第24話

「げっ! これ買えるかなあ。当日券」

 本日試合が行われる『静かの海体育会館』。当日券の売り場には長蛇の列が出来ていた。

「当日券、五十枚ぐらいは出るから大丈夫だと思うけど」

 随分人気なのね。と高木が呟く。

「兎月のいい人はこの稲月ユウヤくんって子だっけ?」ポスターを指さしながら。

「こ、声がでかい!」

 高木はごめんごめんなどと頭を掻く。

「こんな爽やかイケメンがブーイングなんて。『月』のファンは厳しいのねえ。それともよっぽどプロレスがヘタなの?」

 ――返答が出て来ない。プロレスの上手い、下手ってなんなのだろう。

「そういえば。良かったね」高木の肩をポンと触った。「内田、WWGP取ったじゃない」

 高木はトランキーロ内田の大ファンだ。顔ドアップのポスターに毎日行ってきますのチューをするくらいに。

「あれ高木はナマで見てたの?」

「もちろん! ちょっと泣いちゃったわよ。苦節十年、やっと取ったからね! 会場中、もうとんでもない大トランキーロコール!」

「そうだったね」

 まあこれだけ高木が喜んでるならいいか。という気持ちになる。

「でもね。次はカツヤが取るよ。必ずね」

 入場券はどうにか入手することができた。ちょうど私たちの後ろにいた人で終了。危ないところだった。キモチ、顔を俯けながら入場する。


「ほおお。グッズ販売なんてやってるのね」

 廊下に机が三つほど並べられ、その上にグッズが置かれていた。Tシャツやキーホルダー、キャップなど定番のものが並ぶ。なかなか充実したラインナップだ。

「私が参戦してた頃はまだやってなかったけどね」

 売り子で座っているのは社長とイスカくんだ。変装しているとはいえ、あまり近づかないようにする必要がある。

「デザイン、どエラくかっこいいじゃない。ネオジャパンプロレスのよりいいかも」

「美術担当にデキるのがひとりいるのよ」

 Tシャツの所に『人気商品!』と書かれた紙製のポップのようなものが置かれている。Tシャツは四種類。一つは団体名の書かれたもの。残り三つはアラタくん、イスカくん、ユウヤくんのデザインのTシャツなのだが。

(うわあ。売れ残ってるなァ)

 ユウヤくんのデザインの金色のTシャツだけ大量に残っている。あんなに狂ったように派手なデザインなのに売れ残って、みっともないことこの上ない。

(私が買いシメ……いやそんなことしてもなんの解決にも)

 なんだかいたたまれない。早く去りたいのだが、高木が「記念になんか買おうかなー」などと言って物色している。空気を読んで頂きたい。

「あー!」

 高木がなにやら叫ぶ。グッズのひとつを掲げて少し離れた所にいる私に見せて――

「――!!」

 あやうく叫びそうな所、なんとか口を抑えた。

 高木が手に取った物体は。『私の』グッズだった。ギャルゲーかなにかのようにエゲツないくらい目がでっかくて可愛いらしいイラストが描かれたキャップである。

(イスカくんの野郎!)

 高木は満面の笑みでそいつを購入。金をドブに捨てていた。

「ほら! コレ被りなよ!」

「同じ顔ふたつ並べてどうすんだバカ!」


 チケット番号『B17』と『B18』入場通路のすぐ隣の席だ。入場してくる選手をペタペタ触ることができるので悪くはない席である。まあ今日はそんなことしないけど。

「すごい熱気! 試合前からいい雰囲気だねえ」

「そうでしょう?」

 いろいろあるとはいえ。やはり誇らしい気持ちになる。

「これだけ人気なのに、『地球』ではぜんぜん噂になってないわねえ」

「だねえ。まあプロレス自体がメジャーとは言えないってのもあるけど」

『月』は日本であって日本でない。月での出来事は外国の出来事のように思っている人が多いのが現状であろう。もっと盛り上がれば地球でも知られるようになるかもしれないが。

