第2話

 風祭という所で野暮用を終え、再び新箱根湯本に戻って来た。すっかり遅くなってしまったが湯本ホテルに向かう。

 今夜の勝負。勝つために必要なモノはなにか。そう。甘いものだ。脳ミソに栄養を与えてくれるのは甘いものだけ。従って南口のロータリーにある、老舗の飴屋に向う。

 ――一袋三五〇円。ちっ。また値上げしやがったな。

 ジジイがシャベルみたいな奴で飴を掬い透明な袋に入れる。

「おい、白いのばっかり入れるなよ。ハッカは嫌いなんだ。なるべく赤い奴を入れろ」

 食料を手に入れて『新箱根湯本南口 霊柩車乗り場』に向かう。

 キンキラの神輿みたいなのがついた車に寄りかかって、タバコを吸っている女が一人。

「お。健ちゃんじゃねーですか。久しぶり。相変らず変な頭だね」

 特徴的なよく響く声。変なしゃべり方。そいつは『霊柩屋』と呼ばれていた。いつも通りバーテンダーかなんかみたいな変な制服を着て、やたらに長い黒髪を後ろで結んでいる。年は俺と同い年。このとき二十七歳だったか。

「乗せてってくれ。湯本ホテルまで」

「またですかい。死体以外を乗せると社長に怒られるんだがねェ」

「このあいだの麻雀の負け。三万円」

 言いながら手を差し出した。

「どーぞ! 乗って下さい!」

 彼女はタバコを咥えたまま運転席に座った。エンジンがかかる。

「今日の湯本ホテルの賭場って七時からじゃねえでしたっけ? 健ちゃんにしちゃあ、遅い参戦じゃないの?」

「ちょっと用事があってな」

 もう九時。あのガキにカラまれなければ八時には参戦できたのだが。

「なんの用事です?」

「別に面白い用事じゃない。墓参りだ」

「健ちゃんが墓参り⁉ 似合わねえー! 死神みてーなツラしてるのに!」

「うるせえよ!」

「はっ! まさか!」

 バカ女は運転中なのにモロに後ろを振り返った。

「ついに殺っちまったんですか⁉ 人を!」

「オマエをサツガイしてやろうか」

 窓の外を見る。今日も空は灰色に淀んでいる。

 第三次世界大戦争で発生した粉塵は太陽光を遮り、一年中冬のような寒さ。

 そんな事情により。

 ここ新箱根をはじめとした『温泉郷』から。ほんの少しずつ復興は始められた。

 従って、死にぞこなった日本人は虫みたいに『温泉郷』に集まった。

 その虫どもはその中からさらにほんの一握りの生き残りをかけて闘った。

 俺たちは『温泉狂』と呼ばれ、この時代は後の世に『温泉狂時代』と言われた。

 日本の歴史の中でも最も濃い闇の時代だ。

「最近、あのケチ社長の蛸野郎また給料減らしやがったんですよ! ひどくない⁉」

「しょうがないだろう。このご時世」

「でも月給九万ですよ! フルタイムで働いて九万!」

「それはちょいとひどいな」

「はあー……婚活しないと……」

「また古くせえ言葉を」

「だからさ健ちゃん。また合コンしましょうよ! とんでもねえ上玉がいるんですよ!」

「おまえの言うジョウダマはゲダマだから嫌だ」

「今度はホンモノですって! 後悔しますよ!」

 しかしながらこの霊柩屋みたいに、ノンキに構えた野郎も案外多かった。


 湯本ホテルは地上二十階建て、百五十以上の客席を有する超大型高級ホテルだった。戦前は富裕層の観光客相手にボロ儲けをしていた。

 だが無情。戦争が始まった途端、誰もそんなところに泊まる余裕のある奴がいなくなり、見事に経営は破綻。あんなバカでかい物体取り壊す金もない。憐れ、長らく無人ビルとして君臨し貴重な日光を無駄に遮っていた。

