第18話

 無重力マニアまであと二週間。今日もユウヤくんの受け身の音で目を覚ます。

(てゆうかずっと地球帰ってねえな。まあいっか)

 玄関を出て私もリングに上がる。すっかり日課となった朝練の開始だ。基礎的な動きや基本技については、もはやアドバイスすることはなにもない。あとは私が知っている技をできるだけ多く教えてあげるだけだ。

「えーっと。なんかあったかなァ」そしてそれもネタぎれ気味である。

「もうだいたい教えちゃったかも」

「じゃあさ。ラナちゃんのフィニッシュホールドを伝授してよ!」

「えっ! 私の⁉」

 フィニッシュホールド。それが出ると試合がフィニッシュする技。要するに必殺技だ。

 一応私にもフィニッシュホールドはある。あまり参考にならないと言ったのだが、やけに熱心にせがまれるので披露することにする。

 私はぴょーんとジャンプ。コーナーポストに登った。

「はは。ラナちゃんもすっかり無重力に慣れたね」

 ヒューっと飛び降りながら両手の指を恋人繋ぎのようにしてギュっと組む。そいつを頭上に振りかぶる。

「うりゃあ!」

 叫びながらソレをユウヤくんのアタマめがけて振り下ろす! コン! というかるーい音がした。

「ぐわあああ!」

 ユウヤくんはワザとらしく叫びながら後ろに吹き飛んだ。

 まあ確かに。プロレスでは相手の技を喰らったら大袈裟にリアクションして盛り上げる必要があるのだが。

「ヘタクソ!」

 こうもヘタクソでは逆に盛り下がること請け合いである。

「ご、ごめんなさい!」

 観客が盛り下がるだけでなく、場合によっちゃあ対戦相手がヘコむことになりかねない。

「もういいわ! 今のは『ダブルスレッジハンマー』っていう技!」

「威力はともかくかっこいい技だね。使ってみようかな」

 ブンブンと拳を振り回す。

「威力はともかく、ね。腕長いから似合うかもしれないけど」

「ドラゴンファイトでよく使われてるよねこの技」

 ドラゴンファイト。二十世紀に少年ステップに掲載された古典的名作バトル漫画。現在に至るまでなんどもリメイクをされている。

「アレだとこのワザで空中に飛んだ相手を地面に叩きつけたりしてるよね。作者の鳥川さんはプロレス好きだったのかしらね。それにしても渋い趣味だけど」

「ラナちゃんはなんでこれをフィニッシュホールドにしようと思ったの?」

「なんでだっけかー? まあまあ跳躍力だけはあるからって先輩にススメられたような」

 なるほど。と呟きながらユウヤくんはポストに登り、そこから飛び降りた。

 そおい! などといいながらダブルスレッジハンマーを繰出す。

「やっぱり迫力がイマイチかな。この間アラタくん倒した技の方がダンゼンいいね」

「そうかな?」嬉しそうに頬を緩めた。

「やっぱりフィニッシュホールドはアレにしようよ。技の名前は決めた?」

「うーん。いいの思いつかなくて」

「じゃあさ」こっそり考えていた案を提案する。「『クレーターメイカー』っていうのはどう?」

 ユウヤくんは、パチンと指を弾いて私を指差した。

「いいでしょ! あの隕石みたいに降ってきて、マットに穴が空いちゃうんじゃないかってぐらい叩きつける感じ! 『メテオボム』とかも考えたんだけど、『クレーターメイカー』の方が『月感』あるでしょ?」

