第26話
「当日券ほぼ捌けましたよ! これなら超満員イケると思います!」
チケット売り子をしていたイスカくんが控え室に戻って来た。
本日より五日間、一日おきでのクレーターアリーナ三連戦が開始される。
「よかったわあ。チケット売れて」社長がホッと息をつく。
「いろいろとやらかしましたからね」
本日からの対戦カードに『稲村ユウヤ』『ルナ・エクリプス』の名前はない。もちろん控室にも彼の姿はない。
「ユウヤくんからは連絡は?」社長に確認する。彼女は首を横に振った。
「でも。来るでしょうね」
「来るね。間違いなく」イスカくんが呟く。
「あの野郎ノコノコ出て来やがったら、今度こそブチ殺してやる!」
アラタくんが右手の拳を左の掌にブチあてる。
「なるべく観客席に注意するようにしよう。見つけたら先制攻撃しちまおう!」
カラ松さんがアラタくんの肩を叩く。アラタくんはニコっと親指を立てる。
「な、なんだか面白い雰囲気だねえ。控室」
ごく自然に控室にいる高木であった。私をちょいちょいとつつき、耳打ちをした。
(警察に相談するって手もあると思うけど)
確かに。彼のやってることは、立派な暴行、営業妨害だ。それからじゃっかんの強制ワイセツ。だが。
(そんなことできるわけないでしょ。社長たちに取ったら、家族も同然なんだから)
それに。
(あんな逸材、団体として失うわけにいかないでしょう?)
(ごめん。ツマラナイこと言った)
高木は手を合わせながら小さな声で謝罪した。
レフェリーとしてリングに立つ。会場の雰囲気がおかしい。おかしすぎる。こんな雰囲気の会場はいまだかつて体験したことがない。試合開始前からザワザワと騒がしく、異様に緊張した空気が漂っている。
リングアナウンサーの社長が試合の開始を告げ、選手が入場。試合が開始されても、ザワつきは収まらなかった。
(なんかみんなキョロキョロしてるなァ)
いつどこからエクリプスが乱入してくるかと気が気じゃない様子だ。
(たった二回の興業でここまで会場の雰囲気を変えてしまうとは。なんてヤツ)
私もキョロキョロと観客席を見渡してしまう。彼はあの中に紛れているのだろうか。それとも別の所に? いや、あえて肩透かしを喰らわせてくるってこともありうる。いずれにせよ――
(あっ! やべえ!)
「ワン! ツー!」
フォールカウントを取るのが遅れてしまう。
「レフェリーカウント遅せえぞ! かわいいから許すけど!」
ナイスな野次に笑いが発生する。私は赤くなってアタマを下げるしかなかった。
試合は大過なく進み、いよいよメインイベントが開始される。対戦カードはカラ松さん対アラタくんのシングルマッチだ。
カラ松さんの入場。さきほど試合を終えたばかりの兄弟たちがセコンドにつくようだ。
四人とも観客席を、目を皿のようにして見回しながら入場してくる。選手たちの緊張感が観客に伝わり、ザワめきがドンドン大きくなる。
『青コーナーより、橋爪アラタ選手の入場です!』
いつもの通り大歓声が送られる。同時にザワめきもハンパじゃない。
なにせエクリプスのヤツは彼を狙っている。従ってこの瞬間襲撃される可能性が非常に高い。アラタくんもキョロキョロと警戒しながら通路を歩く。
(それらしき人はいないんだよなあ)
アラタくんは襲撃を受けるコトなく無事リングに辿りついた。
(肩スカシのパターンか?)
私はゴングを要請した。試合が開始される。
――試合は両者のワザが噛み合った好勝負となった。観客はようやく試合に集中し始め、両者に大きな声援を送る。アラタくんが得意のキックの連打でカラ松さんを攻める!
(すごい剣幕。エクリプスへの怒りをぶつけてるな?)
