第6話

(うーむ。さすがにこれはマズいでしょう)

 私は鏡に映るもう一人の私と闘いを繰り広げていた。

 全身鏡の中の私は『ネオジャパンプロレス』と書かれた赤いキャップを被り、上半身はカツヤのファングッズである『喧嘩買います!』と彼のキャッチフレーズが大きくプリントされた黒のTシャツ。下半身は『プロレスLOVE』と書かれたピンク色のミニスカートという姿であった。まあいつものプロレス観戦スタイルではあるのだが。

(待ち合わせにこんな女の子来たらヒクよなあ。相手はプロレスオタクでもないし)

 キャップ、Tシャツ、スカートを脱ぎ捨てた。

(とはいえ他にいい服も――)

 タンスの中を漁る。

「これかなァ」

 赤いヒラヒラしたワンピースを取り出す。高木と一緒にネオ下北沢に買い物に行ったときに、ゴリ推しされて半ばムリヤリ買わされたモノだ。久方ぶりに袖を通してみる。

(さっきよりはよいか)

 あとはアタマをどうするか。ピンク色のへんちくりんなアタマ。いつもはキャップを被って誤魔化しているのだが、いくらなんでもこのワンピースにキャップはおかしい。しかしながらウチには帽子的なものはプロレスグッズのキャップしかない。

(色だけじゃなくて、毛のボリュームがエグいんだよなあ)

 なんか受信してるヤバイ人にしか見えない。ゴムで結んでなんとか誤魔化そうと試みる。

(これなら少しはマシか)

 アタマの横でふたつ結びにした。いわゆるツインテールだ。これなら池袋あたりにいるサブカル好きな女の子、またはアキバのコスプレとかしているオタク少女ぐらいには見える。と思う。時計を見るともう時間ギリギリ。これ以上は改善できないと判断し、家を出た。


 後楽園ホールの入口前。たくさんのプロレスオタクどもがたむろしている。

 彼を見つけられるかなと一瞬不安になったが、そんな心配は不要だった。鉛筆を模した青いポールに寄りかかって立っている稲村くんをすぐに発見。背が高くて派手な顔立ちの彼は周囲から浮かび上がっていた。

 横から『稲村くん』と声をかけるとこちらを見て驚いた顔をした。

「兎月さん⁉」

「なにそんなに驚いてるの?」

 改めて稲村くんを見上げる。空色のTシャツに黒の短パン、スニーカーというシンプルな格好。スタイルがよい彼にはバッチリとハマっていた。それに。

(この間はよくわからなかったけど。いい体格してるなあ)

 体の厚みはあまりないが、肩や腕はたくましく筋肉でコーティングされている。なにより足。ふくらはぎがいい! いかにもジャンプ力、バネがありそうだ。

「いや、この間とあまりにイメージが違うから」

 彼はアタマを掻きながら呟いた。

(この格好のことかな? こないだはプロレス観戦スタイルだったから)

「めちゃくちゃかわいいじゃん! その格好!」

 笑顔で私を見つめる。頬がカーっと熱くなる。まあしかし。朝頑張った甲斐があった。私も彼の格好をほめよう。と思ったら。

「いいなあ。こんな娘欲しいわあ」

 ――娘!?

 彼は爽やかな笑顔。

(妹とかならともかく……! よりによって『娘』……!)

「ねえねえ。写真撮っていい?」

「ダメに決まってんだろ! ブッ殺すぞ!」

 私の叫びにプロレスオタクたちが一斉に振り返った。

 どうもプロレスの影響で、すぐキレるし、口が悪くてよろしくない。


 後楽園ホールは収容人数二〇〇〇人程度の中型会場。年間でなんと二〇〇回以上のプロレス興業が行われるプロレスの聖地だ。今座っているのはスタンドB席と言われる席。リングからは少し離れた二階席だが、会場全体の雰囲気をフテツで見ることができるので、個人的には好きな席だ。

