Stage.005 獣王

       7


 ボスは最初に咆哮して威嚇行動を見せこそしたが出現地点から動こうとはせず、ただその場で、余裕綽々とした態度をしたまま待ち構えている。名前はワイルド・リル・ファング。この地平線の彼方まで続いているとさえ思ってしまうほど広大な森――サヴィッジフォレストを支配する王者の名だ。

 故に、ことサヴィッジフォレストにおいて敵など居ようはずもなく、我がもの顔で闊歩し、食欲にまかせて獲物を喰らう。法の下、多岐に渡るルールに縛られ、統率され、徒党を組まなければ生きていけないような人間社会とは違う。

 だが、ここにそんな事細かに決められたルールなど存在し得ない。あるとすれば、ただ一つ。

 弱肉強食。

 弱者は犠牲となり、その上に強者が繁栄する。人間社会にだって、それは多少なりとも存在はする。しかし、それが全てではない。むしろ大部分がそうならないよう――理性や知性を持って、秩序ある社会を形成していくために法というものが存在する。

 それが人の世界。でもそれは多種多様なものが存在する世界の中に現れた、異分子とでも言うべきものだ。ある種の小さな異世界とも言えるかもしれない。そんなものが許されているのは、ヒトという種が他の生物では持ち得ない、極めて高い知能という一種の武器を有しているからだろう。

 そのため同じ世界に存在しながら、人間社会は隔絶されている。しかしながら、そう出来る理由の大本を辿れば知能で――その強力過ぎる能力を使っての結果な訳だから、人間社会だってその枠組みの中で法やら何やらに縛られているだけで、その外側から見れば結局のところは弱肉強食の上に成り立っているのだ。

 そして、その細かい決まり事が一切通用しないのが外の世界である。強靭な肉体一つで己が存在するエリアの食物連鎖の頂点に君臨し得る、それ以外のものは不要というシンプルな世界――だから、王者はあらゆることが許される。このワイルド・リル・ファングのように。

 だからといって、矮小な肉体しか持たないヒトが獣に勝てない道理はない。だって、彼らには知能という何ものにも代え難い武器を持っているのだ。もし仮にこれが現実の世界であれば――なるほど、ワイルド・リル・ファングは確かに常軌を逸した生物だろう。例え人間が百人で相対したところで、そこに勝ちの目は全く無い。どれほど武術に精通している者であったとしても、だ。倒したいのであれば、最低でも対物ライフルや対戦車ロケット弾というような火力が必要となるだろう。

 しかし、このオンラインゲームの世界の文明は現実とは違う進化を遂げている。科学が発達していない代わりにスキルや魔法が生み出されているのだ。その中から戦うための技に昇華させたのがコンバットアーツであり、コンバットソーサリーだ。

 それを使いこなすことで肉体的には脆弱な存在ながら、ヒトは今日まで強大なモンスターを相手に戦い続けてこられたのだ。

 ヒトという存在を理解しているのか、或いは本能に刻み込まれているのか、ライルたちと相対するワイルド・リル・ファングに油断は無い。あるのは、ただ――王者としてのプライドのみ。


「盾持ちは前へ! アタッカーは攻撃しすぎるなよ! 他のパーティーが取り巻きを倒すまで押さえ込めればいい!」


 戦闘が始まってすぐ、ボスを相手取るAとBのパーティーにライルの指示が飛び――彼らは速やかに実行にす。半分は彼の身内だが、もう半分は即席のパーティーだ。それでも戸惑ったり、頓珍漢な行動をする者は居ない。流石は攻略の最前線に居るプレイヤー達というところか。


「グルルォォォォォ!」


 ワイルド・リル・ファングが二度目の雄叫びを上げる。今度は離れた場所からではない。盾持ちプレイヤー数人の眼前でだ。いくらゲームであっても、いくら盾を持っていても、咆哮の際に唾液が飛沫となる様まで非常にリアルに描写されていては、彼らの恐怖心も膨らむというものだ。

