第21話

 我らがマチダ女子大プロレス研究会は毎月一回定期戦を行っている。場所はマチダ女子大第一体育館。スタンド席なんかもある結構立派な体育館だ。そこにリングをドーンと置いて余った所にパイプ椅子をずらーっと並べる。収容人数は約二五〇人。これを毎回満員にしているのだから大したものだ。数ある学生プロレス団体の中でもトップの集客力と言ってよいだろう。『可愛い女の子が多いから』というミーハー的な人気による部分も正直あるとは思う。でも試合内容としてもトップクラスに恥じないものを提供しているという自負はある。ただし。一部の試合を除けばだが。

『お待たせ致しました。本日の第一試合を開始致します!』

 控室までリングアナウンサーの綺麗な声が聞こえる。

 本日のリングアナは高木。一度だけ代役でやったとき、そのタキシード姿と透き通った美声が好評すぎて、以降選手兼リングアナにされてしまった。

『青コーナーより、西邑エイコ選手の入場です!』

 エイコちゃんの入場曲が響く。彼女はまだデビュー三戦目だが、結構な歓声が発生しているようだ。

(みんな見る目あるなァ。彼女はホントに才能の塊で)

 さてそろそろだ。控室を出て入場口に待機しよう。

(よし。スイッチを切り替えないと。笑顔、笑顔)

『赤コーナーより、ピンキー・ラナ選手の入場です!』

 変なのが会場に姿を現した。そいつはピンク色の髪の毛を三つ編みにして、レトロな魔法少女みたいなドピンクなミニスカワンピースを着ていた。手でハートマークを作りながら媚びたような笑顔を浮かべ、投げキッスをする。我ながらぶん殴りたくなる仕草だ。

 即座にブーイングが発生する。特に女性のものと思われるブーイングが激しい。よしよし。狙い通りだ。リングまで伸びているカーペットの上を歩きながら客席を見渡す。

(……いた)

 リングサイド最前列にやたら背の高い男を発見した。怪訝な顔をして私を見ている。

(へっ。驚くのはまだ早いぜ)

 私はわざとなにかにつまずいたようにバッターンと転んで見せた。パンツが見えるように猛烈に勢いをつけて。客席からは笑いとブーイング。よしよし。もうヒトネタ畳みかけていくとするか。

「立てなーいー」

 語尾を上げ、媚びた声を出す。客席にいた結構ハンサムな男に手を差し出した。驚きながらも手を握り返し立ち上げてくれた。

「ありがとうございますゥ。あのォ。番号とか教えてもらっていいですかァ?」

 そういいながら、彼が手に持っていたアルホンをひったくり勝手に番号を登録(するフリを)した。心の中で謝りながら彼にアルホンを返す。

 横にいた彼女と思われる女が私に文句を垂れる。

「うっせーブス!」

 などと言いながら中指を立てて睨みつけてやった。むろん偶然彼女がいたわけではない。横に彼女がいる男を狙ってやったのだ。

 場内はさらなるブーイングの嵐。

(そりゃそうだ。私でもこんなヤツいたらキレるわ。でもまだまだ)

 滑るようにしてリングに上がった。

 エイコちゃんは私に対して礼儀正しくお辞儀をしてくれた。

「いい子ぶってんじゃねえよ!」

 その顔にビンタを喰らわせてやった。バチーンという大きな音。もう一発。もう二発。客席からはブーイングと悲鳴。

(実際には痛くないから安心しなって)

 実はこれには細工がある。

 このビンタは両手で放つのだ。右手の動きには細工はない。普通にほっぺたをはたく。ただしソフトタッチに優しくだ。重要なのは左手。右手がほっぺたに触れるのと同時に、自分の太ももをバチーンとはたく。すると実際には痛くないのに、音だけは派手なビンタを繰出すことができる。(もちろん自分のふとももは痛い)

