第22話
(なんか腰痛いなあ。もうトシかな)
エラいものでもう三週間も部屋を出ていない。お風呂にも入っていない。というかほぼソファーから動いていない。カーテンを閉め切っているので今が何時かもよくわからない。机と床の上には大量のビールの空缶、テキーラのボトル、各種カップ麺の空き容器、コンビニ弁当のトレイが散らばっている。なんかちょっとばかり変な臭いがする。
なんで私がこんなに壮絶に引き籠っているのか。それはあの名作ゲーム『ファイナルプロレスリング』シリーズの新作が四年ぶりにリリースされたからである。アルティメットホンの画面をプロジェクターアプリで壁に映し、アルホンにコードで繋いだコントローラーで操作する。我ながらヒクほどに素早い指の動きだ。
ゲーム自体は既に完全にクリアした。あとはやりこむだけである。
(次は。銃神サンダーリボルバーか。久しぶりに大物だ。キアイ入れないと)
私が今プレイしているのは選手エディットモード。こいつで歴代のネオジャパンプロレスに所属、参戦したことがある選手を一九〇年分作るのが最終目標だ。もちろんコスチュームや髪型などにバリエーションがある場合はその分も作成する。
(素顔のリバプール山田も作らないと)
このやりこみ。最初はフツーに楽しい。だがやがて苦痛でしかなくなってくる。でもあるラインを超えると頭がおかしくなってきてまた楽しくなってくる。ちなみに私は高校生の頃、前作『ファイナルプロレスリング リターンズアゲイン』で同じやり込みを某ゲーム雑誌のやり込み大賞に投稿。見事金賞を取ったという実績がある。編集部からは『さすがにヒイた』『学校に行け』などの言葉を頂いた。
「ハア。辛いよォ……」
ちょうど今は苦痛がピークに達している段階だ。だがなんとかここを乗り切ればあとは楽になる。手元のショットグラスの中のテキーラを一気に飲み干して気合を入れ直す。
「フウウウ。酒が五臓六腑に染み渡るワイ」
(おしっこしたい。けどトイレいくのめんどくせえな)
テーブルの上にはペットボトルが……。
(いや。まだそこまで落ちぶれたくない)
ソファーから重い腰を上げた。鏡に映った顔を見る。目の下はクマだらけ、眉毛もボウボウ、ピンク色の髪の下から黒い髪が伸びてきてプリン状態になっている。
(桃味のプリン。へへへ。うまそうじゃん)
便所から帰る。壁に掛けてある時計をチラっと見た。一七時。
(もうすぐ試合始まる。ちょっと休憩にするか)
冷蔵庫からビールを取り出してソファーに戻る。ゲームを中断してネオジャパンプロレスの配信サイトにアクセスした。
(ビール三缶も空けちゃった)
空き缶をその辺にほおり投げた。恐ろしいほどにビールが進んでしまう。どの試合も驚異的なほどにしょっぱい塩試合ばっかりだったからだ。溜息をつく。
(まあでもメインは鉄板カードだから)
WWGPヘビー級選手権試合。KATSUYA対トランキーロ内田。
オツヤみたいに静まり返っていた観客も両スターが入場するや大歓声を送った。
――だが。
試合開始から二十五分。
『KATSUYAピンチ! KATSUYAピンチ! 流血のKATSUYAを内田が攻めたてる! ああーーこれは! 必殺技『デスティニーDDT』の体勢だー!』
(ウソでしょーーーーー!)
『決まったーカウントスリー! 不動の王者KATSUYAついに破れました! 内田! WWGP初戴冠――――――!』
会場大爆発! 大トランキーロコールが発生!
「ふざけんな! ファック!」
アルティメットホンを壁に叩きつけた。壁紙がハガれる。――ああ敷金が。
(クソ! ただでさえクソ面白くないのに!)
