Stage.009 襲撃者

       5


 部屋に設置されている二つの機械が無機質な不協和音を奏でている。

 一つはパソコン。用途は多岐に渡る。ネットで調べ物や買い物、アプリケーションで仕事に使うデータの作成を始め、上げればキリが無い。それが今、GOD WARS ONLINEという名のオンラインゲームをプレイするために使われていて、データ処理の過程で熱を発する各部品を冷却するために回転しているファンが音源となっている。

 もう一つはエアコン。七月末ともなれば季節は夏真っ盛りで、暑い。ギラギラと照り付ける太陽は地面を熱し、反射したそれは地上付近の空気の温度を上げ、さらには周囲の建物までも巻き込む。それが更に地面を熱し――という、ある意味、負の連鎖となって終わりが見えない。だから当然、そりゃあもう暑い――外は。

 そんな灼熱の外界から隔絶された室内は、エアコンという先人達の英知の結晶により何の苦も無い――まるで天国のような世界だった。

 ベッドで仰向けになって頭部にVRヘッドギアを装着している少女――アリスはまるでぐっすり眠っているかのようだ。シャツを押し上げて自己主張している、二つのふくらみがゆっくり上下している様から呼吸していることが伺え、そう思わせることに尚のこと拍車を掛けていた。

 ヘッドギアの――右のこめかみあたりであろう部位に点灯していた緑色のランプが赤色に切り替わった。すると、唐突にアリスの両手が頭部へ向かい、それをヘルメットを脱ぐ要領で外した。


「んー!」


 寝たままの状態で思い切り手足を伸ばし、凝り固まった体を解す。

 目を開くと天井が見えた。いつも目にする、見慣れた白い天井。電脳世界から現実へ戻ってきたと感じる瞬間だ。

 きゅるる……と可愛らしく、胃が空腹を訴える。お腹が空いているのも当然だ。なにせ、そのために戻ってきたのだから。しかし、腹を満たすにも一つ問題があった。食事のためには、この閉ざされた快適空間から飛び出して一階にあるダイニングまで行かなければならないのだ。

 暑いのが好きではないアリスは少し躊躇った。ゲームに戻るか逡巡し――結局、食欲には勝てず一階へ降りることにした。

 ベッドから立ち上がると、視界の隅に自分の学習机が入り込んだ。机の上は教科書や参考書が乱雑に置かれ、一学期最後の日と同じ状態だった。


「夏休みの宿題は……後でいいよね。まだ七月だし」


 それよりも昼食が大事だと一瞥するに留め、さっさと部屋を後にした。

 去年も一昨年も、一昨々年も――それ以前から毎年、夏休みの宿題を後回しにし、八月後半にしんどい思いをしていた。人類が何百年、何千年と戦争を止められない性であるように、また今年も夏休みの歴史は繰り返されてしまうようだ。


       6


 椿はドワーフ族の小柄な少女――キャロに案内され、工業区の端にある外観の貧相な石造りの工房を訪れていた。そこは彼女が属するギルド――アトリエ・ウィズダムの本拠地だった。とは言っても、そんな立派な造りはしていないし、程度自体がユピテルの一般市民が暮らす家と大差無い簡素な造りで、お世辞にも感心すような部分が無い。ギルド発足から間もないことと、そもそも建造物自体を自分達で資金投入して大きくしていかなければならないのだから、現時点では拠点があるだけでも十分な程だ。


「まだ工房がショッボイのは勘弁ね。人数分のスペース確保しようと思うと、ボロっちい建物じゃないと厳しくてさ」


 しかしキャロとしては小さいギルドだからこんなものかと、見た目だけでそのように思われるのが不本意なのだろう。口では冗談めかして――けれど、目には強い意志が込められている。椿にはそう感じられた。


「さあ、入って入って!」


 扉を開き――少々興奮気味というべきか、ただ元気なだけというべきか。見てくれはまるで違うというのに雰囲気がそうさせるのか、どことなくアリスを彷彿とさせる彼女に案内されるがまま入室する。

 店舗も兼ねているらしく、既に製作された武器がずらりと並んでいる――のだが、まだここを開いて間もないせいか、内装もまた手入れはされておらず建物の壁が剥き出しとなっている。