 ゴクリ――と、誰かが喉を鳴らした。それが合図とでもなったのか、ワイルド・リル・ファングは右足を持ち上げ、プレイヤーという埃を払った。弱い獲物ならその一撃で仕留められるのだろう。

 しかし。

 この場に居るプレイヤー達は曲がりなりにも最前線に身を置く者達だ。いくらなんでもそれくらいでやられたりはしない。防御陣形の中央に居たプレイヤーはしっかりと受け止めて、ダメージの大方を軽減していた。減少したHPはほんの数パーセント分というところだ。

 これならば回復も十分に間に合う。いける――いけるぞ! それを見た誰もが思った。

 俄然、士気は高まった。

 盾持ちがボスの攻撃を一身に引き受け、その隙を見て火力持ちが攻撃を加える。それは剣や槍といった近接武器であり、弓のような遠距離武器であり、杖などから放たれる魔法でもある。ワイルド・リル・ファングのHPは少しずつ――しかし確実に削られていた。

 だが、決してダメージを与えすぎてはいけない。こういうゲームにおいてボスモンスターというのはHPが一定値を下回ると、新しい行動を取るようになる。強力な攻撃を使用するようになったり、能力を上昇させたりと、いくつかの種類があるが、とにかくそれまでよりも厄介になることは確実なのだ。

 それは取り巻きへの対処でプレイヤーが散り散りになっている現状において、絶対に避けなければならない。もしボスを抑えているパーティーが倒されようものなら、解き放たれたソレは他のプレイヤーを襲撃する。そうなったが最後、レイドが崩壊する未来しか残されていない。

 そうならないためにペース配分を考えなければいけないのだ。

 彼らがワイルド・リル・ファング相手に戦闘を始めるとほぼ同時に、他のパーティーも四体出現した取り巻き――チャイルド・ファングを相手に、一体につき一つのパーティーが対処に当たっていた。

 アリスは長剣を抜き放つと、知る人ぞ知る(ほぼ居ないが)、彼女の十八番であるアーツの連続発動で先制攻撃を決めるべく駆け出した。


「やあああああっ!」


 刀身が水色のエフェクトを纏う。突進技のアンスロートンだ。まるで芝生のように背丈の短い雑草で覆いつくされた地面を強く、蹴る。その力でつま先の辺りが少しだけ抉れ、雑草と土は弾かれたように後方へと飛散する。

 アーツの使用により己の力だけで走っていた時よりも更に加速され――まさに風を切って走るアリスは、チャイルド・ファングとの距離を瞬く間に詰め、突きを繰り出した。

 刃が突き刺さり、間髪置かず次のアーツへ繋ぐ――はずだった。


「そんなっ!?」


 アリス渾身の突きを、チャイルド・ファングは高く飛び上がって躱したのだ。それは彼女にとって想定外だったらしく反応が一瞬――ほんの一瞬だけ遅れてしまう。その結果、アーツの技後硬直をキャンセルすることが出来なかったために追いかけられず、抜かれることとなった。


「なにやってんの!」


 エンジュの叱咤が飛ぶ。

 レイドボス討伐ということもあってか、どこか浮かれていたであろうアリスは苦虫を噛み潰したような――非常に悔しそうな表情で、叫ぶ。


「ごめん、椿!」

「任せて!」


 アリスを飛び越えたチャイルド・ファングが走る先――最終防衛ラインには腰に刀を携えた椿が居る。もしここを突破されれば、残るはエンジュとマナだけだ。しかし後衛である彼女は防御力など皆無であり、椿が止められなければ事実上このパーティーは半壊する。であれば、なんとしても止めなければならない。

 あっという間に迫り来る獣を椿は待つ。腰を落とし、刀に手を添え――抜刀術の構えを見せて。


「椿さん、いきます! マイティ!」


 あらかじめコンバットソーサリーのチャージに入っていたマナが、攻撃力強化の魔法であるマイティを発動――椿へ付与する。それによって椿の体がシュィィンと独特な効果音と共に一度だけ赤く発光し、支援効果を受け取ったことが視覚的にも分かるように描画された。