 一人で座っていた私の頬に冷やっとした感覚。

「ビール買ってきたよ!」

 稲村くんの爽やかな笑顔。なんだ。この人こういうイタズラみたいなこともするんだ。

「ありがと!」

 まあいつまでも怒っていても仕方がない。機嫌を直しビールを傾ける。

「この間の両国国技館とはまた全然雰囲気が違うねえ」

 そういいながら私の隣に座った。

「会場の規模も違うし、マニアックなファンが多いからね後楽園来るのは」

「なるほどね。それでこんなにザワついてるというかなんというか」

 そういいながら会場を真剣な顔で見渡している。

「私はこの雰囲気好きだな」

「ウチの会場はいつも閑古鳥だからなァ。一度こんな熱気の中で試合してみてえ」

「あなたの団体ってどこの会場で――」

『これよりネオジャパンプロレス! 後楽園ホール大会! 第一試合を開始致します!』

 私の質問を遮るようにしてアナウンサーが叫んだ。観客席から怒号! 歓声!

「うるせええ!」

「これがいいのよ! これが!」


 プロレス初心者の男の子にうんちくを垂れながらの観戦。それは新鮮でなかなか楽しいものだった。

「ほら! あの林戸って選手をよくみておいた方がいいよ! 彼は地味だけど基本的なワザが職人のように上手いから」

「うん!」

「あっ、ムービーを取るのはダメよ! ちゃんと目で見て覚えてすぐに試してみること。ホラ、あのヘッドロックなんて見事なもんよ」

「ふーむ。えーっと。こんな感じかな?」

「今やるな! 私にやるな!」


「オラァ! 吉田あ! しょっぱい試合ばっかしてんじゃねえぞ!」

「塩試合製造機かおまえは!」

「ひどいヤジねえ」

「塩試合ってなに?」

「つまらない試合のことよ。相撲で負けてばかりの力士は土俵の塩ばっかり舐めるってのが語源とか言われているわね」

「なんで相撲用語がプロレス用語に?」

「もともと日本でプロレス始めたのが力道山っていうお相撲さんだからね。日本のプロレス用語は相撲が元なのがすっごく多いの」

「なるほど」

「転じてつまらない試合ばかりするレスラーを塩レスラー、しょっぱいレスラーとも」

「じゃあ面白い試合をするレスラーはアマレスラー?」

「それはイミが違ってくるわねえ」


 ブル山本がサンダー山田を抑え込む。フォールの体勢だ。

「ワン!」

「ツー!」

 レフェリーがマットを叩くのに合わせて観客達もワン―! ツー! と大声で叫ぶ。

「生観戦の大きな醍醐味のひとつよねー。一体感を味わえるというか」

「ミュージシャンのライブで合いの手を入れる感覚に近いのかな?」

「そそ。人によっちゃテンション上がっちゃって、レフェリーと同じようにマット叩く動きやってたりするのよね。それを見るのも楽しい」

「なるほど。一種のオタ芸みたいなものだね」

「うーん。まあそうなの、かな?」

 再びフォールの体勢。

「あっ! ホラ! 稲村くんもやりなよ!」

「わ、わん! つー……! スリー!」

「へへへ。まだ照れがあるわね。面白い」


『本日のメインイベント!』

 カツヤがチャンピオンベルトを巻き、堂々と入場してくる。

「ひえええ! カッコイイ! やっぱりカツヤはチャンピオンベルトが似合う!」

 身を乗り出して拍手と声援を送る。

 稲村くんもキラキラとした目でリングを眺めている。

「か、かっけえ! 俺も必ずチャンピオンベルトが巻けるようなレスラーになってやる!」

 私はなんだか嬉しくなって、彼を見つめて目を細めた。

「もっともまだウチの団体ベルトないけどね」

「作りなさいよ! 早く!」


 帰りの電車の中。並んで吊革につかまる。お互いに疲労困憊して言葉も少なであった。

『次はー代々木―代々木―』

 二人とも次で乗り換えだ。

「あのっ!」稲村くんが急に口を開いた。「今日はありがとう! おかげでめっちゃ楽しかった! それに勉強になった!」

「そっか。それなら良かった。私も楽しかったよ」

「ずうずうしいお願いしてごめんね」

「いや別にそんな」私だってただでプロレスが見られたんだから、もちつもたれつ。いやむしろ私の方こそお礼を言わなきゃいけないくらいだ。「こっちこそありがと!」

「でさあ。今からさらにずうずうしいお願いをしようと思ってまして……」

「え……」

 なんだろう。よくわからないけど、とてつもなく嫌な予感がする。

 稲村くんは両手を合わせながら私にアタマを下げた。

「その素晴らしいプロレス知識を見込んでお願いがあります! ウチの団体の試合を見てやって下さい! その上でアドバイスを下さい! 閑古鳥がなきすさぶ弱小うんこ団体を救って下さい! アドバイザーとして!」

