第一章

 ぼくは中学校に入学して別人に生まれ変わろうとした。妹がいた頃の自分には戻れないにしろ何の喜びも生きがいも見いだせない自分から抜け出したかった。もちろん同級生の顔ぶれはほとんど同じだった。だが学校も教室も先生もみな違った。だからぼくは今が生まれ変われるチャンスだと信じた。

 背筋はちゃんと伸ばして、歩くときは大きく腕を振って挨拶ははっきりと笑顔をたやさずに……。ぼくはまるで通学路を行進する幼稚園児みたいだった。中にはぼくを揶揄する同級生もいたがやあ! って笑い返した。やがて皆はそんなぼくに慣れたしぼくもこれが本来の自分だと錯覚した。そしていつしかぼくはクラスの中でも目立って挙手し発言する生徒の一人になっていた。


 ぼくは学校の帰りに近くの公園に寄り道した。公園には遊具は設置されていなかったから幼児をつれた親子はめったに来なかった。公園の奥にはあずまやがあって、ぼくは大きなケヤキの梢に覆われたベンチで母が帰宅する時刻まで過ごした。

 公園は平日人影もまばらでそこでぼくは宿題を済ませたり本を読んだり、ぼんやりスズメやヒヨドリの声を聴いた。ケヤキを揺らす風は心地よかった。夏の日差しは木々の葉々が遮ってくれたし、冬のベンチは冷たかったけれどぼくは寒いのは嫌いではなかった。ただ風が強い雨の日だけは横殴りの雨が瞬く間に体の芯まで染みこんで走って帰った。

 妹とポケットにおやつを忍ばせて遊んだのもこの公園だった。妹は公園に面した街路樹のプラタナスが好きで、左手をぼくとつなぎながら右手でプラタナスに次々タッチしていった。特に公園の入り口脇の少し斜めに生えた一本だけ若い樹がお気に入りで、キリンさんだキリンさんだとよく抱きついた。たぶんもとあった樹が枯れてその樹だけ植え替えられたのだ。まだら模様はアミメキリンに似ていた。

 お兄ちゃんってばよく見てよ。キリンさんがむしゃむしゃ葉っぱを食べているから。ぼくは妹の目線でその樹を見上げてわかった。少し傾いだ若木がまっすぐ伸びて頭上だけに葉が茂っていた。若葉を食べようとキリンが細長い首を梢の中に突っ込んでいるかのように。

 プラタナスは不思議な樹だ。樹皮が日焼けの跡の皮膚みたいにいつも所々反り返って捲れていてつい引っぱがしたくなる。外皮はチョコレート色で剥がれた跡は濃い抹茶色やヨモギ色、剥がれたばかりのところは象牙色をしていた。そしていつも幹のどこかが生まれ変わろうとしていた。

 ぼくと妹はそこで何をして遊んだだろう。妹は遊びを見つける天才だったからしばしば時間を忘れた。公園には遊歩道脇に街灯があって少し暗くなると自動で点灯した。ぼくらは母より遅く帰りたくなかったから点灯を合図にベンチを後にした。それは妹がいなくなってからも同じだった。


 中学校に入学して三ヶ月ほどたった頃、家族のこと最近起こった家庭での出来事をレポートする宿題が出された。担任教師は作文から生徒の家庭事情を読み解こうとしたのだと思う。ぼくはその夜に起こった夫婦喧嘩のことを書いた。

 久しぶりの親子三人揃った夕食だった。父の帰りはいつも遅く酔っぱらっていることが多かった。父母がどんな会社でどんな仕事をしているかぼくはほとんど知らない。ただ父はいつも疲れていて母と些細なことでよく揉めた。母はぼくばかりでなく父も許していなかったのかもしれない。家族四人そろってどこかに出かけたことは数えるほどしかなかったし、父に遊んでもらった記憶もほとんどない。母はしばしば家事のことで父をなじった。その都度妹は母にすり寄り話題を変えさせ、そして父は黙って妹を引き寄せた。

 その日父は何処かで母と待ち合わせたのか珍しく二人いっしょだった。母は父と目を合わそうとせず矢継ぎ早に学校での出来事などを質問したので、ぼくは困って三丁目の佐藤さんちのショコラが仔犬を三匹産んだこと、彰くんが今日も登校しなかったことなどを話した。社会科の藤田先生のことは話さなかった。

