第8話

「お、おじゃましまーす……」

 おずおずと玄関を通過する。事務所兼住み込み寮だそうだ。

「あれ? ウチの中は重力あるんだ」

「小型の重力発生装置が。一日中ふわふわしてるとホネが弱くなるんだって」

 玄関と廊下は綺麗に掃除されている。モザイク柄のおしゃれな玄関マットが敷かれ、靴箱の上にはピンク色の花瓶が置かれていた。

「ただいまー!」

「おかえりなさいー」

 稲村くんの声に対して、のんびりとした感じの女の人の声が答えた。

(女子レスラーさんかなあ? 参ったな、人見知りだから緊張するっていうか)

 そんな私の気も知らず、稲村くんはズババーンと玄関正面のドアを開いた。

「社長―! 例のアドバイザー連れてきたよ!」

(社長⁉)

 部屋には大きなパソコンデスク、プリンター、ロッカーなど一通りのオフィス器具、それから来客用だと思われるソファーテーブルがある。ここが事務所なのだろう。

 右に目をやるとキッチンカウンターや冷蔵庫、ダイニングテーブルも設置されている。いかにも個人事業主の事務所という感じだ。全体で十五畳程度の広さだろうか。

 パソコンデスクに座っていた人物が顔を上げた。

 栗色の髪の毛をアップにして楕円型の黒縁メガネをかけている。ストライプのスーツがよく似合って格好よい。年齢は三十代後半ぐらいだろうか。

「あらあ。まさかこんなに可愛いらしい女の子だったなんて」

 彼女はそう言いながら立ち上がった。私の前に立ち、穏やかな微笑みを向けてくれた。

「ムーンサーフプロレスリング社長の羽柴バニラと申します。よろしくお願いします」

「あ、あ、私はそのなんかその稲村くんに連れてこられちゃった、ただのプロレスオタクの兎月ラナと申します! その、アドバイザーなんて大層なことはできないんですが、感想だけでも言わせてもらおうかなーって」

 さしだされた手をぎゅっと握った。

(この人。誰かに似てるような)

「助かるわあ。来て頂いて。ウチの団体、誰もプロレスのこと詳しくないから!」

「は、はあ」

 じゃあなんで団体を立ち上げようと思ったの? と思うのだが聞いていいものなのだろうか?

「月全体でもほぼいないですよね。詳しい人。なにせいままで月にプロレス団体なんかなかったから。月のテレビじゃあプロレスやってないし」

 稲村くんが口を挟む。社長さんはこくこくと頷きながら、ソファーに座るように促してくれた。

「でも逆にビジネスチャンスだと思わないか?」

「そうかもね。さっき見せてくれた動きすごかったし!」

 稲村くんは誇らしげに私の対面のソファーにドカっと座った。社長さんはお湯を沸かしてくれているようだ。

「そうだ。これはいかが? ウチのイスカくんっていう子が焼いたものなんだけど」

 冷蔵庫から取り出したのは、カラフルで可愛らしいクッキーだった。

「そういえば、イスカとアラタは?」

「イスカくんは買い出し、アラタくんはまだ寝てるわ」

「しょうがねえヤツだなあ。起こしてくる」

 稲村くんはすっと立ち上がった。

「お砂糖はいる?」

「あ、ハイ」

 社長がアイスコーヒーを四つと、クッキーをお盆に乗せて持ってきてくれた。

「ありがとうございま――」

 隣の部屋からバチーンという大きな音がした。ビクっとそちらに顔を向ける。

 社長さんは特に気にする様子もなくコーヒーをテーブルに置いている。

 ほどなくして稲村くんが事務所に戻ってきた。

「今の音なに?」

「ああ、アラタにビンタを喰らわせた音だよ。あいつ、ああでもしないと起きないから」

 なんだか賑やかな職場なんだなァ。などと思いながらアイスコーヒーを口に運んだ。

 ほぼ同時にアイスコーヒーを口に含んだ三人。

 三人同時に口からコーヒーを噴き出した。あたかもプロレスの毒霧殺法の如し。

「社長。またやったね?」

「ご、ごめんなさい! だってお砂糖と塩って見た目一緒じゃない……?」

 そういえば。稲村くんは社長を『ド天然』と評していたっけ。なんだかいろいろと先が思いやられる。

 誰かが「おはよう~」とだらしない声をだしながら、のっそりと事務所に入って来た。Tシャツに短パン姿の大きな体をした男の子。

「おお、アラタ。ほら昨日言ってた」そういいながら稲村くんが私を指さした。

「は、初めまして」

 身長は稲村くんよりは小さいが、横幅と体の厚みがすごい。力士みたいな体型だ。

 彼は私の顔を見るやいなや――

(は、速い!)

