第四章

 ぼくは高一の冬初めて小説を書きだした。間宮先生に勧められたからかもしれない。先生は詩や小説を同人誌に時々投稿していて一度作品を読ませてもらったことがある。少年が母とデパートに買い物に行き、人混みで迷子になる話だったと思う。日常から遊離した少年の孤独の目眩のような感覚がリアルに表現されていた。先生は恥ずかしそうに笑いながら君にだって書けるよと言った。君の作文には物語があるからと。それは先生の照れが言わせた言葉に違いなかった。それでもぼくは嬉しかった。だから何度か試みた。しかし詩か散文か区別できない雑文しかぼくには書くことはできなかった。

 高校生になって小説が書きたくなった本当の動機は、妹の夢を見たからだ。

 その夜初めて妹の夢を見た。

 ぼくらは手をつないで小学校の裏手の田んぼ道を歩いていた。妹は習ったばかりの唱歌を繰り返し歌いぼくもそれに合わせた。そのうち妹は歩き疲れ、お兄ちゃん負んぶ負んぶとあまえてぼくは妹を背負った。妹の腕がぼくの首に絡み付き、体の温もりと柔らかさがぼくの背中を包んだ。まだ舗装されていない田んぼ道だったからところどころ水たまりの跡のような凹んだところがあって、足を取られる度に妹の顔がぼくの首筋にぶつかり髪からシャンプーのいい匂いがした。そのうち妹はぼくの肩に頬をあずけてうつらうつらし始めた。首に回され組まれた両腕が徐々にほどけてきて、ずるずるとずり落ちてくるのでぼくは腕で妹のお尻をたくし上げるのだが、たくし上げてもたくし上げてもずり落ちてきて、眠っちゃだめだと叫んだ瞬間妹の両手が肩から外れてぼくは目を覚ました。

 上布団が二段ベッドの上段から垂れ下がり床に届きそうになっていた。布団を引き上げ抱きしめたとき妹の温みと声が蘇ってきた。妹はもうぼくを許してくれたのだろうか? それはぼくの身勝手な願望が見させた夢に違いなかった。ぼくは許されてはいけなかった。けれど嬉しかった。妹が夢に出てきてくれたことが、そしてぼくの体が妹を忘れていなかったことが。


 出だしが決まるとぼくは一気に第一章を書き終えた。


                 妹がいた夏


 毒々しい濃赤色の実を選んで摘み取り、僕は口いっぱいにヘビイチゴを頬張った。十一歳の初夏の頃。

 校庭の合歓の木には妹が好きだったピンクの花が満開だった。彼女が好んで描いたキリンの親子の、カールした長い睫毛のような不思議な花。

 ヘビイチゴは真っ赤に熟していたのに、青くなる前の白い未熟なイチゴのような、甘くも酸っぱくもないぼそぼそした食感をしていた。僕はためらわず、ひとおもいに呑み込んだ。

 どれだけ畦道にしゃがんでいただろう。見上げる空には羊たちの群れが何処までもつながり、風が僕の前髪を揺らした。

 僕はイチゴのような真っ赤な血を吐いて死ぬはずだった。

 母は迷信を鵜呑みにしていたのだ。

 口元を拭うと、掌が無駄に紅に染まった。


                 ***


 日曜日の午後の田んぼ道、土手の熟したヘビイチゴの実を美味しいよって、偽って妹に食べさせた。妹は縁日の真っ赤な金魚のように口を開けて、嬉しそうに頬張った。

 母が妹の口を抉じ開け、果実を指で掻き出し、噛み砕かれた果肉は背中を叩きながら吐き出させた。

 僕は初めて母にぶたれた。母の手はよく撓う鞭のようで、頬に熱いものが走ったかと思うと、左側だけジーンと痺れてぐにゃぐにゃに膨張した。耳の中でクラス中の嫌な連中がトライアングルを狂ったように鳴り響かせていた。僕は自分の痛みより母の動揺に驚愕した。僕は取り返しもつかない事をしてしまったのだ。

 妹は初めはきょとんとしていたが、二人のうろたえぶりに驚き、大声で泣き出した。妹が死んだらどうしよう。僕も声を上げて泣いた。


 大丈夫! 全部取ったから。

 唾を吐きなさい。ぺって。

 そうそう。もういっぺん吐いて。

 苦しい?

