第2話

 小田急線のネオ新百合ヶ丘駅。神奈川県川崎市に位置する、二〇八五年開業の比較的新しい駅だ。三つの大型ショッピングセンターを中心にさまざまな商業施設が置かれており、駅周辺は毎日多くの人で賑わっている。それでいて必要以上にゴミゴミしておらず、緑豊かな街並。住みやすい街として知られ、駅を少し離れればマンション、アパート、一軒家がポツポツと立てられた閑静な住宅街となっている。

 そんなネオ新百合ヶ丘駅から歩いて十五分。安いワンルームアパートの一階。ぐっちゃぐちゃに散らかった部屋に、一人の女子大生が住んでいた。

 名前を『兎月ラナ』と言った。

 部屋には洋服やペットボトル、コンビニ弁当の空き容器、さらにはビールの空き缶が散乱。ぐっちゃぐちゃに散らかっている。クーラ―もつけっぱなし。

 時刻はもう午前十一時。なのにまだベッドの上でグータラと眠りこけている。この女は大学三年生にもなって、就職活動も勉強もせず、いい御身分である。

 Tシャツ一枚にパンツ一丁というだらしのない格好。やたらに長い髪の毛。バカ犬みたいな八重歯。なまっちろいオハダ。ハタチとは思えないほどちんちくりんでガリガリな体。みっともないことこの上ない。子供の頃から大きくなりたい大きくなりたいと、出来る限り肉を食い、米をかきこみ、牛乳をガブ飲みすることに努めていたのにどうしてこうなったのだろう。

 なぜこんなに彼女のことに詳しいのか。なんでこんなにもボロクソにけなしあげるのか。

 それは。自分自身だからだ。

 ――ピポピポピポピポピポピーンポーン!

 そんな私の惰眠に鉄槌をくだしたのはインターホンの音。

(高木だ。間違いない)

 あのリズミカルで遠慮のないインターホンの押し方。間違いなくアイツだ。手元の『アルティメットホン』の開錠アプリを起動した。ウイーンという音と共に玄関のドアが開く。

「おはよー! うわ! やっぱりまだ寝てる!」

 タカラヅカの人みたいな無駄にいい声が聞こえてくる。

「起きてー! ねえ買い物行こうよ!」

(……眠い)

 うるさいので布団を頭まで被る。

「起きろー!」

 私の体を揺さぶる。

(……すごい眠い)

 無視する。

「うおおおお!」

 突如体がフワっと浮き上がった! どうも高木に持ち上げられたらしい。頭上に持ち上げた私を遠慮なくベッドに叩きつける。私はとっさにアゴを引き、両手を広げ、受け身を取った。ボスーンと良い音がする。

「目ぇ覚めた?」

「あんたね。普通の人なら覚めるどころか気絶、下手したら永眠だよ」

 高木アオイは腰に手をあて、はっはっはと高笑いをした。大学で知り合ったサークル仲間だ。まあ一番の仲良しと言える。

「えっ⁉ あんたどうしたのその頭! まっしろじゃない!」

「いや、脱色したはいいけど髪染めるヤツがキレてて」

 私は改めて高木をまじまじと見た。

「バカねえ」

 身長一七五センチ。ガイジンのモデルさんみたいに長い手足、長い首。

「ま、ちょうどいいわ! 買いにいきましょ!」

 健康的な小麦色の肌。つやつやした黒髪をさっぱりと短くしている。つくづく私と正反対な野郎だ。全てが羨ましい。私はフウと息を漏らしながら、ベッドから起き上がった。

「どうしたの? 溜息なんかついて」

 そう言われたので。高木を見つめながら言ってやった。

「今日も高木はかわいいなと思って」

「そ、そんなわけないでしょ! なに言ってんの! バッカじゃないの!」

 頬を赤く染めて、目を逸らしながら叫んだ。

 思わずにやけてしまう。こいつには『容姿』を褒めると全否定して真っ赤になっちゃうというオモシロポイントがあるのだ。

(いいギャップ持ってるなあ。私が男ならほっとかないのに)

 テキトーにメイクをし、髪の毛をテキトーにぐるぐるっとまとめる.

(いや。いくらなんでもこんなバカ強い女はイヤかな)

 キャップをスポっと被って部屋を出た。


 夕方。買い物を終えた私達は、ネオ新百合ヶ丘の『電源ポテト』という変わった名前のカフェに入った。高木の足もとにはデパート『PPA』の買い物袋がズラーっと並んでいる。中には食品、化粧品、文庫本、雑貨などがごちゃっと詰め込まれていた。

