第8話
「いらっしゃい! チョコ饅頭にアンコ蒸しケーキ、どちらもひとつ百五十円でーす!」
新箱根の大通り。エミリの元気な声が響く。
その後ろで俺は黙々と作業を行う。特製のチョコレート入りのこしあんを四十グラムづつにわけ、これを薄力粉、グラニュー糖などを混ぜて作った生地で包んでいく。やや上を厚く包むのがポイントだ。そしてこれを五つずつ蒸し上げる。蒸す前に表面についた粉をハケで落としておくことも忘れてはならない。
「ありがとうございますー!」
エミリの嬉しそうな声。若い女の子が蒸しケーキをたくさん買ってくれたようだ。
「健太郎。ケーキなくなっちゃったから、追加で作らないと」
「りょうかい。じゃあ売り子変わるよ。そこのまんじゅうな、この砂時計が全部落ちたら上げといてくれ」
「はーい!」
やれやれ息つくヒマもない。でもこいつを始めて一ヶ月。大分慣れてきたし、エミリとの息も合ってきた。
――そしてあっという間に夕方になる。
「今日はそろそろ上がろ!」
「おう。今日は飯どうする?」
机の脚をたたみ、風呂敷に包んで背負う。
「私また湯葉丼屋さん行きたいな。あの足湯しながら食べられるところ」
エミリは道具一式を、大きなボストンバッグにしまい肩にかける。これは引退した婆ちゃんに譲って貰ったものだ。
「ああ。いいよ。立ちっぱなしで足が疲れてるしな」
――最近。なんだか毎日が充実している。でもなにか忘れているような。
「十一……十二……十三……」
ヨセキの隅っこ。いつもの場所。エミリが嬉しそうに一週間分の売上を数えている。霊柩屋も興味深そうにそれを見ている。
「十八……十九……二十!」
「おおー! 先週よりさらに増!」
霊柩屋が驚きの声をあげた。
「やったね! 健太郎!」
「おう。婆ちゃんに感謝。だな」
「うん! でもマンシンしないようにしないとね」
「いやあ大丈夫だと思いますよ! うめーですもん! 健ちゃんたちの菓子!」
和菓子が得意な俺と洋菓子が得意なエミリのアイディアを合体した変型菓子は温泉狂連中になかなかの好評を博した。
「エミリはさすがの腕だよな。やっぱり元プロは違う」
「健太郎も! 趣味だってのは聞いてたけどさ!」
お互いの肩を叩き合って褒め合う。
「これなら一千万円なんてすぐじゃねーですか⁉」
「一千……?」
「万円……?」
エミリと俺はキョトンとした顔を見合わせる。
「ちょっとしっかりして下せーよ! さっちゃんと勝負するための一千万ですよ!」
「ああそっかそっかちょっとド忘れしてた」
どうも一つのことに真剣になると他のことは頭から放り出してしまうクセがある。
「えーと、このペースだとどれくらいかかるかな。一千万わる二十万っていくつだ?」
「わかんない」
「わかるわけねーじゃねーですか」
バカ二人は頼りにならないので、俺が頑張って計算した結果。五十週間という数字が叩き出された。
「……ダメじゃん。お姉ちゃんは確か期限は半年って」
「そもそも。本来の目的、勝負のことをすっかり忘れるほど夢中になってどうするって話だ。このザマじゃあ、例え一千万円稼げても、絶対に負けるわ」
「確かに……でも楽しかったけど」
「やっぱりバクチで稼がねえと話にならんな。色んなイミで」
「ちょっと勿体ない気もするですけどね。一年の売上一千万って大した稼ぎでもん」
霊柩屋が溜息をついた。
「そういやあ霊柩屋の蛸社長もさ、最初は年収一千万出すなんてホザいてやがったんですよ! でもフタを開けてみりゃあ年収百万も危うい始末! あのド百姓め! 自分は散々豪遊ぶっこきまくってる癖に!」
霊柩屋は枕を壁に向かってブン投げた。しかしノーコンピッチャーの投げた球は俺の顔面にクリーンヒットした。
「ひいいい! ご、ご、ごめんなさい! ワザとじゃねーんです!」
「あーあ。知らないよ。この人瞬間湯沸かし器だから」
――いつもならキレ暴れ怒り怒鳴りしばき散らかすケースだが。
俺はそのとき全く違うことを考えていた。
「タコ社長……。そうか。温泉狂の中にもあぶく銭稼いでる奴がいるのを忘れていたな」
アゴに手当てニヤリと笑った。二人は怪訝な顔で俺を見た。
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