「へーい着きましたよー。まあせいぜい頑張ってね。買ったらご祝儀下さいよ!」

「一円もやらん」

 しかし半年ほど前。『大黒天グループ』の会社『箱根大黒』がこれを買取った。お値段たったの八〇〇万円というとんでもない投げ売りだったという噂だ。

 入口の回転扉をくぐり、地下に降りていく。そこにあるのは「広い」――と言うより「長い」御座敷。ここでは箱根大黒の主催で毎日のように賭場が開帳されていた。

 ――どおおと言う、地鳴りのようなザワめき。今日も大盛況のようだ。

中央には部屋を縦に分断するように、真っ白で、真ん中に黒い線が引かれた長―いシーツのようなものが敷かれている。これは『盆ギレ』と言われるものだ。盆ギレを挟んで北側にはズラーっと座布団が並べられている。博打客で殆ど満席状態。百人以上いるだろうか。俺はひとつだけ空いていた座布団に胡坐をかいて座った。

南側には入れ墨をしてサラシを巻いた、どうみてもヤクザで御座いますという連中、それにド派手な赤い着物の右側をはだけさせて肩を露わにした女がいる。

「ハイ、ツボをかぶります」

 女が掛け声と共に和風のランチョンマットみたいな奴の上に『ツボ』を伏せた。

 これは丁半博打。胴元(主催者)の『ツボ振り』と言われる奴が、サイコロ二つを、ツボと言われる湯呑みのような形状のものを被せながら振る。客はその合計値が奇数か偶数かを当てる。偶数だとおもったら『丁』、奇数だと思ったら『半』に張ればいい。

「さあー! ドッチモ! ドッチモ! 張った張った!」

 南側にいるヤクザみたいなのが客を煽る。『中盆』と言われる進行係だ。

俺は目を瞑った。俺の丁半のやり方は簡単だ。サイが振られたら目を瞑る。カンが働いて、瞼の裏に『半』と浮かんだら半に張る、『丁』と浮かんだら丁に張る。

――今回は何も見えないから『見』。どちらにも賭けない。

「半方ないか、半方ないか」

 金髪オールバックのサラシ姿の男が物凄い重低音で煽る。彼はああ見えてヤクザではなく、れっきとした箱根大黒の社員だ。天下の大黒天グループも落ちぶれたものである。

「コマが揃いました!」

「勝負!」

 掛け声と共に床に伏せたツボが開かれる。今日のツボ振りは珍しくババアじゃなくて若い女の子。栗色の髪をポニーテールに結んでいる。何回か見たことはある気がする。

「イチロクの半!」

 丁に張った奴の悲鳴、半に張った奴の歓喜の声が座敷に響き渡る。

 物凄い熱気。比喩ではなくアツい。これが『温泉狂時代』の闘い。

金持ちケンカせずなんていう言葉があるが、この貧しい時代は日本のギャンブルの歴史上はまさに大黄金時代であった。博打が強ければ生き、弱ければ死ぬ。そんな時代。

そしてこの俺は。博打の力で。人生の巨大な敵に立ち向かっていた――


「赤い髪のおニイさん。張らなくていいのー?」

 ツボ振りの女がこちらを見てなんだか気の抜けるようなぽわーっとした声で言った。その日俺はちっとカンが働かず、もう三十分ぐらい一度も張っていなかった。

「張りたいときに張るさ」

……とはいえあまり逃げすぎるのは気勢が削がれてよろしくない。

「ハイ、ツボをかぶります」

 サイが振られる。俺は目をぎゅっと閉じた。うーむ『半』と浮かんだような……。俺は盆ギレの、黒い線を挟んで手前側、大きく『半』と書かれた側に二万円を置いた。半に二万円を張ったことを意味する。

「コマが揃いました!」

「勝負!」

 ツボが開かれる。赤い目玉が二つ。『一』のゾロ目だ。

「ピンゾロの丁!」

 二万円が回収されていく。ちっ。思わず舌打ちが出る。あの女が余計なことを言うからだ。夕方出会ったガイジンの娘といい、今日は女難の日だろうか。

(……そういえば。あのガキはどこだ?)