 ややあって社長さんがリングに上がる。

「リングアナウンサーさん綺麗だねえ」「あの人カツヤのお姉さんなんだよ」「マジで⁉」

『カードの変更をお知らせ致します』社長のふんわりとした声が会場に響く。

『本日、稲村ユウヤ選手欠場のため第一試合のカードをオソ松VSイチ松のシングルマッチに変更致します。大変申し訳ございません』

「えっ……⁉」

 思わず声が出てしまう。

「あらま。彼の様子を見に来たのにねえ」

 悪い想像が次々に頭の中に浮かぶ。


 ユウヤくんがいようがいまいが試合は進んでいく。無重力プロレス初体験の高木がいちいち目ん玉を丸くして驚きの声を上げてくれるので楽しい。楽しいのだが。

『青コーナーより、橋爪アラタ選手の入場です!』

 ウワっと会場が揺れた。

「おおお⁉ 大歓声!」

 高木が驚き、耳を抑えた。私たちの真横をアラタくんが通る。

(バレませんように)

 彼は全く私に気づくことなく通過。リングに上がった。ホッと胸をなで下ろす。

「彼がチャンピオンのアラタくんだっけ。大変な人気者なのね!」

「ねえ。高木。彼のことどう思う?」

「ええ? まだ試合見てないけど」

「とりあえずの印象でさ」

「そうねー。まあ私は好きな感じだな。ぽっちゃりしてて可愛いし、表情がキラキラ輝いてなんとなく華がある」

「そっか。だよね。私もそう思う。試合見たらもっと好きになるよたぶん」

「なんだか観客席がやたら『赤い』と思ったら。みんな彼のTシャツ着てるのか」

 本日のメインイベントはアラタ・カラ松組VSカグヤ・チョロ松組の『無重力マニア2』のタイトルマッチの前哨戦だ。

 ゴングが鳴る。アラタくんとカグヤがリング中央で組み合った。

 だが。――場内に妙なザワめきが発生する。

 私たちが座っている方とは反対側の入場口。なにかが入場して来たからだ。

 そいつは目の所だけが空いた金色の鉄仮面で顔を隠し、真っ黒なスーツとギラギラ光る金色のYシャツを着用。手には白い手袋をしていた。

 観客がザワめくのも意に介さずゆっくりとリングに近づいていく。

 リング上の四人は気づかない。

 セコンドについていたオソ松さんとイチ松さんが気づき、その怪人に近づいて行く。

 怪人の前に立ちふさがり、指を差しながら「なんだオマエ」「席に戻れ」などと注意を与える。それでもなおその怪人の歩みは止まることはない。

「おい! 出て行け!」

 オソ松さんが左手を掴んだ。その瞬間。

「あああーーー!」

 客席から悲鳴に似た声が上がる。その怪人がオソ松さんをナックルパンチで吹き飛ばして見せたからだ。

「こ、このヤロウ!」

 怪人の顔面をイチ松さんの蹴りが襲う。怪人は軽く上体をそらしコレをかわした。

 イチ松さんは足を高く上げたまま硬直。スキだらけだ。怪人は足を素早く蹴り上げた。急所蹴りだ。一切の手加減のない一撃。

 イチ松さんは股間をおさえ転げまわる。客席からはガラスをひっかくような悲鳴。

 ことこれに至り、さすがにリング上の四人も気づいた。

 気づかれたと見るや怪人は猛スピードで駆ける。滑り込むようにしてリングに上がった。

 奴はゆっくりとリング上のアラタくんに向かって歩いていく。

「なんだおまえ!」

 アラタくんが叫ぶが意に介さない。さらに近づいて行く。

「聞こえてんのか!」

 アラタくんが前に一歩踏み出した瞬間。鉄仮面をほんの少しずらし、口元を露わにした。 なぜだか寒気がした。次の瞬間。

「ギヤアアア!」

 アラタくんが叫ぶ。顔面が真っ赤に染まっている。

「毒霧⁉」

 私と高木が同時に叫ぶ! 客席からも悲鳴。

(待て待て待て! 今の毒霧はまさか! まさか!)

 悶絶してリング上を転げまわるアラタくん。

(そうか。彼潔癖症だから!)

