「王子様の憂鬱」
現国王になる前の青年。
多重世界ユグドラシルの中で
王室として公務をサボるアーサー王子を目の前にし、
私と姫様は正直驚いていた。
その姿は目元の涼しげな好青年であり、
もう少し年をとれば現在の国王、
謁見の際に目にした国王の姿になることは
間違いないのだが…
「あの、どうして多重世界の中でも
姿が変わらないのですか?
本来、私たちのように元の姿とは違う、
その世界にあった姿へと変化しているはずなのに。」
その言葉に、
アーサーは「ハッ」と笑う。
「みーんなそう言うのは知っているよ。
そう、僕だけが姿が変わらない。
僕だけが違う。魔法使いのじっちゃんの話じゃあ、
王族の空白地帯に生まれたせいだと聞いているけどね。
何?君たち新人の近衛騎士団か魔法使いなわけ?」
それを聞いて私はハッとする。
そうだ、確かクソ爺の話では、
現国王も空白地帯に生まれたと言っていた。
でも、現国王は多重世界の風呂場で謁見した際には
確かにシャンプーボトルになっていたではないか。
「僕がこんなだからさ、
公務なんて限られた場所でしかできない。
じっちゃんから姿を変える魔法を教えられて、
それっぽいことはできるけれど、
でも生まれ持った能力じゃない。
僕は王族の中でも不良品なのさ。」
そう言って、すねてみせるアーサー青年。
…しかし、実際そうだろうか?
むしろ、肉体をそのまま多重世界に持っていける分、
有利なことは多いはず。
クソ爺もその辺りを理解して指導しているのかは
はなはだ疑問だが、少なくとも多重世界の中で
アーサー青年の能力はそれほど不利なようには思えなかった。
だがそんなことを考えていると、
一人の美しい女性がやってくるのが見えた。
長い黒髪にゆったりとした服。
少し浅黒い肌は日焼けして健康そうに見える。
「アキラちゃん、こんなところで何サボってるの?
ちゃんと人混みでPRしてくれなきゃ、
この先のオーディションで落ちちゃうよ。」
そう言って、髪を耳にかけながらも柔らかく微笑む女性に
アキラと呼ばれたアーサーは慌てて立ち上がる。
え、なにこのひと。
偽名使ってるの?
「あ、すみません。
すぐに支度しますんで。」
どこか顔を赤らめつつ、
アーサーはいそいそと着ぐるみを着用する。
…はーん、なるほど。
これが国王の奥さん、現王妃様の過去の姿か。
でも、どこか違和感があるような気がする。
その違和感の正体を探っていると、
不意に姫様が声をひそめた。
「…違います、あれは私の母ではありません。」
ん?んんん?
私は再び智子さんと呼ばれた女性を見る。
そうだ違う。確かに違う。
私が謁見した時に見た王妃様と、
智子さんの顔は全く違った。
そして、思いついた結論に真っ青になる。
「え、えと…大丈夫です。
多分、大丈夫ですよ。
浮気じゃない、浮気じゃないですよ。」
しまった、とっさに浮気などという
不本意な言葉が出てしまった。
しかし、姫様は冷静に答える。
「ええ。そうですね大丈夫です。
問題ありません。」
その言葉は平らな水面のように静か。
だが、それは静かなだけで
その内実怒っていらっしゃることは十分に分かる。
その対象はもちろん、
自分の実の父親であり…
「確かに問題はありません…
ですが、将来伴侶となるべき人間は、
せめて一人に絞ったほうがよろしくはありませんか?
…アーサーさん。」
直球どストレート!
なんということ、
姫様、直接聞いちゃったよ。
いや、もともと私たちの声は
聞こえていたかもしれないけどさ。
智子さんも帰っちゃった後だし、いいかもだけど、
何も直接聞くことはないんじゃないでしょうか?
しかし、アーサー王子は悪びれることなく
不思議そうな顔をしながら首をかしげて見せた。
「…えっと、何か勘違いしているようだけれど、
僕が好きなのは智子さんだけだよ。
他の好きな子なんて、全然いないし。」
そう言いつつ、
再び着ぐるみを着用し出すアーサー青年。
ん?またもや違和感。
しかし、アーサー青年の言葉は真剣だ。
「正直、王位だっていらないし。
将来的にはここで働いて、
南の島に移り住んで、
そこで楽しく智子さんと暮らすんだ。」
うっわー、将来設計まで考えてるー。
でも若者特有の曖昧な表現だー。
そんなことを考えていると、
不意にブチッ、ミチッという音がした。
みればなんということ、
アーサー青年が私たちの入っている
飾りの部分を外しているではないか。
「全く、君たちも本当は僕を追ってる王室関係者なんだろ?
困るんだよ。固定の呪文をかけておいたから、
ここから動かないでね。」
そう言って、
頭部の飾りを近くのコンクリの上に置くと、
アーサー青年は幻影の呪文を頭部にかけて、
もともとカップやみかんのあった場所に
それっぽい幻影を映し出す。
先ほどの魔術を見破った眼力といい、
やたらと魔法馴れしている感じがある。
「なんでも、僕を狙っている怪しい奴もいるからさ、
じっちゃんの作った兵隊もいつになく多いし、
でも、僕は自由を何より愛する。
綺麗な女性にだって恋をしたい。
だから、このイベントが終わった時に、
僕は智子さんとともに別の場所に移る。
…これは、僕の意思なんだ。」
そうして、立ち去っていくアーサー青年。
「そんな、そんな、お父様…。」
カップの中で呆然とする姫様。
しかし、呼び止める声は遠く雑踏へと消えていく。
残されたのはみかんとマグカップ。
姫様と私入り。
というか、また固定の魔法かよ。
どんだけピンチになればいいの?私たち。
そんなこんなでぶすっとしていると、
不意に一人の女性に声をかけられた。
「…あの、どうしました?
お嬢さんたち、どこか具合でも悪いんですか?」
みれば、目が二倍ほどに見える
強烈に度の入ったメガネにパンツスーツ姿、
ぼさぼさの髪を無理やりひとくくりにし、
『スタッフ』の腕章の付けた女性がそこにいた。
…そこで、私は気がつく。
彼女は、多重世界ユグドラシルの中の、
王族でも、騎士でも、ましてや王室付魔法使いでもない。
純粋に魔法のない世界の住人。
多重世界にいる、普通の人間。
だが、彼女には見えている。
正確に私たちが見えている。
「んん?でも、変ですね。
なんだか小さなマグカップとみかんにも見えます。
一体どうしてでしょうかね、可愛らしい。」
そう言うと、彼女は小さく「ふふ」と笑った。
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