 座敷をキョロキョロ見回すが、ちょっと人が多すぎてわからない。


 ――二十三時。エレベーターでホテルの最上階に向かう。そこには露天風呂がある。賭場の利用者は入場無料。利用しない手はない。勝負はまだ途中だが、今日は既に十五万以上トバしてしまった。ツカないときはインターバルを取るのが一番だ。

風呂の入口には『ゆ』の文字が書いてある暖簾が二つ横並びになっている。左側が青地に白で、右側が赤地に白で書かれている。なるほど。分かるけど分かりづらい表記だ。ノゾキはそんなに面白いと思わないので左側に入った。

――強烈な硫黄の匂い。他に入浴客はおらず貸し切り状態。これはラッキーだ。

岩を並べた丸い湯船は真っ赤なお湯で満たされている。いわゆる赤湯だ。血に浸かっているような気分になれる、妖しい魅力がありコアなファンが多い。俺も好きな方だ。ビルの屋上というロケーションも相まって神秘的な趣があってなかなかよい。

体を流し、しかるのちにゆっくりと足を投入していく。

「ハァ……ツカねえなあ今日は」

湯船に入って星を眺めていると、どんどん眠気が襲いかかってくる。このまま寝てしまいたくなるが、そういうわけにもいかない。このまま全くいい所なく退いてしまっては自信を失う。それは博打打ちとして致命的なことだ。とはいえ。今日はちょっと悪すぎる。インターバルを取ったくらいではおそらくダメだろう。なにか打開策が必要だ。

――などとぐちゃぐちゃ考えていると。脱衣場からバタンとロッカーが閉められる音がした。誰か入ってくるらしい。気づけばもう三十分以上入っている。そろそろ出ることとしよう。マッサージチェアもやりたいし。

 俺が湯船から立ち上がった所でそいつは風呂場に入ってきた。

銀色の長い髪。灰皿みたいに真っ白な肌。ギョロっとした大きな瞳に長いまつ毛。だいぶん幼児体型な、どっかで見た女の子――

「あー! ヒ、ヒイイ!」

 そいつは声にならない甲高い声を上げ、風呂場を去っていった。


 脱衣所で浴衣に着替え廊下に出ると。銀色頭の少女がいた。可愛らしい桃色の浴衣を着ている。俺の顔を見るや真っ赤になってふくれっつらをした。

「なんで女湯に入ってるの⁉」

 外人サンに日本の常識を教えてやることにする。

「いいか。この布。暖簾というものだがな、これが青い場合は男湯、赤い場合は女湯を意味する。普通は『男』『女』と書いてあるけど、たまにこういう表記の仕方もある」

 のれんを指さしながら教えてやった。少女はちょこちょことのれんの近くに走り、顎に手を当てて怪訝な顔をしながら、のれんを凝視している。

「だって八時ぐらいに入ったときは、左が女湯って聞いた」

「日本の温泉はな。時間帯によって男湯と女湯を入れ替える場合がある。今の日本じゃあ重要な知識だ覚えておけ」

「うーん……。じゃあ、ごめん」

 言葉とは裏腹に俺のスネに軽く蹴りを入れてくる。

「でも私のハダカ見たからチャラ」

 顔を赤くしながら言った。なんだかよくわからない理屈だ。

「わかったわかった。初めっから怒ってねえよ。別に」

 廊下の自販機でコーヒー牛乳を買い、近くのベンチに腰掛ける。

「あの……夕方はありがとうね」

少女がコクンと頭を下げながら言った。

「おお。でもその様子じゃあもうスッちまったか?」

 ボロボロの赤い折りたたみ財布を懐から取り出した。

「ごめんなさい。まだ二十倍になってないの。これだけ先に返しマス」

 ――奴は財布から十万円を取り出して俺に渡した。

「今日はもう眠くなっちゃったから寝ようかと。明日また――」

「か、勝ったのか⁉」

 少女はこともなげに頷いた。

「……おまえなにもんだ?」

「エミリ桜庭(えみり さくらば)」

「別に名前を聞いたわけじゃないけどな。ハーフ?」

「お母さんが日本人でお父さんはロイスチェン人」

「どうりで日本語がうまいと思った」

――まァ、こいつの名前や国籍などどうでもいいが。重要なのはこいつが今夜めちゃくちゃツイているということ。負けが込んでいるときは、一旦自分で考えるのは放棄して、ツイている奴に乗っていくというのもひとつの手だ。