 ブンブンと首をタテに振る。どうやら気に入ってもらえたようだ。

「しかしもうあと二週間かー。本番まで」ユウヤくんの肩をポンと叩く。

「どう? イケそう?」

「そうだなー。アラタに勝てるかどうかってのがなあ」

 アラタくんと当たるのは決勝だ。

「ネガティブだなー自信もちなさいよー」

 オナカに軽くパンチを喰らわせる。

「そう言われてもさー。なにか名作戦ない?」「ないわよそんなもん」「じゃ、じゃあ本番までにできる特訓とか」「特訓―?」

 いまさらそんなオーバーワークをしたからってどうもならん。むしろ休んだ方が――

「うーん。そうねそれなら」

 彼はキタイに満ち溢れた目で私を見る。

「一日練習は休んで『座学』をしましょう!」

 怪訝な目に変わった。

「地球にプロレス見に行こう!」


 大阪府立体育会館。本日チャンピオンのKATSUYAが迎え撃つのは最大のライバル、宿敵と言われるあの男だ。

『赤コーナーよりチャレンジャー! トランキーロ内田の入場です!』

 真っ白なスーツに身を包み、顔には銀色の鉄仮面という姿。いつみても気が狂った入場コスチュームだ。見た目の通りネオジャパンプロレスのヒール(悪役)レスラーだ。後ろには手下のデビル、カラアゲ、ユキムラを連れている。ブーイングと歓声が入り混じった怪音波が会場中に響き渡った。

「ブーーー! 帰れー! 服装も仮面もヘンだぞ!」

 私も当然ブーイングを送る。

「そうかな? 俺はかっこいいと思うけど」ユウヤくんはパシャパシャと写真を撮っている。

「ラナちゃんはあいつ嫌いなの?」

「えっ? べ、別に嫌いなんかじゃないんだからねっ!」

「なにそれ。ツンデレ?」

「悪役にはね、ブーイングするのが礼儀なの! 特にリスペクトする悪役には!」

「そっか。プロレスファンって礼儀正しいんだね」

 とんちんかんなことをのたまったのち、ユウヤくんもブーイングを開始した。

『青コーナーより! チャンピオン! KATSUYAの入場です!』

「カツヤアアアアアアアアアアアアアアア!」

 ユウヤくんがびっくりした顔で私を見た。

「やっぱりよく見ると社長に似てるよなァ」ユウヤくんがつぶやく。

「ね! 目元なんてそっくり! カツヤアアアアア! かっこいいいいいい!」

 あまりのテンションに苦笑するユウヤくん。私にカメラを向けて一枚写真を撮った。


 華麗なテクニックとダーティーな絡め手を得意とする内田。泥臭いストレートな攻撃が持ち味のカツヤ。性格も正反対でプライベートでも若手時代から大変仲が悪かったらしい。

 それなのに。内田と闘っているときのカツヤ、カツヤと闘ってる時の内田が一番輝いて見えるから不思議なものだ。

『決まったー! 卍固め!』

 出た! カツヤの大一番限定の切り札! 立った状態のまま複雑に絡みつき、全身を締め上げる大技だ!

『あーっと! これはいけません!』

 セコンドについていたデビルとユキムラがリングに乱入してくる。カツヤの背中を蹴りつけた。場内大ブーイング。私も当然、肺にパンパンに空気を入れてブーイングする。

「今すげえ速さだったな。リングに乱入するの」

「変な所に感心してるわねえ」

 確かに笑っちゃうくらいのスピードだったが。

 カツヤはデビルとユキムラに蹴りを見舞い、リング外に叩き出す。だが! そのスキに!

 内田がカツヤを羽交い絞めに捉える。場内からは悲鳴。

『カラアゲがリングに上がるー!』

 ヤツは無防備なカツヤの顔面に、赤い液体を吐きかけた。

「なにアレ⁉」ユウヤくんが私の肩をバンバンと叩く。

「毒霧! 口に仕込んだ液体を霧状に吹き出してぶっかけるワザ!」

「へーそんなのアリなんだ!」

「アリなわけないでしょ! まあ定番の反則技だけどね」

(私も試合で使うし、ね)

 顔面をかきむしるカツヤ。内田がそこへ追い打ちをかけるように急所を蹴り上げた。カツヤを羽交い絞めにとらえ、ニヤりと笑う。内田はそのまま仰け反ってブリッジをするようにして後ろにほおり投げ、マットに叩きつけた。

『決まったー! ドラゴンスープレックス!』

 場内大歓声!

「おおおお! すげえ! めっちゃ綺麗なフォーム!」

「まあ……ね」

 レフェリーがカウントを数える! ワン! ツー! 観客達もそれに合わせ、ワン! ツー! と大合唱する! スリーが入る前にKATSUYAが足を跳ね上げて肩を上げた!