 仮面の男は踏みつけ攻撃で追い打ちをかける。止めに入るイスカくんたちを振り払い、三人にも毒霧を浴びせた。

(今はっきり見えた! あれは! ラムネ式毒霧だ!)

 邪魔ものはいなくなったとばかりにアラタくんの顔面に踏みつけを連打。社長がゴングをなんども叩くが、無論そんなことでは止まらない。

 ついにアラタくんの腰に後ろから手を回しブン投げ、マットに叩きつけた。大技ジャーマンスープレックスだ。アラタくんはピクリとも動かなくなってしまった。

(あの動き、あのワザ……)

 ヤツはリングを降り、放送席からマイクを奪い取った。

 四人が倒れ伏すリング上、左手でマイクを握る。そして右手を鉄仮面にかけた。

 観客席は異様なザワめき。

 ヤツはゆっくりと仮面を外した。

 その下にあった顔。顔全体が金色に塗られ、目の周りは黒く縁どられていた。

 だが。その顔は間違いなく。

「ユウヤくん!」

 立ち上がって叫んでしまった。それと同時にあちこちでユウヤだ! 稲村ユウヤだ! という声が上がる。

 ヤツはリング中央で左手を耳に当てて見せた。

「ユウヤって誰だ? 俺は『ルナ・エクリプス』!」

 マイクの音が割れるほどに叫んだ。

「バカにもわかるように教えてやる。『ルナ・エクリプス』とは『月食』を意味する。つまりどういうコトかわかるか?」

 奴はすーっと息を吸った。

「くだらねえ仲良しこよしのプロレスはもう終わりってことだ!」

『ムーンサーフプロレスリング』と書かれたマットを指さした。

「このトンカツが持っているベルトは俺が回収する。覚えておけ」

 マイクをマットに叩きつけるようにして投げ捨てた。

 さっそうとリング降り、ゆっくりと私がいるほうの通路から退場していく。

 私は『エクリプス』の顔を見つめた。その目は。ギラギラと輝いていた。

 彼は私の目の前で立ち止まった。目が合ってしまう。

 奴はほんの少し頬を緩めると――

「ああああっ!」

 私の帽子を取り上げ、メガネを手で払い、マスクを引きちぎった。

「あああー! あれはレフェリーのラナちゃん!」

「そうだあのピンク頭! 久しぶりに見た!」

 またまた客席が騒然とする。

 『エクリプス』は二ヤリと笑い、私の帽子を被ったまま入場口に消えた。

「いやあなかなか。面白い展開だわ! それにしてもみんな迫真の……兎月?」

 私は跳ね上がるように席を立ち、入場口に向かって走った。

「ちょっと待ってよ! 私まだうまく歩けな――」


「ふっざけんな! なに考えてんだあの野郎!」

 ドアの外からでもはっきり聞こえた。叫び声とロッカーを蹴る音だ。

 息を切らしながらドアをノック。強く叩きすぎて大きな音を出してしまう。イスカくんが怪訝な顔をしながらドアを開いてくれた。

「ラナちゃんか」

 控室に招き入れられた。息が切れすぎて言葉にならない私に、イスカくんがペットボトルを手渡してくれた。

 困惑した顔をしている人。怒りを露わにしている人。こんなに重苦しい控室は初めてだ。

「ホラ。アラタ落ち着きなよ。ラナちゃん来たよ」

 私の顔を見て、少しは落ち着いた表情になった。

「あの。いろいろ謝らなきゃいけないんですけど。とりあえず状況を教えて欲しいです」

「ううん。ぜんぜん謝ってもらうことなんてないんだけどね」社長がしゃべりだす。

「今朝、ユウヤくんから『どうしても体調悪いんで休みます』って連絡があってね」

 アルティメットホンのメッセージソフトの画面を見せてくれる。

「最近調子悪そうだったからなーと思ってたから。了解お大事にね。って返信したの」

 可愛らしい絵文字つきのメッセージだ。

「それ以外は誰にも一切連絡ナシ。それで。あの乱入劇」

 イスカくんは存外に冷静な表情だ。

「そんで! 今! 連絡が一切つかない!」

 アラタくんはアルホンをポキっといきそうなほど握りしめている。

