第20話

『決勝戦の前に十分間の休憩となります!』

 社長がマイクで宣言した。観客たちがバラバラと立ち上がりトイレや売店に向かう。

 私もいそいそとリングを降りた。

(控室に行かないと)

 控室は通常、赤コーナー側と青コーナー側の二つ用意されている。

 対戦する選手はそれぞれリングを挟んで反対側の控室に待機し、選手コールをされたら各々リングに上がってくるというわけだ。現在、ユウヤくんは青コーナー側、アラタくんは赤コーナー側に待機している。

(両方に行ってる時間はないよなあ)

 私は、まあその、青コーナーの方に向かった。

(そうさなー彼はちょっと精神的にもろいところがあるから、ね)

 息を切らしながら駆け込んでくる私を見て、ユウヤくんは目ん玉をまん丸くした。

「どうしたの! なんかあった⁉」

「えっ⁉ なんにもないけど」

「そ、それならいいけど。いやあんまりゼエゼエしてるからさ」

 クスっと笑われた。

「せっかく来てあげたのに!」頬をふくらませる。

「なにしに?」

「えっなにってこともないけど、さ」

 ただ。いてもたってもいられなかっただけだ。それくらい分かれよ!

「ありがとう」そう言って彼はペットボトルを口に含んだ。

 ロッカーと机とイスがあるだけの殺風景な部屋。しばらくの沈黙のあと。

「勝ちてえな」彼はそう呟いた。「これに勝てばベルトを巻けるんだよな」

「うん。もちろん」

「かっこいいよな。チャンピオンベルトって。ネオジャパンプロレスのヤツもいいけど。ウチのも負けてねえよな」

「イスカくんってホント天才の塊だよね」

 そういえば。カツヤがベルトを巻く姿を見て目をキラキラさせてたっけ。

「あいつを最初に巻くのは俺だ! そいつは譲れねえ!」

 彼はぐっと拳を握りしめた。思わず頬が緩む。

(なんだ。なんにも心配することなんてなかったんだ)


『いよいよやってまいりました! 決勝戦! 勝った方が初代王者! 今ムーンサーフプロレスリングの歴史の一ページ目が刻まれようとしております! さあ! MSPの社長兼リングアナウンサー、あのネオジャパンプロレスのカツヤのお姉ちゃん。セクシー美人だけど中身はおっとり癒し系。羽柴バニラがマイクを握ったあああ!』

『大変お待たせ致しました! ムーンサーフプロレスリング無差別級王者決定トーナメント 決勝戦を開始致します!』

 空気が燃えそうな大歓声が渦を巻く。

『青コーナーより! 橋爪アラタ選手の入場です!』

 入場曲に合わせて手拍子、そして大アラタコールが送られた。これにはさすがのアラタくんも一瞬驚いた顔を見せる。だがすぐに笑顔を見せ、歓声に答えるように両腕を上げた。

(いいね! アラタくんのこの人気!)

 彼はリングに向かって全力疾走。からの走り幅跳び。ウルトラマンのごとく水平に飛び、見事にリングのロープをくぐった。それはよかったのだが。勢いがあんまりよすぎた! 反対側のロープも通過してしまい、リング下に落下!

 場内全体に笑い声が響く。私と社長もこらえきれず、ブッと吹き出してしまった。


『赤コーナーより! 稲村ユウヤ選手の入場です!』

 パチパチという拍手と歓声が聞こえる。ユウヤくんが入場口に姿を現した。

 姿を現した瞬間のことは今でも忘れられない。

 ――Booooooo!

 歓声に混ざり込むようにブーイングが発生した。ムーンサーフプロレスリングで初めて発生したブーイングではないだろうか。私は耳を疑った。彼がなにを悪いことをしたというのだろうか。わからない。でもそのブーイングは止むことはない。

(アラタファンの仕業⁉ それにしたって)

 ユウヤくんの表情。明らかな動揺の色が現れている。

(――あっ。止んだか)

 なんだったんだろう。浮かない顔で入場してくるユウヤくん。私はムカついた。ムカついたけど。それとは別に冷静にこの現象を分析している自分もいた。

(でも。よく考えれば。珍しいことじゃないんだよな。こういう理不尽なブーイング)

 アラタくんみたいな感情移入がしやすいアツイ奴と、ユウヤくんみたいなクールで感情移入がしづらいタイプ。この二人が対戦した場合。しばしばアツイ奴のファンからクールな方にブーイングが浴びせられる。プロレスファンってヤツは感情移入ができない、感情が見えない選手を徹底して嫌う傾向があるからだ。

 でも私は大嫌いだ! リングで命を張ってるレスラーに対して、歓声の裏返しでないガチのブーイングを送るヤツなんて!

(頑張れユウヤ! ブーイングしたヤツなんて試合で黙らせてやれ!)


「ゴング!」

 カーンという音が会場に響く。両者、リング上を反時計周りで周回しながら睨み合い。会場は大アラタコールだ。ユウヤくんはほんの一瞬観客席に視線を送った。

「はあああっ!」

 アラタくんはその一瞬のスキを見逃さなかった。首をかっ切るようなハイキックが顔面を捉える。ウワっという歓喜の声。

 ダウンするユウヤくん。

 足を跳ね上げるようにしてすぐさま立ち上がった。

 そのままドロップキックを放つ。顔面にヒット。アラタくんは大きく吹き飛んだ。

(よし!)