 いくらかある武具――その中でも特に出来の良い物が店内には不釣合いなガラス張りのショーケースへ懇切丁寧に飾られており、その域に達しなかったものが傘立てのように細かく区切られたケースに入れられて際に置かれたり、壁に飾られていて、一部にはポーション類まであった。そして隅の辺りには性能が一定の基準に満たなかったり、売れ残ったりしたのか在庫処分品のようで、大きな木箱の中に押し込められていた。

 店内を見回す椿に、キャロが得意そうに言う。


「外から見るとアレだけど、中は結構様になってるでしょ? 質だって大手に負けてないはずだし。壁紙とかはまだだけど、これはこれで無骨さが良い味出してるっていうか?」

「うん――というか、生産ギルドって言ってたから中は完全に工房になってると思ってたけど……」

「スペースが限られてるから西側の商業区で露天もしてるけど、やっぱアタシらとしては直接店に来てくれる方が嬉しいっていうかさ」


 こっちに皆居るから――そう言うキャロに続いてカウンターを越え、店の奥にある扉の先へ進む。その向こう側には十人近い人数が各々、生産に勤しんでいる光景が広がっていた。金槌で金属を叩き、皮をなめし、アクセサリーに装飾を施しているそれは、歴とした工房だった。

 使用されている道具もまだ十分な質のものが用意されているわけではないが、誰でも使える貸出工房のそれよりは確実に上のランクのものだ。しかし鍛造の際に使用する道具の良し悪しだけで武具の性能が決まるわけではない。それも要素の一つではあるものの、大部分を占めているのは素材の質――そしてなにより職人の腕だ。


「虎徹さーん! お客さんだよ、こっち来て!!」

「今忙しいんだ!! ちょっと待ってろ!」

「良い話持ってきてくれたんだって! 早く早くぅ!」


 皆が集中して作業しているというのに、そんな大きな声を出してもいいのかという疑問を抱かずにはいられない。椿は自分がそうしたわけでもないのに申し訳ない気持ちが込み上げてきてしまい、キャロの背中に隠れるように小さくなっていた。もっとも、ドワーフなせいで小学生並みの身長しかない彼女の体では椿の体を隠すなど到底無理な話であったのだが。


「なんだよ、ったく……」


 ぶつくさと小さく吐き捨てるように文句を言いながら金属を叩いていた手を止め、工房の奥から面倒臭そうに歩いてきたのは、これまたドワーフで――されど可愛らしい感じのキャロとは真逆で髭面の気難しそうなオッサンのアバターをした、虎徹と呼ばれたプレイヤー。

 傍までやって来た彼は皮の硬そうな太く逞しい指で頭を掻きながら、ややぶっきらぼうに、言う。


「キャロ、鍛造中に話しかけんなっていつも言ってんだろうが、おお?」

「ごめんって。けどさけどさ! 今はそれどころじゃないんだって!」


 虎徹はキャロの様子が違うことを理解したのか、椿を一瞥して口を開いた。


「他の奴らの邪魔になっちまう。店のほうで話そう」

「オッケー!」


 工房を出て店内へ戻ると、虎徹がカウンター内に一つだけあったみすぼらしい椅子を動かし、椿に座るよう勧める。自分だけ座るのも――と躊躇する彼女に、相変わらずぶっきらぼうに彼が言う。


