第31話
時刻はもう零時を回っていた。
「ねえーどこまで行くのー?」
ユウヤくんはご機嫌な様子で『今宵の月のように』という古い歌を口ずさみながら車を走らせている。もうかれこれ三時間くらい。
「もうちょっと」
外にはひたすらに真っ白な砂漠が広がっている。『静かの海開発区』のまだ開発されていない区域なのだそうだ。
「どこに連れて行こうってのよ」
空を見上げる。地球じゃ考えられない満天の星空。でもいい加減見飽きてきた。
「いいからいいから。着けばわかるよ」「アナタはそればっかりね」
溜息をつきながらアルティメットホンに触り、『MOON SPORTS LIVE』のサイトにアクセスした。
「んん?? あああーー⁉」「ど、どうしたのラナちゃん」「ちょっと見てよこれ!」「運転中だから見れないって」「視聴者数が大変なことになってンのよ!」
本日の試合の視聴者数八六〇二三。一瞬桁を見間違えたかと思った。
「ほーお! すげえ!」
「八万って言ったらアナタ、アントニオ猪木の引退試合の観客動員数以上じゃない! やった!」両手を振り上げる。
「まあそのうち一人はラナちゃんだけどね」
電波さえあればどこでも見られるから便利だ。リングの下でも。
「リングの下、電波なかったらどうするつもりだったのよ」
「それは最初にリング下に隠れたとき、既に確認してた」
「そんなときから私を乱入させる計画を立ててたわけ?」
憎たらしい笑顔で頷いた。
「ラナちゃんが協力してくれるかどうかは五分五分だと思ってたけどね」
「まあ……その……一回乱入をやってみたかっただけ!」
応援している方に乱入して加勢する。プロレスファンの共通の願望ではないだろうか。
心から応援している選手であればあるほどよい。
「最後持っていかれたのは完全に計算違いだったけどな! あームカツク!」
ニコニコしながら怒りの言葉を発する。
「大して悔しそうじゃないねえ」
それはいいが。これから私はレフェリーとしてどう立ち回ればいいのだろう。悪徳レフェリー・ラナ。そのキャラクターについて十分に検討する必要が――
「おっ着いたみたいだ」
そういいながら車を停めた。私の手を引いて車から降ろす。
「なにもないじゃない」
目の前にはやはり真っ白な世界が広がるのみ。周りになんにもないせいか大変寒い。
「あるよホラ」
彼はなにもない空間をペタっと触った。
「ああ。ドームの端っこなのか」
よくみれば透明な壁が私たちのゆくてを塞いでいる。
彼はポツリと口を開いた。
「ここはね。月の果てって言われてるんだ」
「果て?」
確かに現状開発されている部分の一番端なのだろうけど。まだその範囲は月全体の三%にすぎないと聞いている。
「ここから先は開発する計画がないんだって」
「えっ⁉ なんで⁉」
「これ以上はね。開発をしても赤字が出るばっかりだからって。ニュースで言ってた」
「そんな! だってただでさえ月の人口密度ドンドン増えてるのに! 開発しないでどうすんのよ!」
なぜだか興奮してユウヤくんに詰め寄ってしまった。
「オレに言われても」
「ご、ごめん」
「まあどっちにしろ。ここまで開発するのにあと八十年かかるらしいからさ」
彼は砂の上に胡坐をかいた。
「だからどうってこともないんだけどさ。なんとなく閉塞感ってものがあるんだよな」
「そっか。それで月の人ってちょっとピリピリしてる人多いのかねえ」
でもキモチは分かる気がする。と付け足した。
「だからさ。ゼッタイウケると思ったんだ」
「へ?」彼は頭がいいのでたまに話の展開についていけなくなることがある。
「『ルナ・エクリプス』のキャラがさ。やりたい放題暴れて、全てをぶっ壊す。名前もいいだろう? 『月食』なんてさ」
そういいながらドームに軽くパンチを打ちこんだ。
(なるほど。閉塞感をブチ壊してくれるキャラがウケる……か)
それは月に限ったことではないかもな。地球でもトランキーロ内田なんてヤツが大人気なくらいだ。
「それにさ。ラナちゃんが言ってたじゃない。『アナタの素の性格をリング上でモロ出しにすればいい』って。そうすれば必ずお客さんにも支持されるって」
「アレがあなたの素なのォ?」
私もペタっとドームをさわった。
「一面ではね。俺って暗くてネガティブな所あるだろ? そこをああいう形でヒョウゲンしてみました」
「じゃあ。今日のあの大歓声は。アナタの狙い通りだったって言うの……?」
ニヤりと笑って親指を立てる。あそこまでとは思わなかったけどと付け足した。
(すげえヤツ!)