 しかしチャイルド・ファングにそんな事は分からない。それよりも今だ武器を抜かない椿を何ら脅威で無いとでも判断したのか、走る勢いそのままに飛び掛った。


「ガアアアッ!!」


 口は大きく開かれ、白く鋭い牙が剥き出しになる。幼体とはいえ現実で言えば成体のライオンと変わらない体躯をしており、既に猛獣と呼ぶに十分すぎる程の格があるように思えた。

 しかし不思議と落ち着き払った様子の椿はしっかりとタイミングを合わせ――


ほうとう!!」


 鞘に納められた刀を、金属の擦れる乾いた音と共に抜き放った。ジャストタイミングで放たれた、薄緑の光を纏った刃はチャイルド・ファングが伸ばしていた前足と、牙を剥いていた顔面を切り裂いた。見事に極まったそれは切り裂くだけに留まらず、獰猛な獣を横へ薙ぎ倒して止めて見せたのだ。

 切り裂いた――確かに切り裂いたが、ダメージを表す赤いエフェクトが表示されているだけで足が千切れていたりといったことはない。だから、チャイルド・ファングはすぐに起き上がった。


「くっ……」


 刀を振り抜いたままの体勢で、椿は固まっていた。技後硬直だ。刃にはまだ薄緑のエフェクトが残っていて、それが消えるまでは硬直が続く。


「椿!」


 エンジュはコンバットソーサリーのチャージを開始していたが――到底、間に合わない。


「椿さん!」


 支援を主とするマナにも攻撃するためのソーサリーはある。しかし先ほど使用したマイティの硬直が終わり、今しがたチャージに入ったばかりだ。間に合う筈が無い。

 攻撃を受けたことで怒っているチャイルド・ファングは再び椿へ飛び掛り――


「ギャオン!?」


 変な声を出した。その瞬間が、椿にはスローモーションのように見えていた。

 飛び掛ってくるチャイルド・ファングにばかり焦点を合わせていたが、その隅に剣が映り込んだ。それは自身へ向かってくる獣の胴体にめり込み、地から起き上がったそれを元の場所へ帰れと言わんばかりに地面へ叩き落す一撃。

 上からの攻撃をモロに受けたチャイルド・ファングは、まるでボールのように二、三回跳ねて転がった。二度続けてクリーンヒットを受けた彼はダメージが大きいのか、今度はすぐに立ち上がれない様子だった。

 刀身から橙のエフェクトが消え――クレセントムーンの硬直が解けたアリスは、やや半身になりながら剣を構えなおした。


「ふぅ、これでさっきの失態は取り返せたかな」

「ありがとう、アリスちゃん」

「今のはナイスよ!」

「いえーい!」

「その原因作ったのもアンタだけど!」

「それはそうだけどさぁ……」

「でも椿さんが無事で良かったです」

「それはそれとして――いっけぇ! ファイアボール!!」

「フラッシュボルト!」


 チャージを終えた二人が攻撃を放った。

 起き上がりかけていたチャイルド・ファングを襲う。三つの火球が爆ぜて燃やし、迸る雷が着弾するとバチン! と高い音が響く。

 エンジュが自身の身の丈ほどもある大きな杖から放ったファイアボールは様々なゲームで登場する初級魔法のような立ち位置にある、最早説明すら不要な火球を飛ばす攻撃だ。本ゲームにおいては熟練度が上がれば同時に出せる数も増えるという特徴があり、彼女は三発を撃ち込んでいた。

 フラッシュボルトを撃ったのはマナ。彼女は使用している武器――と呼んでもいいのか分からないが、首から下げているロザリオを左手で握り、右手から放ったそれは白い雷だった。そのため見た目や音は中々に派手なのだが、支援に重きを置くマナのステータス的に魔法攻撃力が然程高いわけでもないため見た目負けしているのが玉に瑕だろうか。