「なあ、エミリとやら。金はまだ返さなくていい。俺と一緒にもう一度稼ぎに行かねえか。ツイてるときはとことん攻めるのが鉄則だぜ」

「……そうだね。うん。いいよ。なんか目ぇ覚めちゃったし」

「よし。じゃあ行こうぜ」

「あっ、でもまだお風呂入ってない」

「一回入ったんだしいいだろう」

「やだ! 入りたい!」

「……わかったよ。じゃあ早く行ってこい」

「うん。じゃあちょっと待っててね。えーっと……?」

 俺を指差しながら。

「星月健太郎(ほしづき けんたろう)だ。名字は嫌いだから下の名前で呼べ」


 地下への階段を降りるとすごい歓声が聞こえる。盛り上がっているようで大変結構だ。

 ちょうど部屋のど真ん中の座布団が二つ空いている。そこに座った。

「ハイ、ツボをかぶります」

 サイが振られる。

「さあー! どうよ! そちらの外国の可愛いバクチ打ちさん! 女は度胸だよ!」

 中盆の連中が煽るが、エミリは正座の体勢で全く無表情。微動だにしない。

「半方ないかないか、半方ないか」

 俺もエミリに合わせここは『見』に回る。

「コマが揃いました!」

「勝負!」

「シロクの丁!」

 時刻は深夜の零時。一番盛り上がる時間帯だ。ものすごい歓喜の声、悲鳴が座敷に響き渡る。しかし俺の隣の少女はまるで関心がないかのように無表情だ。

「ハイ、ツボを被ります!」

 再びサイが振られる。やはりエミリは膝に手を置いて無表情。なるほど。俺と同じで勘が働かない時は徹底して『見』に回るタイプか。

 まあ付き合うとしよう。少なくとも一回はこいつに乗っかかって、流れを変えると決めたのだから。俺は足を崩して胡坐をかいた。


 ――欠伸をしながら時計を見る。零時半。

「いいかげん、賭けねえのか」

「賭けるときは賭ける」

 この一点張である。俺も勘が働かない時は三十分ぐらい賭けない時がないわけじゃない。しかしエミリはまるで人形のように、動きも表情の変化もない。勘を働かせようとしている気配が見えない。初めっから賭ける気がさらさらないような構えだ。

 ギャンブルでは一度決めた方針をコロコロ変えるとロクなことがない。兎も角こいつが動くのを待つしかない。大変モヤモヤ、ヤキモキする。

(ま、――じっくり待つしかあるまい)

ショルダーバッグから駅前で買った飴を取り出す。黄色いレモン味のものを口に含む。エミリが首をぐりんとひねってこちらを見た。

「一個ちょうだい」

 そう言って十円玉を渡してくる。タダでくれと言わずにスジを通すのは好感が持てる。快く飴の袋を渡してやる。しかし。

「……おい。ちょっと待て」

 飴を一つ取り、口に運ぼうとするエミリを静止する。

「赤いのはダメだ」

「えー?」

 赤い玉はイチゴ味。言うまでもないことだが飴玉の中で一番旨いのはイチゴ味だ。

「お金払ったのに」

「ダメだ! イチゴ味以外にしろ!」

「ずるい!」

俺を獣のように睨み付ける。たかが飴玉のことでムキになってまるでガキだ。

「……じゃあこうしよう」

 いいことを思いついた。夕方の勝負の延長戦だ。

 俺は袋から赤玉と、あまりうまくないハッカ味の白玉を取り出した。

 それを左右の親指で同時に弾いて空中に飛ばす。落下してくるそれを、両の手をクロスさせるようにして高速で動かし、キャッチした。

「どっちが赤玉だ」

 右手に赤玉、左手に白玉を握り込んでいる。だが、奴にはその逆にしか見えなかったはず。俺には麻雀で鍛えた手品師顔負けの手さばきがある。その程度のことは朝飯前だ。

「当てたら赤いのをやる。外したら白いのでガマンしろ」

「こっち」

(バカな!)