でもドヤ顔がムカついたので。文句をつけてやった。
「そんな理由だけで観客はアナタを応援したわけじゃないと思うなー」
ムッとした顔で「じゃあなんで」と尋ねてきた。
「ユウヤくんが必死に闘ってたからでしょ。それも今までの自分を変えて。リスクを負って。それにみんな共感して。憧れて。あんなに必死で応援したんじゃないの? 自分自身を応援してるみたいにさ」
彼はニコっと笑って私の頭を撫でた。
「それはラナちゃんがそうだったってこと?」
「ぜ、全然違うわバカ! 死んじゃえ!」
顔が熱い。このクソ寒いのに。
「そ、それにしたってさ! キャラチェンジするなら事前に社長やアラタくんに相談してからにすればいいのに! みんなめっちゃ心配してたよ!」
「もしそうしてたら。今日の試合。あんな緊張感のある試合になったと思うか?」
溜息とともに笑いが出る。
「ユウヤくんも大概。プロレスバカね」
彼は髪をかき上げながら「当然だな。ニワカかもしれないが俺のプロレス愛は並大抵じゃない」などとホザいた。
「これからはどうするつもりなの?」
「どうって。これからも暴れてやるさ」
「もう事務所には帰らないの?」
「当然。悪役とそれ以外は別行動。ネオジャパンプロレスだってそうしてるんだろう?」
一回、アラタとは話しておけ。そうアドバイスをした。それから。
彼をビシっと指さした。
「でもね。これからが難しいよ! 悪役なのにチャンピオンになって。しかも大声援を浴びちゃっている。この矛盾をどうするか。事実上の善玉になっちゃったら悪役の価値がなくなるでしょ?」
「うーむ。確かにそうだなァ」頭をポリポリと掻く。彼のクセだ。
「それに。今のキャラでもまだ『自分の素』を出すって点では十分じゃないと思うよ。ユウヤくんには茶目っ気があって明るい一面もモチロンある。そういう部分も小出しにしてみてもいいんじゃない? アナタが大好きなトランキーロ内田なんてその辺うまくサジ加減使ってるよ。参考にしてみれば?」
彼は私をジーっと見つめる。
「な、なによ」
「いや。ごもっともだなと思って。キミは他人のことだと随分頭がまわるんだね」
「ど、どういう意味?」
「自分はこれからどうするつもりなのかなーと思って。プロレスラーとしてだよ」
……心の柔らかい所をぎゅっと握られたような気分。
「俺言ったよね。『オマエに出来ないコトは俺にもできない』って」
「そ、そんなこと言ってたっけ?」
――もちろん覚えている。
「今日。俺は『出来た』ぜ。じゃあラナちゃんにも出来るんじゃないのか?」
私を睨み付ける。
「俺がやったことは。みんなキミに教わったことだぜ。キミに教わったワザ、キミが見せてくれた試合、キミが教えてくれたプロレスの大切なこと」
彼と初めて会ったときのことを思い出す。あのときの彼はプロレスのことなんてなんにも知らなかった。
「それに言ってたじゃないか。難しいことじゃない。自分をリングで出せばいいだけって」
今度は優しい笑顔。なんだかずるい。
「まあ俺は結構好きなんだけどね。『ピンキー・ラナ』も」
「えっ⁉」
「アレはアレでさ。ラナちゃんの可愛い顔して結構毒っけがあるところとか、あとは優しさがさ。よく出てたと思うよ」
私の肩をポンと叩く。
「でもよ。兎月ラナってのは可愛くて優しいだけの女なのか?」
ヒューと冷たい風が吹き、白い砂が舞い上がる。それが目に入った。そのせいで。涙が溢れてきた。
「私ね。アナタが『無重力マニア1』でアラタくんに負けたときね。アナタのことがものすごく愛おしかった。ああ。この人は私と同じだって」
目から出た水が玉となって空中に浮かぶ。
「だからね。さっきあなたがチャンピオンになったとき。どこかに喜んでいない私がいた。あなたが遠くに行っちゃった気がしたの」
彼の胸に顔をうずめ、腹を殴りつけた。
「もうこんな思いはしたくない。もう! あなたに負けたくない!」
――プロレスファンはみんな言う。『プロレスを見てると元気がもらえる』。
私はこのとき初めてその意味が本当に分かったんだ。
プロレスファンって連中はみんなプロレスラーだ。
目の前で頑張ってるプロレスラーに負けたくねえっつってナンカと闘う。
闘うリングはプロレスのリングとは限らない。
彼は私の背中に手を回した。
私も彼の腰を思いきり抱きしめる。
「ラナちゃんには。客の心を掴む才能がある。俺よりずっと。今日それを証明して見せただろ」少しだけ悔しそうな声色だった。
「身長や。身体能力なんて関係ねえよ! 第一さ。身体能力なら。あの天才二人に比べりゃあ俺だってカスみたいなもんさ」
「ユウヤくんのそういうネガティブな所。好き。なんかホッとする」
「そうかい」
腕にさらに力が入る。涙がドンドンと溢れ彼のシャツを濡らしていく。
体が温まっていく。
「ラナちゃん。ありがとう。いろいろ迷惑をかけた」
「ホントよ」
背中をつねった。
「でもまあいいわ。許してあげる」
彼がポンポンと私の背中を叩いた瞬間。
「あー!」
ドン! っと彼を両手で突き飛ばした。
「ど、どうしたの⁉」
「ひとつ絶対許せないコトがある!」
こいつがこの純情な私に対して、とんでもない犯罪行為をしやがったことを思い出した!
