Stage.024 ブレイク・ザ・ゲイルⅡ
吹き荒んでいた風はモルフィンの掌であっという間に凝縮されて、それを内包したスフィアを形成する。同時に風の蒐集が終わったことにより、周囲は不気味なほどにしんと静まり返った。
風は確かにスフィアへ閉じ込められている。だというのに、内に在る風が今も尚暴れているせいか、周囲の空間が刺激されビリビリと振動しているようにすら感じてしまう。
モルフィンが口角を上げ、右手をアリスへかざした。
はたしてどのようなソーサリーを使ってくるのだろうか、と緊張が走る。
「それじゃあ天使ちゃん、まずは小手調べと行きましょうか。エアカッター!」
直後――破裂音と共に、閉じ込められ、行き場を失っていた風が解き放たれた。刃を形成し、空を裂いて直進するそれはまるで檻から逃れた生き物の如く、手にした自由への嬉しさを表わして活き活きしているようにさえ見えた。
モルフィンがソーサーリー名を口にしたほんの一瞬、アリスは自分の耳を疑った。
エアカッター。それは風属性を選んだプレイヤーならば誰しもが初期習得している。威力だけで言えば風属性において最弱と言ってもいい。そんなソーサリーだというのに、発動前のエフェクトからしてそんな低威力の攻撃だと誰が想像出来ようか。
やや拍子抜けな部分は確かにあったが、わざわざあんな演出まであったからにはプレイヤーのものとは別物と考えて然るべきだろう。だからといって迫る風刃を前に技後硬直が解けていないアリスはどうすることも出来ない。モルフィンを挟んで反対側に居るサーニャと椿は元より、こういうときにいつも盾となってくれるカムリの救援も到底間に合わない。
必ず直撃する。それを分かっているモルフィンが浮かべる下卑た笑みをアリスは目に焼き付ける。
(この一発は硬直をキャンセル出来なかった私のミス――けど、絶対その余裕崩してやる!)
そうして、やはり成す術無くエアカッターをその身に受ける。刃が体を切り裂いて、通り抜けた後に風圧が巻き起こした砂塵に目を細める。狭まった視界の隅でHPゲージを確かめれば三割程減少していた。エアカッターにしてはやや高めの威力だろうか。
次いで下に目を向ければ、体に付いた赤いダメージエフェクトが被弾したことを嫌でも認識させてくる。上半身に大きく爪痕を残したそれはアリス自身も滅多と見ることの無いサイズで、
(来るの分かってて正面からこんなまともに喰らったの何時以来かな……)
硬直が解けるまで残り僅かな時間、過去に思いを巡らす。
「アリスッ!!」
「このっ!」
アリスにばかり攻撃の手を向けさせないよう、サーニャと椿が再び切り掛かった。
ただでさえ耐久力が低いというのに、硬直の隙に連続攻撃でも浴びようものならアリスのHPゲージは一瞬の内に吹き飛んでしまうだろう。
少なくとも現時点に於いて、誰の目から見てもアリスがこのパーティ及びギルド中、最強のプレイヤーであることは疑いようの無い事実である。明確な攻略法も分からず、蘇生アイテムも存在しない現状で万が一、早々に彼女を欠く事態に陥ってしまうとモルフィンを討伐出来る可能性はグッと低くなってしまう。
であるからして、クリアのためには何としてもアリスを守る必要がある――という打算が毛ほども無いとは言わない。
けれど。
いつも皆を守ってくれるアリスがピンチなら、私たちが守りたい。いつもはカムリの役目だけれど、その彼女も居ないのなら代わりに私たちが守る。サーニャと椿、二人を突き動かすのはそんな思いだ。だから、ただ、必死になる。
しかし、現実は非情である。
二つの刃が幾ら閃こうともアブソリュート・エアは接触した箇所から風を吹き出すばかりで、斬撃を一切通さない。
「うふふ、無駄な努力をご苦労様」
二人を一瞥したモルフィンは再びアリスへ視線を戻すと、先ほど過剰に集められていた風がストックされているということなのか、スフィアは未だ消失していない。威力が少し高いという点の他に、二発目ないしは幾度かの発動に