 エミリは俺の右手を人差し指で触った。クソ! 虎の子のイチゴ味を取られる!

(そうはいくか!)

――俺はゆっくりと右手を開いた。

「残念。こっちはなんにも入ってないぜ」

手を開く前に玉を浴衣の袖の中に落としてやった。危ないところだった。滝のように冷や汗をかいた。

「そでの中」

 エミリは俺の浴衣の袖に手を突っ込んで、飴玉を取り出し、口にほおりこんだ。

「あ、すごくおいしい。どこで買ったの?」

「ま、待て! もう一回勝負しろ!」

「兄ちゃんら賭けないなら帰ってくんねえかなあ」

「うるせえ! 殺すぞ!」

「す、すいません!」

 ――三十分後。

「……最後の勝負だ」

 虎の子のイチゴ味はドンドン奪われとうとう残りひとつになってしまった。

「もうやめておけばいいのに」

 エミリの頬は飴玉でリスのように膨らんでいる。

「ふざけんな! 負けたまま終われるか!」

 飴玉を二つ。親指で弾き空中に放つ。

「ハイ、ツボをかぶります!」

 それと同時にサイが振られた。

「うおおお!」

俺は手が八本に見えるくらいの殆ど音速に近いスピードで太極拳の先生かなんかのように両手をめちゃくちゃに動かしながら両飴をキャッチした。

「さあどっちだ!」

 夕方のコイントス勝負といい、今の飴玉当て勝負といい、こいつが並じゃない目を持っていることは認める。だが。今度こそ。今度こそ見えなかったはずだ。

 ――しかし。エミリはこっちを見ていない。ツボを見ている。そして財布から札束を取り出して、盆ギレの『半』と書かれた側に置いた。

「おーっと! 謎のガイジン少女がついに動いたぞ! 半に十万円入りました!」

 なんだこのタイミングで賭けるってのか。なんてマイペースな野郎だ。俺は慌てて飴玉を握ったまま、床に置いていた二万円を『半』に置いた。

 まったくもって変な奴。十万円の大張りをしているというのに、全く緊張した様子がない。そしてヤツは俺の握りしめた右手をそーっと開き、赤い飴玉を口に運んだ。

「コマが揃いました!」

 賭け金が確定する。

「勝負!」

 ツボが開かれた。

「イチロクの半!」

 出目は『一』と『六』。

 俺の目の前に勝ち金が置かれる。――ひさびさの勝利の味だ。

 エミリの目の前にも勝ち金が置かれる。

「ありがとう」

 微笑みかけて、お礼なんか言うものだから中盆の男が困惑している。

「ハイ! ツボをかぶります」

 そして再びサイが振られる。

「おおっと! 二十万! 二十万入りました! 丁に二十万!」

 エミリはさっき賭けた十万と、勝ち金の十万をそのまま丁側に移動させた。

(この野郎……!)

俺は財布から札をひっつかんで抜き取った。そしてそれを盆ギレに叩きつけた。

「丁にえーっと……三十万! 上限額が入りました!」

 座敷全体がどおおっとざわめく。

 俺達に触発されるように、次々と札束が盆ギレに叩きつけられる。

「おー! すごい! 本日最多額じゃないか⁉」

 ――熱狂。しかしエミリの表情はまるで波一つ立たない水面のようだ。

「コ、コマが揃いました!」

 ウオオオという歓声が座敷に響き渡る。まるでプロレスかなにかの会場だ。

「勝負!」

 場が静まり返る。ツボがゆっくりと持ち上げられる。ツボの下には真赤な丸が二つ。

「ピ、ピンゾロの丁!」

 丁に張った奴の歓喜。半に張った奴の悲鳴。

俺はググっと右手の拳を握りしめた。エミリはそれを見てにっこりと微笑んだ。


 午前四時。外はまだ真っ暗だ。汚い空に星や月が輝いている。

 湯本ホテルの近くの「エビ屋」という居酒屋のテラス席に座る。(ただ単に屋根がない席とも言う)照明はぼやーっと光る卓上提灯のみ。腐りかけた木の机に、塩、コショウ、唐辛子、醤油、メニューが書かれたペラ紙なんかが乱雑に置かれている。