 拍手と怒号が場内を包む。内田が悔しそうにマットをバシーンと叩く。

「ああ! カツヤァ! ちくしょー! 乱入して助けてあげたい!」

「オイオイ」

「なによ! 文句あんの! ファンなら当然でしょ!」

「人によると思うけどな」

 カツヤが立ち上がるが。

 内田がチラっとアイコンタクトを送った。今度はカラアゲが羽交い絞めにする。

「めっちゃチームワークいいな。悪役軍団」

「そうなのよねータチ悪いわー」

 一部女子からは『実はめちゃくちゃ仲良さそうで萌える』などと言われているが。

 内田は羽交い絞めにされたカツヤに、フワっとしたジャンプからドロップキックを放つ。

『ああーKATSUYAかわしたー! 内田のドロップキックがカラアゲに誤爆!』

「よっしゃああああ!」

 さあ! ここからがカツヤの大逆襲の始まりだ!

 まずはビンタ攻撃! 二発三発と内田の生意気なツラにぶち込んでいく! ものすごい形相だ!

「蹴り行け! 蹴り!」

 私の歓声に呼応するように、ミドルキックを左右交互に四連発! バチーンという水気のある音と共に汗がはじけ飛ぶ! 内田は足もとから崩れマットに尻餅をつく。カツヤが猛り声を上げながらロープに走る!

「行けええええええ! ペナルティーキック行けえええええ!」

 ロープの反動を利用して突進。サッカーボールを蹴るように内田の胸板を蹴り上げた! 仰向けにぶっ倒れる! 全身に体重をかけ抑え込む!

「ワン!」

「ツー!」

 再び大合唱!

「スリー!」

 スリーカウントが入った! KATSUYA五回目の防衛に成功!

 大阪府立体育会館大爆発! 超特大カツヤコール!


 試合は二十時半に終了した。ぐったりと疲れた体を車の助手席に横たえていた。

「ありがとね。わざわざ家まで」

「いえいえ。どうせすぐだし」

 大阪からネオ新百合ヶ丘まで空を飛んでたったの二十分。いい時代になったものだ。

 眼下にロマンチックな夜景が広がる。

「いやァ。いい試合だったなあ。どう? ユウヤくん、勉強になったでしょ?」

「ああ。もちろん。色々と目から鱗が落ちたよ」

(良かった。それなら連れてきた甲斐が――)

「あの内田って選手はすごいね!」

「そっち⁉」

「最初はさ。彼に対してなにもそんなにブーイングしなくても。と思ったんだよ」真剣な声色で語る。「でも試合を見るにつれて分かった。アレは形を代えた歓声なんだって」

「それはその通りだけど」

「そういう意味じゃあ、弟サンと同じかそれ以上の支持があったんじゃない?」

「まァ人気があるのは間違いないね。グッズの売上も一番だし」

 トランキーロ内田。若い頃は爽やかなルックスに加え抜群の身体能力はあったものの、個性に欠けておりパッとした人気はなかった。しかし今のスタイルになって大ブレイク。とにかく観客の怒りを煽り、心を揺さぶるのが上手い。ヒールの天才と言ってもいい。今日の試合でも存分に発揮されていた。

「私だって彼の実力はもちろん認めてるよ」

 カツヤほど好きじゃないけどね。見た目がチャラいから。と付け加えた。

「カツヤを見習って欲しくて連れてきたんだけどなー」

「弟サンを?」

「見たでしょう? 最後の彼の攻め! あの気迫! 鬼気迫る表情! ユウヤくんはああいう部分が足りないよ!」

「そ、そうかな」

「そうだよ! これはただの精神論なんかじゃないよ! ああいう気迫があればこそ、相手のココロを折ることができるの! スリーカウント以内に立ち上がれないようにするにはココロを折るしかないんだから!」

 一気にまくしたてすぎて苦しい。一旦息を吸う。

「そういう点ではアラタくんに完全に負けてる!」

「うーんそれは確かに」

「だから人気でも負けるんだよ!」

「ええっ!」

「ハタから見ててね、明らかにアラタくんの方が声援大きいよ」

 ドえらくショックを受けた顔をしている。

「アナタはね。リング上で無表情なんだよ。だから感情移入もしづらい」

 ユウヤくんがドラゴンのブレスのような溜息をつく。

「そ、そんなにヘコまなくても」

「昔っからそうなんだよなー。俺よりあいつの方が人気者でさ。男子からも女子からも!」

『女子からも』のところにひどく力が入っていた。

「で、でもさ。イスカくんは断然ユウヤくんの方がすきじゃない⁉」

 中途半端なフォローをしてしまった。彼は「まあね」とポツリつぶやいた。

 なんだか傷つけてしまったようで申し訳ない。

(私もユウヤくんの方が――なんて言ったらウザがられるかな)