強烈なミドルキックに吹き飛ぶカラ松さん。オオー! というどよめきの声。 右手を上げてアピールするアラタくん。カラ松さんがいる方と反対側に走った。得意技の、ロープの反動を利用してのランニングラリアットだ! だが。
アラタくんがロープに体を預けた。まさにその瞬間だ。
私の位置からは見えなかった。ただアラタくんがすっ転んだのだけが見えた。客席は騒然としている。特にアラタくんが転がっている側の客のザワめき方が尋常ではない。
私はリング上を移動し、アラタくんの近くに――
「あああーーーー!」
驚きの叫びが勝手に腹の底から出てくる。
鉄仮面を被った男がアラタくんの足を掴んでいた。リング下から長い腕を伸ばしている。
「エクリプスだーーーー!!」
「なんだオイ! 今どっから出てきた⁉」
「バカちゃんと見てろ! リングの中だよ! リングの中!」
(なんだと⁉)
プロレスのリングはあるイミ、パーティーなんかで使われる『テーブルクロスが床まで届いたテーブル』みたいな構造だ。
簡単に言ってしまえば、鉄骨で出来た土台の上にマットが乗せられているのだが、そのままでは土台が丸見えでみっともないので、布を側面にぐるりと巻くようにして隠す。従ってその布をめくって中に入ってしまえばかくれんぼをすることができる。悪役レスラーの中にはリングの中にいろんな凶器を隠しておき、適宜とりだして使用するヤカラもいる。
(いつから⁉)
設営したときにいなかったのは言うまでもない。
仮面を観客席にほおり投げ素顔を露わにする。今日はエゲつない色使いの極彩色のペイントだ。
脱兎のごとき速さでリングに上がり、アラタの頭を踏みつけた。
「や、やめなさい! 帰りなさい!」
なんだかマヌケなことをいいながらエクリプスの腕を掴む。ヤツはニヤリと笑いながら私に詰め寄ってきた。ビビりの私はすぐにリングのコーナーに追い詰められてしまう。
ヤツはしゃがみながら、私を閉じ込めるようにロープに両手をかけた。
(こ、これは。壁ドンならぬ。『コーナーポストドン』!)
こんなんでドキドキしてしまう、処女丸出しの自分が憎い。
――ゆっくりと顔が近づいてくる。
(ま、また! こいつは……!)
今度は口をオデコにつけてきた。
ドワっというどよめきとブーイング、若干の笑いが発生。体中がカーッと熱くなる。
(人の気持ちも知らないで……!)
右手を振りかぶってビンタを放った。簡単にかわされる。
また両手をつかまれ、巴投げでほおり投げられてしまう。フワっと浮き上がった私はスタンドイン。周囲の客は「またかよ!」などと腹を抱えていた。
レフェリーもいなくなり無法地帯。アラタくんにさらに攻撃を加える。ブーイングの嵐。
四兄弟が怒号を挙げながらリングに上がる。エクリプスはそちらを見て手をちょいちょいとコマねいた。だが。
エクリプスの背後。私がスタンドインした客席の反対側。西側通路から大歓声。
「だ、誰⁉ あのかわいい金髪の娘!」
「知らねえのかよ! カツラしてないカグヤだよ!」
ピンクのジャージ姿のイスカくんが現れた!
全力のダッシュで通路を駆ける。そのまま走高跳びの要領でジャンプ! 六メール以上も飛び上がり、ロープを越えてリングに着地した。
わずかに驚きの表情を見せたエクリプスに、蹴り降ろすようなドロップキックが突き刺さった。場内爆発! カグヤコールが発生!
追撃のキックの連打! エクリプスもたまらずリングを降りる。
「マイクちょうだい!」マイクでしゃべる仕草をしながら叫んだ。
イスカくんにマイクが渡される。
「おい! ユウヤ! いやエクリプス!」
リング下のエクリプスを指さした。
「カード変更だって⁉ 勝手なこと言うなよ! 無重力マニア2、アラタに挑戦するのはボクだ!」可愛いらしい声。しかし闘志の籠った叫びだ。
「でも! もうボクもこのままじゃ収まりがつかない! だから!」
そこまで言ってすーっと息を吸う。
「カード変更だ! あさってボクとシングルマッチで闘え! 勝ったほうが無重力マニア2の挑戦者だ!」
大歓声と大カグヤコール。
やはり彼も天才だ。観客の心をつかむという点において。
エクリプスはなにも言葉を発せず、無表情でイスカくんを見つめていたと思ったら。
突如、毒霧を吐き出した。
赤い毒霧、それから青い毒霧。無重力中で吐かれた毒霧はいつまでも空中に留まる。
(――んん⁉)
「なんか文字みたいになってないか?」
「アレ! 『OK』って書いたんじゃないか⁉ 毒霧で!」
エクリプスは二ヤリとしながら、ヤジを送った観客を指さして頷いた。