 巨体からは想像できないスピードで私の目の前に移動。中腰になった。顔が近い。近くで見てみると結構な童顔だ。瞳が少年みたいにキラキラしている。

「ユウヤ! 誰この可愛い子!」

 可愛い子ときた。まあ客観的にみて整った顔立ちをしているとは思えない。でもちんちくりんなおかげでみんなに可愛いとは言ってもらえる。そういう意味では体型でトクをしていると言えるかもしれない。

「あーだからこないだ言っていたアドバイザーの――」

 彼は再び瞬間移動みたいなスピードで私の後ろに回り、首に手を回してきた。

「ねえねえ! オレ、橋爪アラタっていいます! 結婚を前提にアルホンの番号的なものを! あとホテル的なものでご休憩的な」

「聞いてねえし」

「あの、アラタくん? あまりそういった児童福祉法違反的な犯罪の臭いがすることは」

(誰が児童ですか。いいけどサ)

「ん? 犯罪? この子同い年ぐらいでしょ?」

「えっ⁉」

 思わず笑顔で彼の方を振り返ってしまった。

(こいつ案外いいヤツじゃん!)

「すげえな。よくわかったな。彼女ハタチだよ。俺らと同い年」

 社長が目ん玉をひんむいて驚いている。なんか泣ける。

「ガハハハ! そんなの当然分かるよ!」子供みたいな無邪気な笑顔だ。「オレはガチロリには興味なくて、合法ロリのファンだからな。その見分けは当然つく!」

(……合法ロリ!?!??)

「ねえ試合までちょっと時間あるからさ、どっかデートでも行こうよ!」

 私はヤツの腕を振り払い立ち上がった!

「行くかボケ! 泣かすぞこのヤロウ!」

 そういいながらヤツのぷるぷるしたほっぺたにビンタを叩き込んだ。

 アラタとやらは五十センチほど後ろに吹き飛んだ。

「ゲホ! なかなかイタカワイイビンタ持ってるじゃねえか。ますます気に入った!」

 そう言ってムセながら、テーブルの上のアイスコーヒーを口に運んだ。

「あっ! それは!」

「ぐはあああ! マズい!」毒霧を噴き出した。「ああクッソ! Tシャツにコーヒーついた! めっちゃ腹立つ!」

「あーもう。ほらすぐ洗っちゃうから脱ぎなさい」

 社長がムリヤリTシャツを脱がせていく。

「なにコレ」溜息をついた。

「あいつ。ああ見えて潔癖症なんだ」

「へえ。ウケるね」テーブルの上のクッキーを口に運ぶ。

「でも運動神経は良さそうね。さっきのスピード」

「ああ。俺よりずっと上だよ」

 社長にTシャツをひん剥かれた上半身をつい見てしまう。パンパンに張った筋肉質で固そうな太鼓腹体型。古き良き二十世紀のプロレスラーを彷彿とさせる。

「ん。このクッキー。すごくおいしい」

「ああ、美味いよな。コーヒー入れ直してくるか」

 大騒ぎするアラタくんをヨソにコーヒーを注ぐ。

(意外とマイペースな人だなァ)


 本日試合を行うのは『静かの海体育会館』という小さな体育館だそうだ。

 会場に到着。まずはリングを設置する必要がある。例の巨大な車に、解体されたリングが詰め込まれている。それを少しずつ体育館に運び込んでいく。

(こりゃいいや! 軽い軽い!)

 通常こいつが大変な重労働なのだが。月の重力は地球の六分の一。鉄柱が発泡スチロールみたいに軽い。なんか楽しい。

「ごめんね。設営まで手伝ってもらっちゃって」

 そういう社長も自ら鉄柱を運んでいる。真っ赤なジャージ姿だ。

「いえ大丈夫です! 慣れてますので!」

 床に敷いたゴムマット。その上にみんなでポンポンと鉄柱を投げ捨てていく。フワ―っと浮かんでゆっくり落下する鉄柱。なんともシュールな絵面だ。

 所属選手は十名。一応みんな紹介して貰ったのだがまだ覚えきれていない。

(えーっと、確かあの人が松田で、あの人は松岡……いや松平だっけ? やたらと『松』が多いんだよなあ)

 多分、観客もごっちゃになっているであろう。

「よーし! じゃあ組み立てに入るぞー!」

 最年長だと言っていた松木? 松平? さんが指示を出す。

(この辺りの手順は問題ないのかあ)