「あんたはキャロが連れてきた客だ。なのに立たせたままにして俺が座わるなんて出来るもんかよ。気にせず座ってくれ」

「えっと、じゃあ、お言葉に甘えて」


 口調はそんなでも、結構気遣ってくれて根は優しい人なのかもしれないと椿は思い始める。


「虎徹さん、もっと愛想良くしなきゃダメだってばぁ」

「うるせえよ。誰もがお前みたいに愛想笑い振りまいてヘラヘラ出来るわけねえだろ」

「ひっどーい! アタシそんなんじゃないし!」


 彼らのやたらと見覚えのあるやり取りに椿はついクスリと笑ってしまう。それによって二人の視線を一身に浴びることとなり、彼女はハッとして口元を押さえた。


「ご、ごめんなさい。私の友達とあまりにも似てたので……」

「へえ、そんなに?」

「うん、凄く」


 食いついてくるキャロとは対照的に、虎徹はさして興味も沸かなかったようだ。


「それより、今日はどういう案件だ? わざわざ俺を呼びに来るって事は、キャロ一人じゃ対応出来ない内容ってこったろ? オーダーメイドかなんかか?」

「はい。私は――私たちは今、第二エリアの攻略を進めています」

「攻略組か……それで?」


 虎徹の視線が少しだけ鋭くなった、気がした。


「先のエリアでは、早くも毒や麻痺といった状態異常になる攻撃をしてくるモンスターが出てくるんですけど、数が多いので困ってるんです」

「てことはアレか、状態異常を防ぐための装備が欲しい――と」

「はい」


 肯定する椿に、虎徹は一呼吸置いて返答した。


「せっかく来てもらったところ悪いけどな、そりゃ無理だ。ここらで手に入る素材を使って色々試してはみたが、特殊な効果が付いた装備は一つとして出来やしなかった」

「それは本当ですか?」

「ああ。なんなら店内にある装備の詳細を全部見て回っても構わんぞ?」


 だから無理だ。そう言って諦めるよう諭そうとしている彼に椿は、不敵な笑みを浮かべて言い放った。


「ではこの素材も、もう試されましたか?」

「これは……」


 メニューを操作して、午前中の狩りで植物系モンスターから手に入れた素材を表示して見せる。それらのいくつかは、第一エリアでは決して入手不可能なもので、まだ市場にも全くと言っていいほど出回っていないものだ。

 攻略組のトッププレイヤーたちの中には、椿と同じようなことを考えている者も居るだろう。だからこそ下手に素材を市場に流したりしない。攻略サイトや掲示板に何でもかんでも情報を垂れ流し、自らの優位性を捨てる愚かなプレイヤーなど、そうは居ない。ネットに第二エリアの情報が見当たらないのもそれが理由なのだ。

 だから攻略組がその情報を持って依頼を持ちかけるのは、いつだって力のある大手生産ギルドだ。そこから漏れた出がらしみたいな情報を拾って、中小ギルドが後を追う。追いついたと思った頃には大手は更に先を行っている。その繰り返しだ。

 けれど今、目の前に大手ギルドに並び立てる可能性が示されている。職人がそれを取りこぼすなど、有り得ない。あってはならない。

 虎徹は静かに入り口まで移動すると、扉を施錠して戻ってくる。建物は石造りでもそれは木製であるため、一見するとその気になれば簡単に蹴破れてしまいそうだが、忘れてはならない。ここはゲーム世界である。所有者が鍵をすればシステム的に保護され、他のプレイヤーが開けることは絶対に出来なくなるのだ。

 そうして誰も入って来れないようにして、言う。


「なあアンタ、この話……どうしてここへ持ってきた? 普通ならこんなところじゃなく、もっとデカいギルドへ持っていく内容じゃないか? ギルド機能が解放されたばっかだから、デカいもへったくれもないかもしれねぇがよ」

「私も最初はそう思ってました。ただ、どこが大きいギルドか分からなくて迷ってたらキャロちゃんに声を掛けられて、彼女の雰囲気というかなんというか――そんなのが友達に似ていたので付いて来ました」

「ほら、虎徹さん! やっぱり愛想は大事なんだよ!」


 どうだ! と得意気に言うキャロに、虎徹は何か言いこそしないものの少し悔しそうな様子を見せる。


「あはは。それで店内の武器を見たら凄く丁寧に作られてる印象を持てたので、あなたたちに相談しようと決めたんです」

「そうか……。俺らでよけりゃ、ぜひ協力させてもらいたい」

「是非、お願いします!」


 人付き合いが不器用そうな彼なりに微笑を浮かべて差し出してきた手を、椿はいつものニッコリとした顔で握った。


「なあ、今更だがよ――改めて、俺は虎徹。この生産ギルド、アトリエ・ウィズダムのマスターやってる。アンタは?」

「すみません、自己紹介がまだでしたね。私は椿といいます」

「椿さんか。アンタには感謝するぜ。本来なら俺たちみたいな小さいギルドに、攻略最前線の素材なんて中々流れてくるモンじゃねぇからな」


 虎徹はしみじみとした様子で語る。


「俺は別に、自分のギルドを大きくしたいわけじゃねえ。気の合う仲間とやれりゃそれでいい。けれど生産の道を選んだ以上は、やっぱ新しい素材に触れて、新しい装備を作りたい。そう思うもんだろ?」

