第5話
――翌日。
九頭龍神社は芦ノ湖という湖に面した神社だ。
境内に辿りつくには、わざわざフェリーに乗って芦ノ湖を渡る必要がある。
そんな立地条件にも関わらず、なんでも恋愛のパワースポットでもあるということで、戦前はムラついた女性参拝客でゴッタがえしていたのだとか。
本日はフェリーの甲板には二人しかいない。そこから見える紅葉の赤と湖の青の壮大なコントラスト。そいつを見ながら俺はエミリに自分の話をしてやった。
「そっか。弟さんが大黒天の社員で……」
今日はいつものピンクのパーカーに、どこで手に入れたのか広島のプロ野球チームの赤いキャップを後ろ向きに被っている。
「ああ。若くて元気だからって、最前線に送りやがってさ。死んじまったよ」
「それで復讐を……?」
「ああ。それに。奴らを放っておけば、また弟みたいな犠牲者が出る。必ずだ」
「そう……かもしれないね」
「奴らを倒せば。いつかは、平和な日本が帰ってくる。俺はそう思っている」
「うん……うん」
「そういう意味ではな。今はチャンスでもあるんだ。奴ら、もうあんな賭場の胴元なんかやらなくちゃなんねえぐらいのもんだろ? 全盛期の大黒天グループはちょっと手に負えなかったかもしれねえが、今の奴らならどうにでもならあ」
エミリは黙って俺を見つめ頷いた。
「いいじゃんいいじゃん! カッコイイ! 私も協力するよ! 私だってあいつら嫌いだもん! お母さんのこともあるし、日本来たときにお金もとられた恨みもある!」
「だいたい今俺たち『温泉狂』のがこんな暮らしなのも、奴らがアコギな賭場やってるせいなんだよ! 場代高すぎると思わねえか⁉」
「思う!」
――そんな話をしている内に。フェリーは目的地に到着した。
「また九連宝燈がアガれますように!」
「アガっても呪われませんように!」
二人それぞれ祈りを捧げた。これでバッチリ。アガれるし呪われないというワケだ。
今日はもう開き直って一日観光することにした。
千条の滝を見たり、ガラスの森美術館に行ったり、恩寵箱根公園を散歩したり。
エミリはずーっとすごいハイテンションではしゃぎ散らかしていたが俺は少々疲れた。
そして今は早雲山という所にいる。
「健太郎は行ったことあるの? 大涌谷」
首を横に振った。大涌谷は温泉の源となる火山に囲まれた谷。箱根の最も有名な観光スポットの一つだ。湯本から散々山を登ってたどりついた早雲山からさらにロープウェイで登っていく必要がある。あまり気が進まないがエミリが行ってみたいというのでロープウェイ乗り場に向かう。
「黒玉子っていう奴が有名らしいな」
「黒玉子?」
「大涌谷の温泉のお湯で作ったゆで卵だ。玉子の殻の成分と温泉のなんかの成分の化学反応で殻が真っ黒になるらしい」
「へー! 美味しいのかな?」
「なんでも、一個食うたびに寿命が七年延びるんだってさ」
「えっホントに⁉ すごいすごい! 健太郎! 絶対食べよう! イヤッター!」
エミリはバカではないが、確実に天然ではあるというのが俺の見解だ。
「強風のためロープウェイ運休……」
早雲山ロープウェイ乗り場に置かれた看板の文字を読み上げる。
そんななどと言いながら、エミリはがっくりと肩を落とした。
「仕方ないだろう。また今度くればいい」
「うん……絶対来る。黒玉子……」
へちまのようにうなだれている。大涌谷も罪な奴だ。
「夕飯どこで食べたい?」
このセリフを言った瞬間、あれ俺こんなんで良かったんだっけ? と思った。もっとアウトローで怖いお兄さんだったと思ったのだが。
「オススメのところ」
「そうだな。カレーとそばどっちがいい」
ふたつの店を頭に浮かべる。
「あっまてよ。辛いのダメなんだっけ」
「うん。そばにしようよ」
「とろろは大丈夫か? そこはとろろそばが名物なんだ」
「食べたことないからわかんないよ。どんな食べ物なの?」
「山芋をぐちゃぐちゃにすりつぶした、まっしろでドロドロの液体みたいな食べ物だ」
「あんまり想像がつかないね」
アゴに手を当てて上を向く。
「手とか顔につくと、かゆくなる」
「ええっ⁉ なにそれ! そんなもの食べて大丈夫なの⁉」
目をまん丸くして小さく飛び上がる。
「ちょっと胃がかゆくなるけど問題ない」
お腹を両手で抱えて、身を左右に揺らす。ガイジンは身振り手振りが大げさで面白い。
新箱根湯本駅に戻ってきた。電車の中でよく寝たので気分がよい。
もう夕焼けが焼ける時間だ。目的のソバ屋にてくてくと歩く。
