第7話
「もうすぐ着くよー!」
ぐったりと助手席に横たわる私に話しかけてきた。
「そう……。よかった……」
「ホラみてみなよ綺麗だよ」
目の前に広がるのは。――月。これが月か?
地表にはドーム。透明なドームがいくつも展開されている。
中にはビルや家屋、道路が建造されていた。緑色に光るこんもりとした森らしきものも見える。さらには人工の河川、運河までひかれているようだ。
思わずほうっと息をついてしまう。
「地球と変わらないねえ」
「ああ。なんにも変わらんよ。まだドームがないところは別だけど、ね」
そういってハンドルを切った。
「あれがね『月港』っていうんだ」
空港みたいなモノだろうか。いつだかのハワイ旅行で、飛行機から見た空港とキモチ似ている。大小さまざまの道路が引かれており、そこにポンポンと車が降り立っていく。なんとも不思議な光景だ。
稲村くんがレバーを引くと車は急激に高度を落としていく。
思わずヒイと声を上げる。
「着陸致しまーす」
「優しくやってよ優しくやってよ! 私ハジメテなんだから!」
「はいはい」
滑走路が迫る! 私は目を閉じた! ……あれ?
「もうおりたの?」
「ああ」
「思ったより衝撃なかったね」
「まあ重力が小さいからね」
車はゆっくりと透明なドームに向かった。
透明なドーム内部の道路を車が走る。
東京中どこにでもあるようなビル、店舗、植え込み。信号や横断歩道、交通標識も日本のものと全く同じだ。道行く人々の格好もなんら変わらない。
上を見上げればこの青い空、それに太陽。これは例の小説によると人口太陽らしい。
アポロ13の映像で見る、真っ暗で砂漠だらけな『死の星』的なイメージとはかけ離れている。地球と違う所と言えば、町ゆく車が殆どこの車と同じようなゴツい車であることぐらいだろうか。
「ちぇっ渋滞してやがら」
ユウヤくんは乱暴にハンドブレーキを引いた。
至る所でブーブーとクラクションが鳴らされていてやかましい。なにをそんなにイライラしているのだろうか。
「日本と変わらないねえ。とても異星にいるって感じがしない」
「そりゃそうだよ。だって月って東京都だぜ」
「増田サンもとんでもないことをしたなあ」
走ること三十分。
「着いたよー」
車を駐車しドアを開いた。空気がちゃんとあるのか一瞬不安になったが、全く問題はなかった。私も車を降りる。体がフワフワするようなこともない。
どうやらここは『ドーム』のはしっこらしい。巨大で透明な壁がそびえ立っている。なんだか恐ろしいようだ。触ってみる。ほんのりと暖かい。あまり綺麗な表現じゃないが、ウォシュレットの便座ぐらいの温度だ。
「こっちこっち」
彼が手招きする方へついて行く。壁に沿って歩いていくと『ドア』があった。透明なドア。自動ドアだろうか。ドアの先には透明なチューブで囲まれた細い道があり、その先にはまた別のドームがあるようだ。
「ドームを移動するの?」
「そうだよ。よくわかったね。今いるのが『月央区』。これから行くのが『静かの海開発区』」
彼はそういいながらドアの前に立った。ウイーンと音をたててドアが開く。
「この先にウチの団体の事務所兼、住み込み寮兼、道場があるんだ」
透明なチューブの中をスタスタと歩く。
「とりあえず社長に紹介するよ」
「ええっ! いいよそんなの! 緊張するって!」
「大丈夫大丈夫。フランクで優しい人だから。ド天然でおもしろいよ」
などと言っている内に道の終端に到達した。もうひとつのドームの入り口を通過すると。
「おおっ⁉ なんじゃこりゃ!」
なんだかカラダがおかしい。なんか軽い。なんだろう。体中に小さな風船をたくさん埋め込まれたような感覚だ。ふわふわしてうまく歩くことができない。
「この『静かの海開発区』はね。まだ重力が起動されてないんだ」