「な、なに⁉」
「わかるでしょ!」
彼はなんだか腑に落ちない顔をしている。
「わ、悪かったよ。謝るから」
「謝っても許さん!」
「じゃあどうすれば」
「も、もう一回。ちゃんとしてくれたら……許す」彼から目を逸らしながらホザいた。
「変なこというね」
「文句あるの⁉」
「ないけどサ……。じゃ、じゃあ」
彼が私の手を掴む。
私は目を瞑った。
「ホントにいいの?」
「いいって言ってるでしょ! 早くして!」
「う、うん」
再び目を瞑る。
次の瞬間。私の体は宙に浮いた。比喩でもなんでもなくマジで。
「これじゃなああああああああい!」
叫んだ! ユウヤのクソ野郎は私をあろうことか巴投げで放り投げた!
ふわーっと浮かびあがり砂の上に軟着陸。
駆け寄ってきたバカ男を得意のビンタ攻撃でひっぱたいた。
「ちゃんと思い出せ! 貴様がやらかしたことを! 犯罪行為を!」
「あ、ああああーーーー!」
なんだかよくわからないアイマイな声を上げた。
「分かったの⁉」
「こ、こ、今度こそ」
顔を真っ赤にしている。たぶん今度こそ大丈夫だろう。
彼は私の肩に手を乗せた。みたび目を閉じる。
「その。どこに……?」
「聞くなー! そんなこと!」
ストマックにパンチを食らわせる。
「ゲッホ! ごめんなさい!」
四回目。どうやら今度こそ大丈夫なようだ。彼の顔が近づいてくるのを感じる。
だが。こんなときに。突然。どこからともなく。このなにもない空間に音が響いた。
目を開いてしまう。
それはブロロロロというような機械音、そして誰かの声だった。
徐々にこちらに近づいてくる。
「なんだァ? この音」
それは一台のバイクだった。それに乗っているのは。
「ユウヤー! あっラナちゃんも!」
(イスカくーーーーん! 空気読めーー!)
真っ黒なライダースーツでゴツいバイクに跨っている。大変に似合わない。
「もーやっと追いついた! どこまで行くんだよ!」
「な、なんで追いかけてきたの?」ユウヤくんが尋ねた。
「そりゃあボクももう悪役の側、ユウヤの仲間だからね。ユウヤと行動を共にしないと。カグヤはやめてさ、スター・エクリプスなんてどう? 鉄仮面似合ってたでしょう? チーム名は『ザ・エクリプス』。ラナちゃんはどう思う?」
「す、好きにしなさいよ! この変態オカマ野郎!」
「なんでキレてるの?」
「キレてないですよ! 私キレさせたら大したもんですよ!」
長州力のモノマネが飛び出してしまった。
「ん……?」
そのとき。急に辺りが明るくなり始めた。
「あっ良くみてなよ! ラナちゃん!」
ユウヤくんが人さし指でトントンと透明なドームを叩いた。
「今度はなによー!」
「いいから! このためにわざわざこんな所まで連れて来たんだから」
「どこを見ればいいのよ!」
「地平線だよ。いや『月平線』か」
仕方がないので。じっとなにもない空間を見つめた。
「ああっ!」
巨大な物体が『月平線』からせり上がってきた。
それは。地球だった。
「地球が。真っ二つだ」
北半球だけに太陽の光が当たり、半分の地球が青く輝いていた。
「キレイ……」
私の胸にジーンと温かいものがこみ上げてくる。
「月に来て。良かったな」
私がそうつぶやくと。ユウヤくんは子供みたいな笑顔で。
「だろう?」
などとホザいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます