第10話

 ムーンサーフプロレスリングの道場兼住み込み寮は2LDKの一軒家。リビング、ダイニングを兼ねた事務所に加え、稲村くんたち三人が寝る部屋と社長が寝る部屋がある。

 時間はもう深夜零時。今晩は社長の部屋に泊めてもらうことになってしまった。

「ありがとうございます、パジャマまで借りちゃって」

 萌え袖とかいうレベルじゃないほど袖が余っている。両手両足が袖で完全に隠れてしまって、てけてけというオバケみたいなありさまだ。

「ごめんね。女の子を男の子がいる家に泊めるなんて。地球まで送らなきゃいけなかったんだけど」

 どうも午後十一時をすぎて月から車をトバすことは禁止されているらしい。地球から飛ばすのもしかり。

「でも安心して! 私が責任をもってラナちゃんを守ります!」

(私よりよっぽど社長の方が危ないんじゃ)

 社長さんのムッチリしたパジャマ姿を見ながらそんなことを考えていると。彼女は素早く私のバックを取った。

「えっ⁉」

 私を後ろから抱きしめて、そのままベッドに倒れ込む。

「これなら安全!」

「こ、ここまでして頂かなくても!」

 顔がカアっと熱くなる。

「いいでしょ! このまま寝ちゃおうよ」ぎゅっと力がこもる。「昔よく弟をこうやって寝てたなあ」

 寂し気な声。

「あの。ごめんなさい。私今日散々ぱら失礼なことをいろいろ言っちゃって」小さな声でつぶやいた。「どうも興奮するとわけがわからなくなっちゃって」

「いいのよ」アタマをポンポンと叩かれた。

「それぐらいじゃないとプロレスラーなんて務まらないんじゃない?」

 私はプロレスラーじゃない。と言いかけたが。うーんそうね。私はアマチュアのプロレスラーなんだよな。よくわからないことに。とりあえず「ありがとうございます、そういって頂けると」と返答した。

「それにしても。面白い団体ですね」ずーっとギモンに思っていたことを聞いてみることにした。「選手のみなさん。プロレスの基本的な動きやワザはみんなバッチリできてます。それなのに応用的な技術とか、演出面の理解は全くできていないっていうのは」

「そうね……」またもや寂しそうな声。「その辺りはこれからじっくり教えてもらう予定だったんだけど」

「教えてもらう?」

「ええ、実はね。この団体を作ったのは私の父なの。元プロレスラー。地球のネオジャパンプロレスのね」

 思わず振り返る。

「父は引退後、月の『無重力』を使った全く新しいプロレス団体を作りたいと考えた。プロレスのことを知らなくても、才能のある子たちを集めて」

 私を抱える腕にぎゅっと力が入る。

「徹底的に基礎を叩き込んだ。とんでもない鬼コーチだったけど、みんな一生懸命ついてきてくれた。彼らなりにやりがいを持ってくれたんだと思う」

 それは今日の試合を見ればよくわかる。

「でもね。これからいよいよ試合の本番の技術を教えようってときにね。死んじゃったの」

 さらに力が入る。少し苦しい。

「やっぱりね。月の環境が体質に合わないって人も一定数いるみたい。ユウヤくんたちのご両親もそうなんだけどね」

 そうか。それで彼ら三人はこの家に。

「父が残したこの団体――」

 そのあとは言葉にならなかったようだ。私の首辺りに暖かい水滴がつく。

「社長さん。私頑張りますよ! 微力もいいところですけど!」体勢を入れ替えて私が彼女の首に手を回した。ちょっとスリーパーホールドみたいな体勢だ。「遠慮なくビシバシ、ボロクソに言わせて頂きます!」