 そう、もう大丈夫。

 白雪姫みたいに、すぐに良くなる。

 毒イチゴはあっちへ飛んでった。


 妹が出来るまで、僕は一人っ子の鍵っ子だったから、孤独な遊びに慣れ、孤独と友達だった。そんな僕の王国に妹は無邪気に裸足で踏み込み、乳と蜂蜜の匂いのする掌でべたべたと撫で回し、舌足らずに僕を呼び、追い回した。

 妹はいつもは母にべったりと纏わりついているくせに、母がいなくなると僕の後を仔犬のようにクンクン鼻をいわせながらついてきた。


 どうしてだろう。僕は不意に妹に悪さをしたくなる。


 その年の夏妹は溺死した。

 僕が殺した。


                  ***


 ぼくはここから全く書けなくなった。何度も読み返した。読み返すたびに嫌になった。主人公の心もぼくの真実もそこには書かれていなかった。ぼくは何かから逃げようとしていた。手直しするだけではだめだと思った。最初から書き直さなければだめだって。

 

 お昼の休憩時間、中学校の同級生だった大沢君が不意にぼくの肩を叩いた。相変わらずなんか書いてるなって笑いながら。ぼくが慌てて机の下にノートを隠そうとしたのがいけなかったのかもしれない。

 大沢君は何を書いているのかってしつこく訊いたけれど、ぼくが曖昧な返事しかしなかったのでつまらなさそうに自室に戻ろうとした。そして思い出したように振り向きざま間宮先生の話をした。

 先生、今学期が終わったら郷里に帰るって弟が言ってたと。

 ぼくがどうして? 何処に? って矢継ぎ早に訊くので大沢君はえっ? て顔で今度聞いとくよって答えたけれど、それは実現されそうになかった。


 今学期までとするともう時間が残されていなかった。

 

 中学校の校庭脇のポプラ並木から長い影がぼくの座っているバス停のベンチの方へ伸びてきて、ゆっくりこちらに近づいてきた。間宮先生だとすぐにわかった。長身でショルダーバッグを提げたら二、三歩でずり落ちてしまいそうなほどに右肩が下がっている。

 先生がだんだん視界に迫ってきた。ぼくはあれほど会いたかったはずなのに、胸元に鞄を強く抱き締め、ただ足下を凝視めていた。

 先生がぼくの前を通り過ぎ、一瞬立ち止まってぼくの制服を確認した。


 イッ、イッ、イトウ君じゃない? って先生が訊いた。ぼくは泣きそうになった。

 ご無沙汰していますってぼくは応えた。先生学校辞めるんですって? って。

 先生は両親の都合で郷里に帰るのだと言った。君はずいぶん背が伸びたね。学校は楽しいかい? 

 ぼくは勇気を出して鞄からノートを取り出し作品を先生の眼前に開いた。先生はぼくの隣に座って読み始めると急に顔を上げ、まじまじとぼくを見て、小説? って訊いた。ぼくはただ頷いた。

 先生は読み終わってからもしばらくノートを凝視めたまま黙っていた。

 貴史君から聞いたよ。彼、君の妹の同級生だったんだって?

 君が卒業してから彼が入学してきた。わたしがその時のクラス担任だったと言って、先生が顔を上げ、ぼくの眼を見た。

 あの日何も知らずに君を責めた。わたしが悪かった。


 詫びるのはぼくの方です。みんなの前で先生を侮辱した。先生は悪くないんですってぼくは謝った。

 何度か君を呼び止めようとしたんだよ。けれど君はもうわたしの手の届かないところに行ってしまったって感じた。追ってはいけないって。

 そして先生はノートをぼくに返しながら言った。

 この小説すごくよかった。けれど最後の一行は違うんじゃないかな? 

 君は妹を殺してなんかいない。

 

 昔サナトリウムだった病院の裏手の松林が一カ所隆起していて、そこからなら簡単に堤防に上れると貴史君が言ったから彼の後をついて行った。黒松林の地面の所々に落ち葉の吹きだまりがあって、その上を歩くと真綿みたいに柔らかかった。時々松葉で滑って転びそうになっては彼に笑われた。革靴はよく滑るんだよ。滑る度に松葉からテレピン臭が昇ってきて油絵を描いていた学生の頃を思い出した。

 

