 少しだけ恥ずかしそうに言う悠太郎に、信乃はそう問い返す。もともとは、彼が母と結婚したいだなどと言い始めてできた縁だ。


 信乃の問いに、悠太郎は目をぱちくりさせ、それから微笑んだ。


「ああ。あの人はとてもきれいだし、今でも心惹かれるものはあるけどね。でも、多分それは違うものだよ」


 とうの昔に「違う」のだと気付いていたであろう悠太郎は、信乃の問いに改めてはっきりとそう答えた。それに信乃は「そうですか」と頷くほかない。


「それに、もし本物だったとしても、あの人は『ここ』から引き離せないよ」


 続く言葉に、信乃は悠太郎を見る。


「何か、母様のことを知っているんですか?」


 妖狐は、人への悪戯が好きだ。だから、人里の近くに居を構える固体が多い。けれど、母のように――そう、結局のところ、信乃は母がいるからここにいるのだ――人里の中に住む固体は、珍しい。妖狐は人に嫌われる。現に信乃たちはこの村では嫌われ者だ。それでも、母はここにいることを選んだ。


 その理由は、信乃は知らない。


「いや。ただ、うーん……なんとなく?」


 困ったように首を傾げる悠太郎に、信乃はなんだそれは、と脱力した。


「すみませんが、私もここを離れる気はありませんので」


 脱力して、悠太郎に背を向けて、信乃はそう言った。もし、母がここを離れられないのであれば、ついていって土産話のひとつやふたつ用意するのもやぶさかではないと思ったが、その理由が不明ならば悠太郎についていく利点は信乃にはない。人間の十代は貴重なのだという。ならば、せいぜいそれを謳歌してくればいい。


 そう、信乃と悠太郎は生きている時間が違うのだ。信乃にとってはなんてことないこの一分一秒は、悠太郎にとってとても貴重なものなのだ。


 それを奪うことはできない。


 だから、信乃は背を向けた。


 そして、そう拒絶を示した信乃に対し、悠太郎は少しだけ悲しそうな顔をしたけれど、それ以上の追及はしなかった。




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