第10話
朝十時ぐらい。目を覚ましてみると、エミリの枕元には大量の千円札。昨日のチンチロリンの勝ち金であろう。いつもいつもエミリにむしりとられてヨセキのおっちゃんどもは平気なのであろうか? 少々心配になる。
やることもないので、タバコを吸いながらただただぼーっと天井を見上げる。以前ならこういうときは大体携帯をいじってゲームかインターネットかなにかをやっていたが。別になければないで、どうということはない。むしろ疲れなくてよい。
お昼時になってもエミリは目を覚まさない。こういうとき、起こしても絶対に起きないことは学習済。腹が減った。一人で昼食に行こう。
そうだな。どうせだからエミリと一緒だと行けない店がいい。
ヨセキから歩いて十五分。『箱根かれー 心』という店にやってきた。
店の外ではレトロなデザインのロボットがお出迎えしてくれている。既にスパイスのシゲキ的な香りがして大変食欲をそそる。
店に入ると、ゴジラやウルトラマンそれにご当地アニメの新泉紀エバンゲルマニウムなんかのフィギュアが大量に入ったガラス棚がある。ここに来たらこれを眺めるのも楽しみのひとつだ。
「あっ懐かしい! これエバンゲルマニウムのアスナちゃんですよね? かわいいな」
見慣れた奴が後ろからなれなれしく話しかけてくる。どうもこいつとはけっこう食の好みが合うようだ。さつきはいつも通り全身真っ黒な服に身を包んでいた。
――俺はチキンカレー、さつきは野菜、豚の角煮、半熟卵、それにでっかいトンカツがドーンと入ったスペシャルカレーを注文した。
「ちょっと顔色悪いんじゃないか?」
「うーん、仕事の疲れが溜まってるのかなあ」
イスの背にもたれてノビをする。うわ、そのポーズするとムネが強調されてすごい。
「今は昼休み?」
「いえ。もうアガりです」
「今日は午前中だけか?」
「それが、夜勤明けなんです」
口に手を当てて欠伸をする。
「げっ……こんな時間までか」
「十九時間働いちゃった」
「おまえん所、やっぱり末端社員はなかなか大変なんだな」
「昔はウチみたいな所を『ブラック企業』なんて言ったらしいですね」
さすがにだいぶん浮かない顔をしているが――
「お待たせ致しましたースペシャルカレーご注文のお客様―」
カレーが来た途端にこの笑顔。そして猛獣のような勢いでガッツいていく。
まあこれだけ食欲があれば大丈夫か。
「じゃあ私こっちですので」
カレー屋を出て左の方向を指さした。
「おまえどこ住んでんの?」
「ここまっすぐいった所に箱根大黒の社宅があるんです」
「へえ。いいな。イマドキちゃんと住む所があるのは珍しい」
「そうですね。来てみますかァ?」
「えっ⁉ いや、どうしよっかなーちょっと行きたいなーでも今回はいいかなー……」
「じゃあまた今度!」
さつきはイタズラっぽい笑顔を浮かべた。
――そうだ言おうと思っていたことがあったのだった。
「なあ、さつき」
「なんですか?」
「エミリと遊んでくれてありがとうな。野郎喜んでるから、疲れない程度にまた」
さつきはにっこりと笑い、ぶんぶんと首を縦に振った。
刻一刻と迫る大勝負を前にして。今日も泣く子も黙る博打ちコンビ『レッドアンドシルバーデビル』の健太郎とエミリはお菓子を売る。新箱根湯本大通り。露店の机の前には結構な人だかり。今日はちょいと趣向が違うのだ。
「さあーこちらのダンディーなオジイちゃんが挑戦者だ!」
包みに入った饅頭一つと紙コップ三つを使う。机の上に置いた饅頭にコップのひとつを被せる。そのコップを驚愕のスピードで流れるようにぐるぐると動かす。
「さあ、周り始めたよー! 速い! 速い! ハンパない!」
そしてピタっと急停止させる。コップを動かすのはもちろん俺。司会役を務めるは霊柩屋。エミリは特になにもやることはなし。微笑みながら立っているだけでOKだ。
「さあおじいちゃん! 右、真ん中、左、どれ⁉」
実によく響く聞き心地のよい声。司会を彼女に頼んでよかった。俺やエミリがやったんじゃこうはいくまい。元声優兼アニメソング歌手の肩書は伊達ではないと言ってよい。
老紳士は左のコップを指さした。コップを開く。中にはなにもない。
「はい外れー残念でしたー! 二百円ねー!」
ただお菓子売るだけよりは少しはギャンブルの要素があり、手つきの練習になるからいいだろう。と思って始めたシノギだ。存外に面白い。