 母が缶ビールを開けたので父もグラスにビールを注いだ。父は母を待っていたのだ。TVでは相変わらずの歌番組をやっていて母が突然画面の歌手を指差して父に何か言い、ふたりはひとしきりぼくには分からない話題で盛り上がっていた。しかしふたりの会話は何処かわざとらしくぼくははらはらした。そして唐突に藤田先生の蔑んだ眼と怒鳴り声を思い出した。今日の二限目の授業だった。その授業で藤田先生は対人地雷敷設の実態を熱弁した。地雷はカップ麺一個の値段で手に入るのだと先生は言った。軽くて小さくて、金属探知機にも反応しないプラスティック製のもの筆箱みたいな木製のものもある。玩具のように見えるから兵士ばかりでなく多くの子供たちも犠牲になっている。重火器や戦車などに比べて殺傷力は劣る。けれどその費用対効果はそれらを凌ぐ。

 さてそこでだ。どうしてだと思うって、先生はシャツの袖を捲くり上げながら教室を見渡したのでみんなは一斉に俯いた。

 ぼくは通学路や近所の公園空き地に人知れず仕掛けられた地雷を思った。

 先生がぼくを名指した。

 ぼくは公園の砂場の犬猫の糞より始末が悪いって答えた。真っ暗な映画館の床に仕掛けられたチューインガムのトラップみたいだって。みんなはほっとしたみたいにゲラゲラ笑いだした。

 突然藤田先生の顔が怒りで剥き出しになった。初めて見る貌だった。ぼくは先生が笑いながら出席簿で頭をぽんと叩いてくれるものだと思っていたので狼狽えた。

 藤田先生は未だに年間一万人を超える人たちが、片足、両足、命さえも奪われていることをお前は知ってて言っているのかと、クラスの仲間を見渡しながら語気を強めて言った。

 そんなこと知っていると言い返しそうになってぼくは怖くなった。ぼくの方こそ地雷を踏んだのだ。しどろもどろに謝罪している自分が愚かしく惨めだった。

 一人の兵士の足を奪うことは彼の両肩を支える兵士、担架を担ぐ兵士、隊列の士気までも奪うのだと先生はもうぼくを見ることもなく国家や企業の悪について喋り続けていた。

 ぼくは生活圏の中に仕掛けられ続ける地雷を思った。今もどこかで誰かが犠牲になっている。街にはそこら中にカップ麺の空が無造作にうち捨てられている。


 父に続いて母が三本目の缶ビールのプルトップのリングに指をかけた。母はますます饒舌になり、それにつれて父の重い口が開かれた。母は父を誘っていた。すり鉢状の巣穴の下のアリジゴクみたいに。蟻が落ちてくるのを。

 危ないってぼくは思った。そっちに行っちゃいけない。そっちは地雷原なんだよ。

 ぼくは友達の失敗談を喋りだしたけれどもう遅かった。パスタが盛られた大皿は割れなかった。鈍い音をさせて二度弾んで止まった。スパゲッティはテーブルから床に無様に雪崩れミートソースの飛沫が壁を汚した。ぼくの飲みさしのグラスがスローモーションのように放物線を描いて派手な音をさせて割れたのが救いだった。

 後から片付けるからそのままにしておいてって母が言った。頭が痛いからもう寝るって。

 お前は動くなって父はぼくを制止し床に飛び散ったガラス片を拾い掃除機をかけた。母が階段を上るわざとらしい足音がホースを握る父の手を一瞬止まらせた。

 ぼくと父は互いの顔を見ずに黙って食事を再開した。TVではお笑いタレントが大きな口を開けて笑っていた。中断された食事のせいでぼくは空腹なのか満腹なのかわからなくなった。父が下品な音を立てて咀嚼するのがいやだった。食べ残しをかきこむとぼくは部屋に引揚げ課題の作文を書き始めた。

 

 次の週の日曜日の朝、担任の女教師と教頭先生が不意に我が家を訪問した。ぼくは自室に退くように言われ母がひとり応対した。父は接待ゴルフで不在だった。

 どうしてあんなこと書いたのって後で母はぼくを責めた。顔から火が出そうだったと。作文では皿を投げたのは母とは書けなかったから父だったことにした。すると父はレポートの中で酒飲みの暴君になっていき、母は深夜ひとりダイニングキッチンで散らばったガラス片を拾った。