小説に書いてあった。重力起動装置。透明ドームと並び、東京二十四区計画の要となったスーパーテクノロジーだ。どんな構造の装置かは読み飛ばしちゃったからよく知らない。
「稲村くん。アナタ『事前に予告をしない』という悪い癖があるよ」
「ネタバレしたら面白くないだろう?」
彼は平然とてくてく歩いている。
「このドーム内はまだいろいろと建造中だからね。重力が小さい方が都合がいいってわけ」
そのこともたしか小説に書いてあった。開発が進行中の区域にはあえてドーム全体に重力を起動させることはしない。その方がビルなどの建造には便利であるということらしい。
「俺たちはそれを利用するってわけだ」
「利用―? あっ!」
転んだ。とにかく足もとがおぼつかない。彼はクスっと笑いながら私に手を差し出した。――一瞬ドキっとしたが。
(どうせ娘と手を繋ぐパパの感覚になってるんでしょ⁉)
私は手を無視して彼のTシャツの裾を掴んだ。彼は特に気にする様子もない。
「この先に靴屋があるから、ムーンシューズを買うといいよ」
ムーンシューズ。足の裏がザラザラになっており、摩擦係数が大きいため月面でも素早く歩くことができる。らしい。
「ホントにあんなんで歩けるようになるのー?」
「大丈夫だよ。早い人なら数日で慣れる。俺たち『月人』なんか、重力あるより速く走れるくらいだからね」
「信じらんないなあ」
(どうせそんなに何回もこないのに、そんなもの買ってもなあ)
「ホラ。あそこの店」
(まあでも。お土産だと思って買ってもいいかなー)
「ホラ見てよ! ムーンサーフプロレスリング自慢の巨大リング!」
「あーっ⁉ なんじゃこりゃ!」
ドームの入り口から歩いて十五分ほど。彼らが事務所として利用しているという小さな一軒屋。その裏庭に巨大なリングが置かれていた。
縦幅、横幅ともに普通のものの軽く二倍。面積で言うと四倍以上ある。リングの四隅に置かれたポール(コーナーポスト)も異常に高い。五メートル、いや六メートルはあるのではないだろうか。リングロープもポールの長さに合わせて、通常三本の所、十五本も張られている。
「こ、こんなに高いポール立ててなんの意味があるのよ」
「へへへ。わっかんねえかなー? よしじゃあちょっとだけ動きを見せてやるよ」
そう言ってニカっとイタズラっぽく笑った。
「ハっ!」
キアイの声を上げながら両手を広げ飛び上がった。
(えっ⁉)
高度がドンドン上がっていく! 二メートル、三メートル! ついにその高度は六メートル以上の高さにあるロープを超えた! 最高到達点で一旦停止。今度は急降下していく。彼はカラダを丸め、キャノンボールのようにスピンしながらリングに着地した。
心臓がドキドキする。なにも言葉を発することが出来ない。
「まだ驚くのは早いぜ!」
彼はマットを蹴りコーナーに走った。
「速っ!」甲高い声が出てしまった。
(重力がない方が速く走れるってホントだったのか!)
再びフワっと浮き上がるようにジャンプ。六メートルはあるコーナーポストのてっぺんに立った!
「す、すげ!」
「うりゃあ!」
さらにそこからジャンプ。ふわっと空を飛ぶように対角線上のポストに飛び移ってみせた。もはや口をあんぐりと開けることしかできない。
「もういっちょ!」
コーナーポストからダイブするようにしてアタマから飛び降りた! ドリル状にキリモミ回転をしながらリングに降下!
「危なーーーーい!」
落下の直前! 体をクルリと回転。見事に足から着地して見せた!
「じゅってんれい」
「すごいすごいすごーい!」
興奮して転がりこむようにしてリングに上がり、思わず彼の手を握りしめてしまった。
私は彼のムーヴに。プロレスの未来を見た。
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