第3話
午後三時にヨセキを出て新箱根湯本の駅に向かう。
道中、糖分が不足してきたため饅頭を買う。『箱根のお月様』という銘菓だ。お土産物屋でも売っているが、ここの饅頭屋のババアが作った出来立て熱々を食うのが一番旨い。
「ほら。食ってみろ」
二つ買ってひとつをエミリに渡す。奴は一口食べるや、目をキラキラさせて、残りを一気に頬張った。なぜだか誇らしい気持ちになる。
「今日はどこに打ちに行くの?」
歩きながら尋ねてくる。本日は湯本ホテルの地下賭場はお休みである。従って。
「宮ノ下だ。電車で行くぞ」
箱根登山電車に乗り込む。スイッチバックという方式で、進行方向を入れ替えながらジグザグに急斜面を登っていくことで有名だ。現在の日本で唯一動いている路線なのではないかと言われている。
――電車はゆっくりと走り、目的地に連れて行ってくれた。
「ちょっと酔うねこれ。電車自体あんまり乗ったことないもんだから」
「慣れれば平気だよ。たぶん」
宮ノ下は古めかしい家屋や、昭和な純喫茶、骨董品屋が並ぶノスタルジックな町だ。
本日の仕事場は、『フルハウス』という店だ。赤いレンガで出来たレトロでおしゃれなバー兼カジノ。名前の通りポーカーを専門にした、いわゆるポーカーバーだ。
「かわいい店だね」
「いいか。ここで出すワインとかウィスキーは結構うまいけどな。オリジナルカクテルの類は地雷だ。薦められても断固として断れ」
「う、うん」
重要な情報をアナウンスしつつ扉を開く。
落ち着いた照明の店内。カウンター席のみの小さな店だ。光沢のある黒色のカウンターテーブル。ここでディーラー兼バーテンダーとポーカー勝負を行う。白髪とサンタクロースみたいな口ひげの似合うダンディーなご老人。佐伯のじいさんだ。
「お。健ちゃん。今日は女ヅレ? 珍しいじゃねえか」
この辺りの賭場はみんなそうだが、この店を経営しているのは箱根大黒だ。つまりこの爺さんも一応箱根大黒の社員で、雇われ店長ということになる。
「よっしゃ! 今日こそはハダカにひんむいてやるぜ」
じいさんがカードを取り出す。
――ポーカーにおける、というかトランプ全般におけるエミリの能力。
ダイヤ、ハート全部に加え、この店の場合は、ジャック、クイーン、キング、ジョーカーの図柄にも赤が含まれるため(大抵は含まれるだろう)、ジョーカー二枚を含めた五十四枚中、三十四枚ものカードを見通すことができるわけだ。
(ははは……! こんなにチョろい博打は初めてだ!)
じいさんの機嫌がドンドンと悪くなっていく。
今日はコンビプレイの練習が目的だ。そのためエミリ自身はプレイしない。エミリに午前中に教えた『サイン』を出してもらいながら、俺がプレイする。
「健ちゃん! 今度こそもらうぜクソったれ! Aのスリーカード!」
「わりいな。ストレートだ」
マスターはおおうなどとウメきながら机に突っ伏す。次に引いてくるカードが分かるのでこんな手がポンポンと出来る。それに――
「よし! 勝負だ! 今度こそ!」
「わりい。今回はオリだ」
「ちっ! なんだ! ダイヤのフラッシュだったのによ!」
相手の手も大概分かる。相手の手の方が良ければオリればいい。
(サイコロ、トランプならまず負けることはねえ。そして……!)
「よおおおし! 勝負じゃあ! フルハウスじゃあ! テメーはなんじゃあ⁉」
「わりいわりいこんなのができちまった」
「ぎえええええ! ファイブカード⁉」
調子に乗って勝ちすぎて、キレたじいさんにツマみ出されてしまった。
野郎、老人のクセに短気な奴だ。
まだ十八時なのに外はすっかり真っ暗。そして肌を刺すように大気が冷たい。
今日の所はこれくらいにしておいてヨセキに帰ろう。宮ノ下駅に向かう。
「サイン大丈夫だった?」
エミリが尋ねてくる。
「何回も間違えてたぞ」
「うそ! ご、ごめんなさい」
「まあ最初だから仕方ない、次からは……」
「あっ! あの店! ねえねえ! あれテンプラだよね! すっごい美味しそう!」
俺の言葉を遮り、通りの反対側の店のディスプレイを指さす。
なかなかお目が高い。『じゅらく』という宮ノ下の非常に有名な天ぷら屋だ。
「俺油っこいもの苦手なんだ」
「えー……!」
エミリは捨てられた子犬のような悲しい顔をする。……なにかとても悪いことをしているような気分になる。
「わかったわかった! 行こうぜ! まあ、たまにはいいさ!」
エミリはパアっと笑顔になり、物凄い勢いで『じゅらく』に向かって走った。ホントに子供みたいな野郎だ。
暖かみのある電球の照明が店内を照らす。カウンター席が三席と、四人掛けの机が二つあるだけ。こじんまりと落ち着いた雰囲気の店内だ。俺たちは窓際の机に座った。窓の外には星が見える。
エミリは落ち着きなんぞクソ喰らえとばかりに猛然と天丼に箸を突っ込んでいく。
「そんなにうまいか」
「――!」
首を縦に振る。冬眠前のリスのようになっている。こいつほっぺたの肉柔らかいな。
