第4話

 両国国技館近くのちゃんこ屋『霧島』。一度行ってみたいとツネヅネ思っていたのだが、試合終わった後はいつも満席。そのため結局一度も来たことがなかった。今日は幸か不幸かゆうゆうと入店することができてしまった。

 壁一面に色々なお相撲さんの手形が飾られた素敵な掘りごたつ席。目の前にはぐつぐつと煮えるちゃんこ鍋。私は憮然としてビールを傾けていた。

「ほんっとーにゴメン! このとおり! なんだったら鍋に顔つっこみます!」

 対面に座る男の子は両手を合わせ必死で頭を下げている。

 稲村ユウヤくん。年はハタチ。同い年だそうだ。

「もういいよ」

 そう言った途端ホッとしたような、はにかんだ笑顔を見せた。あまりの弱々しい顔に思わず苦笑する。私はジョッキに残ったビールを飲み干した。

「いやなんていうか、なんども言うけど気づいたら体が動いてたっていうか、それにまさかつまみだされるとは」

 まァ私が危ないと思ってくれたのだろう。悪い人ではないのかもしれない。(ちゃんこも奢ってくれるというし)

「あなたプロレス見るの初めて?」

「実は、ナマで見るのは」

「あんなのはねえ、『オヤクソク』みたいなもんなの! ちっちゃい子が対戦相手に助けられる所までセットで!」

 今回の場合は小っちゃい子ではないが。

「噂ではアレに巻き込まれた子はあとで控室連れてって貰えて、一緒に写真とか取ってもらえるらしいよ。それが本当ならカツヤとツーショット取ってもらえたかもしれないのに」

 稲村くんはまたペコペコとアタマを下げる。

「そっかーいろいろあるんだなァ。うーむ。まだまだ全然勉強が足りない」

 そういいながら、私の小皿に鍋の中身をついでくれた。

「勉強ってどういうこと?」

 小皿を持ち上げ、まずは汁をすする。カツオだしが効いていて非常に旨い。

「いや俺、実はプロレスラーでさ」

 汁を噴き出しかける。

「ええええ⁉ ど、どこの団体⁉」

「い、いや旗上げしたばっかりの『どインディー』団体なんだけどさ」

「なーんだ」

 日本には百以上のインディー系プロレス団体が存在している。いくら私でもそれらを全て把握しているわけではない。

「とはいえ、いくらなんでもプロレスのこと知らなすぎじゃない?」

「元々プロレスファンだったわけじゃなくて、一応スカウトされてプロレスラーになったからさ。空手からの転向なんだ」

 なるほど。たしかにさきほどの飛び蹴りはなかなか見事だった。

「だからプロレスのこと勉強中なんだ」

 まだまだ彼のプロレス道は険しそうだ。私が言えたことではないが。

「覚えること多くて本当大変だわあ。予備知識ないと試合見ててもよく分からねえんだよなあ」

 彼はジョッキを傾けながら言った。車で来ているらしく、中身はただのウーロン茶だ。

「確かにそうかもね。なにせ長い歴史があるから」

 彼は『なにかを思いついた』というように目をピクっと見開き、ジョッキを机に置いた。

「そうだ、ねえ兎月さんはプロレス詳しいんだよね?」

 なんというグモン。

「あったりまえよ! 私を誰だと思ってるの⁉ 小学生時代からのバリバリのプロレス女子! さらに! これでも名門学生プロレス団体『マチダ女子大プロレス研究会』のレスラー! しかもレギュラーメンバーだよ!」

 べつにウソは言っていない。と思う。男の子は驚愕した顔をしている。

「そっか! それじゃあさ! 来週の試合一緒に見に行ってくれない⁉」

「ええっ⁉」

 そういいながら。彼はアルティメットホンに保存された電子チケットを見せてきた。

「二枚あるんだけどツレが来れなくなってさ。どうしようかと思ってたんだ」

 チケットにはネオジャパンプロレス後楽園ホール大会の文字。

「詳しい人といっしょなら分かりやすいかなーって」

「あ、あなたの団体の詳しい人といっしょに行けばいいじゃない」

「それが、いないんだよウチの団体。詳しいヤツ!」

 ひでえ団体だ! まァどインディー団体なんてそんなものなのかもしれない。

「頼むよー! お願い!」

 もちろんプロレスをチケット料金タダで見られるのは嬉しい。

(でも。初対面の男の子と二人かあ)

 改めて彼の顔を見る。

(好みのタイプではないけれど――)

