第11話

 翌朝。バッタンバッタンという物音で目を覚ました。

 部屋の外。庭の方からだ。――泥棒じゃないだろうな。まさかとは思うがリングを盗まれては大変だ。窓のカーテンをそーっと開けて庭の様子を見る。

(泥棒じゃない。レスラーだ)

 稲村くんがリングの真ん中で練習をしているようだ。直立状態から小さくジャンプして勢いよく後ろに倒れこむ。アゴを引き、両手を広げ、バチーンとマットを叩いた。

(受け身の練習か)

 それをなんども繰り返す。プロレスラーにとって最も重要な技術は受け身だ。なにせ他の格闘技では考えられないくらい、とんでもない勢いでブン投げられてマットに叩きつけられることがしばしばだからだ。受け身がしっかりできなければ一〇〇パーセントケガをすると言っても過言ではない。

 私はムーンシューズを履いて玄関を出た。転ばないようにスリ足でゆっくり歩く。

「ナイス受け身!」

 拍手をしながらリングに近づいて行く。

「おはよ」

「お、おはよう」

 彼は照れくさそうに、ほっぺたをかきながらあいさつを返した。なんで男の子って努力している所を見られるのを恥ずかしがるんだろうか。もっとドヤ顔をすればよいと思う。

 練習の邪魔をする気はない。続けて続けてと促す。

「受け身バッチリじゃん。さすがHIDEYOSHIの弟子」

「社長に聞いたの?」

 首肯する。

「でも俺さ。途中でケガしちゃって、あんまり教わってないんだ」

 そうか。それで他のみんなよりヘタなのか。と思った。もちろん口には出さない。

「だから。こうして。頑張んないと」

 何時からやっていたのだろう。全身汗だくで、髪の毛なんてプールから上がった後みたいにびちょびちょになっている。

 回数を数えながら、ひたすらカラダをマットに叩きつけていく。

(私もざんざんやらされたっけな)

「九十九! ――百!」

「お疲れ!」

「ありがとう! あー疲れたわー!」マットの上でアグラをかいた。

 私は一番下のロープとマットの間を滑るようにしてリングに上がった。

 彼の目の前に立つ。

「どうしたの? ラナちゃん」「もうヘバった?」「え、へばっちゃいないけど」「ちょっと教えてあげようかプロレスを」

 エラそうに腰に手を当てながらそうホザいた。彼は一瞬キョトンとした顔をした後「ぜひお願いします」と笑顔。

「よし! じゃあ弱点補強をしましょう」

 立って立ってと促す。

「アナタはね。基本的な動きはマア大体大丈夫だけど、一箇所決定的にダメなところがあります。なんだか自分で分かる?」

「……ロープワーク」

「正解」

 ロープワーク。リングの四方に貼られたロープの反動を利用して、素早くマットを駆ける技術だ。良く知らない人でもプロレスと言われると連想することが多い、プロレスを象徴する技術と言ってもいいかもしれない。見た目よりはるかに難しく、練習しなくてもうまくできる人は存在しない。

「一回やってみて」

 彼はロープまで素晴らしいスピードで走り、クルっと反転。ロープに背中をブツけた。その瞬間、完全にスピードが死ぬ。走るフォームもドタドタになってしまった。ヒドい。これならロープを使わない方がはるかにマシだ。

「どうかな」「二点」「何点満点で?」「千点満点」

 お手本を見せる。ゆっくりとロープまで走り、体を反転させる。

「よっと!」

 背中でロープを使い加速した。

 ユウヤくんの目の前でピタっと静止する。彼は心底驚いた顔をした。失礼なヤツだなあ。

「いい? ロープにぶつかるんじゃなくて、ロープに背中を乗せるの。自分の体重でしなったロープの反動を斜め上に効かせるイメージね」

 再びロープに走るユウヤくん。しかし。今度はカラダを倒しすぎて背中でなく頭でロープに乗っかってしまった。当然バッタンと仰向けに倒れた。

「大丈夫⁉」「重力が少なくて助かったわァ」「ロープがいっぱいある分難しいけどね! ほら大丈夫ならもう一回!」

 おっ! 今度はまあまあうまい感じにロープに乗った。

「どう⁉」「悪くなかったよ。じゃあ今の感じで三十往復!」「マジで⁉」

 ブツブツ文句言いながらも、ロープを使ってリングを行ったり来たり。真剣な表情。ほとばしる汗が朝日を浴びてキラキラ光っている。

(この団体じゃあ彼のファンになろうかな。どっちかというと天才型のレスラーよりも努力型のレスラーが好きだから)


「朝ごはんできたわよー!」

 社長がみんなを呼ぶ。机の上にはごはんと味噌汁、トースト、それから目玉焼き、焼じゃけ、ミートボール、サラダ、フルーツ、ジャーマンポテト、シリアル、それに山積みになったパンケーキ。ありとあらゆる朝ご飯メニューが並んでいる。

 アラタくんが猛然とそれをカキこんでいく。

「見てるだけでお腹一杯なるわ」

 稲村くんはトーストをゆっくり齧りながらコーヒーを飲んでいる。

 意外なことにイスカくんもなかなかの勢いで机のものを消化している。フォークでパンケーキを五枚同時にさしてそれにハチミツをたっぷりかけて口に運ぶ。口に入れた瞬間、ほっぺたに手を当て幸せそうな顔。

(かわいすぎ)

「あいつ甘い物ばっかり食べるんだよな。だからほっぺたがぷっくりして余計女の子みたいに見える」

「ユウヤ! ヒドイ!」

 そういいながら、牛乳に浸けたシリアルをガッサーと口に運ぶ。

「稲村くんは全然食べないね」

「俺はこいつらと違ってカラダ作りに拘りあるからね。いらん栄養はとらない」

 たしかに彼は無駄な脂肪の一切ない体をしている。

「でもね。レスラーはちょっと脂肪もないと。そうじゃないと長い試合はスタミナ持たないよ」「そういうもんなの?」「アラタくんみたいになれとは言わないけどね」「でも兎月さんイチミリも脂肪ないじゃん」「いくら食べても太らないんだもん」「なにそれ! ムカツクー!」「イスカくんはぽっちゃりかわいいからそのままでいて」「ぽっひゃりなどひてにゃい!」「ほっぺたリスみてーにパンパンにさせてんじゃねえよ」「はあ! あぶねえ詰め込み過ぎて窒息しそうになった……」「おまえもなアラタ」「みんないっぱい食べてくれるから作りがいあるわァ」

 社長の幸せそうな顔。みんなのお母さんといった風情だ。

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