 ぼくには先生たちが辿った道がはっきり見えた。確か途中に有名な俳人の句碑があった。その正面には昔は綺麗な白浜が広がっていてその一帯は名の知れた海水浴場でも避暑地でもあった。父が子供だった頃はよく裸足で渚まで走って行ったって聞いたことがある。サンダルだと足裏との間に砂が入ってくるし運動靴だと砂まみれになる、だから両手にサンダルとか運動靴や靴下をぶら下げ、ズボンの裾を深く折り曲げて焼けた砂を蹴散らして猛ダッシュしたと。

 今は防波堤ができて砂浜と松林を分断し当時の面影はない。

 堤防の手前の道を左手に折れ海岸沿いに進めば、両手で抱えきれない程の太い黒松が今でもところどころ不揃いに並んでいる。先生が昔サナトリウムだったと言っているのはたぶんその先にある総合病院のことだ。その病院の裏手に以前は木造の古びた白い病棟があった。父はサナトリウムという呼び方ではなく結核病棟と言っていた。その時も父は唐突にぼくに話しかけてきた。けれど不思議とその言葉はよく憶えている。父と面と向かって会話した記憶がほとんどなかったからかもしれない。

 でもどうして貴史君や妹はあの場所を知っていたのだろう。ぼくらが遊んだのは漁港を凹の形に迂回して横に伸びた堤防の向こうの浜辺だった。そこは砂浜がなだらかに渚まで広がり、海水浴場と同様に満潮になっても海面に没することはなかった。そうして、漂流物に混じって海草や流木や雲母が描いた潮の干満の履歴が帯状に残されていた。ぼくらはいつも近くのその浜辺で遊んだ。

 それに反し昔サナトリウムだった跡の松林は薄暗く人が立ち入ることはまれで、そこに踏み込まない限り堤防の存在は知り得ない。あそこはぼくの秘密の場所だった。

 そこには砂浜を見渡せる小高い場所に枝振りのいい松があって、首吊りの松と呼ばれていた。そしてその先の漁港のまだらにはげた空色の水門脇は、心中や入水自殺の名所とも呼ばれていたと父が話した。ぼくは首吊りの松を探しに行って堤防に登る道を見つけたが首吊りの松は見つからなかった。枝振りのいい松とは浴衣の紐とかベルトを簡単に渡せそうな枝がある松のはずだった。しかしその辺りにある松はどれも頭上高く枝を伸ばしていた。父は都市伝説を信じていたのだと思った。

 或る日堤防から降りようとしたとき一本の傾いで生えた松が目にとまった。病院側にかたむいて生えたその松の一の枝が幹の真際で切り払われていた。父はここには立ち入るなと言っている気がした。だからだろうか。ぼくがあの場所に魅入られたのは。

 ぼくは誰にも邪魔されず、堤防の縁に腰掛け足をぶらぶらさせながら海を眺めるのが好きだった。水面すれすれにボラが跳ねたり、ウミウが潜水しどの海面から姿を現すのか予想したり、ただ波の変化を見ているだけでもよかった。

 漁港の内海はいつもは穏やかで、いびつな鏡のように海面に漁船の船尾や物置小屋、くすんだ白い灯台の影を揺らめかせていた。さざ波が走るたび影も乱れ流れた。目の前の景色は何処にでもあるただの漁港の風景なのに、海面に映る影は目まぐるしく変化し尽きることがなかった。まるで一瞬が永遠みたいに。

 ぼくは一度だけ漁港に行ったことがある。岸壁には船の側面を衝突から守るために古タイヤが横向きにロープでつながれ、物置小屋には繕いかけの網が広げられて、汚れて日に晒され変色した樹脂製のかごや錆びた手鉤などの道具類が雑然と置かれていた。そしてひび割れ欠けたコンクリートの床には干からびたシラスがこびりついて生ぐさい臭いがした。

 現実はどうしていつもこんなにみすぼらしいんだろう。水面に映った万華鏡のような漁港の影は素敵なのに。ぼくはただ堤防の縁に腰掛け、モネの睡蓮の画のように揺れ動く影の港を楽しんだ。

 ぼくは荒れ狂う海も好きだった。波はうねり、ぶつかって弾けたかと思うと打ち消しあい重なり合って突然荒々しい波頭を堤防にぶつけてきた。ぼくはそんなとき、来るぞくるぞと身構えながら波を待った。

