第11話

「お姉ちゃんの所行ってくるー!」

 ヨセキのいつもの場所。エミリが赤いキャップをアタマに乗せながら言った。

「また『かまぼこ』か?」 

この間勝負をした、さつきがキンムしている麻雀荘のことだ。

「そーだよ」

「さつきと麻雀打ってるのか?」

 この間は俺たちには、箱根大黒の賭場では打たせないと言っていたが。

「ううん。お店の手伝い。ほら、お姉ちゃん、最近疲れてそうじゃない」

 姉思いの妹チャンだこと。

「まあメンバー足りないときは入れてもらったりしてるけど」

そうだな。あそこは旧ルールの麻雀だが、さつきの打ち筋を見ておいて損はない。俺もTシャツとGパンを着替えて、出かけることにする。

「だからここで脱がないでっていってるのに!」

 エミリはいつもちゃんとトイレに行くか、ウミガメの更衣室で着替えている。この辺り母親に大事に育てられたんだなあという所が見受けられる。霊柩屋なんぞ、いつも大部屋で堂々とブラ丸出しで着替えている。誰も見ていない。


 かまぼこに到着すると、エプロン姿のさつきが笑顔で迎えてくれる。

「あら。今日は健太郎さんも来たんですか?」

「おめーの打ち方を観察してやろうと思ってな」

「えーそうなんですかー? 恥ずかしいな」

「舐めまわすように見てやる」

「健太郎、あんまりおっぱいばっかりみちゃダメだよ!」

「見ねえし!」

「見てる! いつも!」

 見ているわけではない。目が吸い寄せられているだけだ。

「お姉ちゃんもさ、いつも胸元のガード甘いんだよ! もっと気をつけないと!」

 さつきは赤面しながら、エミリに頭を下げた。前屈みになるもんだから谷間が見えた。

 ――今日は二卓が稼働している。

片方の卓にはこの間のおっさん三人ともうひとり若い男。たぶん若いのがカモにされているのだろう。もう片方の卓ではさつきとエミリが店員として、女とじいさんを相手にしている。エミリのエプロンの似合わないことときたら。

さつきから時計周りに、エミリ、じいさん、女という席順。女の方は、三十くらいの茶色の髪をぼわっと巻いた派手な女。じいさんの方は白髪で人の好さそうなオデブだ。

 俺はさつきとエミリの間辺りに座り、見学していた。

「小田原の庵田さんと組んでなにか企んでるって本当です?」

 さつきはこの間と少し打ち方が違う。あんな風に極端に目立つような打ち方はしていない。殆どごく当たり前の打ち方をしている。恐らく俺にコクトウガンがバレたことで反省して、なるべく目立たないように、リミットをかけながら打っているのだろう。

「組んでるわけじゃない。むしろ食い殺そうとしているところだ」

 勿論レッド・オア・ブラックの本番ではリミッターを解除してくるだろう。なんだかとてつもないツキ方をする気がする。これは少々怖い。そして、どうせ本番は違う打ち方になるのだから、あまりこの打ち方を見ていても仕様がないかもしれない。

(それより気になるのは……)

 女とじいさん。まず素人ではありえない牌さばきをしている。エミリはもちろん、さつきよりも遥かに熟練した動きだ。

「リーチ!」

 エミリがリーチをかける。

(……まただ!)

女とじいさんはほんの少し、普通じゃあまず気づかないレベルの目くばせをした。さきほどから何回か。おそらく目の動きでなんらかのサインを出している。

「またリーチ? お嬢ちゃん強いねえ」

 そういいながら女は一枚の牌を捨てた。そして――

(……やった!)

 目にも止まらぬ速さだった。じいさんが卓の下で左手を動かす。そして女も右手を動かした。――じいちゃんの左手に握られた牌は女の右手に渡り、そして女からも牌を受け取った。そして両者とてつもないスピードで手牌にその交換した牌を加えた。

 エミリとさつきの顔を見る。エミリはぽやーっとした顔をしている。絶対に一ミリも気づいていない。さつきはどうか。――無表情だ。気づいていないのだろうか?