「グルォ!」


 それでもなお、チャイルド・ファングは負けじと咆哮する。だが幼体なせいか知能もまだ低いようで、戦い方もワンパターン――また正面から飛び掛ってきたのだ。

 この短時間の間に同じ行動を何度も見せられれば対応のしようもあるというもの。

 アリスはにやりと笑みを浮かべ――構えていた長剣を、真っ直ぐに突き出した。それとチャイルド・ファングの前足の長さ。どちらのリーチが長いかなど火を見るより明らかだ。

 剣がチャイルド・ファングの喉元の辺りから深々と串刺しとなり、彼は自由を失った。地に足を付けさせないように両手で持ち上げるが――


「お、重い……」

「ちょ、アンタそれ、なんか絵面がグロイ」

「そんな、こと、言われ、ても……それ、より攻、撃して――てええぇぇぇい!」


 アリスが力の限り空へ向けて剣を振る。スッポリと抜けたチャイルド・ファングは五メートルくらいの高さまで投げ出され、もがく。でも足が着く場所など無いのだ、重力に従って落ちるのみ。

 着地するまで三秒かそこらだ。そうすれば今度は己が攻撃する番だ。彼はそう思ったかもしれない。だが、そうは問屋が卸さない。


「ブラスト!」


 次のチャージを終えていたエンジュが新たなソーサリーを発動する。

 チャイルド・ファングが着地する直前――その場所が、爆ぜた。地雷を思わせる爆発が発生し、彼が吹き飛ばされ、転がる。彼にとってはさらに運の悪いことに、その先に待つのはアリスと椿だ。

 ブラスト――エンジュが扱う炎属性コンバットソーサリーの一つで、座標を指定し、そこを爆破する攻撃だ。だから、チャイルド・ファングが爆風で二人が待つ地点付近へ転がるようにのだ。

 転がり来るそれに追撃を見舞うべく、二人はアーツを発動させる。

 最初に動いたのは椿。下段に構えた刀身に紺色のエフェクトを纏わせ、走りながらすれ違い様にアーツ・かげで切り上げる。

 転がりながら切られ――それでも、なんとか起き上がったチャイルド・ファングだが、もう、遅かった。自分に最初から勝ち目が無いことを理解するのが、あまりにも遅すぎた。


「アリスさん、お願いします! マイティ!」

「ありがと――これで終わりっ!」


 椿の時と同様に支援を受けたアリスは一度赤く発光して攻撃力が強化される。そして、掛け声と同時に十字二連撃アーツ・グランドクロスで切り裂いた。

 HPゲージは――空になった。


「グオ――」


 チャイルド・ファングは最後に悲しげな鳴き声を上げることも許されず、爆発四散してポリゴンの破片へと還っていった。

 一先ず、自分達の役割を最低限こなした事で三人は安堵の表情を浮かべる。アリスはといえば喜ぶような素振りも見せず、他パーティーの戦況に気を配っていた。しかしながら、彼らもトッププレイヤーの一角だ。チャイルド・ファング程度のモンスターには危なげなく立ち回っていて、そろそろ撃破しようかいうところだった。

 これならばすぐ、メインディッシュであるワイルド・リル・ファングと戦闘になるだろうと踏んだアリスはMPポーションを口にする。減少していたMPゲージが見る見る内に回復し、役目を終えた空瓶は砕け散った。

 アリスが手の甲で口元を軽く拭い、ようやく一息ついたところで、他のチャイルド・ファング三体も無事に撃破されたようだ。


「グルォオオオオオオ!!」


 すると、ボス――ワイルド・リル・ファングが一際大きく咆哮した。幼体――つまり、己の子供を倒され、怒り狂い、ついに本気になったのだろう、と誰もが思った。


「よっしゃ、回復したら本体に合流だ!」

「おう!」

「このままボスも討伐だ!」


 誰が言ったのか――野太い声の号令で、取り巻き担当の各パーティーメンバーが一斉にポーションを飲み始める。エンジュたちも、だ。

 その時。

 彼らの回復を待って一斉に合流しようとしていたアリスの第六感が何かを感じ取った。慌てて周囲を見回す。しかし、特に何も無い。回復に勤しんでいるプレイヤー達の姿が目に映るばかりだ。