「ありがとう。嬉しいよ」

「ちなみにお父さんのお名前は? 多分知ってると思うんですけど」

 総理大臣は一代前すら忘れたが、ネオジャパンプロレスの歴代レスラーはほぼ暗記している。

「羽柴健太郎。リングネームはHIDEYOSHI。知ってる?」

 深夜。叫び声が響き渡る。私の。

「と、当然知ってます! わ、わ、わ、私! カツヤ、弟さんの大大大ファンなんです!」

「そっか! 甘えん坊のカツヤがプロレスなんてと思ったけど。頑張ってるみたいね」

「頑張ってるなんてもんじゃありませんよ! チャンピオンですよ! チャンピオン!」

「ぐえ! 苦しい……!」

 興奮しすぎて姉上様を絞め落としかけた。


(うーん。眠れやしない)

 元々わりと枕が変わると眠れなくなるタイプなのだが。特に今日はいろいろありすぎて目が冴え散らかしている。社長さんはとっくにスヤスヤと寝息を立てていた。

(喉乾いたな)

 台所に行って水を頂こう。それぐらいはいいよね。コロリと転がってベッドを降り、ドアを開いた。あれ。事務所の電気がついている。

「稲村くん?」

 茶色い頭の男の子がパソコンのキーボードをカタカタと触っている。いまどき珍しい。キーボードなんて。

「なにしてるの?」

「入場曲のセレクト」

「にゅうじょうきょく?」

「入場曲流したほうがいいって言ってたじゃん。いいのないかなーって探してた」

「そ、そっか。行動が早いね」

 彼は私の方を振り返り、ブッっと吹き出した。

「ははは! なにその格好! キョンシー?」

 私の面白コスチュームを指さして笑った。

 ムカツク。袖を折りたたんでムリヤリ捲り上げた。

「ところでさ」彼は急に声のトーンを落とした。「俺の試合が特にダメって言ってたけど。どのへんがダメだった?」

 真剣な表情だ。私は今日の彼の試合を頭の中で再生した。

「アナタ。今日自分が出したワザ。覚えてる?」

「えっ? えーと?」

「ロックアップ、ヘッドロック、エルボー、トウキック、キーロック、ハンマーパンチ、クルックヘッドシザース、スリーパーホールド、逆片エビ固め、ローキック、ステップオーバートーホールド、スライディングキック、それから四の字固め」

「ええっ! 全部覚えてるの⁉」

「当たり前よそんなの。そんなことより」ビシっと指を差す。「ジミな打撃ワザ、関節技ばっかり! イッコも無重力を生かしてないじゃない! これじゃあ月でやるイミがない!」

 彼は顔を真っ青にした。

「試合前、道場で見せてくれた動きはスゴかったのに! アレを試合でもやらないと!」

「ご、ごめん試合になると必死でさァ」

「イスカくんはちゃんと意識してやってたよ」

 メインイベントのイスカVSアラタの試合を思い出す。彼はジャンプしての攻撃、いわゆる空中殺法を中心に試合を組み立てけっこう盛り上がりを作っていた。

 頭を抱えながら、スイマセン改善しますなどとやたらにへりくだる稲村くん。

「イスカかー。あいつは昔っから頭いいからなー」

「そうなんだ。メインはけっこう面白かったな。アラタくんも良かったし」

「ええ⁉ あいつも⁉」

 目ん玉をひんむく。

「うん。見方によっては一番良かったかも」彼の戦いぶりを思い出す。

「ひたすらめっちゃくちゃに飛び上がりまくって、蹴りまくって。彼の明るいバカってキャラクター性がよく出てたかな。楽しそうないい表情してたしね」

 稲村くんは腕を組んで考え込んでしまった。アラタくんに負けたというのが相当ショックであるらしい。

(まあライバルがいるのはいいことだ)

「水もらっていい?」

「ははは。いいに決まってんじゃん」

 水道の水をコップに注ぎ、口に含んだ。

「おやすみ。稲村くんも早く寝た方がいいよ」

 彼はおだやかな笑顔で「うん。おやすみ」と答えた。

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