「あ、アドバイザー⁉」


 ネオ新百合ヶ丘のアパートに帰宅。カバンを机におろし、髪を結んでいたゴムを外した。ベッドに座って溜息をつく。

(私ってやっぱり基本的に流されて生きてるというか、ノーと言えない人間なんだよなあ)

 彼の試合は三日後。ネオ新百合ヶ丘まで車で迎えに来てくれるとのこと。

(私なんかが『アドバイザー』なんて)

 枕を抱きしめる。

(まあ。試合しなくちゃいけないってわけでもないし。気楽にやればいい、か)

 そういえば彼の団体名も、どこの会場で試合なのかも聞いていなかった。アルティメットホンを取り出し、『稲村ユウヤ プロレス』で検索して見る。

(検索結果なし。北海道とか九州とかじゃないでしょうね)

 いやまさか。両国の時は車で来たと言っていたし、今日も「新宿の駐車場に停めた車で帰る」と言っていた。関東だろう。でもなんか試合をどこでやるかをボカしていたような。

(まあ大丈夫でしょ! 寝よう寝よう!)

 ベッドに倒れ込む。

(寝る前に小説の続き読むかァ。ちょっと苦行になってきてるけど)

 読書アプリを起動する。えーとどこまで読んだんだっけ。

『都民のフラストレーションは限界に達していた。この状況の改革に乗り出したのが――』

 ああそうそう。これだこれだ。

『この状況の改革に乗り出したのが当時の東京都知事、増田啓太郎氏だ。彼が考え出した東京都の超人口密集対策。それは区画の整理、交通網の改善。そんな生易しいものではない。それは『東京都の土地を増やすこと』だった。それもちょっとやそっとではない。一五〇〇倍に増やしたのだ。彼は『月を買った』。これが「東京二十四区 月」構想である。』

 なんともアタマのおかしい発想だ。

『国民は全員「あいつは気がフレている」「税金大破壊」「ブタ箱にブチこめ」「いや死刑にしろ」「暗殺しろ」などと彼を総叩きにした。宇宙開発革命の追い風があったとは言え、当時の国民たちにとっては現実的な計画には思えなかった。』

(そりゃあそうだろうなあ)

『だが。増田啓太郎氏の「東京二十四区 月」構想は現在では偉大な功績として認められている。もし彼がいなければ今頃どうなっていたか。東京は、いや日本は。増えすぎた人口に押しつぶされて崩壊していたかもしれない。』

 その後の展開『月面都市開発編』は大変面白く、つい夜中まで読みふけってしまった。


六 MOON LIGHT DRIVE


 ネオ新百合ヶ丘駅北口のロータリー。銅像が置かれてある辺りで待つことにする。銅像の台座には『宇宙都知事 増田啓太郎』の文字。もうちょっとマシな文言はなかったのだろうか。彼はここネオユリの産まれ。電源ポテトのスイートポテトをこよなく愛しており、有名人になってからも秘書にたびたび買いに来させていたとか。

(あっ、あの青い車それっぽい――違ったか)

 車が通るたび、運転席を凝視しているのだが彼の姿は見当たらない。どんな車か聞いておけば良かった。

(なにあのでっかい車! コワ!)