 だというのに、彼女の勘が喧しいくらいに警鐘を鳴らしている。


(チャイルド・ファングは幼体……。怒り…………)


 ハッとして顔を上げる。

 通常、ヒトだろうが動物だろうが大切な我が子を傷付けられて、殺されて平然としている親など居はしない。それは、このファングという種族も例外ではなかった。


「アリスちゃん!?」

「ちょ、待ちなさいってば!」

「まだ回復が――」


 驚き、静止を訴える三人を他所に、アリスは全速力で駆け出した。向かうはボスを抑えているメインパーティーだ。


(ボスが吼えてから何秒経った? ダメ、走ってるだけじゃ遅い!)


 アリスの顔に焦りが浮かぶ。少しでも早く到達しなければならない。これがただの思い過ごしなら、一人だけ先に合流しに来たというだけで済む話だ。しかし――万が一、自分の考えが当たっていたら。このままではレイドが壊滅する。

 そんな思いを胸に、アリスは疾走する。

 そして、その考えは間違いではなかった。メインパーティーが戦う上空――大木から伸びる枝を覆い隠すように生える沢山の葉が、風も無いというのに不自然に揺れたのだ。


「間に合えぇぇぇ――――アンスロートン!!」


 突進系のアーツ効果で更に加速する。一秒でも早く。零コンマ一秒でも早く。早ければ早いほど、彼らを助けられる可能性が高くなる。

 枝葉の隙間から何かが飛び出した。

 メインパーティー目掛けて一直線に落下していく。

 ソレの影が出来たことで、彼らの幾人かは自らに忍び寄っていた気配を――HPを全て奪い取られる危険を、漸く察知した。


「あ、あれ何――」

「うわ――」


 だが、ソレは既に眼前に迫っている。まともに悲鳴を上げる時間すら無い。

 やられる――瞬間的に、そう、覚悟した時だった。


「せぇぇぇぇぇえええい!!」


 アンスロートンの勢いそのままに突っ込んできたアリスは地を蹴り、跳び、迎撃したのだ。

 いくらソレでも空中では自由に動けず、剣が背中に刺さる。上から下ではあるが直進をしていたところに横から強い力を加えられたために目標地点からずれ、メインパーティーやワイルド・リル・ファングの後方――何も無い地面へ激突した。


「わわっ!?」


 その衝撃で剣が抜けたアリスは空中へ投げ出されるものの、後方宙返りをしながら上手く着地へと持っていった。

 今しがたの激突は相当な力が加わっていたようで地面は抉れ、当事者であるソレのHPは大きく削れていた。それは共に落下したアリスも同様で、攻撃を受けたわけでもないのにHPが三割も減少していた。


「ガルルルォォォォォ!!」


 すぐさま体勢を立て直した――ワイルド・リル・ファングよりも一回り大きい体躯と、一部は硬質化してブレードのようにすらなっている立派な鬣を有するソレ。

 名を、ワイルド・ギル・ファング。

 一目見て分かる。彼こそがワイルド・リル・ファングのつがいにして、サヴィッジフォレストの頂点に君臨する最恐にして最強の獣王である。

 こんな、事前情報に無いモンスターが現れたのだ。当然、場は混乱する。「嘘だろ……」「なんだよコイツ」「こんなの勝てるわけねえよ」などと、何人ものプレイヤーが絶望を口にする。

 彼らがそう思うのも道理だ。幼体のチャイルド・ファングは一つのパーティーで相手にし、倒すことが出来ても、ボスに対してそんな戦術は通用しない。基本能力が根本的に違うからだ。だから二つのパーティーで何とか押さえ込んでいたところに、そのボスよりも強いであろう別の個体が現れれば絶望もするだろう。