場内は歓声に包まれる。
「うおおおお! ゲキアツじゃん!」
「ぜってえ見に来るわ!」
「チケット買っといて良かったー!」
イスカくんに対して右手を左頬に当てる。所謂オカマポーズだ。さらに中指を立てる。大ブーイングが発生。もちろんそんなことは意に介さない。意気揚々と引き上げてゆく。
私は観客席で呆然とそれを見つめていた。近くにいた小学生ぐらいの女の子が話しかけてくる。
「ねえ、レフェリーのお姉ちゃん。これってヤラセ? それともガチ?」
お母さん。一体どんな教育してんですか。
試合は終了。リングの解体など会場の片付けも終了した。着替えを終えた私は控室を訪ねた。ドアを開くと、むわっとした温かい空気、男くさい汗の臭い。
「アレ? イスカくんは」
「彼ならまだシャワー浴びてるよ」カラ松さんが答えた。「いつも熟女のお風呂タイム並の時間シャワー浴びるから」
「ありがとうございますー」
控室のドアを閉めた。廊下を移動。
男子シャワールームからはドライヤーの音が聞こえてきた。
扉を開く。イスカくんは腰にバスタオルを巻いて、ロッカーの横のベンチで髪を乾かしていた。
「イスカくん。ちょっと話いい?」
「えっ⁉」
「今日のことなんだけどさ」
彼の隣に座った。
「ちょっと! なにやってんの!」
慌てて立ちあがた拍子に。イスカくんの腰から、バスタオルがストンと床に落ちた。
タンクトップと短パンを着たイスカくんに説教を受ける。
「あのねえ! バスタオル一枚の男の隣に平気で座るんじゃないの!」
「おっしゃる通りでございます……」
「第一、なんで男子シャワールームに当たり前のように入ってくるのさ!」
「大変ごもっともでございます……」
言い訳を考える。
「だってホラ、イスカくんってほぼ女性ホルモンしか出てないからサ。つい警戒心無くしちゃって」
イスカくんは一瞬目を丸くした後、目ん玉を釣り上げて私を睨んだ。
「やっぱラナちゃん嫌い!」
ああ! 最近ちょっとだけ打ち解けてきたと思ったのに!
「ご、ごめんなさい! その、見た目が女の子っぽいとか男らしくないとかって意味じゃなくて、生物として女に近いっていうイミで」
「もういいよ……。話ってなに?」
イチゴオレのストローを口に運んだ。また可愛いものを。
「今日のこと。理由を聞きたくて」
「ユウヤに挑戦した理由?」
「挑戦っていうのもおかしいけど」
ストローからチュポンと口を離した。
「簡単だよ。闘いたいからさ。今のユウヤと」
「どうして?」
「ユウヤ。前よりずっと強くなってるでしょう? ぶつかってみたいよ! 思いっきり!」
「前より強く?」
「アレ。分からない? エクリプスになって彼はずっと強くなったよ」
「毒霧や急所打ちを使うから?」
頭をペシっと叩かれる。
「違うよー! 見る目ないなァ!」
む。プロレスのことでそう言われると悔しい。
「エクリプスになってから。彼はなにせ『覚悟』が全然違うよ。アラタからベルトを引っ剥がすためならどんなことでもするっていう『覚悟』」
「それでそんなに変わるものかなァ?」
「信じられない。自分もプロレスやってるのにそんなことが分からないなんて」
チクリと胸に刺さった。覚悟か。ピンキー・ラナはなにかを覚悟してリングに上がったことなんて。あったっけ。
「それにさ。仮にボクが彼に負けたら、さ。お客さんはユウヤがボクに代わってアラタに挑戦することに納得するだろう?」
もしかして。これが本当の理由なのかもしれない。もちろんワザと負けるようなことはないにしても。
「イスカくんってホントに友達思いなんだね!」
笑顔で彼の顔を覗きこんだ。
「な、なんだよ急に」
私も友達として。彼になにかしてあげられることは――
「そうだ!」パチンと手を叩く。「明日遊びに行こうよ!」
「ラ、ラナちゃんと?」目ん玉を丸くする。
「私とってゆうか。高木と。アラタくんもいた方がバランス的にいいか」
イスカくんは顔を真っ赤にした。かわいい。
「で、でも。あさって試合だし」
「あいつさ。あしたの夜、帰っちゃうのよ」
「ええっ? そうなの?」
「うん。ね、いいでしょ? 今からジタバタしたってしょうがないじゃない! 場所は……私知らないからイスカくんに任せるね! あっそれとも高木に聞いた方がいいか! あいつはたぶん行って見たい所とかあるはずだからさ!」
「お節介だねえ。そういうところだけはオンナノコっぽい」
イスカくんにそう言われると少々複雑だ。
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