Stage.010 ワールドクエストⅠ
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森の一角を切り開き、その木々を用いて建築されたログハウスが不規則に並ぶ。パッと見の印象はキャンプ場といったところか。日本のどこにでもありそうな、これと言って特筆すべき点が無いくらいにありふれた、大自然の懐に抱かれている平々凡々なキャンプ場。
争いとはまるで無縁そうに思えるこの村で今、まさに、剣戟が巻き起こっていた。
刃が交差し、甲高い金属音を響かせながら激しく火花を散らす。押し負けた鈍い光沢を放つ銀の剣は明後日の方向へ投げ出され、虚空を彷徨う。打ち勝った淡い緑の剣は翻り、大気を切り裂いて己が倒すべき敵へと牙を剥く。
「てぇぇえええいっ!!」
剣を弾かれた衝撃で後ろへバランスを崩した、眼前の敵――長い耳をした金髪の戦士へ肉薄し、アリスは袈裟切りを繰り出した。赤いダメージエフェクトが左の肩口から右の脇腹へ駆け抜ける。
クリーンヒットした一撃は非常に高いダメージを与え、既に六割程度のHPを削られていた彼は残りのそれを全て奪い去られ、倒れ伏す――その瞬間か、或いは直後か。ガラスを地面に落とすと砕け散る様を思わせるように、その体はポリゴンの破片となって消滅していった。
息を吐く暇は無い。
仲間がやられたというのに顔色一つ変えず、アリスが攻撃を終えたタイミングに合わせて背後から襲い掛かる別の戦士。握られているのは片手でも扱える程度の大きさをした斧。それを力任せに――叩き付けるように彼女目掛けて振り下ろす。
しかし。
アリスは左足で地を蹴り、右足を軸に体を右回転させて躱す。虚しく空を裂いた斧はドスッ!! っと地面を抉った。アリスがそんな隙を見逃すはずも無い。躱した円運動を殺さず、そのままの勢いで横に一閃を見舞ってHPを削りきり、また一人を撃破する。
続けて攻撃してくる気配が感じられず、アリスは剣を構え直して、漸く一息吐いた。HPゲージを確認する。人数が多いため全てを躱しきることは然しもの彼女とて難しく、掠り傷程度ではあるが攻撃を受けていた。とはいえそれが重なれば耐久力の低い彼女では手痛いダメージとなる。残りHPはおよそ六割というところだった。
今戦っている金髪の戦士たちは、たった一人の剣士――それも少女を相手に、先の二人を合わせて既に十二人もの犠牲者を出していた。これでギリギリの所まで追い詰めているのであれば、まだ分かる。いや、そうだったとしても彼らには到底信じられないが――だが、まだ分かる。だというのに、彼らに包囲されて逃げ場が無いはずのアリスは未だにピンピンしている。それどころか、不敵な笑みさえ浮かべている。
彼らだって日々、戦士として修練を積んでいるのだ。そんな戦士数十人を相手取って戦うアリスに、彼らは畏怖を感じ始めていた。
どうしてこんなことになってしまったのだろうか。アリスを取り囲む集団の更に後方。家屋の屋根から彼女に弓を番えている、集落周辺の警備に当たっていた女戦士――エルミナは考える。
本日の警備当番もあと十五分程度で交替の時間を迎え、今日も今日とて何事も無く仕事を終えるはずだった。だというのに、見つけてしまった。背中に可愛らしい小さな純白の翼を生やした少女を。一目見て他種族だと理解できる。自分たちと同じような金髪であっても、エルフにそんな羽など生えていない。
だからこの場で排除が可能なら、それに越したことは無い。剣士らしき出で立ちをしていたところで、相手は一般的に肉体が非常に脆弱と言われている天使だ。エルフも決して強靭な肉体を持つとは言えないが、けれど、天使と比較すれば遥かにマシなそれをしている。
それを根拠として倒せると確信し、矢を射掛けた。
結果はどうだろう。
一射目は完全に躱されこそしなかったが、一撃で仕留めるには至らなかった。ならば次でと思い、放った二射目は容易く切り払われた。
信じられなかった。気付いた時にはもう、集落へ向かって駆け出していた。追跡されている気配を感じ取り、どうにか撒けないかと試みるも、正確に辿ってくる。
これはいよいよ不味い――背筋を何か冷たいものが走るのを明確に感じた。何としても集落へ辿り着き、仲間に知らせなければならない。
弾かれたように走り続けるエルミナの視界に目的地が見えてくる。あと少しだ! 必至にひた走る彼女の眼前に集落が迫った頃、ふと、嫌なプレッシャーを感じなくなっていることに気付いた。
(私を見失った……?)