 しかし――


「落ち着いて! おっきいネコが一匹増えただけ!!」


 アリスは冷静さを失くしていなかった。


「け、けどよ……」

「それともここに居る皆は、ネコ相手に怖気付く弱虫さんばかりなの?」


 浮き足立つレイドパーティーに士気を取り戻させるため、発破をかける。


「彼女の言うとおりだ! 冷静に対処すれば決して勝てない相手じゃない!」


 いち早く冷静さを取り戻したのは、やはりというか――ライルだった。

 メインパーティーのリーダーを務めている彼は指揮官のような、人の上に立つ立場に向いている性格のようで、その後の的確に出す指示も早かった。おかげで混乱は最小限で収まり、レイドパーティーは士気を取り戻すことに成功した。

 とはいえ二体同時に相手をするにはかなり分が悪いため、分断して一体に対して三つのパーティーで当たることとなった。これまでワイルド・リル・ファングを抑えていたメインとなる二つのパーティーにCパーティーが加わり、ワイルド・ギル・ファングとはアリスたちFパーティーを含むDパーティー以降で戦う。

 ライルは本音を言えば、アリスを自分の側に参加させたかった。誰も気付かなかった王者の強襲をただ一人で対処しきった彼女がどれだけのプレイヤースキルを有しているかなど、トッププレイヤーならば一目見ただけで理解出来るからだ。しかしながら、それによってアリスにヘイトが集まっている。分断するにはどうしても別組にするしかなかった。

 だからせめて――と、すれ違い時に「ありがとう、助かった」。そう、一言だけ声をかけた。彼女は一瞬きょとんとした顔をして直ぐ――天使のようなにっこりとした笑みを浮かべた。


「こっちだよ、おっきいネコちゃん!」


 ターゲットされているアリスはわざと大きな声を出してワイルド・ギル・ファングを誘導し、密集地から離れて行き、それを追う他のプレイヤーたち。アリスはある程度離れたところまで走ると、百八十度方向転換して王者と対峙する。彼は構わず、そのまま真正面から突っ込んだ。

 巨大な腕が振り下ろされ、硬く長い爪が激しい音を立てながら大地を抉る。アリスは後ろへ跳び退いて躱す。視界に映るその痕は威力の凄まじさを物語っており、こんなものを喰らえば一撃でやられかねないと、アリスに緊張感が生まれる。でも、それは、彼女にとって枷とはなり得ない。むしろ彼女が集中力を増すための、重要なファクターですらあった。


「ウォークライ!」


 こちらの組に居る盾持ちプレイヤー三人全員がとにかく、ワイルド・ギル・ファングにターゲット変更をさせようと、ヘイト強奪スキルを使用する。それは確かに効果範囲に入る場所で使用された。間違いない。

 だが――絶対に逃がさないと、ワイルド・ギル・ファングはウォークライなど無かったかのように、執拗にアリスを攻撃するも、彼女は次々と繰り出される爪の攻撃を前後左右へ、時に剣でいなして、俊敏な動きで完璧に交わしていく。そのちょこまかした動きがまたボスの怒りを増幅させ、さらに攻撃が激化する。

 そこへ近づこうものなら尻尾による薙ぎ払いがあり、それを掻い潜っても後ろ足で更に薙ぎ払われる。おかげで近接武器持ちは中々思うように近寄れない。遠距離攻撃が出来るプレイヤーはアリスとボスの動きが激しいため、迂闊に攻撃してフレンドリーファイアになってしまわないかという心配から尻込みしているようだった。


「あの子……」

「ああ、すげぇ」


 嵐を思わせるそれを――少なくとも周りからすると難なく躱しているように見えるアリスに、誰からともなく感嘆の声が漏れる。これだけ激しいとアリスでも捌くのがやっとで、中々反撃に移れないのが実情だったのだが。

 それでも躱し続けていると――転機は訪れた。これまで横か斜め上方からの引っ掻き攻撃だったものが、苛立ちが頂点にでも達したか、上から叩き潰す攻撃になった。高く上げられる右前足。