不味い――アブソリュート・エアの接触面から勢いよく吹き出した風で体勢を崩されているサーニャと椿がそう思うのに反して、アリスは心乱されることも無く随分と落ち着いた様子だ。
モルフィンの手元から炸裂音と共に再びエアカッターが放たれた――その刹那、アリスの硬直が解けた。サーニャと椿がモルフィンを振り向かせ、稼いだほんの数秒によってそうなることが分かっていたのだ。
アリスがすかさず横っ飛びに回避行動を取った。
目標を失った風の刃は地面を抉りながら二十メートル程度進んだところで威力を失い、大気の中へ静かに溶けていった。
素早く立ち上がったアリスが一つ、息を吐く。
「ふぅ――」
剣を肩に担ぎ、己が打ち倒すべき敵を真っ直ぐに見据える。
依然としてアブソリュート・エアによってモルフィンへダメージが一切通らない状況は変わらず、絶望的な状況と言って差し支えない。
早くも詰みかけている状況だというのにアリスの口角が上がる。
「やっぱりいいね、強い敵と戦うのは楽しい。ありがと、モルフィン」
「突然何を言い出すかと思えば……自分が負ける相手に感謝するなんて頭おかしいのかしら?」
「負けないよ私たちは。それに弱い敵を倒したってつまんないじゃん?」
「ナマイキ言ってくれるじゃないっ!!」
モルフィンが右手を突き出すと同時――アリスが動き出した。三度、エアカッターが彼女を襲う。しかし自由に動けるアリスが正面から直線的に飛んでくるだけの攻撃を躱せないはずが無い。
踏み込みながら僅かに右斜め前方へステップを踏む。左半身スレスレを圧縮された風が通り抜けてビュオオッ! と凄まじい風切り音が鼓膜を刺激する。
風のストックは三発が上限なのか、既にスフィアは消失している。二人の間にあるのはどこまでも邪魔をする風の障壁だけ。ならば迷うことは無い。
アリスは一足飛びに接近し、剣を振る。石でも斬ったような手応えと共に外敵を追い払おうと風が吹き出す。
(あれ、これって……)
「何度やっても無駄だってことが――っ!?」
尊大で、驕っていたモルフィンが息を呑んだ。アリスに向かって吹き出していた風は勢いを失くし、モルフィンの纏っていた風そのものが拘束を解かれたように霧散したのだ。
(な、何? 風――消えた!?)
驚いたのはアリスも同じだ。一瞬、動きが止まる。
「アリスッ!!」
「――ブレイドストリーム!」
いつの間にかモルフィンの背後に居たサーニャに名前を叫ばれ、考えるよりも先に体は動いていた。動きを制限されない代わりにシステム的なアシストが無い乱撃型七連撃アーツ。長年のプレイで鍛え抜かれた――いや、最早染み付いてさえいるアリスの高いプレイヤースキルは反射的に出したこんな場面でも、扱いの難しいそれを当然のように成立させていた。
風のように疾く、連撃を見舞う。
アリスが最後の一撃で突きを繰り出した。
「ぐっ……」
その威力に押され、モルフィンは数メートル後退する。
「ブラッシュ!」
この機を逃すまいとすかさずサーニャが追撃をかければ、
「私だって――神通!」
機を伺っていた椿までもが攻撃に加わり、更なる追加ダメージを与える。
普通のパーティーならば技後硬直によってここで一度攻撃が止まるところだ。けれど、この場には普通ではないプレイヤーが一人、居る。
ブレイドストリームからアンスロートンへ繋ぎ、爆発的な加速で一気に距離を詰めたアリスが剣を突き出す。迫る切っ先を前にモルフィンは右腕を外側へ強く振った。
「調子に乗らないで!! ウィンドブロウッ!」
突如、モルフィンを中心に空気が破裂したような強い衝撃が波紋の如く広がった。その威力が凄まじすぎて立ったまま耐え切ることは不可能だ。
三人ともが後方へ大きく吹き飛ばされ、地面を転げ回った。何度も体を打ち付け、二十メートルは離れた位置でようやく止まった。サーニャと椿は元より、例えアリスでもこれではとても硬直キャンセルをしている暇など無く、立ち上がったところで三人揃って動けなくなった。