 ――だが。観客席が静まり返ってしまう。

(なんで⁉)

 立ち上がったアラタくんはロープで反動をつけて突進。ラリアットを放った。

 ユウヤくんはこれをかわしてカウンターのエルボーで顔面をとらえた。ひるんだスキに追い打ちのビンタ攻撃。

(いいぞ! 気合が入って――)

 だが。場内から再びブーイング。それはドンドン大きくなっていく。

(たしかに今のはちょっと憎々しい感じの攻撃だったけどさ)

 ユウヤくんは追撃の手を緩めてしまった。顔が真っ青だ。表情が固まり切っている。

 そこにアラタくんの反撃。雄たけびを上げながらのパワフルなミドルキック。

 ユウヤくんはリングの反対側まで吹き飛ばされ、ロープに背中をもたれかからせる。

 アラタくんはチョップの連打。大歓声とアラタコールが発生する。

「ブレイク!」

 私はアラタくんを引き離した。これは別にヒイキしているわけではない。ロープにもたれた相手に攻撃するのは反則だ。

 ユウヤくんはフラフラと足もとがおぼつかない。あれぐらいの攻撃でそんなにダメージがあるはずはないのだが。

 できることなら。彼の背中をぶっ叩いて『頑張んなさい!』と言ってやりたい。それにブーイングなんか気にするな。いつも通りやれ。そう言ってやりたい。

 だけど。レフェリーにそんなことができるはずはない。

 アラタくんの得意のキック攻撃に必死で耐える。ユウヤくんは防戦一方だ。

 会場は一体となってアラタくんを応援している。

 ユウヤくんのこの必死な表情。

 勝ちたい、負けたくないという意志が、私にはイヤというほど伝わってくる。

(なんでお客さんには伝わらないんだ!)

 アラタくんのキック攻撃がついにユウヤくんのガードを弾き飛ばした。場内からウワっという歓喜の声。だが。

 バチーンという乾いた音。ユウヤくんのナックルパンチがアラタくんの顔面にめり込んだ。これは反則だ。当然ブーイングが発生する。

(いいぞ! やってやれ! どうせブーイングされるなら!)

 フラつくアラタくんの腰に後ろから手を回した。フィニッシュホールドのクレーターメイカーの体勢だ!

(ダメだ! まだ早い!)

 ユウヤくんとアラタくんのカラダが浮き上がる。最高点に到達。急降下。アラタくんはリングに叩きつけられる。客席からは悲鳴。ユウヤがフォールの体勢に入る。

「ワン!」

「ツー!」

 ――ウオオオオという歓声。アラタくんがカウントツーで肩を上げた。

 ユウヤくんはもうとても見ていられないような顔をしている。

(おい! まだ試合は続いてるぞ!)

 大歓声を背にユウヤに組みつくアラタ。強烈な頭突き。ユウヤの額から血が噴き出る。

 アラタは右手を高く上げ、ギュっと拳を握りしめた。

「アームストロングラリアットだ!」

(なにそれ⁉)

 観客席が沸き上がる。アラタは助走をつけてロープに向かってジャンプ。

「うりゃあ!」

 空中でロープを蹴って反動をつけた。とんでもない勢いでウルトラマンのように水平に飛んでゆく。空手の『三角飛び』の要領だ。

 横に構えた右手をぶん回しユウヤくんの首にブチ当てた。

 ユウヤくんは空中で三回転。頭からマットに叩きつけられた。

 カウントを。わざわざ数える必要もない。

「ワン!」

「ツー!」

「スリー!」

 ワンツースリーの大合唱。会場大爆発!

 初代ムーンサーフプロレスリング無差別級王者が誕生した。その名は『隕石野郎』橋爪アラタ! 殆どの観客にとって最高のハッピーエンドとなった!

 歓声はいつまでも鳴りやまなかった――


 控室はムワっとした汗の臭いで充満していた。完成したばっかりのスタジアムの控室が、どーして既にめっちゃくちゃ男くさくて、全体的に薄汚いのだろう。

「風邪ひくよ」

 部屋にいるのは。さっき負けた人。

 上半身裸でベンチに座り頭にタオルを乗せてうなだれている。

「首は大丈夫なの」

 一ドット、二ドット単位のびみょうな動きで首をタテに振って見せた。

「結構体仕上がってきたね。特に上腕――」

「今日はひとりにしてくんねえかな」

 地獄の底から湧き上がるような声を出した。

 やだやだ。暗いヤツが落ち込んでるときにヌカす常套句じゃないか。

「わかったよ今日の所は勘弁してあげる」肩にポンと手を乗せる。「明日は?」

「へっ?」

 顔を上げた。タオルがパサっと床に落ちる。

「明日はヒマかって聞いてんの」

「なんで?」

「ヒマかヒマじゃないかだけを言って」

 ワザとらしい満面の笑みで彼の顔を覗きこんだ。

「ヒマだけど、さ」

「じゃあいいものあげる」

 アルティメットホンを操作してプリンターアプリを起動する。アルホンのケツからウイーンと紙っぺらが出てきた。ポイっと手渡す。

「なにこれ」「チケット」「プロレスの?」「うん」「どこの団体?」

 私はすーっと息を吸った。

「私の団体。マチダ女子大プロレス研究会」

 彼は目ん玉を丸くして私を見た。

「第一試合に出るからね。遅れないで来てよ」

 控室のドアを乱暴に開いて、もっと乱暴に閉めた。

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