相変わらず、この大通りは半分ヤケクソな活気に満ち溢れている。
エミリがワケワカラン雑貨や、三文博打に誘うオッサンにいちいち気を取られるのでそのたび手を引っ張らなくてはならない。
そのうち『はつ花』の看板が見えてくる。
純和風の作りの店の外には既に行列ができている。
「このゴジセイに行列なんてすごいね。よっぽどおいしいんだね」
「ああ。うまいよ。ちっ。もっと早く来れば良かった」
俺は早く進めよとイライラしていたが、エミリはニコニコと機嫌がよさそうだ。
――ようやく我々の番。
「ご相席で宜しければ」
店員の和服を着たおばちゃんが申し訳なさそうに言った。
「大丈夫だ。エミリもいいだろ?」
「いいけど。……なんかイヤな予感がする。この店から悪の気を感じる」
「ガイジンなのによくドラゴンボール知ってるな」
「二名様こちらへどうぞー」
エミリは憮然とした顔で非常にたどたどしい手つきでとろろそばを手繰っている。
「うまいか」
「おいしいけど後でかゆくなるのが不安」
「えーと湯舟? おまえはここ来たことあるのか?」
「ええ。何回か。湯舟じゃなくてさつきって呼んで欲しいなァ」
ご相席の湯舟さつきは豪快に麺をひっつかみ、吸い込むようにそばを口に運んでいく。
「箱根に来てどんくらいなの?」
「まだ半年です」
「箱根の前はどこにいたんだ?」
「実は『ラドン大黒』っていうグループ会社から出向してきたんです」
「へー!」
「健太郎さんとエミリさんは長いんですか? 箱根は」
「私はまだ二週間ちょっと」
「俺は一年ぐらいだ」
さつきはどんぶりを持ち上げて汁を飲みほす。
「ふう……今日は朝からお出かけだったんですか?」
「ああ。そうだけど、なんで知ってるんだ?」
「朝ヨセキを訪ねたんですけどいらっしゃらなかったので」
「ん? なんか用事でもあったのか?」
「お、お待たせしましたーとろろそばになりますー……」
店員がさつきの前にドンブリを置く。
「すいません、これ食べ終わったら話します」
「よく食べるなー」
「そうか、そうやっておっぱいに栄養を……! くっ、私はもう限界……!」
さつきはすでにとろろそば三杯と、カツ丼二杯と、カレーライスを完食している。
しかしながらその勢いは留まるところをしらない。これはエミリ以上の逸材だ。
「戦前はよく大食い大会とかテレビでやってたなあ」
「ウチの国でもやってたよ。今やったら大ヒンシュクだろうね」
小さな細長い封筒が二つ。赤いのと黄色いの。俺とエミリの前に一つずつ置かれる。
「なんかのチケット?」
赤い封筒を開ける。『レッド・オア・ブラック 招待券』の文字。
「芦ノ湖を就航している海賊船『ロワイヤルII』はご存知ですか?」
「ああ。観光用の遊覧船だろ? 乗ったことないけど」
「そうですそうです。その船上でですね、私たち箱根大黒のディーラーと、皆さんたち『温泉狂』の代表選手で勝負をするんです」
「ほほう」
「それで観客の皆さまにどちらが勝つか賭けて頂くんです。結構好評なんですよ」
「なるほど。まあ競馬みたいなもんか」
どちらかと言えば自分で勝負する博打の方が好きだが、まあたまにはいいかな。
「ええ。そうです。それでお二人が馬というわけです」
――エミリとポカンとした顔を見合わせる。
「いや、エミリさんが馬で健太郎さんがジョッキーって感じかな?」
なるほど。そういうことか。理解した。さつきと目をバチコーンと合わせる。
「つまり、また俺たちレッドアンドシルバーデビルと一戦やらかそうってわけだな。しかもなんだか大舞台で」
「はい。先日は仕留めそこないましたので」
さつきは凍るような笑顔を浮かべた。
さっきまで幸せそうにそばをすすっていた奴と同じ生き物とは思えない。
「このチケットなんにも書いてねえな。日程はいつなんだ?」
「日程はお任せしますが、招待されてから半年以内ということになっています」
「どうせいつもヒマだから、いつでもいいけどよ。競技は名前からするとルーレットか?」
「ルーレットでなくても大丈夫です。なんでも好きなものをご指定下さい」
「大した自信だ」
「賭け金はですね、通常のレートの他にトータルで負けた方が勝った方に定額を支払う賞金制、所謂『サシウマ』も握ってもらう形になります」
「ほう。それはいくらだ」
「一千万円です」
二人同時に飲んでいたお茶を毒霧のように噴き出す。
「イキぴったりですね。さすがコンビです」