 波を待ちながらぼくはいったい何を待っていたのだろう。


 君たちはあんな高い防波堤を上り下りして浜辺で遊んでいたんだねと先生がぼくの追憶を遮った。

 堤防の厚みはどのくらいあっただろう? 道路に引かれた白線の上なら何メートルだって平気で渡れるのに海風が吹く堤防の上はサーカスの綱渡りのロープのようで目眩がした。バランスを崩したら松林側に跳び降りればいいって思ったから貴史君について行けた。

 行く手には石垣とテトラポットに囲われた突堤が岬のように伸びていてその先に小さな灯台があった。貴史君が指をさし、もうすぐ港が見えてくるよって言った。

 砂浜は徐々に狭まり堤防の側面には帯状にフジツボが貼り付き海草が絡み生えていつもはあの辺りまで潮が来ているのかと思うと急に怖くなった。

 しばらく進むと堤防は突堤と交わりそこから先は行けないように太く尖った針が扇状に伸びていた。あの事件があってから設置されたって貴史君が言った。そこから先は漁港で暗く深い海が広がっていた。

 妹が追いかけてきていたことを君は知らなかったんだろ?

 

 先生はぼくが喋りだすのをじっと待っていた。遠くで救急車のサイレンの音が微かに聞こえた。たぶん中学校の裏手の国道を走っているのだ。サイレンの音はだんだん甲高くなりぼくらの前方で急に音調を反転させて、低く間遠になりやがて聞こえなくなった。ドップラー効果だ。近づいてくる音は甲高く聞こえ遠ざかっていく音は低く聞こえる。光も同じように地球から遠ざかっていく恒星は赤っぽく見える。だから銀河系外の天体が赤みがかって見えるのは宇宙が膨張していることを証明している。

 でもこんな時にどうしてこんなどうでもいいことを思い出すのだろう。先生はぼくのためにひとことひとこと言葉を探しているのに、ぼくはドップラー効果だなんて考えている。ぼくは先生に会うべきじゃなかった。先生を利用してぼくは救われたかっただけだ。

 先生はぼくを凝視めるのをやめてポプラ並木を見上げた。西日を受けたポプラの梢がオレンジ色に輝いていた。


 貴史君から聞いたよ。今の防波堤は君が小学校に入って間もない頃、大きな台風がこの地方を直撃したとき決壊して何十人もの人が亡くなったから整備され建て替えられたって。新しい堤防は以前の堤防より高かったけれど、高波を受け流し押し返す波形に内側が湾曲していたから、堤防の斜面を駆け上がって天辺の縁に跳びつき懸垂すれば上に登ることができた。君がやすやすと堤防の上に登るので彼は悔しくて仕方なかったそうだ。君はいつも妹や彼の手を取って引き上げてやったんだって?

 磯の石垣を兎みたいにぴょんぴょん跳んで、大きな爪の磯蟹を捕まえるんだよ流木の枝を使ってじゃないよ、素手でだよって君のこと自分みたいに自慢げに貴史君は話した。そして君の妹は漫画のヒロインみたいな大きな目をしていたって恥ずかしそうに笑った。君は口癖みたいに言ってたんだって?

 波はね、馬のたてがみみたいに靡いていてもね、突然とっつぜんおおーきなラクダの瘤のように膨れあがってくるから怖いんだよって。そしてこんなことも言ってた。君のお母さんは心配性で君ら兄妹が海に入ることを許さなかった。だから二人は泳ぎが得意じゃなかったって。あの日僕もいっしょだったら良かったのになって。

 君の妹が堤防から海に落ちたとき君は助けにいけなかった。それをずっと悔やんでいるのだろ?

 

 幾度ともなく繰り返してきた心の声がぼくを突き動かしたけれど、口にする言葉は見つからなかった。ぼくはあの日両親に嘘をついた。そして先生にまで嘘をつこうとしている。妹の足音は聞こえていた。彼女の足音に気づかないなんてあり得ない。彼女は友達の家に遊びに行っているはずだった。だからどうしてここにいるのだろうと思った。そしてぼく一人の時間がまた奪われると。

 ぼくは来るなって叫んだ。妹は一瞬立ち止まってぼくを見た。ぼくはあのとき止まれ、動くなって言うべきだった。

 妹は勘違いして、手を振って歩調を速めた。

 あの時妹はなんて言ったのだろう? 