ベッドにダイブする。
(私なにやってんだろう)
(みんなどうしてるんだろう)
どれくらいベッドでボウっとしていたか。
――突然アルティメットホンが鳴った。
(誰だよこんなときに)
ベッドから転がり降りてアルホンをひっつかむ。それは非常に珍しい人からの電話だった。
「社長さん⁉」
「こんばんはー元気にしてた?」
相変わらずのほわっとした声が聞こえてくる。
「は、はい! もちろん元気です! ご、ご無沙汰しちゃってごめんなさい!」
久しぶりに人と会話をしたのでうまく喋ることができない。
「そちらの方はどうですか? うまくいってますか?」
「ええ。おかげさまでなんとか」弾んだ声だ。「アラタくんがすごい人気でね。今六連続防衛中。お客さんの入りも良くてね。毎週のようにクレーターアリーナでやってるのよ!」
「へー!」
「配信サイトの方も好調みたい。ムーンライトテレビさんがよくしてくださってね。今度からグッズの販売なんかも始めてみないかって」
「ほおー。もういよいよちゃんとしたプロレス団体になってきましたね」
ちょっと失礼な言い方をしちゃったかなと思ったけど。社長さんは心底嬉しそうに「そうね」と声を弾ませた。
「でも。ちょっと気になることがあってね」
社長が小さな溜息をつく。
「ユウヤくんのことなんだけど」
ドクンと心臓が高鳴る。
「なんていうかな。普段は以前と変わらないんだけどね。試合中、元気がないように見えるの。シロウトなりに」
「そうですか」としか答えることができなかった。
「それでね。良かったら。またウチ見に来てくれない? ヒマなときでいいからさ」
おかしなもんで。そう聞いただけで胃がキリキリ痛んだ。
「お客さんからもね。あのピンクちゃんはもう出ないの? レフェリーはあの子がいい! っていう声がけっこうあるのよ!」
私の口から出てきた答えは。
「ごめんなさい」自分でもわかるくらい声が震えている。「もうすぐウチの団体で大きな試合がありまして。それに備えて合宿なんかもあったりして。だいぶん忙しいんですよねー」
これは別にウソではない。
「そっか。それなら仕方ないわね。試合頑張ってね」
「え、ええ。ありがとうございます」
「そうだ。よかったら応援に行かせてもらってもいい?」
「そうですねー」
アイマイに返事をする。そもそも試合に出るかどうかも――。
その後しばらく、ちょこちょこと世間話をして電話を切った。
深い溜息をつく。
(元気がない、か)
『MOON SPORTS LIVE!』のサイトにアクセスする。
ムーンサーフプロレスリングのトップページに移動。最新の興業の動画を再生してみた。
試合開始前の映像。クレーターアリーナは満員の観客で溢れている。客席の盛り上がりも素晴らしい。
(さっきのネオジャパンよりよほど盛り上がってんじゃん)
第一試合はユウヤくん対カラ松さん。
ユウヤくんが入場してくる。瞬間、客席が静まり返る。水を打ったような静けさ。まばらにブーイングが聞こえる。
(そりゃそうだよ。あんな顔してちゃあ)
目がキョロキョロとせわしなく動いている。いわゆる目が泳いでいるという状態だ。首を小さく前傾させてとぼとぼと入場花道を歩く。なまじ華のある顔立ちをして、派手な衣装を着ているので見ていてテンションがガタ落ちする。
(入場でこのザマじゃあ試合も)
案の定、カラ松さんの地味ながら正確な打撃や、職人芸の寝技に攻められっぱなし。たまに攻撃に回ったと思っても、ワザの形だけはできているが、まったく気持ちが入っていない。まったくもって心が動かされるモノがない。はっきりいって見ていられない試合だった。
「ちょっとは頑張れや稲村ァ!」
「このド塩レスラー!」
「辞めちまえー!」
(彼の好きなトランキーロ内田は。今日WWGP取ったのになあ)
わずか六分十五秒でカウントスリーを取られあっけなく試合は終了。
せっかく高まっていた観客のボルテージに水をぶっかけるような試合だった。
本日のメインイベント。チャンピオンのアラタくんに、オソ松兄弟は長兄のオソ松さんが挑む。アラタくんは入場するだけで会場を明るい雰囲気に包んだ。