「ツモ! わりいな。先にアガっちゃった」

 そしてじいさんが次に引いた牌でアガった。

「えー! 一回も引けなかったー!」

 おいおい一応店員としてその態度はマズいだろう。……別にいいけどさ。

 じいさんの手牌を見る。ふむ。今交換した牌がどれかハッキリとはわからないが、恐らく、『白』や『二索』辺りの黒い部分も赤い部分もない牌であったのだろう。

 見事な手際ではあったが、もし今後もコレをやるとしたら。いずれ必ずバレる。奴らが対戦している相手にとって『卓の下』というのは、大抵の場合、ブラインドにならないからだ。エミリはアホなので、赤い牌でも見逃すかもしれない。しかしさつきは黒い牌を見逃さない。さてどうなるか。俺は口は出さず静観することにした――

「ツモ! リーチイッパツツモサンアンコードラ3!」

「ひええ! エグいわあ!」

 オーラスの一回前。エミリがまた大物手をアガる。

「オーラス頑張ってくださーい!」

もし強引にトップを取りに来るならここらでまた仕掛けてくるかもしれない。奴ら二人の動き、さつきの反応を注視する。

――コトが起こったのは。七巡目。さつきが牌を捨てた瞬間だった。ほんの一瞬、コンマ一秒の目くばせ。自分でも似たようなことをやってなければ絶対に気づかないだろう。そして――卓の下。女の右手とじいさんの左手が卓の下に入った。

(やる気だ……! スリカエ!)

 ――だが。さつきの目がスウっと細まり、鈍く光った。

奴はイスに座ったまま。卓を思いっきり蹴っ飛ばした。

卓が滑るようにして対面に座る、じいさんの心臓の辺りにモロにヒットした。

 グオオ。という呻き声。

「バレないと思ったんですか?」

 店内は静寂。エミリが口をまん丸に開いている。

 さつきがサイドテーブルに置いたポーチからなにかを取り出した。

そいつのサヤが抜かれると。白いヤイバがキラリと光った。いわゆる『ドス』だ。

 そのときの冷たい。まったく感情のない。爬虫類のような顔をよく覚えている。

 じいさんはイスにもたれかかって心臓を抑えている。さつきがそれに近づいて行く。

「動かないでくださいねー」

そしてドスを振りかぶった。じいさんの握りしめられた左手の甲に刃がグサりと刺さった。じいさんの叫び声。鉄の匂い。じいさんの手が開かれる。その手からは二つの血まみれの牌がこぼれた。『二筒』と『東』。

「あら二つも牌が握られてますねえ。そしてそちらのお姉さんの手牌が一枚足りない。うーんこれはなんでしょうねえ。なにか言い訳はありますか?」

「お、親父―! クッソ! このガキャア!」

 女はハネ上がるように立ち上がり、さつきに襲い掛かった。右手に握ったドスを奪おうとする。さつきは全く表情を変えること無く。女の顔面を左手で殴りつけ、右のハイキックで追い打ちをかけた。女はもうひとつの卓に吹き飛び、頭を卓の角にしたたかに打ち付けた。さつきはスタスタと近づき、気絶した女の上着から財布を回収する。