 なんでこんなことをするのか。

 エイコちゃんを傷つけたって、ダメージを与えたってなんの意味もないからだ。

(初めから。勝つ気ないからね。サラサラ)

 ひとしきりビンタした後、両手を頬の横に構えてピースサインをして見せた。

「マジカルガチビンタ―!」

 などとホザく。そしてドロップキックでリング外に叩き出した。

 追いかけるようにダッシュ。素早くコーナーに登り、そこからリング外に飛び降りる。

 少しだけ歓声が上がった。

 空中で両手を組んで、頭の上に振りかぶる。

 そいつを振り下ろし、尻餅をついているエイコちゃんの頭にかるーく当てた。

 唯一の得意技ダブルスレッジハンマーだ。

 追撃は行わない。ギラっと歯を見せた憎々しい笑顔を作り、リングと客席の間をねり歩く。観客を煽るためだ。

(ゲッ!)

 観客の一人とモロに目が合ってしまった。よりによって一番目ェ合いたくないヤツと。

 彼は無表情だった。なんの感情も読み取れないマネキンみたいな顔。

 そこにエイコちゃんが向かってくる。困惑した顔ながらも前蹴りを放ってきた。ワザと大袈裟に後ろに吹き飛び、場外フェンスに背中をぶつけて見せた。

 そこに追いかけるように突進してくる。私はわれながら呆れるスピードでコスチュームの中のブツを口に含んだ。――エイコちゃんのかわいい顔が迫る。私は口の中のモノを吐き出した。ピンクの霧状のモノがエイコちゃんを襲う。

「キャー!」

 毒霧攻撃だ。エイコちゃんは可愛らしい叫び声を上げて手で顔を覆った。

「マジカル毒霧―!」

 なるだけ高い声で叫ぶ。するとまた笑いとブーイングが発生した。

(さて。私のターンはこんなところでいいかな)

 リングに戻った。エイコちゃんも追いかけてくる。あんなことをされてもすぐさま追いかけてくる闘志。素晴らしい。

「たあっ!」

 鋭いエルボーが私の頬にヒットした。目ん玉が飛び出しそうな衝撃。口の中を噛んでしまい、血の味がする。

(フォーム、スピード、体重の乗り具合。どれを取ってもグッド。抜群のセンスとしか申し上げようがないなこりゃ)

「うりゃ!」

 大外刈りで私をリングに叩きつけた。これも素晴らしいキレ味だ。

 ダウンした私にフワっとジャンプしてヒジを落としてくる。エルボードロップ。

 ミゾオチに入ってしまい、ベラボウに痛い。嘔吐感を必死にこらえる。

 そのまま抑え込まれるが、これはカウントツーで肩を上げた。

 エイコちゃんの顔が目の前にある。

(ホント。カワイイな)

 私のようにちんちくりんだから人によっちゃ、なんとなく可愛く見えるのではない。ホントの美少女だ。男にも女にも好かれる正統派美少女。それに加えて熱い闘志、ワザのキレ。マチ女の高木の次のエースは間違いなく彼女だ。いまから十分に売り出して、観客にアピールする必要がある。

 それには。悪役レスラーを爽快にぶっ倒すのが最も有効だ。

(今はまだ。必死でやれば。もしかしたら勝てるかもしれないけど、さ)

 エイコちゃんは立ち上がった私に後ろから抱きついた。これは得意技、バックドロップの体勢だ。

(これでフィニッシュか)