俺もアナゴ天丼のでっかいアナゴに箸をつける。ふむ。たしかにうまい。衣がサクっと軽くアナゴの身はふわっと柔らかい。見た目よりさっぱりしており、油っこいのが苦手な俺でも結構いける。
「なあエミリ、おまえの国は今どんな……」
「――⁉」
「……ごめん食べ終わってからでいいや」
「すげえ食いっぷりだったな」
全部乗せ天丼三杯を完食。お腹をおさえている。
「うん! 憧れだったんだ。日本のテンプラ」
「向こうじゃ、どんなもの食べるんだ?」
「そうねーウチの場合は、お母さんと二人でお菓子屋さんやってたからね。甘いものばっかり食べてた。すごく美味しかったんだよ」
言葉とはウラハラに寂し気な表情。
「でもやっぱり戦争の後は全然売れなくなっちゃって」
「それで出稼ぎに?」
「まァ……そんなようなもんかな。日本では賭場がすごく盛ってるって聞いたからね。コレで稼げないかなーと思って」
自分の右目を指さす。
「ミッコウセンに乗ってフホウニュウコクしちゃった」
「大丈夫だ。今の時代、法律なんてあってないようなモンだから。箱根大黒にさからっちゃいかんという意外は」
「……『入国料』のこと思い出してムカついてきた」
机を拳でガンと叩いた。
「ロイスチェンの方の状況はどんなもんなんだ?」
ロイスチェン共和国。国土面積は四国と同じくらい。小さな島国だ。日本からは船で二時間ほど。海が綺麗なリゾート地として人気が高かった。
「もうよくわからないよ。テレビもラジオも見られなくなっちゃったから」
「日本と一緒だな。テレビもなけりゃ、ラジオもねえ」
「これもすっかりただのカメラになっちゃったし」
カバンから取り出したのはスマートホン。懐かしい。久しぶりに見た。
「母親は国?」
「お母さんは死んじゃったよ」
エミリはあっけらかんと言い放った。
「だってあの人私に食べさせるためにさ。自分は全然食べないんだもん。もう食べたなんてウソばっかり言ってさ。そりゃあ死ぬよね」
顔には微笑み。しかし机に一滴の涙が零れた。
「ホント言うとね。稼ぎに来たって言うよりは。ヤケクソで飛び出して来たようなもんなんだ。お母さんのいないあの国には。もういたくなかったんだ。思い出すから」
エミリは窓の外を見ている。
俺は。思い出せるだけいいじゃないか。と少し思った。
二十二時くらいには雑魚寝宿のヨセキに帰った。
まだ早い時間なのでみんな起きていて大変やかましい。
――チンチロリン! チンチロリン!
「ファッーーークス! またヒフミかよ! サノバビーーッチ!」
「よし、四でいいぞー四でいいから出ろよー四でいいぞーホントマジ四でいいぞー」
「はよ投げろボケ茄子!」
……とくに部屋の真ん中あたり。盛り上がってるなあ。
「ねえねえ。私もアレやってきていい?」
奴らがやっているのはチンチロリンという博打。
サイコロ三つを茶碗の中に投げ込んで振り、その出た目のパターンで競う。
「あれは運だけのゲームだ。セキトウガンが全く役に立たないからやめておけ。……その捨てられた子犬の目はやめろ! わかったよ! でも、五千円負けたらやめろよ!」
「うん! やめるやめる! 早く行こ!」
チンチロリンの盆には知った顔がいた。
「おお⁉ 健ちゃん、その子誰⁉」
霊柩屋だ。Yシャツ一枚に下はスパッツ。だらしねえ格好だ。
「健ちゃんの女……って雰囲気じゃねえですね。もしかして妹さんですか!」
「違うよ。コンビだよ」
エミリが回答する。
「コンビ? 漫才? よくわからないけど、可愛い子じゃねーですか!」
頭をグリングリンと撫で散らかす。エミリはまんざらでもない感じに目を細めている。
「名前は?」
「エミリ桜庭」
「エミリちゃん、チンチロリンやりにきたの?」
「うん。でもルール知らない」
「おっけーおっけーお姉ちゃんが教えてあげます」
霊柩屋はオッサンが振ろうとしているサイコロと茶碗をひったくった。
「あのね、こうサイコロを三つ振るでしょ。こんな風に三つバラバラだったら目なし。そんでです。こういう感じに目が二つ揃ったらね、揃ってない残りの目が出目になるんです。六六一なら一、こりゃあ弱い目だ。一一六なら六、こりゃあ強い目だ」
エミリは霊柩屋の説明を真剣に聞いている。俺が決めたサインも真剣に覚えようとしていた。案外、博打が性に合っているタイプなのかもしれない。
――さて。エミリの第一投だ。
「うりゃ!」
チンチロリンとサイコロが転がる。
「アレ? この場合って出目は『一』になるの?」
茶碗の中には赤い目玉が三つ。『一』『一』『一』。盆全体がザワめく。
「ひええええ! エミリちゃんパネエっす! こりゃあピンゾロっつってここのルールじゃあ賭けた金額の五倍もらえるんですよ!」
さらに。このとんでもない強運。ふむ。なかなか博打の才がありそうだ。
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