「私も鍛冶スキルを取っているので、少し分かります。二足の草鞋なので、虎徹さんやキャロちゃんみたいな腕は無いと思いますけど」

「そうなの? 椿さん凄いね!」

「けど前線に挑みながら俺らと同等の装備作れるとあっちゃ、形無しになっちまうぜ」


 ほどほどにしてくれよ、と冗談が飛び出して笑い合う。少しかもしれないが、距離が縮まったようだ。


「それでよ椿さん、アンタ用の装備を作るのか?」

「出来れば全員分……と言いたいんですけど、予算も素材もそこまで無いので、一先ずは盾役の分だけでもと思います」

「虎徹さん……」


 キャロが何かお願いするような口調で、名前だけを口にする。その意味は椿には分からなくとも、彼には伝わったようで――分かってらぁ! と返す。


「予算は気にしなくていい、原価ギリギリで構わねぇ――が、問題はやっぱ素材のほうだな。このままじゃ使えねえからどうにか加工しないといけねぇが……」

「はい。私じゃ使えるように加工する手段が無くて、どうすればいいかという知恵も借りたかったんです」

「じゃあさじゃあさ、調合や錬金スキルなんかで違うアイテムに変えてみるのは?」

「うーむ……錬金のほうが可能性は高いかもな。今ある素材は結構食っちまうだろうけど、どうするよ?」


 試してみるか? という視線での問いかけに返答するのに、やや間があった。椿は彼らに感心していたのだ。鍛造の際にどうやって混ぜれば創れるのかということばかり考えて、他の生産スキルを経由するという考えが頭に無かった。生産もやりたくて両取りしたというのに、どうも見えている範囲が狭くなっていたようで、彼女は己を恥じた。

 キャロが怪訝そうにして、問う。


「どうかした?」

「あ、ごめん、私には思いつかなかった案が直ぐ出てきて驚いてた」

「三人寄れば文殊の知恵ってな。ま、上手くいくかは別だが」

「でも可能性はありますよね。お願いしま……あれ、でもここは鍛冶屋だし、まずは錬金や調合のスキルを持ってる人を探さなきゃ――」


 装備の製造を頼むのはそれからだと考える椿を見て、キャロと虎徹は顔を見合わせてから、言う。


「椿さん! アトリエ・ウィズダムは小さいけど“総合生産ギルド”だよ」

「それって……」

「つまり、鍛冶、錬金、調合が全部揃ってるってことだな」

「店に入ったときに言ったでしょ? 質じゃ負けてないって」


 にしし。まるでイタズラっ子のように笑うキャロ。

 椿は大手に依頼するよりも絶対にこっちのほうが良いと、直感的に感じていた。隠れた名店を見つけて一人、心の中で喜んでいる。そんな感じだ。

 それと同時に、腕の良さそうな職人たちを見つけてしまった以上、もう自分の鍛冶スキルに出番がなくなったことを理解し、悲しくもあった。けれど仲間には最高の装備を用意してあげたい思いが勝り、鍛冶スキルを封印する――


「ところで椿さんよ、鍛冶スキル取ってるってことだったよな。依頼主にこんなこと言うのもおかしいとは思うんだが、よかったら一緒に作業しねぇか? もちろん依頼である以上、メインで作業するのは俺になるけどよ」


 そんな必要はなかった。

 鍛冶を辞めなくていい。続けていい。そう言われたことを理解した時、自然と――涙が零れた。ポロポロと沢山出たわけではない。右目から一筋だけ頬を伝っただけだ。


「あー! 虎徹さん泣かした!」

「お、俺のせいじゃねえだろうが!?」

「違うんです!」


 椿が手の甲で慌てて涙の跡を拭い、笑みを見せる。


「だ、大丈夫?」

「俺が何かマズいこと言ったか?」

「いえ。出来ることなら私が自分でみんなの装備を用意してあげたかったんですけど、こんな腕のいい職人さんたちを見つけて、私の鍛冶スキルはもう用無しかなって思ったら――」