 いっしょに帰ろって言ったのかそれとも、いっしょにいるって言ったのだ。

 その後のことは何も憶えていない。ぼくは怖くてこわくて、両親にみんなに嘘をついた。しかし網膜に焼き付いた残像は拭い去ることはできない。だからずっと自分にも言い訳した。

 堤防には海岸側から上る階段はなかったから、妹を助けても抱えてよじ登ることは出来なかった。そしていっしょに泳ぎ切るには漁港の船着き場までは遠かった。

 でもそれは言い訳に過ぎない。たとえ泳げなくとも無意識に助けようと飛び込むのが肉親の本能じゃないかって思う。ぼくは臆病で薄情な人間だと思う。

 妹はいつも何かうきうきわくわくすることを探していた。それがときどき鬱陶しくもあったが、彼女が現れただけでその場の雰囲気がまるで変わった。彼女にはみんなを輝かせるような不思議なオーラがあった。彼女の未来はバラ色に輝いているように見えた。けれど、苦しみと恐怖の中でその一生を終えたなら、それがなんになるのだろう。その半生がどんなに光り輝いていったってどんな意味があるんだろう。


 先生はぼくを凝視めながら何か喋りだしそうだったけれどしばらく黙っていた。

 犬を散歩させていた母くらいの年齢の女性がぼくらの前で立ち止まり、ぼくと先生を交互に見遣って何か言いたそうだったが、犬がリードを引っ張るので視線を残して走り去った。ポプラの影がぼくの目の前まで伸びてきていて日はもう沈もうとしていた。


 わたしも大事な人を亡くしたとき誰かが言っていたことを思い出した。ひとは誰でも二度死ぬんだって。最初は命を亡くしたとき、そして誰の記憶からも消えてしまったとき。誰からも忘れ去られたときひとは完全に死んでしまう。

 君の妹はまだ生きている。君の心の中に、そしてわたしの心の中に。君がこの小説を完成させて誰かがそれを読んだならその人も君の妹を記憶に残すだろう。君は大事な人に妹の話をしてあげなさい。恋人ができたなら。子供たちができたなら。そうすれば君が亡くなってからも君と君の妹は彼らの中で生き続ける。


 それからって先生は続けた。

 君が最も気に病んでいたことだろうけれど、脳内ホルモンのことは高校で教わったかな? って先生は訊いた。

 そのなかに苦痛で耐えられなくなったと脳が判断したとき放出されるホルモンがある。快楽ホルモンとも呼ばれているけれどそれが作用すると苦痛を忘れて恍惚となるらしい。瞳孔も開いて眼底に光が降り注ぐから自分が光に包まれたと錯覚するようだ。臨死体験をした者が共通して得も言われぬ高揚感と光に充ち溢れた世界を語っている。

 恐怖と苦しみはきっと長くは続かなかった。君の妹もまばゆい光に包まれ、幸福感に満たされて息を引き取ったとわたしは信じている。


 そうして先生はぼくの肩に手を置き言った。

 わたしにも学生の頃恋人がいた。彼女は子供が好きで宮沢賢治みたいな小学校教師に憧れていた。わたしには彼女のような夢も情熱もなかったから、進路を決めかねているわたしのことでよく言い争いになった。その日も彼女をいつもどおり駅まで送っていくはずだった。

 男が彼女の目の前で踏切の遮断機を揚げて線路に入って行った。彼女は大声で呼び止めたけれど男はレールの間にしゃがんで動かなくなったそうだ。彼女一人の力で男をレールから引き剥がすことはできなかった。列車は間近に近づいてきていて彼女を手助けしようとする者は現れなかった。彼女が体当たりして男を軌道から押し出したとき歓声が湧き上がった。しかし警笛と甲高い金属音が歓声を悲鳴に変えた。

 救急車はすぐには来なかった。

 葬儀の日わたしはどうしても棺の彼女に詫びたかった。しかし両親はそれを許さなかった。黄泉国のイザナミのようにはしたくなかったのだと思う。

 

 古事記を読んでいたあの頃君はわたしに訊いたね。

 黄泉戸喫よもつへぐいつってイザナミは何を食べたんですか? って。 わたしはあの時たしか黄泉のかまどで煮炊きしたものだと答えた。君のこと何もわかっていなかったんだな。

 黄泉のかまどで調理された料理、もはやこの世に、あたりまえの日常に戻れなくなる食事。

 君もわたしもヨモツヘグイをしたのだ。


  参考文献:小学館日本古典文学全集1 古事記 

  校注・訳者 山口佳紀 神野志隆光

  第三書館発行 ザ・賢治 宮沢賢治全一冊 1985年初版発行

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

よもつへぐい @itoutyuya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