いや、そんなわけが無い。彼女は即座に否定する。あれだけ撒こうとしても正確に付いて来たのだ。今更見失い筈が無い。しかし、どちらにせよ、もう関係が無い。もう集落に着いたも同然だ。あとは仲間に知らせ、物量にモノを言わせて始末してしまえばいいだけのこと。
ついに集落へ辿り着いたエルミナは出迎えてくる仲間を余所に、この一族を纏めている長である戦士長の家へ一目散に駆け込んだ。そして報告する。森で見たこと、起きたこと。ここへ来るまでに感じたこと。
戦士長――ユリウスは笑い飛ばすことも無く、至って真面目に彼女の言葉に耳を傾け、すぐに側近へ指示を飛ばした。厳戒態勢を敷き、周囲を捜索して始末せよ、と。それが伝わっていき、集落が指示通り動き始めた頃――
カーン! カーン! カーン!
見張りから異常を知らせる鐘が鳴ったのだ。必然的にそちらへ集まっていく戦士たち。エルミナもまた、同様だった。
その地点では既に戦闘が始まっていた。幾人かの仲間が取り囲んでいるのは――やはり、彼女が仕留め損ねた天使族の少女。けれどこの人数だ、すぐに終わる。エルミナの予想は、容易く覆された。
外見からして大して強そうにも見えないその少女は圧倒的な剣技を以って、次々と同胞を切り伏せていく。その美しい顔をした天使が時折見せる笑みは、彼女にとって最早悪魔にすら思えた。
一体、どうしてこんなことになってしまったのだろうか。エルミナは己が目で見ても信じ難い光景に、呆然と立ち尽くしていた。
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昼食を終えてログインしたエンジュはマナとカムリを転移結晶の傍で待っていた。既にアリスはログインしていて、位置情報が森を示していたので暇潰しも兼ねてメッセージを飛ばしていた。
ややあって返信が来る。それは「森の中」と一言、非常にシンプルだった。
「んなこと分かってるっての!」
すかさずツッコミを入れる。もしこれが手紙であったなら、間違いなく地面に叩きつけていたことだろう。すぐに返信画面を開き、こちらもシンプルにメッセージを送信する。「バカなの?」と。
またすぐ来るだろうと思っていた返信が、今度は中々来ない。怪訝に思い、もう一度送ろうかと思案したが――
「あの戦闘バカのことだし……」
きっとモンスターが沸き、返信そっちのけで夢中になって戦っているのだろうと結論付けた。
返事が来ないのなら仕方ないと思ったようで、エンジュは大人しくマナとカムリを待つことにした。そこまで意識していないことや、そもそも雑魚モンスター相手にアリスが早々被弾することもなかったため、PTを組んでいることにより視界の隅に表示されている、彼女のHPゲージがジリジリと減少していることに気付くことは無かった。
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何十人ものエルフ族に取り囲まれているアリスは、敵の攻撃を捌き、反撃して、不敵な笑みを浮かべている――ように見えて、その実、内心ではギャグマンガみたく滝のような汗をかいてしまうくらいに焦っていた。
やたら敵が強いだとか、そのせいで負けそうだとか、そういったことが理由ではない。むしろそれはアリスが思っていた程でもなく、彼女のプレイヤースキルがあればそう易々とやられることはまず有り得ないだろう。さらに言えば、彼らのHPが低めに設定されていること、グリーピルが現時点では非常に高い攻撃力を誇っていることも相俟って、攻撃を二、三回も当てれば十分に倒せてしまう。