 母は、「夫は酒は飲むが飲まれたことはないし暴力を振るったこともない。息子は読書好きの夢想家だから大げさに書いたに違いない。」と弁明した。教頭先生はすぐに納得したようだったが、担任教師は母の目の奥を覗き込み頷きながら同じ内容を言葉を換えて何度も問いかけてきて閉口したそうだ。

 月曜日の朝、教室に入ると皆の会話は中断され一斉にぼくを凝視めた。クラスメイトはみな知っていた。作文を信じた担任教師が家庭内暴力DVを疑い校長を説得して近隣から聞き取り調査をしていたのだ。

 次の日ぼくは近所の上級生にからかわれた。お前んちの両隣と向かいの鈴木さんち、町内会長さんとこにも女先生と教頭が聞き込みに行ったんだってな。お前今度は何やらかしたんだ? って。

 担任教師はその後ぼくの嘘を問い詰めはしなかった。クラスの仲間の陰口もそのうち消えた。けれどぼくはもう妹と暮らしていた頃の自分に戻ることも、新しい自分になることも出来そうになかった。ぼくは妹を死なせた直後の自分に戻っていた。

 それは両親も同様だったのかもしれない。その日以来父母はぼくの前で諫かうことはなかったし母は努めて笑うようになった。そして考えてみればぼくの部屋から妹の持ちものが突然消えたのはその後しばらくしてからだった。それまでは妹がいないのが不思議なくらいに机も椅子もランドセルも当時のまま残されていた。机と椅子はぼくとお揃いのものだった。年齢に応じて高さが調節できるごく普通の学習机と椅子とのセットだ。母はもっと女の子らしい机を勧めたがお兄ちゃんと同じものがいいと言い張ったらしい。たぶん妹もぼくと同じように遠慮したのだと思う。ぼくらの家庭は貧乏ではなかったが決して裕福でもなかった。

 部屋に入ると以前は否応なく妹のお気に入りの品々が目に入った。もう甘酸っぱい子猫のような匂いは消えていたが面影は至る所に潜んでいた。母なのか父なのかその両方なのか、妹の椅子に誰かが座った形跡があったり教科書とか妹のお気に入りのぬいぐるみの位置が変わっていたりした。

 妹の私物が消えてからも二段ベットだけは残された。妹が居なくなってからもぼくは上段のベットで眠った。

 不思議だった。妹の愛用品が視界から消えてからぼくは反って妹の不在に怯えた。よく嫌な夢を見た。水族館にいるような美しい熱帯魚が遊泳していてぼくは海底にいるらしい。色とりどりの珊瑚の間から縞模様のエビが触覚を撓らせイソギンチャクは流れのままに触手を揺らめかせて、ぼくは夢中になって海底を散策している。ルリスズメの群れが岩礁の洞窟へとぼくを誘う。いつもこの辺りでぼくは危険を察知するが、体はどんどん奥深く魚影を追っていく。すると必ず洞窟は急に狭まり体のどこかが引っかかって焦れば焦るほど抜け出せなくなる。ニシンとかラッコとかのいる北の海を泳いでいるときもある。ラッコを追って昆布の林を抜けようとすると、必ず昆布が体に纏わりつきぬめりが蜘蛛の巣のようにぼくを絡めて身動きできなくなる。ぼくはそのつど布団を撥ねのけゼイゼイ息を吐きながら寝汗にまみれた。

 ぼくは妹の死に顔を見ていない。父母が許さなかったし母も絶対見ないと言った。葬儀の祭壇には満面の笑みの写真が飾られその写真はその後リビングルームに飾られた。ぼくはどんな姿であってもどれだけなじられ責められても妹が直接夢に出てきてほしかった。こんな生殺しの夢は嫌だった。でもこれがぼくへの罰かもしれないと思った。  

 ぼくは母が本当は女の子が欲しかったのを知っている。ママ友に話しているのを聞いたことがある。最初の子が男だったことを父は喜んだが母はがっかりしたって。

 母と父が諍いを始めそうになったり部屋が沈黙と気まずい空気に満たされたりする度、妹が居たならって思う。きっと彼女がいたならぼくらの家庭は笑いに満ちていたと思う。それは美味しいものを食べたり綺麗なものを見つけたりしたときも同じだった。妹がいたらどんなに喜んだだろうと思う。ぼくより妹の方が生きていればよかったって思う。

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