 その隙を逃すアリスではない。刀身が白い光を放つ。


「チャンス! てぇぇぇぇぇい!」


 ワイルド・ギル・ファングの体の下へ潜り込み――疾風の如く駆け抜けると同時に、その左前足を右から左へ、右後ろ足を返す刃で切り付ける。ゴーレム戦後から今日に至るまでの間に新たに習得していた、水平二連撃アーツのスパークルムーン・デイドリームだ。水平切りのため、移動しながらでも扱いやすい優良アーツの一つである。

 そのまま後方まで走り抜けると尻尾が降ってくるが、それも上手く躱したところで反転する。それにあわせたようにワイルド・ギル・ファングも反転すると――


「スピニングショット!」

「アイスニードル!」

「ブレイズゥ――ランサァァァ!」


 アリスとの距離が生じると、待ってましたとばかりに後衛陣がコンバットソーサリーをぶっ放し、顔面付近に雨霰と着弾する。その中でも一際強力で有効だったのが、エンジュの放った炎属性ソーサリー・ブレイズランサー。文字通り炎の槍を生み出して敵へ飛ばす攻撃だ。ファイアボールのように数は増えないし、チャージ時間も延びるが、その分だけ火力が高くなっているうえ、ファング一族の弱点は揃って炎だ。直撃でかなりのダメージを与えていた。

 そして、運良くおまけでもある追加効果まで発生していた。炎が鬣に燃え移り、燃焼状態となった。それによって何もしていなくてもHPが削られていくボス。消そうとして、躍起になってもがく。

 言わずもがな。攻撃のチャンスだ。椿を筆頭に、近接武器持ち達が一斉に駆け出す。

 彼らが到達するまでに炎を消せなかったワイルド・ギル・ファングは一斉攻撃をその身に浴びながら、今だもがいている。その目には激しい怒りや憎しみ――そういった感情が含まれている。アリスは、そんな風に思えた。

 

 その視線が向かう先にあるものが何なのか――それを理解して、不味いと感じた。ついさっきまでターゲットされていたのはアリスなのに。今は違っていた。アレだけヘイト強奪スキルを使用しても全く変わらなかったヘイトが今、己ではなくに向けられている。

 王者の象徴であるはずの立派な鬣を燃やし、プライドをズタズタにしたエンジュに――である。チャイルド・ファングですら後衛を蹂躙するのは赤子の首を捻るくらいに容易なのだ。それがワイルド・ギル・ファングであるならば、尚のことだ。

 アリスはその場を離れ――後退した。

 HP残量的にワイルド・ギル・ファングはもう虫の息に近い。だからなのだろう。最早、己の命など顧みなくなった彼は己が身を焦がす炎を消すことを止め、暴れ、近接プレイヤー達を跳ね除ける。


「うわああっ!?」

「ちっくしょおお!」


 ただそれだけでも強力な攻撃となり、三人が戦闘不能となった。そして、王者の誇りに賭けてエンジュを狩ろうと牙を剥き、駆け出した。


「エンジュちゃん!」


 椿が叫ぶ。しかし、彼女では間に合わない。

 エンジュが残り少ないMPを費やし、ファイアボールを放つが躱されてしまう。


「や、やばっ! あんたら離れて! 早く、マナも!! あいつの狙いはアタシだから!」

「でも、それじゃエンジュさんが――」

「バカマナっ!! アタシ一人の犠牲で済むなら安いもんよ――」


 駄々を捏ねるマナを突き飛ばしたエンジュの眼前に獣王が迫る。近接プレイヤーですらそう何度も耐えられない攻撃力だ。火力特化のために防御を棄てた――いや、元より防御力など皆無である後衛の彼女では一撃すら耐えられるものではない。