難点を挙げるとすれば、彼らが獣ではないということか。高い知能を有しているおかげで単調な動きをしないし、連携だって取ってくる。だから、一人ひとりは強くないのだが、集団となることで厄介さが増しているのだ。
けれど、そうじゃない。
アリスが焦っているのは何を隠そう、今、こうしてソロで戦っていることである。最初は引き返そうと思っていた。けれど、目の前に楽しくなりそうな事柄が転がっているのが分かっていて、元々ソロ気質が強い彼女に我慢など出来ようものか。戻ればきっとエンジュに怒られるのだろうけど、でも、一応はマッピングとダンジョン情報を集めていたという言い訳も立つ。
ならば――怒られる覚悟を決めてしまえば、アリスは強かった。
切り掛かって来る敵を避けつつカウンター気味に攻撃を加え、一人、また一人と――少しずつ、しかし、確実に撃破していく。
その最中――アリスは敵をつぶさに観察していた。知るべきは敵の総戦力。それが分かればパーティーでの攻略もしやすくなるというものだ。
戦っていて、ふと、疑問に感じた。
(それにしても戦士系ばかりなような……)
ここへ来るきっかけとなったのは弓使いとの遭遇だった。なのに今、向かってくるのは近接武器を持った敵ばかりだ。それにエルフといえば魔法を得意としているはずの種であるはずだが、それを使用してくる気配も無い。
おかしい。
そう思った瞬間――今の今まで仕留めた獲物を食い漁ろうとしていた連中が急に距離を取った。
「ヤバ――」
同時に作戦を理解したアリスが即座に駆け出した。
唸りを上げ、猛烈な速度で矢が飛来する。それも一本や二本ではない。二十本に迫ろうかというほどの数だ。長距離射撃であれば弧を描く軌道にもなろうが、アリスに気付かれにくい比較的近めな距離から集中砲火のように放たれているため直線的なそれとなり、発射から着弾まで時間の猶予はほとんど残されていない。
だから、駆け出してすぐ、とにかく思い切り跳んだ。ボールは無いけれど、執念でゴールを決めようとするサッカー選手みたく、豪快に頭から先へ向かってダイブした。逃げたアリスを追って、矢がダーツの如くドス! ドス! と絶え間なく音を立ながら地面に刺さる。
人間は独力で空は飛べない。この世界に於いてアリスは天使族だけど、その小さな純白の羽根がいくら可愛らしくあっても、飛ぶ力は無い。ならば同じことだ。跳躍し、それが頂点に達すれば、後は重力に従って落ちるのみ。
体の前面がベシャっと地面と盛大なキスをするよりも前に、アリスは強引に体を丸めて転がった。前転の勢いを利用して、そのまま振り返るように立ち上がる。
まだ飛来する矢は三本あった。その内の一本はアーツで放たれていたようで、緑の光に包まれていた。先の二本を通常の斬撃で素早く切り払い――続くアーツの矢に単発水平切りアーツ・スパークルムーンをぶつけて見事に相殺する。
「くっ……!!」
キャンセルタイミングが僅かにズレてしまい、アーツの硬直が発生して口惜しげな声と共にアリスの動きが止まる。
「莫迦な――」
「ありえないっ……」
本来なら、矢の雨で仕留め切れなかったとしても、近接武器持ちの戦士たちが一斉攻撃でトドメを刺す手筈となっていたのだ。しかし、奇襲に近い今の攻撃を完璧に凌ぎきった彼女の動きに驚愕し、彼らも初動が遅れてしまう。
クレセントムーンやスパークルムーンといった単発アーツは、威力がそれほど高くない代わりに硬直時間の短さが特徴だ。それだけあれば、アリスが技後硬直から開放されるには十分だった。
故に。
今の隙にトドメを刺せなかったことは、彼らにとって大きな痛手に他ならない。