「分かりました。ありがとうございます」

 重苦しい沈黙。それも仕方がない。皆、なにを口にしていいやら分からないのだ。

 そこに。コンコン。と控えめなノックの音。

「あのーすいません」

 高木だ。ほんの少しホッとする。みんな顔を見合わせている。「誰かの知り合いか?」という感じであろう。

「あの、今日一緒に来てた高木です。同じプロレス研究会の」

「ああ。高木さんね。よく話に聞いてるわ」

 社長は穏やかに微笑み、自己紹介をした。

 アラタくんも「例の……」などとつぶやく。イスカくんがなぜだか目を丸くしていた。

「あのーこの深刻な感じは。もしかして。演出じゃなくて、ガチですか?」

 私と社長は首をタテに振った。

「明日もここで試合なんだけど。ど、どうすれば」社長が呟く。

「言っておくけどな。また明日同じことがあれば。オレ多分ブチ切れるぜ」

「アラタ!」イスカくんが咎める。

「だってよ! あいつがやってることは! オレたちが今までやってきたことをブチ壊すことだぜ!」

 再び重苦しい沈黙が控室を包む。

 ――沈黙を破ったのは。私。

「あ、あの!」必要以上に大きい声がでてしまう。「社長さん! 明日私にレフェリーをやらせてください!」

 頭を下げる。みんなの視線が私に集まった。


 会場からギュウギュウの電車に揺られること三十分。高木と二人『フィフティーンナイト』というホテルに到着した。高木が入手したペアチケットについていた高級ホテルだ。

「いやー電車疲れたねー。月の人たちってちょっとピリピリしすぎじゃない⁉」

 扉を開く。落ち着いた照明の絨毯じきの部屋に、ダブルベッドがひとつ。たぶん本来カップル向けの部屋なのだろう。それに豪華なソファーテーブル。

「おおーめっちゃ綺麗な部屋じゃん!」

 高木はカーテンを開いた。星とビル灯が競い合うように輝いている。

「ははは。こりゃあ私たちには勿体ないわ」

 私はふらふらーっとベッドにうつ伏せになる。ふわっと洗剤の匂いがした。

「お疲れ」高木が頭にポンと手を乗せてくれる。

「お腹空いたなー。そういえばなんにも食べてなかった」

「ごめんね。念願の月旅行なのに変なことに巻き込んで」

「いいよ! ルームサービスでも頼もうか」

 ソファーテーブルでルームサービスのサンドイッチを食べる。高木は『月産牛』ステーキ&ハンバーグセットを食べている。いい食欲だ。

「んんん⁉ 美味しい! 肉柔らかっ! 地球の牛と全く違う!」

 ひとくちあーんと食べさせてくれたのだが。

「ご、ごめん。せっかくもらったけど。どうもあんまり味わからなくてさ」

 高木は苦笑。

「ねえ。そんなに深刻に考えなくてもいいんじゃない」

 どうしてと尋ねる。

「だってさ。面白かったから」

 んんんん?

「あたしはさ。これからどうなるんだろう? 『エクリプス』はなにをやらかすんだろう。ってめっちゃわくわくしたよ。プロレスなんて面白いが正義でしょ?」

「いやでもそれは」

 だが確かにファンの中にもそう思った人もいるかも知れない。プロレスではある日誰かが突然悪役になるとか、乱入して試合をぶっ壊すなんて『演出』をするのはよくあることだからだ。そう思った人たちはこれが『演出』でなく『ガチ』だと知ったらどう思うだろうか。サンドイッチを食べる手が止まる。

「ああー。余計に悩ませてごめんね。とりあえず食べて早く寝よう。明日になればまたナニカ分かるよ」

「そう、だね。明日レフェリーやんなきゃいけないし」

「そうそう。なんかあったらシバいてやれ!」高木はそういいながら急に立ち上った。

「あっ! どこ行っちゃうのよ⁉」その手を掴んだ。

「冷蔵庫の飲みモン取ってきちゃだめー?」

 ニカっと笑いながら。クソ。顔が熱くなる。

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