 私はワザと小さくジャンプして持ち上げるのをサポートした。その甲斐あってバックドロップは素晴らしく勢いのある豪快なモノになった。

 マットに叩きつけられる乾いた音と震動。

 レフェリーがマットを三回叩いた。

 私は別に大したダメージもないのに気絶したフリをして目を瞑っていた。よりバックドロップを印象づけるためだ。

 エイコちゃんの初勝利に大きな歓声が送られた。

 一応寝ていたほうがいい。とか言って医務室のベッドに寝っ転がらされた。

 顔色が悪いのはただ昨日一睡も出来なかっただけなのに。

 天井をぼうっと見つめてお菓子を食っていたら。入口のドアが開いた。

「ユウヤくん。見に来てくれてありがと」

 彼は無言で部屋に入って来た。暗い。なにせ影のかかった顔をしている。

「これ面白いでしょ。毒霧のタネ」手に持っていたお菓子を見せる。ラムネ菓子だ。

「毒霧って普通は液体を使うんだけどね。ラムネもいいよ。事前に粉々に砕いておくの。結構キレイに霧状になるんだよね。これなら相手のコスチュームもあんまり汚れないし」

 彼の表情は全く変化しない。

「コスチュームに簡単に隠しておけるしね。液体だと隠しておくのが大変なんだって。なんかコンドームに入れておいて、それを噛み切って口に含んだりするらしいよ。そんなもん未使用とは言え口に入れたくないよねー。第一彼氏もいないのに、つーかヤッたこともないのにそんなもの買いたくないし」

 ユウヤくんは無言。クスリともしてくれない。

「なんで俺に見せようと思ったの?」

 突然。口を開き、重たい言葉を投げかけてくる。

「あのね。私さ。ちんちくりんでしょう?」

 なにを言い出すのかと目を丸くさせる。

「マンガとかならさ。小さくても運動能力は抜群で~とか、誰にも負けないガッツがあって~とか、もしくはとんでもない超能力があったりするじゃない」

 なんだか鼻水が出てくる。垂らすのもイヤなのですする。

「でも私さ、運動能力もてんでダメなの。その上根性ナシ。もちろん超能力なんてありゃしない!」

 布団を乱暴に握ってぐしゃぐしゃにする。

「だからね。私にはね。アレが精一杯なの。あのキャラを作ってやっとリングで試合ができるようになったの」

 今頃。高木がメインイベントを闘っているときだろうか。

「ねえ。ユウヤくん。あなたは私みたいにならないで」

 さっき喉乾いたっつってやたら水飲んじゃったから。目から出てきやがる。

「アナタには素晴らしい体格がある。運動能力がある。プロレスセンスも根性も全てある」

 クッソ! イミワカンナイくらいに涙が出てくる! めっちゃムカツク!

「あとはリング上でのなんていうか、キャラクターだけ! でもそれだって難しいことじゃないよ!」

 目ん玉をゴシゴシこする。

「アナタの素の性格をリング上でモロ出しにすりゃあいいだけ! アラタのバカ野郎みたいにさ!」ムリに笑顔を作る。得意技だ。

「それが出来れば負けやしないんだよ! あんなヤツには! 私に言わせればさ、その……。アナタの方がずっと魅力的だと思うよ!」

 彼は私から目を逸らした。

 ――沈黙。自分の心臓の音と嗚咽の音がうるさい。

「簡単に言うなよ――」彼が口を開いた。「そんなのどうしたらいいか分んねえよ。自分が出来ないコトを人にやれなんていうなよ」

 頭をガーンとやられたような刺激が走る。

「そ、そ、そんな言い方しなくてもいいだろ! イジワルクソ野郎!」

「うるせえな! テメエにできないことは俺にもできねえよ! そんなバカみたいな格好して! ムカツクんだよ!」

 枕を頭上に持ち上げ、思いきり投げつけた。

「出て行け! 大ッ嫌い! 死んじまえバーーーカ!」

 彼は私に背を向けてつぶやいた。

「おまえもかよ」

 バタンとドアが閉まった。「おまえもかよ」。その言葉が私にギザギザにキズをつける。さっき彼が受けたブーイング。そいつが耳なりのように私の耳の中でコダマした。

(私の気持ち。なんにも分かってないんだよテメエは! アホンダラ! ドテカボチャ!)

 本当にキライなヤツに大嫌いなんてワザワザ言うわけがない。

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