 カブトムシを彷彿とさせるツヤツヤの黒色。殆ど箱型に近い凹凸のないゴツゴツボディ。ものごっつ巨大なタイヤ。ゴツい、デカイ、黒い。まるでプロレスラーだ。車界の。『黒い重爆戦車』などの二つ名をつけたくなる。

 その車は私の目の前で止まった。思わずピョンと後ずさってしまう。

 ゆっくりと運転席のドアが開いていく。とてつもなく分厚いドア。鉄板が何枚も重ねられているようだ。以前ニュースかなにかで大統領専用リムジンのドアの断面を見たことがあるが、ちょうどそんな感じ。ごくりとツバを飲み込む。

(一体ナニモノが乗ってるんだ? 政治家? ヤクザ? テロリスト? 大魔王?)

 運転席に座っていたのは――

「おはよー! 兎月さん! ごめんねちょっと遅くなった!」

「稲村くんって政治家? ヤクザ? テロリスト?」

「えっ? プロレスラーだけど?」

「なんでこんな車乗ってるの?」

「ああ、これはね会社の車。社用車ってヤツ」

「趣味悪いねえ」

「俺もそう思う。けどこれじゃないとしょうがないからね」肩をすくめて苦笑。「まあそんなことはいいじゃん。乗った乗った!」


 車は大通りを抜けてネオ町田の方に向かっているらしかった。

「車でどれくらいかかるの?」

 二時間ぐらいと答えた。

「け、結構かかるのね」

「おしっことか大丈夫? いまのうちに行っておいた方がいいかも」

 なんとも罪のない顔で言い放った。

「アナタデリカシーないわね。意外と。繊細そうな顔してるのに」

 彼は「よく言われる」などと言いながら笑った。

「ねえ、いい加減教えてよ。どこで試合やるの?」

「着いてからのお楽しみ!」ニヤりと笑う。

 どうもちょいちょい彼の『素』というか『本性』が見えてきたような気がする。

 車が料金所で停まった。彼はアルティメットホンを取り出し機械にタッチ。電子チケットを受け取ったようだ。上を見上げて看板を見やる。『ネオ町田滑走道路』の文字。

「ゲッ! この車『陸空兼用車』なの?」

『陸空兼用車』。簡単に言っちゃえば空を飛ぶことの出来る乗用車だ。

 彼はアクセルを強く踏み込んだ。スピードメーターがカックンと右にふれ、フワっと車体が浮かび上がる。この耳がキーンとする感じが苦手だ。まあ一瞬のことだからいいけどさ。

「それにしても。陸空兼用車で二時間ってエラく遠くない?」

 懸念していた通り、北海道や九州なのだろうか。

 彼はいい笑顔で私を見てニヤっと笑った。

「これ! 陸空兼用車じゃないよ!」車が空を飛ぶ中でもはっきり聞き取れるボリュームで叫んだ。「『陸空宙』兼用車!」

「えっ……⁉」

 彼が手元のよくわからないレバーを引くと、車は猛烈な勢いで高度を上げた。まるで太陽にむかって突っ込んでいくかのよう。キーンという空間を切り裂くような轟音! 思わず耳をおさえる! 全身に強烈なGがかかる!

「うりゃ!」

 などといいながら彼はアクセルを踏み込んだ。すると。

 ――爆発するような音。目をつむって叫び声を上げてしまった。

 しばらくすると。さっきまでの騒音、強烈なGは収まった。

「な、なんなのこれ⁉」

 そっと目を開き窓の外を見る。

「夜になってる……」

 外には満天の星空が広がっている。

「後ろ見てみなよ」

 後ろをみやった私の目に飛び込んできたモノ。それは巨大な青い球体だった。

「地球―――――――――⁉」

「ザッツライト!」

 彼はとても、とてもいい笑顔で言った。

「俺が所属してるプロレス団体はね『MSP』。『ムーンサーフプロレスリング』っていうんだ。日本語で言えば『月面プロレス』って所かな」

 口をポカンと開けることしかできない。

「驚いた? だからナイショにしてたんだよーん」

 私は叫んだ! キャーと! 暴れた! 降ろせと!

 よほどオモシロイ顔をしていたのだろう。稲村くんは笑い袋のように爆笑をした。

 このとき彼に対するイメージが決定した。

『とんでもないイタズラモノのドS野郎』。

 このことを私は死ぬほど思い知らされることになる。

「兎月さん可愛いなあ」

「可愛くねえよ! ガッデーム! マザファッカ!」

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