「十八、十九、二十……。はい! 二十万円! ありがとうね」

「いいよ。こんなに。一万円だけ返せ」

 こいつはあの後もペースを乱すことなく、とてつもなく慎重に張り連続的中。最終的に百万近い大勝をして見せた。

「いいの? 助かりマス……!」

 はっきり言って異常な勝ち方だった。――間違いなく『イカサマ』。

そしてそのタネも、もうアタリはついている。但しまだ確証がない。

さて。どうやって確かめるか。

「ご注文お伺いしまーす」

 エプロンをした女の店員がやってきた。

「中ジョッキ」

「このホット赤ワインっていうやつ」

「ナチュラルに酒頼みおって。不良娘め」

「私ハタチだし!」

「マジで⁉」

「あと、ポテトフライ」

「しかし、食い物は子供っぽいチョイスだな」

「うるさいなー。あとね、トマトサラダ」

「牛筋の煮込み」

「牛筋の煮込みは普通のと激辛のがありますが」

「ん? じゃあ激辛で」

「えっやだよ。わたし辛いの食べられない」

「好き嫌いをするな」

「そういう問題じゃないよ」

 などとごちゃごちゃ揉めていると。店員がニコっと笑ってこうホザいた。

「お兄ちゃんが譲ってあげたらどうですか?」

「……普通のでいい」

 めんどくさくなった。別にそんなに辛いのが好きってわけでもない。

「りょうかいですー以上でよろしいですかー?」

 俺が頷くと、店員は帰っていった。

「ありがとう、お兄ちゃん!」

 エミリはクソ生意気な顔で二ヒヒと笑った。


「お待たせしましたー。ポテトフライ、トマトサラダ、それから牛筋の煮込みでーす」

 料理が届いたとき。エミリはもう机に突っ伏して寝ていた。ほっぺたをつつく。

「飯来たぞ」

 顔を上げてトロっと目を開いた。

「おはよう」

 体を反らせてノビをした。

「ちょっとトイレ」

 ふらふら~っと歩いていく。

二十歳だと言っていたがまるで子供だ。なんとなく死んだ弟の小さい頃を思い出す。

徹夜で博打を打っていると案外腹が減らないものだが、料理を目の前にしたらさすがに腹が減ってきた。牛筋の煮込みに七味唐辛子を振ろうと容器を手にする。

(あっ、あいつ辛いのダメなんだっけ)

 唐辛子の容器を元に――

「……待てよ」

 ――思いついた。これはいいアイディアだ。

 奴がナニモノか。そいつを確かめる方法を思いついた。

 俺は七味の小さい容器を外からは見えないように手に握り込んだ。

 ――ほどなくして奴は帰ってきた。

「よお。おかえり」

 そう言いながら、七味を牛筋の煮込みに振りかける真似をして見せた。

「……あっ! やめてよ!」

 エミリは子供っぽいふくれっつらをして言った。

「辛いのダメだって言ったじゃん!」

 ――かかった! 俺は七味の容器をすっぽりと包み込んだ右手を奴に突き付けた。

「なんでこれが唐辛子だとわかった」

 エミリはイタズラがバレた子供のように顔を青くした。

「ははは。そんな真っ青にならなくてもいい。まあ座れよ」

 グラスにワインを注いでやる。『イカサマ』野郎の尋問の始まりだ。

 