動き出した戦士たちが再びアリスに切り掛かる。だが、先ほどのピンチを切り抜けた彼女の集中力は、信じられないほど急速に高まっていく。
間断なく振るわれる斬撃を右へ左へ俊敏な動きで躱し、時にいなし、駆け抜けざまに切り裂く。
そうして、次々と倒されていくエルフ族の戦士。この戦闘を通して、エルフ側には既に十九名もの戦死者が出ていた。今のアリスに剣や斧でただ切り掛かるだけでは攻撃が当たらないことを、彼らは今になってようやく理解したらしく、動きが変わる。
フレンドリーファイアを恐れてか、先の一度きりだった弓矢による攻撃を再開したのだ。今度はアリスを倒すためだけに、味方ごと彼女へ射掛けるが――時すでに遅し。
「ふっ!!」
集中力の高まりきったアリスは次々に飛来する矢に剣を叩きつけるように、火花を散らせながら弾いていく。
剣の舞。
その言葉を連想させるほどに華麗な剣技を以って、打ち払う。
前衛を努める戦士たちも最早、己が身を省みることは無い。その身に矢を受けようとも、ただアリスを倒すために武器を振るう。けれど、ただでさえHPが高くないというのに、そんな事をすればグリーピルの一撃だって耐えられはしない。
迫り来る二人の戦士。振り下ろされる刃。それを掻い潜り、懐に入ると体を独楽の軸に見立てて回転させ、一太刀を浴びせる。それは同時に二人を切り裂き、HPを全て奪い去る。
そこへ再び、アーツによる矢が放たれた。光を帯びて迫るそれに、アリスもまた単発縦切りアーツ・クレセントムーンを発動させ真っ向から挑む。しかしながら、更に集中力の高まっている彼女に同じ攻撃など通用する訳も無く、今度も見事に捌いてみせた。
だが、エルフたちの狙いはここだった。先ほどは逃したが、この後の動きが止まる時間こそ絶好の好機だから、今度こそは――そう考え、アーツの矢を追うように更に何本もが放たれていた。
しかし。
「はぁぁあああっ!!」
今度こそ、アリスはアーツをキャンセルし、剣を振り、続く幾本の矢までをも完全に切り払った。
エルフたちは顔を青くする。彼らにとってそれは、まさしく異常な光景だった。これだけの人数と手数でもって、未だにたった一人の侵入者を倒せないなど、夢でも見ているのかとさえ思う。
最早、彼らにまともな思考力など残されていない――かに思えた。
「落ち着け! 敵は女一人だ!」
低く――それでいてよく通る声だった。
集落の中心のほうから聞こえてきたそれは、精悍な顔立ちをした壮年の男性。この集落をまとめる戦士長――ユリウスだった。彼の登場。たったそれだけのことだが――たったそれだけのことで、浮き足立っていたエルフ族の足は地に着き、士気が上がり始める。
一方で、アリスも確信を持った。ユリウスこそがこのダンジョンのボスであり、彼を倒すことが最優先だ、と。
風を切って走る。その言葉通りに、アリスはボス目掛けて疾走する。肉薄する彼女を前にしてもユリウスの余裕は崩れない。
突進アーツ・アンスロートンを発動し、更に加速する。それでも、彼に焦りの色は見えない。
そして――両者の距離が無くなる。
アリスは思い切り剣を突き出す。ユリウスはそれを、左手に装備した盾でいとも容易く受け、逸らし――やや体勢を崩されて無防備になったアリスへ右手に持つ片手剣にアーツを乗せて振り下ろす。彼女の双眸はそれをしっかりと、スローモーションのように捉えていた。
これでやられるくらいの腕しか持ち合わせていないのなら。彼女は、こんなところに居ない。