「バカ言ってんじゃねぇよ! これはゲームで、楽しむためのもんだ。そんでもって、本気でやるから楽しいんだろ? そんなすぐ諦める必要無いだろ」

「虎徹さん……ありがとうございます」

「礼なんかいらねえよ」

「虎徹さんもたまには良い事言うよね」

「たまには余計だ、バカ。さっさと始めるぞ」


 そうして三人は工房の奥へ消えていった。

 入り口の鍵を開け忘れていたため、その後の作業には集中出来たが、売り上げは上がらなかった。


       7


 昼食を取り終えたアリスは再びログインしていた。ギルドメンバーのログイン状況を確認すると、椿がユピテルに居るのが確認出来たが、他のメンバーはまだ戻っていないようでオフライン表示になっていた。


「どうしよっかなぁ」


 何をしようかと逡巡する。

 ガチガチの戦闘ビルドであるアリスが取れる選択肢は多くない。大別すれば戦うか休憩するか、二つに一つ。その休憩する――つまりは戦わない時は何をするかという話なのだが、これといって思いつかない。

 結局、近場の森で経験値稼ぎでもしようかと結論を出した時、ピコリとメッセージの受信を知らせる音が短くした。

 差出人は椿だ。防具のための試行錯誤をするから気にせずプレイしていて欲しい、という旨が短く纏められていた。様子でも見に行こうかと考えたが、なにやら色々試したいようだし、生産スキルの無い自分が行ったところで邪魔にしかならないだろう。それならば一つでも多く素材を渡してやったほうが、余程有意義だと結論付けた。

 それにここから先のエリアはアリスを始め、ベータテスト勢の誰一人として知らない。ならばマッピングも優先的に行ったほうが良いのは明らかだ。出現するモンスターは前のエリアより強くなっているが、アリスもグリーピルという強力な剣を手に入れたし、身軽な自分一人なら余程俊足なモンスターでもない限り逃げおおせるだろうという判断の元、ソロで森に足を踏み入れた。

 午前中は狩りを優先していたのであまり先へは進んでいない。そのため歩き始めて十分としない内に、そこを過ぎていた。

 そこから更に進むこと、およそ十五分。


「ふっ!」


 出現したトレントに単発縦切り・クレセントムーンでトドメを差した。この辺りまで出現するモンスターにこれといった変化は見られない。


「これならまだ余裕かな」


 グリーピルを背中の鞘に納めながら呟いたところへ、新たなメッセージ通知が届いた。内容を何となく察しながら開けば――予想通りだった。差出人はエンジュで、本文は非常に短く「どこに居んのよ!」と一言だった。

 エンジュらしい。苦笑しながら手短に「森の中」と返してウィンドウを閉じた直後、また通知音がする。


「返事はっや」


 もう一度開くと、


『バカなの?』


 そう返って来るものだから、少し調子に乗って「そうだよ」と送り返す――いや、返そうとした瞬間。

 何かの気配を察知するとほぼ同時、その刹那にビュッ!! と一瞬の風切り音をアリスの耳はキャッチしていた。思考してから動いていては間に合わない。本能が身の危険を知らせる警鐘を鳴らし、体が反射的に動き、その場から右へ飛び退いていた。

 直後。

 一瞬前までアリスが立っていた場所――腹部のあった辺りを凄まじい速度で何かが通過し、低く鈍い音を立て、後方の地面へ突き刺さった。

 それは、矢だった。

 明らかにモンスターが使う代物ではない。一つの可能性が頭をよぎる。

 プレイヤーキラー。通称、PK。こういったフィールドでモンスターでなくプレイヤーを狩るプレイヤーのことだ。単純に他プレイヤーを狩ることを至上の喜びとしている者も居れば、所持品を奪うことを目的としている者も居る。決して大手を振って勧められる行為ではないが、禁止されているわけでもない。

 そしてこういうプレイヤーというのは大抵、対人戦闘が上手い。一撃で狩れなければ反撃を受けるのだから当然、そのあたりはしっかり鍛えてきている。

 

 アリスはその行為を歓迎すらしていた。だって、強い(かもしれない)相手と戦うことが出来るから。そこにPKを許さないというような気持ちは微塵も無い。ただ戦いたいだけ。生粋の戦闘プレイヤーである彼女の悪癖だ。

 警戒を解かないまま自らのHPゲージを確認すると、先ほどまで最大だったそれは実に三割も減少していた。次いで左脇腹を視界に捉える。そこを抉るようにダメージを表す赤いエフェクトが付いている。メッセージのやり取りをしていたこともあって、意識外からの攻撃を躱しきれていなかったのだ。