「さあー次! 次いないかー次!」
――エミリが俺の服の裾を引っ張り、後ろの方にいる客の一人を指さした。
「……こないだの」
白い和服を着た女。そいつは失礼しますなどと言いながら、机の前に出てきた。
「庵田さんの所の女中さんですよね」
エミリが会釈をしながら言った。こういう所になんやかや育ちが良いところが伺える。
「ええ。こないだはお世話になりました」
「おっ! そこの艶やかな和服のお姉さん! いっちょいかがでしょうか! なにせお金いっぱい持ってますもんねー! やりますよねー! オカネーーー!」
三人で顔を見合わせて苦笑。
「はい。お願いします」
――そんなわけで勝負開始。
「回し始めました、新箱根は温泉狂のエース! 赤い殺し屋! 甘党の放火魔! レッドアンドシルバーデビルの赤い方! 見て下さい、この手の動き! 間違いなく普段日常的にイカサマの常習犯を行っています! 気ぃは強いが、体はヒョロヒョロ、そして女にゃあ滅法弱い! それが健ちゃんこと星月健太郎! 今日もヤカラ丸出しの銀色のジャケッツを着用し、ピカピカと光っています!」
「うるせえよ! バカ野郎!」
元アイドル声優の『かなみん』こと川澄佳奈美(かわすみ かなみ)を睨みながら、ピタっとコップを止めた。客からは笑いがおこる。
「さあー止まったぞ! 右、真ん中、左、どれ⁉」
女中はしばらく考え、真ん中を指さした。ちっ正解か。
間違うように誘導して回しているつもりなのだが。まだまだ修行が足りないか。
「真ん中を選びました! 果たして饅頭はあるのか!」
だが。世の中そんなに甘くない。コップを開くときにススっと抜き取ってしまえばいい。ははは。タダでなど俺とエミリが丹精込めて作った饅頭をやるものか。
俺はコップに手をかけてニヤっと笑った。だが次の瞬間――。
女中は水平チョップのようにして、手でコップを払いのけてしまった。目にも留まらぬ速さだ。紙コップは宙に舞う。そして饅頭が白日の元に晒される。
「せ、正解だー! 今日初めての正解が出ましたー!」
饅頭を受け取った女中は包みを解いて、端っこをちょこっと食べる。
「あら、すっごくおいしいです。『本職』の方もすごい腕前でいらっしゃるんですね」
……なにか勘違いをしているようだ。
「女中さん。もしかして庵田さんの遣いで来てくれたの?」
「あっ、忘れてました。そうですそうです。ありがとう。エミリちゃん」
女中がエミリの頭を撫でる。これは多分コドモだと勘違いしているパターンだな。
「二十時。小田原城までお願いします。大会の詳細が決定致しましたので」
「おっ。ようやくか。わかった。了解したと伝えてくれ」
「はい。承知致しました。あ、申し遅れましたが、私は『永鳥しだり』(ながどり しだり)。と申します。星月さん、エミリさん。これからもお世話になります」
永鳥は深々と頭を下げた。
「それでは失礼致します」
踵を返す。綺麗な帯を見せつけるようにゆっくりと歩き、その場を去っていった。
――しかしあの手の動き。並の麻雀のイカサマ師が裸足で逃げだすスピードだった。
「あいつ只者じゃあないな」
「ちぇっ、イヤな野郎ですよ。おつに構えやがってさ」
「うすのろバカマヌケ?」
「ああ。知っているか?」
小田原城。庵田は相変わらずバカ殿みたいな恰好をして、宴会場のきんきらきんな座椅子にふんぞり返って座っている。
「一応ガキの頃にやったことがあるが……トランプのだろ?」
「そうだ。なかなかいいチョイスだと思わないか」
「うーん……」
「わたし知らない」
庵田の対面に並んで座る。机には大きな金目鯛をメインにして様々な料理が並べられる。広大な宴会場に三人だけ座って、すみっこに永鳥ともうひとりの女中が立っているだけなのでなんとなく寂しく感じる。
「よし。じゃあ教えてやる。というか実際やってみよう。おい! 永鳥! トランプとあとそうだな……碁石でいいか。碁石を持ってこい」
宴会場の真ん中で、三人で円になって座る。
「いいか。こいつはな。珍しく全部のカードを使わないゲームなんだ。使うカードは人数×四枚だけ。今回の場合は『2』、『3』、『4』の四枚ずつだけを使う」
庵田が『2』、『3』、『4』のカードを四枚ずつ抜き取る。そしてそれをシャッフルして、自分と俺とエミリに四枚ずつ配る。そして碁石を二つ、三人の中間点に置いた。