「コイントス対決に、飴玉のイチゴ味当て対決」

 エミリはケチャップをつけながらポテトをつまんでいる。

「最初はな、単に異様に目がいいだけだと思ったよ。だがな。飴玉当ての最後の一回。おまえは俺の手元なんか見ちゃいなかった。それなのに当たり前のように正解を選んだ」

「う……」

「もしかすると。まさかとは思うが。おまえは『目がいい』のではない。モノを『透視』できるんじゃないか。俺はそう仮説を立てた」

 空いたビールのジョッキごしにエミリの顔を透かし見る。

「でもな。それだとひとつ説明がつかないことがある。それはおまえのあの異様なまでに慎重な『見』だ。透けて見えるんだったらさっさと賭けちまえばいい」

 エミリは下を向いてワイングラスに口をつける。

「お前の能力を確信したのは丁半勝負が終わったあとだ。お前が今日当てたのはすべて、『一、一』『一、六』『六、六』の目。そしてそれ以外のときは一切賭けなかった!」

 エミリをビシっと指さした。

「サイコロの目ってのは必ず対になる面の合計が『七』になるようになっているからな。『一』の『赤色』の目の位置が分かれば『六』の目の位置もわかるって知っていたか?」

 奴はアタマを抱え、机に突っ伏した。

「そして、ワザワザ国から持ってきたあのヘンテコな『赤』と銀のコイン。飴玉の色も『赤』だったなあ。なるほどなるほど」

 そう言いながら。俺はサラダに入っているプチトマトを、透明なジョッキの中に落とした。そいつを指さしながら。おまえには、これができるんだな? と問うた。

エミリは顔を上げつぶやいた。

――そうだよ。私の両目からは。『赤』は隠せない。

「……信じられない。バクチウチの人ってみんなあなたみたいな観察眼を持ってるの?」

「まァ聞いたことがあったんだよ。おまえみたいな『目』を持った連中がいるってな」

「ナルホド……参ったナ」


 ――一時間後。エビ屋を出た。午前五時。外はまだ暗い。

 うっすらとした星と月以外、なんの灯りもない道を歩いていく。虫の声だけが聞こえる。こんな静かで心地の良い夜は少し前なら考えられなかった。皮肉なものだ。

「おまえはチビの癖によく食べるな」

「チビじゃないし! まだこれから伸びるし!」

「やっぱり赤い食べ物の方がうまく感じるもんなのか?」

 エミリはあのあと、マグロの刺身、有頭エビの塩焼き、冷やしトマト、さらにはシメのイチゴのアイスまで注文していた。

「うん。食べ物だけじゃなくて、なんでも赤いモノの方が好き」

 自分のピンク色のパーカーや赤のスカートを指さす。

「そのアタマもいいと思うよ」

 俺の髪の毛を指さす。

「言っておくが地毛だぞこれは」

「それに顔も赤いよね。今はお酒飲んでるから余計にだけど」

「……体温が高いんだ俺は。体がよええから」

「またまたあ。あなたは好きな色とかある?」

「えっ? あんまり考えたこともないが。まあ銀色かなあ」

 今も銀色のジャケットを着て、シルバーのネックレスなんぞしている。

エミリは自分の銀色の髪を触り、照れくさそうに下を向いた。

……無論、そういうつもりではない。別にいいけどさ。


 エビ屋から歩いて十五分ほど。ハイパーエレガントイン・ヨセキに到着した。俺は大抵ここで寝ている。家がない奴は大体みんなそうしている。

「面白いね。ここ」

 ハイパーエレガントイン・ヨセキは国内最大級の高級雑魚寝宿。らしい。部屋は百畳以上あるという、バカ広い畳の大部屋がひとつあるのみ。受付で宿泊料金五百円を支払うと、布団が渡される。勝手に敷いて寝ろというわけだ。それを担いで大部屋に向かう。

 エミリは案外力があるみたいで布団を軽々と抱えて歩いている。

 大部屋についた。高級とほざくだけあって掃除は行き届いているし、暖房もきいている。部屋は満員状態だったが、時間が時間だけにみな寝静まっていて静かなものだ。

 俺たちは隅っこの辺りに、布団をズババーンと畳に叩きつけた。

「ふかふかだね。布団」

「まあな。五百円も取るだけのことはある」

 ダイブするようにして布団に横になった。


――布団に入ってどれくらい経ったか。

「よお。まだ起きてるか」

 寝っ転がったまま、反対側を向いている、エミリのケツに蹴りを入れる。

「イタイ」

「明日からどうするんだ」

「まだ決めてない」

「そうか……。なあ。それならさ……」

「なあに?」

 さきほどから言おう言おうと思っていたセリフを言い放つ。

「俺とコンビを組まないか」

 エミリは寝返りをうってこちらを向いた。俺の目をジッと見る。銀色の髪がぐちゃぐちゃに乱れ、大きな瞳が少し潤んでいる。なるほど。黙っていればちゃんと二十歳の女に見える。布団にはいっているから体型も隠れているし。