瞬時に反応したアリスはアーツキャンセルを行って十字二連撃アーツ・グランドクロスへと繋ぐ――が、そのまま左薙ぎをしても盾で防がれてしまうだけだ。縦軸の右回転で以って、左から来るユリウスの斬撃が体に到達する直前、その狭間へ強引に剣を捻じ込んで鍔迫り合いに持ち込んだ。
「何っ!?」
これには流石のユリウスも驚きを禁じえなかったらしく、表情が歪む。
膠着状態に移行すると思われた。
しかし、アーツの威力が反発しあい、両者共にバランスを崩して後方へたたらを踏むが、アリスにはグランドクロスの二撃目がまだ残っている。すぐさま体勢を立て直し、力強い一歩を踏み込み、その二撃目――縦切りのために剣を振り上げた時。
ユリウスは反撃してくるでもなく、後ろへ飛び退いていた。
不思議に思ったアリスだが、すぐに理解する。
「くっ……!?」
彼の後方でソーサリーのチャージに入っていた魔法部隊が緑の輝きを閉じ込めたスフィアを生み出し、爆竹を思わせる炸裂音と共に放ったのだ。その属性は風。エルフらしいといえばらしい属性のそれ――エアカッターは、鎌を連想させる薄く鋭い刃となって襲来する。
「でぇぇぇえええええっ!!」
グランドクロスの二撃目をぶつけ、一つ目の風刃を散らす。刃状に押し固められていた風は四方八方へと吹き出し、アリスの長い髪が激しく打ち靡いた。続けて縦切り二連撃アーツのクレセントムーン・デイドリームを発動――右切り上げで二発目の風を裂き、勢いを殺さないよう、そのままぐるりと円運動をして再度右切り上げを行い、三発目も凌ぐ。
続く第四発目、五発目――さらにアーツの連続発動を用い、水平切り二連撃アーツであるスパークルムーン・デイドリームの素早い左右二連撃でパリングする。
次が来る。
しかし。
「もうMPが――」
碌に回復することも出来なかったアリスのMPは、ここへきて単発アーツ一回分程度しかない。
技後硬直自体はアーツ以外でもキャンセルが出来る。その刹那のタイミングに何かしらの行動を上手く嵌めることが出来れば、可能なのである。だからMPが尽きたからといって、キャンセルが出来なくなりはしない。
問題はそこではない。
アーツやソーサリーをパリングするには、同じくそれらを以って対抗しなければならない。でないと、パリング判定に至らずHPを削られてしまうのだ。
しかしMPが尽きかけている以上、今のアリスにそれは出来ない。だとしても――それでも彼女は、アーツの乗っていない通常攻撃で立ち向かう。威力を少しでも高めるため、その場にて高速で二回転し、スピードを力に変換して叩き付ける。
掻き消すように風刃を破壊するが、その威力を相殺しきれず弾かれ、少し体勢が乱れる。とても十分とは言い難いその状態でさらに次弾を迎撃するも、今度は到底、殺しきれたものではない。力負けして腕が跳ね上がった。
「くぅっ!?」
完全に無防備となったアリスを残りの二発が襲う――が、幸いにも直撃コースは免れていて、左肩と右太ももを被弾するに留まった。また、エアカッターは発動が早く、距離による威力減衰が軽微な反面、素の火力が低いという特性もあって、耐久の脆いアリスでもギリギリで耐えられていた。
残りのHPは二割弱というところ。
「今のレベルじゃこれ以上のソロはキツいかな……」
無駄に
それを撤退の切り札として――アンスロートンを即時発動する。目標は後方に居る戦士。
戦いの最中、突如として背中を見せたアリスを不審に思うも、それは絶好の機会でもある。ユリウスは迷うことなくアーツを発動し、駆け出した。その様を一瞬、視界の隅に捉えた彼女は戦いの中断を残念に感じつつ、撤退に全力を注ぐ。