「いいね」


 こんな緊迫した場面だというのに、アリスは笑みすら浮かべていた。

 先の攻撃はアーツエフェクトを発していなかったことから、通常攻撃だと判断できる。躱しきれなかったとはいえ、クリーンヒットとはとても言えない部位に喰らったというのに、約三割も削られた。その事実は、いかに彼女の耐久力が脆いかを物語っている。

 けれど、アリスに不安は無い。だって今さっき、相手の攻撃を見たから。弓であることを知ったから。

 背中から抜き放った剣で、前方にある木の上部を指す。


「そこに居るんでしょ? 出てきなよ」


 返答は無い。

 暫しの沈黙の後、ガサッと枝を揺らし影が飛び出した。一瞬だけキラッと光を反射したのは矢じりだった。瞬時にそうだと見抜いたアリスは剣で薙ぎ払う。矢に吸い寄せられるように、寸分違わず振るわれた刃はそれを見事に破壊した。


「チッ!」


 襲撃者は舌打ちし、森の奥へ撤退していく。


「逃がさない!」


 追いかけるアリスは見通しの悪い場所、入り組んだ場所などでの戦闘を考慮して取得していたスキル・チェイサーを発動させる。幸いにも襲撃者は足跡を残しにくくする隠密スキル・サイレンサーを取得していないようで、バッチリとそれが光って、追うべきルートを彼女に知らせる。

 アリスは追跡しながら思い返す。

 木の裏から飛び出した襲撃者は耳が長かったことや体格から、エルフ族の女性である可能性が高かった。しかし、重要なのはそこではない。視界に入った彼女に――HPゲージが表示されていたのだ。

 このゲームにおいてHP表示のされかたは二通り。一つはPTを組んだ際、そのメンバー分が視界の隅に。もう一つは、言わずもがな。敵である。つまり、プレイヤーのHPゲージはPTを組まない限り絶対に表示されないのである。


(ということはさっきの――PKじゃ……ない?)


 あのエルフ女性の襲撃者は倒すべき敵性存在ということになる。ゲームの仕様を理解していたアリスは早々にその答えに辿り着く。

 よくよく考えてみれば、このゲームはストーリー的に様々な種族と敵対関係にある。ということは動物を模した魔物だけでなく、自分たちと同じ種族の――人型の存在と戦うこともあるわけで、開発・運営スタッフのなんと性格の悪いことか。


(やっばいなぁ。HPゲージ見落としたらプレイヤーと見分けつけるの難しそうだし、下手なPKより性質悪いよ。プレイヤー同士で疑心暗鬼になっちゃいそう)


 足跡を辿りながらそんな事を考えている内、周囲の様子が違うことに気が付いた。アリスはの手前三十メートル程の位置で足を止めた。

 先ほどからモンスターの姿を見かけないとは思っていたが、その理由は彼女の双眸が捉えたものにあった。

 それは比較的、大きな集落。

 見覚えは、全く無い。完成され過ぎていて、どう見たってプレイヤーの仲間のNPCたちが建築しているものではない。そして続いている襲撃者の足跡。

 もう少しだけ近付いて様子を見ようと、一歩踏み出した。アリスの鼻先で波紋が起きた。

 それが示す答えは、一つしかない。


「どうしよう……」


 溜息を吐く。

 眼前には敵であるエルフ集落のダンジョン。その規模からして相手にするのは十人や二十人では済まない。住んでいる全員が戦う者ではないとしても、百に近い人数は覚悟しなければならないだろう。

 今から単独で切り込むのも――まあ、やぶさかではない。むしろやってみたいとさえ思う。

 けれど、サヴィッジフォレストとは訳が違う。あちらは獣の住む森だったのに対し、こちらはプレイヤーとそう知能の変わらない高度なAIを搭載した敵である。ということは、おそらくは警備に当たっていたのであろう、あの女性エルフによってアリスの存在が報告され、警戒レベルが引き上げられていると考えるのが妥当だ。

 まだ今であれば、迎撃態勢だって整っていないはずだ。時間が経てば経つほど攻略の難易度が高くなるのは目に見えている。さらに時間を置けば警戒レベルが下がるのかもしれないが、かといってそれを待っている間に他の攻略組プレイヤーにクリアされてしまっては意味が無い。


「どうしよう……」


 悩んで、悩んで――溜息を、吐いた。

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