「これは頂いておきますね。いくら入ってるかなァ?」

ゆっくりと歩き、じいさんに近寄っていく。

「おじいちゃん。お財布出して」

 ドスを構えたままにっこりと笑いネコ撫で声を出した。じいさんは絶叫する。

「ごめんなさい。イカサマする奴には容赦をするなって言われてるので。見逃すと怒られちゃうんです」

 ドスをノドボトケにピタっと突き付けた。

もう声も出ないらしい。無言でズボンのポケットから財布を出し、床にほおり投げた。変な匂いがすると思ったら、じいさんの股間にじんわりとシミが広がっていた。

「ありがとうございます。立てますか?」

 体が硬直したおじいちゃんを、別の卓のおっさんの一人が引っ立てる。もう一人のおっさんが女の方を乱暴に担いだ。そしてドアからドヤドヤと出て行った。

 さつきは無表情でドスを鞘に納めた。

 エミリを見る。恐怖に打ち震えた顔をした彼女はやがて泣き叫びながら立ち上がり、店から飛び出してしまった。俺もそれを追いかけた。


 ――もう深夜二時。ヨセキは静まり返っている。

火を噴くみたいに泣きじゃくっていたエミリは、ようやく泣き疲れて眠りに落ちた。

まるで赤ん坊をあやしているようであった。

大きな溜息をつきながらタバコに火をつける。

こちらにすたすたと歩いてくるのは霊柩屋。俺の隣にドカっと座った。

「なんかあったんです?」

「ああ。そりゃあなんかなけりゃ、こうはならないだろう」

「……さっちゃんとケンカした?」

「やるな。ニアピンだ。今日、さつきの雀荘に行ってきたんだけどけどよ、イカサマをする奴がいたんだ」

「へえー今どき珍しい」

「なかなか見事な手つきだったんだがバレてな。それで、さつきの野郎もアレで箱根大黒の一員だからさ、そういうヤツにはそれなりの対応をするだろ?」

「ははあ。なるほど。そりゃあショックかもしれねえですね」

 霊柩屋もタバコに火をつけた。

「さっちゃんの方も心配ですね」

「おまえもそう思うか? ……コレ吸い終わったら様子見に行ってくる」

 霊柩屋は煙をヨセキの上空に吐き出した。

「似合わねえですよ。あの子にはあんな仕事」

 小さな声で呟く。俺は深く頷いた。


 風が強い。肌を刺すような寒さだ。

徒歩二十五分の『かまぼこ』まで歩くのはなかなかしんどい。

 ようやく辿りついたときには、耳がガチガチに固まり取れそうなほど、指もアイスキャンディーのようになっていた。ノブに手をかけてゆっくりとドアを開けながら。とりあえずさつきにコーヒーを淹れてもらおう、などと考えていたのだが。

(……かわいい顔で寝ちゃってまあ)

 安らかな寝顔。真っ白な天蓋付のベッドで寝ているお姫様のよう。実際にはタバコくせえ雀荘の雀卓で突っ伏して寝ているんだからひでえ話。

(これがさっきのヒトゴロシと同じ生き物とはな)