「コンビって?」

「ん……なんて言ったらいいんだろうな。要するに今日みたいに一緒に博打を打ってくれればいいだけだ」

 組むと言っても。俺がこいつの能力を利用してやりたいだけだ。こいつにはメリットはないだろう。ダメモトだ。おそらく断られ――

「いいよ」

 エミリはあっけらかんと言った。うっすらと微笑んでいる。

「ず、ずいぶん快諾だな」

「だって組んだ方がいいって思ったから」

「なんでだ? 勘か?」

「違うよ。勘じゃない。私はね、赤がラッキーカラーなの」

 俺の顔を無遠慮にじーっと見つめる。ガイジン特有の遠慮のない視線。

「そうか。ならとりあえず明日、一緒に出掛けるか」

「うん。ねえ。明日さ、箱根そば食べたい。どこが美味しいの? あと寄木細工ってやつも見たいな。ユネッサンってゆうのは今でもあるの? あとね。アシユも気になる」

 マシンガンのように捲し立てる。

「わかった。わかった。おいおいな」

 遠足の前日の子供のように目を輝かせている。俺はまた。弟のことを思い出した。

 ―――うーむ。利用してやるつもりが逆にエライ荷物をしょいこんではないだろうか。

「明日からよろしくね」

 布団の中から左手を差し出してくる。握手を求めているのだろうか。

「左利き?」

「うん」

 俺はその小さな手を握り返した。

「そうだ技名をつけないとな」

「技名?」

「ああ。その赤を見通す技。せっかくの唯一無二のオリジナル必殺技だからな。つけないと勿体ないぞ」

「そういうもんなの?」

「ああ。日本の文化だ。俺は自分の博打における得意技には全部名前をつけている」

「じゃああなたが決めてくれていいよ」

「そうだなあ……『セキトウガン』ってのはどうだ」

「どういう意味?」

「二つ意味がある。まずは赤を透視する眼だから、赤透眼。それからな。おまえと初めて会ったのが、赤いお湯の岩風呂だったから、赤湯眼。岩のガンってのもかかってる」

「うーん……ちゃんとした名前があるんだけどなー『クリアカラーファキュリティー』っていう」

「そうなのか⁉」

……悔しいが。ちょっとシャレおつな名前だ。

「勝手な名前つけると『インターナショナルクリアカラーファキュリティーアライアンス』に怒られるよ」

「なにそれ!」

「これ、コンベンションに出席するともらえるバッチ」

「ダサ」

「ダサくないし! ……でも。もうやらないかなあ。わたし以外に生きている人がいるのかもわからない。楽しかったのにな」

 エミリの左手にギュっと力が入る。……コレいつまで握っていればいいのだろう?


 ――昔の夢を見た。もう三年くらい前のことになる。

 施設で暮らしていた俺の元に一通の手紙が届いた。

 封筒の中身を見る。目に飛び込んできたのは、えんじ色の髪の毛をツインテールに結んだ、でっかい目をした女の子のイラスト。赤髪ちゃんというキャラクターらしい。

 彼女が喋るフキダシにポップ体で書かれた『大黒天軍に入ろう!』の文字。

日本最大の企業である『大黒天グループ』が発行する、召集令状――いわゆる赤紙だ。

国家が発行しているわけではないので法的な拘束力はない。しかし無視すると怖いお兄さんにボコボコにされた上に罰金まで取られるという不思議な紙だ。

 俺はそれを破り捨てた。細かくチギって灰皿にぶち込んで燃やした。

 そして、施設を脱走した。――俺の博打渡世はここから始まった。


 人類が最も『滅び』に近づいた第三次世界大戦。

これは『国家』同士の戦いではなかった。

国家など問題にならないほどに巨大化した『企業』同士の戦いだった。

 日本代表『大黒天グループ』VSアメリカ代表『トリニティサイエンス』。

 両者は二年間にも渡り、一歩も譲らない死闘を演じた。迷惑なことに。

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