試合巧者のオソ松さんのテクニックに翻弄されながらも最後は大逆転のアームストロングラリアットでタイトルを防衛して見せた。
その試合後。カグヤことイスカくんがリングに上がり、アラタくんの前に立った。
アラタくんを睨み付けてビンタを一発。マイクを要求する。
『来月開催の『無重力マニア2』! 挑戦者はボクだ! そのベルトはボクが頂く!』
場内はヒビわれんばかりの大歓声だ。
(へえ。いいな。この二人の試合面白いんだよな)
などと考えながらぼーっと画面を見ていると。
カメラがほんの一瞬。アラタくんのセコンドにつくユウヤくんの顔をとらえた。
(なんだろう。あの顔は)
リング上を見つめる彼の目。ギラギラと光っているように見えた。ただの会場の照明のカゲンだとは思うが。
(まあ。私には関係ないけどね)
ソファーに戻り、サンダリボルバーのエディットを再開した。
(ヤベエ。マジで死ぬかもしれない)
あれから一週間。冷蔵庫にも戸棚にも一切食料はない。だが。体が動かない。ベッドから降りることができない。体全体が熱い。すさまじい頭痛。胃もギュルギュルする。たぶん栄養失調と風邪のダブルパンチなのだと思う。
(この年で孤独死……)
アルホンで助けを呼ぼうにも、部屋が散らかりすぎてどこにあるかがわからない。
今までのさまざまな想い出が走馬灯のように走り抜ける。
後楽園ホールで見た試合……両国国技館で見た試合……東京ドームで見た試合……。
(全部一緒じゃないか)
三途の川の向こう。亡くなった名レスラーのみなさんが手招きしているのが見えた。
(いま。そちらに行きます……)
目を閉じる。静寂と暗闇が私を包んだ。
しかし。神はいた。そいつは短い髪にでっかい体。男みたいな女神だった。
神はドアを手で無理矢理開き、ドタドタと部屋の中に入ってきなすった。
「久しぶりー! ねえねえ聞いて聞いて! ついにさ――」
「高木――――! お願いおかゆ作ってーーー! オナカ空いたのおおお!」
高木の胸に飛び込み、顔をこすりつけた。
ベッドに座って、高木が作ってくれたおかゆをすすりこむ。オコメの甘味と梅の塩味。全身がフワっと温まる。こんなに体にしみいるごはんは初めてだ。
(ホレてしまう)
部屋に散乱したゴミも片付けて貰ってしまった。
「ありがとう。ごめんね。ゴミ出しまで」
「いいのいいの」
爽やかな笑顔で頭を撫でてくれる。
(やっぱりいいヤツなんだよな。大好き)
「そういえばさ。なにか用事があったんじゃないの」ガラガラの声で尋ねた。
「あっ! そうそう! ついにやったのよ!」満面の笑みで私の肩を叩いた。「月旅行!」
「ええっ。チケット手に入ったの⁉」
高木が両手でピースサインを出す。
「物々交換アプリでね」
「なにと交換したの?」
「これ」アルホンの画面をニヤニヤしながら見せてきた。
『話題のプロレス幼女 ピンクちゃん生写真五十枚セット!』
「なにしてんのよ! ゲホっ!」ムセた。
「まあまあいいじゃない。減るもんじゃないし」
「減るわ!」いや減らないけどさ。いろいろと前言を撤回したい。
「肖像権料を請求したいわァ」
そういえば。こいつ一時期、やたらと私の写真を撮ってたなあ。
「払うわよホラ」
アルホンの画面を見せられる。電子チケットには『ムーンライトバスツアーペアチケット』の文字が書かれていた。
「彼氏出来なかったら一緒に行ってくれるって言ってたよね?」
「出来なかったの?」
「愚問だね。弟以外の男と会話だにしてないわ」
腰に手を当てて高笑い。カレシ作る気あんのかな。
(まあ。月ったって広いし。マスクでもしてりゃあ彼らに気づかれることもないか)
「わかった。付き合うよ」
「おっ。やった。じゃあ早く風邪治さないとだね」
「えっ。ちょっとまってそれいつなの?」
「三日後」
「早ええよ!」
高木は。私がずっと練習に出てないことについて、なにも聞かなかった。
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