ステータス割り振りの関係で、耐久力を代償に敏捷性を高めているアリスに突進アーツの加速が加わってしまえば――この場において彼女に追いつける者など居はしない。大きめの斧を持った戦士に、先ほどのエアカッターさながらに風となって疾走するアリスが肉薄する。
その圧力に屈したか――彼は身を縮こまらせ、武器を盾の代わりとして構える。
エルフの戦士が恐怖から固く目を瞑る中、武器が交錯し、火花が迸る。
斧を持つ腕に衝撃が伝播する。だが、それだけだ。痛みは無い。恐る恐る目を開ければ、目の前に恐ろしくも美しい天使の姿は無かった。
アリスは武器同士をわざとぶつけ、その際に生じる反発力を利用して通常よりも高く――まさに自らの羽根で飛翔したかの如く、高く跳び上がっていた。
多くの者が天を仰ぎ見る。
呆気に取られる彼らを特大のジャンプで一気に飛び越えたアリスは――
(次は勝つからね!)
決意を胸に、そのまま森の奥へ走り去った。
遅れて追い駆けようと動きかけた彼らを、ユリウスが制する。
「あの女が逃走に徹すれば、我らでは追いつけん。追わなくていい。それに――いや、なんでもない」
追撃したとして。
果たして無事に全員が帰って来られる保障などあるだろうか? いや、無い。いくらアリスが手負いだとしても、一般兵士が相手ならば容易に勝ってしまうことだろう。それはいたずらに自陣の戦力を消耗するだけに過ぎない。ユリウスは彼らを束ねる者として、冷静な判断を下していた。
エルフの集落は侵入者を撃退した。けれど、たった一人を退けるために多大な被害を出し、決して勝利と呼べる有様ではなかった。
ユリウスは己のプライドなど捨てて、報告することを決めていた。
11
最前線の拠点――集合場所である転移結晶の傍で、エンジュは腕を組み青筋を立てていた。
「――おっそい!」
言わずもがな。
理由は中々戻ってこないアリスだ。予定していた時間を既に二十分過ぎ、メッセージの返信も未だ、無い。苛立たしさが募る。
他のメンバーは彼女のように怒ってはいないようで、カムリが冷静に、言う。
「確かに遅いが、現在地も表示されないということは何かトラブルに巻き込まれているのかもしれないな」
「そうかもしんなけいど、連絡くらいよこせっての!」
「しかし、それも出来ないほどの事態と考えれば――」
「どういう事態があんのよ、それ?」
「む……そういわれると、な」
「でも心配です」
「そうだね。大丈夫かな、アリスちゃん……」
彼女らが心配する理由――それは、アリスのPT用簡易ステータス情報蘭がいつのまにか「Unknown」という表示に切り替わっていて、一切の情報が得られないのである。今、どこにいるのか。HPがどれだけ残っているのか。そういったこと総てが、だ。
まだ碌にマッピングもしていない未知のエリアだからこそ、心配をする。それはエンジュも同じで、気恥ずかしくて本人には口が裂けても言えないが、アリスのことは既に気の置けない友人と思っている。だから、心配させられることに対して怒りも沸いてくるのだ。
エンジュは一つ溜息をついて、言う。
「こうしてても仕方ないし、最後に確認取れた場所にでも探しに――」
彼女の言葉を遮るようにシステム音声がして、アナウンスが始まる。
『
それは――動乱を告げるプレイヤー全体に向けた通達。
とんでもないことになった。エンジュは顔を手で覆うと、ポツリと呟いた。
「これさぁ……
「うん……」
「はい……」
「ああ……」
同意する三人は少し呆れたように頷いた。
とんでもないことになってしまった――と。
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