 さらさらの茶色い髪、真っ白でつやつやしたお肌、パッチリとした目、二重のマブタ。

(そういえばこの間、高木は月旅行にいくまでに彼氏作るとかなんとか。私もいい加減そろそろ……)

「ど、どうしよっかなー」

 私のマヌケなセリフに彼はニコっと頬を緩めた。無邪気で人のよさそうな笑顔。

(彼いい人そうだし。行ってみてもいいかな)

 私は首をタテに振った。この選択が正しかったのか。未だもってわからない。


 両国から総武線で新宿まで出て、そこから小田急線に乗り換えて十五分。ネオ新百合ヶ丘に到着した。

(今日はいろいろあったなァ)

 カバンとキャップをベッドの上にポーンと放り投げる。

(とりあえず試合の続きを見よう)

 アルティメットホンでネオジャパンプロレスの配信サイトにアクセスする。『ネオジャパンワールド』。月額九九九円で主要な大会は全て生配信。過去の試合も見ることができる。会員にならない理由がない。

 カツヤ対ロリスキーの試合の動画を再生、『プロジェクターアプリ』で壁に映す。

(やっぱりカツヤかっこいいな)

 カツヤのドロップキックがロリスキーにヒットしリング外に――

(げげげげ! そうかよく考えたらこのあと!)

 キャップを被った幼女が変態仮面に捕縛されている。無論私だ。目を覆うしかない。たぶん掲示板で話題になってるだろうなあ。

 大きな「やめろ!」という叫び声。稲村ユウヤくんとやらが変態仮面にケンカを売っている。ハタから見てみるとなんとも異常な光景だ。カメラが彼の顔を大写しにする。

 うーむ。高木はゴリマッチョにしか興味がないからアレだけど、ジャニオタのエイコちゃんなんかはたぶん好みのタイプだな。

(日曜日また会うのかあ)

 その後。私たちはつまみだされ、試合は平常に進行。二十分が経過した辺りでカツヤの必殺技『ペナルティーキック』が炸裂。ロリスキーをKOした。

(ほっ。まあとりあえず勝ってくれて良かった。寝よ)

 カツヤの勝利を見届けて布団に入った。


 どうもそわそわして眠れない。あんなことがあったから興奮しているのだろうか。

 起き上がってアルティメットホンをさわる。

(こないだの小説でも読むか)

 昨日の続きから読み始める。

『さらに。無重力エンジンのもっともすぐれたところは――』

(……この辺はもういいや)

 ふーっと息を吹いてスクロールさせる。第一章、延々二十七ページに渡って無重力エンジンの説明が続くのだから驚きだ。第二章はいきなりバトルシーンから始まっている。なんかふり幅が大きい小説だ。

『満員電車から二人の男が取っ組み合いながら降りてきた。一人はスーツを着た屈強な体格の男。もうひとりは髪を金髪に染めた若者だ。「足踏みよったやろ! このクソガキ!」「うるせえジジイ! てめえこそ肩ぶつけやがって! ブチ殺す!」』

 いいね。こういう展開。

『スーツの男はいきなり鋭い右フックを放つ。金髪の男はスウェ―イングをしてそれをかわした。スーツの男、追撃のローキック。これは金髪のひざ裏にガッチリ入った。さらにもう一発。これもビシっと音を立ててヒットした。このまま足もとから崩していく作戦であろうか。だが金髪の男もさるものだ。強引なタックルでスーツの男を無理矢理テイクダウンした。呻き声を上げながらもスーツの男は即座に立ち上がった。スーツの男はスタンディング。金髪はダウン。いわゆる猪木アリ状態だ。』

 とにかく細かく書かなくちゃ気が済まないタイプの作家さんなのだろうか? その後も延々と戦闘描写が続く。私は手に汗を握りそれを追った。

『満身創痍の金髪が雄たけびを上げる! スーツも「来いやクソガキ!」と叫んだ。両者突進。アタマとアタマがぶつかりあう音がホームに響いた』

 ここで一行空いた。

『こんな感じの満員電車でのトラブル、小競り合いが当時の日本、特に東京では毎日のように展開されていた。あまりに人口が増大しすぎ、街のどこにも落ち着ける場所はなく、東京都民のフラストレーションは限界に達していた。この状況の改革に乗り出したのが――』

(おい! ちょっと待てよ! 『こんな感じの』じゃないよ! 金髪とスーツの闘いはどうなったんだよ! どっちが勝ったんだよ!)

 アルティメットホンを放り投げた。寝よう。

(もう読むのやめようかなー。でも買っちゃったからなー)

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