さつきは顔についたお茶をハンカチで拭きながら苦笑する。
「ですので、そちらでも一千万円をご用意頂きたく存じます」
「そんな簡単に言わないでよ!」
エミリがさつきを指差して叫ぶ。
「いえいえ。お二人であれば一千万円なんて簡単に集められると期待しての、このチケットですから」
エミリが身を乗り出して文句を言おうとするのを手で制する。
「まあまあ。いいじゃねえか。一千万の直接対決。てめえらをぶっ潰すには最高のシチュエーションだ」
「そうですね」
「日程はさすがにまだ保証できねえが。競技は今決めてやる」
さつきを一直線に睨み付け、指をさした。
「麻雀だ!」
エミリは驚いた顔。
「この間のリベンジというわけですね? 楽しみです」
「いやリベンジではない。この間の旧ルールではなく新ルールでやらせろ。俺はあっちが本職なんだ」
「そうですか。もちろん問題ないですよ」
「だ、大丈夫なの?」
エミリが俺の腕を掴む。
「大丈夫だ。もうこいつの『イカサマ』のやり口は見抜いた。今度はああはいかねえ」
「ええっ⁉」
「へえ~」
さつきは頬杖をついて微笑みながら、俺の顔を無遠慮に凝視する。
「今度は完膚なきまでに、ボロゾーキンのようにめちゃくちゃにして、バケツで水被って土下座しながら、身の程知らずな私です、産まれて来てしまい申し訳ゴザいません、私は多感なお年頃です、すっごい欲しがりなメスゴリラです。と言わせてやる」
背もたれに寄っかかって仰け反り、さつきを指さしながらホザいた。
「……前回負けたのによくそんなにホザけるね」
「うるせえ! エミリ! てめえどっちの味方だ!」
「エミリさんがいなければ、ボロ負けでしたしねえ」
「そうだよねえ」
顔が赤五筒のように赤くなっているのが自分で分かった。
宿敵のさつきと仲良く夕ご飯を食べた後。
いつものように『ウミガメ』の受付横のソファーでコーヒー牛乳を喫する。
湯船からあがって髪を乾かしながらゆっくりと佇む。ここまでが入浴であり、温泉である。この工程をハブき風呂に入ってすぐ帰る奴は『温泉入り』として三流以下のチンピラ。マザーファッカーであるということが言える。
エミリはバスタオルを頭にグルグルっと巻いて、イチゴ牛乳を飲んでいる。
「なんか胃がかゆい気がする」
「それは気のせいだ」
首を捻ってお腹に手を置きながらストローに口をつけている。
「……それにしても。なんか変なことになったなあ」
ポケットから黄色いチケット袋を取り出す。チケットには『全館無料券』の文字と、マスコットキャラクターの『ネコハコ』くんのイラストが描かれている。
さつきがくれたチケット。もうひとつはユネッサンのチケットだった。
正式名称は『箱根小涌園ユネッサン』。温泉とレジャープールをミックスさせたアミューズメント施設だ。水着着用で『コーヒー風呂』や『ワイン風呂』などの変わった露天風呂や、温水プール、ウォータースライダーなどを楽しむことができる。戦前はカップルやファミリーに大人気で、箱根の観光施設の中でもトップの人気を誇っていた。
現代ではこんなものを楽しむ余裕のある奴は殆どいないが、箱根大黒が殆ど意地で経営を続けている。と、さつきが言っていた。
「あいつどういうつもりだろうなあ」
箱根大黒社員に対して無料チケットが大量に配られたので、三人で行かないか。とのことである。エミリが即快諾したため行く運びとなってしまった。
「どういうつもりかは気になるけど……どうしても行ってみたくてですね」
下を向いてモジモジしている。
「そういえばさ。あの人のイカサマを見抜いたって言ってたよね。アレはハッタリ? ほんとう?」
「半分ハッタリ、半分本当だ。あくまで推理。まだ確証はない」
「推理でもいいから教えて!」
「余計な先入観はない方がいいと思って言わなかったんだが」
「気になるじゃん! 教えてくれたらトイレブランチャ―はチャラにしてあげるから!」
「……おまえその切り札何回も使うつもりだな?」
それを言われると弱い。仕方がないので耳打ちしてやる。
エミリは目をまん丸にした。そしてなぜだか頭を抱えて唸った。
「あー! そっかァー! なんで気が付かなかったんだろう!」
アタマを左右にブンブン振っている。
「別にそんなにヘコまなくてもいいだろう」
「いや、あのね……実はさ」
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