 まずは土台作り。短い鉄柱を三×三の九か所に設置。その上に鉄骨を格子状にガッチャンと乗せて固定すれば完成だ。その上にマットを乗せていく。のだが。

「おい! マットがねえぞ!」

 松なんとかさんが声を上げる。

「ああークリーニングに出してましてね。イスカが取りに行ってます」

 そっかそっかなどと言って作業を再開する松さん。

「ねえねえ。イスカさんってどんな人なの?」稲村くんに尋ねる。

「ん? まあそうだなーいいヤツだよ」

「変わってるか、普通かで言ったら?」

「ゼンシャ」

「そ、即答ね」

「オレとイスカとユウヤはね幼馴染みなんだ」アラタくんが口を挟む。「子供の頃から空手で鍛えた強靭な肉体! 不屈の精神! 溢れ出るスター性! プロレス界を変える三人! ムーンサーフ三銃士と言われているんだ!」

「ま、正直三バカトリオって言われることの方が多いけどね」

 水を差す稲村くんをアラタくんがキッと睨む。

「でもマットなんて重いでしょ? ひとりで大丈夫なの?」

「大丈夫。軽いから。月だから」

「ああ。そっか」

 そのとき。ゴンゴンと体育館の扉を叩く音がする。

「おっ。噂をすれば。来たかな?」

 扉が開かれる。大きな荷物を持ったピンクのジャージ姿の女の子が立っていた。

「遅くなってごめんなさい!」

 金色のショートカットが夕陽を浴びて輝いている。身長は大きくはないが、スラっと長い足、小さな顔。アメリカのスクールガールみたいだ。こちらにちょこちょこと走って来る。

「ユウヤ! これ! マット!」

 荷物を床に置きながらキラキラした笑顔を稲村くんに向ける。少し釣り目ガチな瞳はパッチリと開き、長い睫毛で飾られている。

 アラタくんの肩を叩き小声で「イスカさん?」と尋ねた。彼は首肯する。私は立ちあがり彼女に近づいて行った。

「え、えーっと初めまして」

 イスカさんはキョトンとした顔。

(ひえええ! 近くで見るとヤバい!)

 私は人見知りと気おくれが発動して口をパクパクさせた。

「あ、ホラ彼女が昨日言っていたアドバイザーの」

 稲村くんが助け船を出してくれる。イスカさんは怪訝な顔で私をまじまじと見つめた。

「あの、女子レスラーさんですよね。私も女子大で学生プロレスをやってまして」

 なぜだかイスカさんは眉を釣り上げながら、私に近づいて来た。

「キミさ」人さし指で私の鎖骨あたりをドンと押した。「ユウヤのなんなの?」

(ヤバイ! なんかドキドキする!)

「えっ⁉ その……地球のプロレス会場でたまたま会って」

「おいイスカ、あんまり絡むなよ」

 稲村くんが静止する。イスカさんはフンなどと言いながら私と距離を取った。

「キミ! 小さいね! チービ!」

 そういいながら踵を返した。私の方を振り返って、右目を手で無理矢理見開いて、ペロっと舌を出して見せた。いわゆる『あかんべえ』である。ダッシュで去っていった。

「ご、ごめんね! あいつさ、情緒不安定な所があって」稲村くんのフォロー。

「な、なにあの人!」

「す、すまん後で謝らせ――」

「めちゃくちゃ可愛いんだけど! 私ツボだわあ!」

「ええ⁉」

「だろ! たまらんよなあ!」

 アラタくんが腕を組みながら首をカクカクさせる。うんうんと言って私も首をカクカクさせた。稲村くんは非常にシブい顔をしている。

「ねえねえ! あの子稲村くんのこと好きなんじゃないの⁉ それで多分私に嫉妬して怒ってたんだ! あんな可愛い怒り方する人見たことない!」

「なに言ってんだよ」稲村くんがポリポリと頭を掻く。「あいつは男だよ!」

「えーっ⁉」「怒ってたのは、兎月さんがあいつのこと『女子』レスラーって言ったからだよ」「な、なんと。でもそれはそれでいいかも」「わかってねえなラナちゃん。それ『で』いいんじゃなくて、それ『だから』いいんだよ!」「そっか! 私間違ってた」「おまえら気が合ってんな」「でもな。イスカがユウヤのこと好きって所は間違ってないぜ。男が男を好きになっちゃいかんという法律はないからな」「そうかいわゆるBLってやつね!」「またドエライ死語を」「美少年でBL。いいなあ。それにあのツンデレ具合」「高校の文化祭でメイドさんやったときの写真とか見る? 俺は目覚めかけたぜ」「見せて!」「おいホモは勘弁してくれよ! 俺おまえらと三人で毎日寝なくちゃならないんだぜ!」「あいつしかも一人称『ボク』なんだぜ! ごはん何杯でもイケるよな!」「うわあ! あざとい!」「一人暮らしがしたい……」

 準備自体は順調に進み。試合は無事予定時刻通りに開始された。


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