「そんなにお金使って大丈夫なの?」

「大丈夫大丈夫! 買いだめだから!」

 よくわからない理屈だ。私の足元にも染髪用のヘアゼリーが五個と、サークルで使うラムネ菓子十袋が置かれている。いいと言ったのだが高木にオゴってもらってしまった。

「さーてどうかなー当たるかなー当たるといいなー!」

 アルティメットホンを操作し、なにやらプリントアウトしている。

 そう。彼女のバグガイの目的は商品ではなく、買い物すると貰えるあの応募券だ。そいつをペタペタと葉書に貼っていく。

「わざわざ電子データを印刷しなくても」

 苦笑しながら言った。

「この方が当たる気がするから」

 印刷物には『月面バスツアー ペアチケット応募券』の文字。

「わざわざこんなことしなくても、旅行会社に行けばいいじゃない」

 高木はわかってないわねとつぶやいた。

「旅行会社のチケットなんて瞬殺よ瞬殺! ワンチャンあるとしたら、もうこういう懸賞しかないの!」

 エラい剣幕だ。月面ツアー。私なんかはなんだか怖くてあまり行きたいとは思わないが。

「バスでどれくらいかかるの?」

「二時間!」

「ええ! 早っ!」

「最近の技術すごいわよねえ。運転免許も結構カンタンに取れちゃうんだって」

「じゃあいっそのことあんたも免許取って自分で行けば」

「『車』が買えないし。だいいち泊まるところがないじゃない」

 高木が溜息をつく。

「しかしペアチケットかあ。それまでに彼氏作らないとなー」

「高木がその気になればすぐでしょう」

 そう言ったら、また赤くなりながら全否定した。面白い。

「彼氏できなかったら一緒に行ってね!」

「えーやだよ! 怖いじゃん月なんて!」高木を睨む。「空気が無くて、ずっと宇宙服着てないといけないんでしょー? そもそも砂漠だらけで見るものなんてないんじゃないの?」

 高木はのけぞりながら大口を開けて笑った。

「あんた、いつの時代の人⁉ ホント世間知らずねー!」

 イラっ。くそう、バカにしやがってこれでも結構読書家なんだぞ!

「他の人と行けばいいでしょ!」

 私と違って彼女は大変社交的だ。サークル以外にもたくさん友人がいる。

「だって」私の目を見てにっこり笑いながら呟いた。「あんたが一番好きなんだもん」

 うわあ! こいつは本当に恥ずかしい野郎だ。こんな殺し文句みたいなヤツをいけしゃあしゃあと。思わず下をむいて黙り込んでしまう。

「おまたせしましたー! アイスコーヒーおふたつとスイートポテトケーキでーす!」

 店員さんが来てくれて助かった。高木は「うわあおいしそうかわいい」などと女の子みたいなことを言いながら写真を撮っている。

「よかったの? ケーキ頼まなくて」高木が尋ねてくる。

「いやちょっとダイエット中でさ」オナカをおさえながら言った。「今週末カツヤと会うからさ。あんまり顔パンパンだと恥ずかし――」

 言っている途中でやってしまったと思った。とんでもなくイタイことを言ってしまった。頬が熱くなる。高木はオナカを抱えて笑っている。それも当然だ。私は机に突っ伏した。

「ハハハハハハ! ま、でも良かったじゃない! リングサイド最前列とれたんでしょ! 羨ましいわあ!」

 机に突っ伏したまま、ちいーさな声で『うん』と発声した。


 高木と別れて帰宅。

 二十一時。結構いい時間だ。買い物袋と頭にかぶったキャップをテーブルの上にポーンと置き、洗面所に向かった。

 メイク落としをドバーっとつけて、サバーっと顔面をウォッシュする。気持ちがいい。

 鏡に映った自分の顔を見た。

(妖怪白髪幼女……)

 髪。さっさと染めよう。ヘアゼリーのパッケージを開ける。筒状の容器にぷるぷるでピンク色のゼリーが入っている。こいつを手に取って髪に塗りたくってしばらく待つだけ。簡単なものだ。

 待っている間読書でもしようか。アルティメットホンを手に取る。なにか面白そうな――

(そういえば。今日高木の奴にバカにされたっけな。世間知らずだって。ムカツク)

 検索ワードに『月 ノンフィクション』と入力。息を吹きかけて画面をスクロールさせる。

(ノンフィクション小説『東京都 第二十四区 月』)

 これにしようか。ダウンロード開始。一瞬で終了。読み始める。

『二十二世紀。人類の科学力はいよいよ頭打ち。科学技術発展の冬の時代などと言われていた。その唯一の例外。それが宇宙開発技術だ。』

『二一二五年。メキシコシティー大学のマスカラス教授が開発した「反重力エンジン」。これが宇宙船開発に革命をもたらした。』

 ページをめくる。

『反重力エンジンとは、地球の重力を「ひっぱる力」から、「ひきはなす力」に変換する技術である。これには二一〇九年、アトランティス教授が深海で発見した新物質の「デルリオム」の特性を利用し――』

 なんだか説明が長いなァ。私の場合こういう文章は眠くなるんだよな。

『さらに大気圏からの離脱には新技術の窒素エンジンが採用された。「空気」の約七十八パーセントを占めるこの物体を使用することによって飛躍的な――』

 グー……。


 ――目を覚ました。

「ゲっ!」

 思わずお下品な声が出てしまう。お風呂場にダッシュ。髪の毛を洗い流す。

 顔を拭いて洗面所の鏡を覗きこんだ。

(あーあ)

 深い溜息をつく。

 思った以上にエグい、ピカピカ光るまっピンクな髪の毛になってしまった。(まあ、いいや。これぐらい変な色の方がおもしろいか)

 これもサークル活動のため。『役作り』のためだ。この間後輩のエイコちゃんに「カツラでいいんじゃないですか?」と言われてしまったが。これくらいは、せめてこれくらいはカラダを張りたいという気持ちがあるのだ。

(寝よ)

 助走をつけ、勢いよく背中からベッドにダイブ。これはセントーンというプロレス技だ。

「ゲホ!」

 打ちどころが悪くてムセた。

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