「それでな『うすのろバカマヌケ!』の掛け声と共に右隣の奴に一枚カードを渡すんだ。そして左隣の奴にカードを貰う。グルっと反時計周りにカードが一枚ずつ周るわけだ」
実際にやってみる。
「うすのろバカマヌケ!」
いい大人が三人で同時に叫ぶ。なんか恥ずかしい。
「でな。この交換によって手元のカードが全部同じ数字になったとする。ああエミリちゃん、実際『4』が四枚になってるな」
庵田がエミリのカードを覗きこむ。
「こんな感じに揃ったらな。この碁石を取るんだ」
「……これでいいの?」
エミリが碁石をヒョいっと拾う。
「OKだ。でな、誰かが碁石を取ったら他のプレイヤーも碁石を取るんだ」
俺もヒョいっと碁石を取ってみせる。
「碁石の数はプレイヤーの数より一個少なく設定する。最後まで取れなかったら負けだ。だから奪い合いになるわけだ。これが面白い。スポーツ的な面白さだと言えるな」
エミリはハイハイなどと言いながら首を縦に振る。
「一回負けるごとに一文字ずつ『蔑称』がついていくんだ」
「べっしょう?」
「ああ。一回負けたら『う』、二回負けたら『うす』、四回負けたら『うすのろ』だ、九回負けて『うすのろバカマヌケ』になったらそいつは失格となる」
エミリはポンと手を打った。
「どうだ。なかなか面白そうだろ」
エミリはコクリと頷く。確かに小学生の頃にやって面白かったという記憶はあるが。あまり大の大人が必死になってやるものではないんじゃあなかろうか。
「なんでこれにしようと思ったんだ?」
「そりゃあ観客を意識してだよ。丁半やチンチロリンもしくは他のトランプ競技なんか遠くから見ても動きがないからつまらんぞきっと。こいつならバッチリだ」
「うーんまあそう言われりゃあそうかなあ……」
「麻雀もいいかと思ったが、時間がかかり過ぎるからな。それに、そいつもポイントだ」
庵田は俺が手に持っている碁石を指さした。
「このカードが揃ったら取るモノ。これは別に碁石じゃなくてもなんでもいいだろう? これをどっかの土産物屋にでも提供してもらう。多分な、宣伝になるってんでどこの店も食いついてくるぜ。そうなりゃあ、逆に金を貰って提供させてやるってことにならあ。まあサッカーのユニフォームに金払って社名を入れるスポンサーみたいなもんだ」
「なるほど。考えたな。しかしそんなにうまくいくかな?」
「いくさ。どの土産屋も青息吐息だからな」
「そうかい。おめーが言うならそうなんじゃねえか?」
ま、最近駅前のお土産物屋に客がいた試しがないのは確かだ。
「じゃあこの競技で依存はねえか?」
「もちろん。任せるって言ってるだろ。まあ温泉狂連中への宣伝ぐらいは協力するさ」
「そいつは助かる」
「ねえ。ちゃんとやってみたい」
そういいながらエミリがカードをシャッフルする。
――うすのろバカマヌケを二十年ぶりぐらいにプレイしながら考えた。
庵田の野郎。自分の手下に優勝させるような算段をしてくるかと思ったが。『うすのろバカマヌケの名人』なんているだろうか。いや。いるわけない。……杞憂だったかな。
「楽しそうですねえ。うすのろバカマヌケ」
永鳥が皿を片付けながら言った。
「女中さんも一緒にやる?」
「いえいえ、仕事中ですので。珍しく」
穏やかに微笑んで、奥に引っ込んでいった。
「ちっ、おめえら強ええなあ。ちっとも勝てやしない!」
庵田の三連敗。賭け金の五千円を放り投げる。
「なあ庵田。金はいいからさあ」
「あ?」
「その……こないだお前の部屋にあった、日本刀。アレを見せて欲しいんだ」
庵田はニヤっと笑った。
「おっ! おめえもスキなクチか?」
俺の肩に手を回す。
「いや、別に詳しいわけじゃないんだがよ。あの銀色の刃がカッコイイなって前から」
「あーそういえば健太郎、銀色が好きだって言ってたもんね」
「よっしゃ! いいぜ見せてやるよ! アレ以外にもたくさんあるんだ」
「私も見てみたい!」
「エミリちゃんの方がハマっちゃうかもな。日本刀が好きな女の子なんてのは昔っからたくさんいるんだ」
しかし。うーむ。どうも敵と仲良くするクセがついているようだ。
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