 などともじもじしていると。

「よし! わかった!」彼は急にパチンと手を叩いた。「ラナちゃんの言うこと。ごもっともだよ! カツヤ選手の映像たくさん見て勉強します!」

「う、うん!」元気を取り戻してくれてよかった。

「そしたらさ。ウチに彼の試合のディスクたくさんあるから、寄っていく?」「いいの? ありがとう!」「いいよ。買うと高いしね」「月のレンタル屋にはないしなあ」

 そんな会話をしながら考える。

(夜にウチで二人きりか。コレは送り狼ってヤツなのでは? いや、私から誘ったから逆送り狼か。プロレスっぽく言えば『リバース送り狼』)

 なんだかそわそわする。


「ちょっとここで待ってて!」

 さて。部屋がドエラく散らかっているから大変だ。汁が入ったまんまのカップラーメンを流しに捨てる、床に散らばった服を団子みたいに丸めてタンスにブチ込む、ベッドの上でぐちゃぐちゃになった布団を綺麗に敷き直す。うわ。パンクズみたいなのがカーペット中に散らばっている。汚らしいことこの上ない。

(掃除機かけるしかねえか。どこにやったっけな。一年ぐらい使ってなかった)

 全身鏡に映る姿。キャップを取ったアタマはボサボサだ。こいつもなんとかしないと。

(これはどうしよっかな)

 壁一面を覆っている巨大なポスター。カツヤの顔のドアップの図柄である。カツヤに見つめられてる感があって大変お気に入りなのだが。

(ヒクようなあ。こんなポスター)

 クルっと丸めてパソコン机の上に置いた。


「お、お待たせ―」

 入口のドアをウイーンと開く。二十分がとこ待たせてしまった。ただ待つほうには永遠に感じられただろう。ユウヤくんは苦笑いを浮かべていた。

「掃除機かけてたでしょ。どんだけ汚れてたの」

(バレてた!)

 彼はおじゃましますと言いながら、すすーっと部屋に入った。

「なんだ。意外と普通の部屋だね」「どんな部屋だと思ってたの」

 ローテーブルに、二人掛けのソファー、それからベッド。タンスがひとつにパソコン机。ごくごく普通の構成だ。パソコン机の上に山ほどプロレスのフィギュアが置いてあるのが気になるぐらいか。普段は散らかりすぎているのと、カツヤのドアップのせいでとても「普通」には見えないが。

「テキトーに座ってー」

 とりあえずカツヤの試合のディスクを渡そう。パソコン机の引き出しから取り出す。

「ほらコレと……キャッ!」

 思わず女の子みたいな声を出してしまう。ユウヤくんが私の真後ろに立っていたからだ。

「ど、どうしたの?」

「そのでっかいポスターなにかなーって思って」

 ニヤニヤと笑っている。

「めざとい野郎ねー」「み・せ・て」「ヒカれるからやだ」「大丈夫大丈夫」

 静止も聞かず私の頭越しにポスターをひょいっと拾い上げる。

(うわっ! 近っ!)

 殆どゼロ距離だ。心臓がハネ上がる。

「やめて!」

 思わず叫んでしまった。

「あっ、ご、ごめん!」

 ユウヤくんは二歩ぐらい身を引き、泣きそうな顔で立ち尽くしている。

「そ、そんなに見られたくないものだと思わなくて。こんなんだからモテないんだよな俺」

 両手のひとさし指をツンツンと合わせている。

「ごめん。あんまり近くに来たから。ビックリしただけ」

 いつも寝っ転がって関節技をかけたり、抱きかかえてブン投げたりしてるのにおかしいけど。

「別に見てもいいよポスター」

 ポイっと投げ渡した。

「おおうコレは」「ヒイたでしょ」「ちょっとね。いつもは壁に貼ってるの?」「うん」「さすが」「でも私の友達も同じシリーズの内田のヤツ貼ってるよ」「へえ」「しかもペロって舌だしてる写真のヤツ」「こうして見るっとホント社長にそっくり」「そろそろ返してよ」「面白いから写真撮っていい?」「ダメ! 返しなさい!」