客はもう帰ったらしい。起こしても悪いので、本来なら出直したい所だが、いかんせん寒すぎる。少し暖を取らせてもらってから帰ることにした。

とりあえずお湯を沸かそう。そう思って麻雀卓にカバンを乗せた。

 ――どうやらカバンでボタンを押してしまったらしい。

 全自動卓が動き出し、ガッチャンガッチャンと牌を混ぜる音が響き出す。

さつきはピクンと体を震わせ、トロ―っと目を開いた。

「ん……ごめんなさい。私寝ちゃってて」

「すまん。起こすつもりはなかったんだ」

「寒かったでしょう。コーヒーでも飲みます?」

「ああ。でもいいよ。俺が淹れるよ」


 麻雀卓に向かい合って座り、二人でコーヒーを飲む。

甘党だがコーヒーはブラック派だ。さつきはミルクと砂糖を少々入れている。

「なあ。さつきはさ。なんで大黒天に入ろうと思ったんだ?」

 牌をピーンと弾いて卓を滑らせ、さつきの目の前の牌山に当てた。

「へっ⁉ なんでそんなこと聞くんですか⁉」

「別にそんなに驚かなくてもいいだろ。弟も大黒天グループだったからなんとなく」

「弟さんはどうして?」

「死なないためだと言っていた。寄らば大樹の影ってことだったんだろうな」

「私も同じですよ。死なないためです。私入社したの戦後ですから。まともに食べていける会社なんて他には」

「なるほど、な」

 弟が入社した年に戦争が始まり、その二年後、戦争終了後にさつきが入社した。つまりさつきは弟の二年後輩にあたるわけだ。

 さつきがなぜか、急に下を向いてそわそわとヒザを動かし始める。そして目を思いっ切り逸らしながら口を開く。

「ね、ねえ。聞きづらいことなのですが。け、健太郎さんが大黒天を憎んでらっしゃるのってやっぱり弟さんがお亡くなりになったことがあったから……」

 黙って頷く。

「そうですよね……それは非常に納得がいくのですが。なんといいますか。その……大黒天を恨んでいるのに、私に優しくしてくださるのはどうしてですか?」

 驚いて、麻雀卓にヒザを打ってしまった。

「優しいかな⁉ そりゃあおまえが他の奴によっぽど冷たくされてるんじゃないの⁉」

「確かに会社の人はあんまり優しくないですが……。健太郎さんはなんだかんだ優しいなーっていつも思います」

 頬杖をついて俺の目を見つめた。

「今日もこんな風に会いに来てくれたし」

「でも、そもそもお前が仲良くなりたいとか言い出したんじゃないか」

「あのときは、そんなに深刻な理由があるなんて知らなかったので……」

「まァそうだなあ。……おまえが弟と同じだからだろうな」

「同じ……」

「大黒天の下っ端の社員でさ。苦労してるんだろう?」

 さつきは背もたれにずずっと体を預けた。

「苦労の質は全然違うとは思うがな」

「そうですね。弟さんの苦労に比べれば全然大したことないとは思いますけど。……エミリちゃんにはヒカれちゃったな」

 目を潤ませて天井を見上げた。少し心が痛む。

「オコサマにはちょっと刺激が強すぎたな」

 俺でも少し、いやだいぶんビビったぐらいだ。

「霊柩屋も言ってたけどさ。おまえはあんまりこの仕事似合わないんじゃないか?」

 さつきは苦笑しながらそっぽを向いてしまう。

「あんなこと本当はやりたいわけじゃあないんだろ? ドスを持つ手。震えていた」

「やりたく……はないです」

「おめえらの中はもっとエゲつないことをする奴もいるよな。エミリも入国したときに有り金全部取られたと言っていた。いくら持ってたのか知らねえけど」

 さつきは両手を頭に乗せて髪の毛をぐちゃぐちゃといじった。

「早く辞めることだな。やりたくないことをやってる奴は、見ていて痛々しいぜ」

「そういうわけにも……いかないですよ。会社辞めちゃったらどうすればいいんですか」

「おまえなら会社なんて辞めたってなんでもできるのに」

 博打打ちやイラストレーター、あとはファッションモデルというセンもある。時代が時代なら大食いチャンピオンや食レポのレポーターもアリだ。

「そんなことないですよ。会社辞めたら生きていけません」

「難しく考えすぎなんだよ。ひと一人生きていくなんてそんなに難しいことじゃないぜ」

 さつきは腕を組んで目を瞑って考え込んでしまう。

「ま、いずれ俺がおまえらの会社潰すからな。結局同じことだな。ははは」

「そうならないように頑張ります」

「ああ。それでいいよ。勝負で手加減されるのは嫌いだ」

「でもたぶん、一千万円負けたらクビだろうなー。私あんまり上司に好かれてないし」

「……そういうもんなのか?」

 腕を組んで目を瞑ったまま頷いた。

「確かに上司にお世辞言ったり、飲みに付き合ったりしなさそうだもんな」

「よくわかりますね。苦手なんですそういうの。でもだからってあんなにツラく当たらなくてもいいのに! 例えばこの間の飲み会でさ――」

 その後は。ずーっとさつきの愚痴を聞かされることとなった。

少しは気が晴れたような顔をしていたからいいのだが。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る