見たことの無いソーサリーだった。近くに居る対象を吹き飛ばすということに特化しているらしい。エフェクトや音の派手さに反して威力はかなり低いようで、アリスでさえHP一割も減っていなかった。
その時、彼女らの頭上をいくつかの火球が飛んで行った。真っ直ぐモルフィンへ向かっていくそれ。だがファイアボールが到達するよりも先に、彼女は周囲の風を編み込むように再びアブソリュート・エアを纏う。惜しくも間に合わず、ファイアボールは障壁に弾かれ、爆散した。
「何よあれ、ズル過ぎない!?」
抗議の声を上げるエンジュと、マナ、カムリがついに合流する。
「待たせてすまない!」
「揃いも揃って硬直してるなんて、ちょっと目を放してた間に随分とまあ仲良くなってるじゃない」
「エ、エンジュさん今はそんなこと言ってる場合では……」
「分かってるって。あのバリアをどうにかすればいいわけでしょ? だったらこれよ!」
言うが早いかエンジュはソーサリーのチャージに入り、目標を定めた。
「ブラストォ!」
直後、モルフィンの眼前で爆発が起きた。すぐ目の前で爆弾が爆発する映像、それはもう迫力満点だろう。でも見たからといって、自分の体が吹き飛んだりはしない。何故なら、
「ちぇっ! 座標攻撃もダメかぁ」
「よくも、この私に傷を……許さない」
エンジュの攻撃は油に火を放つ行為そのものだった。モルフィンは静かに怒りを口にした。
怒りが頂点に達した彼女は両手を左右に広げ、叫ぶ。
「全員纏めて葬ってあげるわ!!」
エアカッターの時とは比べ物にならない猛烈な勢いで彼女の両手に風が集まりだした。吹き荒れる風は嵐を思わせるほどに強く、モルフィンが大技を発動させようとしているのは明白だ。
それ故に、アリスたちにも若干の猶予が生まれる。
「さすがにあれはマズいんじゃあ……」
「で、です……」
「アンタらさっきどうやってバリア突破したのよ?」
「それはサーニャが――ねえサーニャ、さっきのもう一回出来る?」
「さっきのソーサリー・ディスパースはリキャストタイムが長くて……」
アリスの問いに、サーニャが心苦しそうに首を横に振って、言う。
「ごめんなさい。私、肝心なところで役に立てなくて――」
「そんなことないよ。サーニャは凄い! 私たちの誰も出来ないことが出来るんだから」
「アリスちゃんの言う通り、あともう一歩のところまでHP削れたのはサーニャちゃんのおかげだよ!」
「あ、ありがとうアリス。それに椿も」
「うん」
「っとと、硬直も解けたことだし、皆聞いて」
全員の視線がアリスに集まった。
「モルフィンは常にバリアを張ってるけど、でも、無敵のバリアなんて存在しない」
「何か突破口があるの?」
サーニャが期待の眼差しを向ける。
「うん。でも確証は無いし、全部を説明してる時間も――」
「いいっていいって、そんなの」
「はい、アリスさんが思いついたことなら可能性高そうですし」
「何でもものは試しだよ」
「さあ早く指示を出してくれ、全力で応えて見せようじゃないか」
「皆……」
アリスがサーニャを見やる。彼女は微笑んで頷いた。ここ数年はソロプレイが多かったアリスだが、それまではパーティープレイだって経験がある。やっぱり仲間に背中を押してもらえるというのは心強いし、不思議と心の奥底から力が湧いてくることを実感する。
「やることは単純でさ――」
モルフィンの攻撃発動まで時間が切迫していることから口早に努めていたアリスが作戦内容を丁度伝え終えた時だった。
「悪足掻きの相談は終わったかしらぁ?」
丁度チャージを終えたモルフィンの声色からは怒りと、これから全員を消し去れるという歓喜とが入り混じっているのが伝わってくる。
彼女が左右に広げている両手にはそれぞれバスケットボール大の淡い緑のスフィアが浮かぶ。エアカッターの時と異なり、高密度に圧縮されているせいかそれの周囲の空間まで影響を及ぼしていて、風が渦巻いている。
モルフィンが二つのスフィアを胸の前で一つへと合成すると風は更に激しさを増した。
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