 ポスターを奪って机に戻した。

「恥ずかしがって、隠すなんてかわいいとこあるじゃん」

「うるさい! ホラ! これ!」

 ディスクを手渡す。キラキラにポラロイド加工されたケースが三枚。厚さ五ミリのB5サイズぐらいの大きさだ。実際のディスクはつまようじみたいな大きさなのに、無駄にでかくて豪華なイレモノである。

「ありがとう! そんじゃあねー!」

「えっ! 帰っちゃうの⁉」

(あっ、手え掴んじゃった。つい……)

「冗談に決まってるじゃん。一緒に見ようよ」

 そういいながらディスクを取り出し、アルティメットホンのディスクホールに刺した。


 ソファーに並んで座り、プロジェクターアプリで壁に映した試合を観戦する。チラチラとユウヤくんの表情を伺う。試合を見つめる眼差しは真剣そのものだった。

「若い頃からすげえ気迫だなあ。それにあの顔!」

 今見ている試合はカツヤがデビューして一年ぐらいのときの試合だ。対戦相手はベテランの秋田ジュンイチロウ。カツヤは大先輩をものすごい顔で睨み付けている。

「そうねー。気迫だけはトップレスラーにも負けなかったね」

「なるほどなー」彼はそういいながら長い足を組み替えた。「アラタもそうだったなあ」

 なんだか意外な方向に話を飛ばした。

「ガキの頃からさ、気に入らなければ先生だろうが、先輩だろうが睨み付けて反抗してたっけ」

「へー。まあ今でもガンコな所はあるかな?」

「そうだな。イザっていうときはヒカないっつーか」

 もう一度足を組み替える。

「まあその辺りの気質がプロレスにもいい方向に出てるよな」

「そーだね」

「俺にはそんな才能はない。むしろ逆だ。同じ土俵で勝負しても勝てるのかな。試合も。観客からの支持も」

「で、でも。テクニックはユウヤくんの方がずっと上だと思うけど。今じゃあ」

「ホントにそう思ってる? ほんのちょっと上ぐらいじゃないか?」

 その通りだ。沈黙してしまう。

(あーもう! ヘタだなあ! 人に気ぃ使うのが!)

 ぎゅっと自分のヒザを握る。

「悪い。グチっぽくなって。俺暗いなー!」

 自虐的で弱々しい表情。リング上でもときおり出てしまっている表情だ。

 彼のこの表情を見ると。なぜだか胸が締め付けられる。少し動悸が激しくなる。

 画面では秋田をKOしたカツヤが勝ち名乗りを上げている。

「ちょっと目え疲れたな。休もうか」

 そういいながらアルティメットホンを停止させた。急に静かになる。部屋は薄暗い。プロジェクターを見るために灯りを小さくしていたためだ。

 チラっと彼を見る。彼も私の方を見ていたらしく目が合った。フワっと爽やかな香りがする。整髪剤の匂いだろうか。

(私のことどう思ってんだろ。嫌われてるってこたあないよな)

 時間をチラっと見る。二十二時四十五分。

(もう結構なオトナの時間じゃないか)

 彼も時計の方を見た。

「あーーー!」

 突然立ち上がって叫んだ! 心臓が止まりそうになる。

「ど、ど、ど、ど、どうしたの⁉」

「ヤバイ! 十一時までに地球出ないと! 『無断地球泊』になっちまう!」

「ええええええ!」

 そういえば! そんなルールあった気がする!

「ごめん! ラナちゃん! また今度! じゃーね!」

 天狗のようなスピードで部屋を出て行った。しばし呆然として口をポカンと開ける。

 ――我に返った私はベッドに向かってダッシュ!

「くっそう! シンデレラかテメーはよ!」

 ジャンプしてヒザを落とした。キングコングニードロップ。往年の名レスラーブルーザーブロディの必殺技だ。

(バカ! いくじなし! だからプロレスも弱いんだよ!)

 今夜はとても眠れそうもない。枕に顔をうずめてゴロゴロと転がった。


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