 ならば心優しい仲間が自分を責めたりしないように――エンジュは笑顔で、言う。


「絶対、倒しなさいよね!」


 爪が矢の如く放たれる。一直線にエンジュへと向かうそれは、間違いなく肉を裂き、骨を砕く一撃だ。流石に恐さは拭いきれないのか、攻撃を受ける直前に目を固く瞑った。

 肉が潰れるような――そんな生々しい音がする代わり、聞こえてきたのは金属音だった。


「ぐっ、きっつぅ……」


 次いで耳に届いたのは、苦しそうな少女の声。

 エンジュを始め、後衛に居たプレイヤー達が目の当たりにしたのは獣王の爪を受け止めたアリスだった。


「ア、アンタ……」


 エンジュは驚きでそれ以上、言葉が出てこないようで口をパクパクさせている。

 一方のアリスだが防御したはいいもののパリング判定にはならず、かなりの量のHPを削られていた。彼女のHPや防御が元々高くないのも要因の一つではあるが、ワイルド・ギル・ファングの攻撃が凄まじいことを物語っているのに他ならない。


「ヒール!」


 HP残量に気付いたマナが回復を行い、半分近くまで回復する。でも、今も尚アリスは受け止めている体勢のままだ。そのせいで現在進行形で少しずつHPが減少している。

 ワイルド・ギル・ファングの前足の重さに耐え切れず、アリスの腰が落ちる。それを察知した彼はもう一度足を持ち上げ――そして、空気を裂く。

 体勢を崩しているアリスでは回避も防御も間に合わない。

 だが、それは防がれた。盾によって。


「何とか――間に合って良かった」

「あ、ありがと……」


 他に救援が来ると考えて居なかったアリスは驚きを露にする。

 アリスを守ったのは同じ組になっていた盾持ちプレイヤーで、赤い髪をポニーテルにした女性だった。彼女はきつそうな顔をしながらも、大きめの盾でしっかりと受け止めていた。しかし剣で受け止めるよりも大分と少ないが、やはりHPは削られる。また、それまでの戦闘で損耗していることもあり、お世辞にも彼女のHPだって多いとは言えなかった。


「すまないが、もう然程耐えられそうにない。頼む、倒してくれ!」

「うん、任せて!」


 アリスはやる気十分と言った顔で、男勝りな口調で話す美人騎士に力強く返す。


「お願いします、アリスさん! マイティ!!」

「俺からも頼むぜ、天使ちゃん! コンバージョン!」


 攻撃力アップの補助を掛け、マナのMPが尽きる。もう一人居た別パーティーの支援役の男性が、他者に消費MPの半分を譲渡するコンバットソーサリーを使用し、少しではあるがアリスのMPが回復する。


「ありがと、皆! 絶対に倒すから!」


 アリスが――跳んだ。

 ワイルド・ギル・ファングの顔面付近まで跳躍した彼女は十字二連撃アーツ・グランドクロスで素早く斬り裂く。

 怯む王者。だが、まだHPは残っている。

 アーツで倒しきれなかった。待っているのは技後硬直――その後はHPの全損。これでもダメか……。誰もが思った。

 しかし、剣から青白いエフェクトが消えないうちにそれは橙に変化する。重力にしたがって落ちるアリスは、そのまま振り下ろす縦切りでさらに攻撃して首元から左の足元まで一気に切り裂き――着地と同時に逆袈裟に切り上げた。

 それでも、まだ僅かにHPは残っている。

 長剣が放つ光は橙から白にまた変化し、水平に刃が閃く。それはワイルド・ギル・ファングの爪と激突し、火花を散らす。その威力で双方が弾かれ、獣王はよろけて一歩後退し、限界も近いようでバランスを崩す。

 対するアリスも着地してなお、衝撃の威力で地面を滑り――止まると同時に顔を上げ、剣を構え、刀身に宿る白い光はたび、変化する。MPを全て使い尽くし、水色に輝く刀身と共にアリスは疾走する。はやく、ただ疾く。


「これで――最後っ!!」


 ワイルド・ギル・ファングが体勢を戻した刹那――その首元に剣が突きたてられた。獣王の動きが止まり、そして、ゆっくりと、その場に沈み込むようにして、力尽きた。

 その体が弾け、細かなポリゴンの破片となり、世界へ還って行く。

 花びらか、或いは雪が舞っているような光景の中――剣を手にした美しい天使が、肩で息をしながら立ち尽くしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る