「あなたの願い、叶えます」
小雨の降る中、私と姫様と罪人であり、
魔法で緩い拘束を受けたフィリップは
ぬかるむ道を歩いていく。
そこは、多重世界ユグドラシルの
帝都から離れた田舎道。
雨の匂いが鼻をつき、
服はしっとりと湿り気を帯びていた。
多重世界に移動しなければ全員本来の姿であるが、
フィリップは最初にあった時の
見目麗しい騎士の姿とはずいぶん変貌し、
麻のシャツに黒いズボン姿で美しい面影を残しながらも、
随分やつれているようにも見えた。
その後ろについている幻影死神クソ爺の
鎌を振る速度もかなり上がっていることから、
彼の残り時間もそうないようだ。
「…ここです。」
そうして、村はずれにある
森に近い一軒家で足を止めるフィリップ。
ここまで人目につかなかったのは
私の姿くらましの魔法のためだったが、
ここでは魔法を使わなくても
人の目は届か無いように思われた。
…そこは、二階建ての小ぶりな家だった。
窓にはサッシがはめられ、
人の住んでいる気配はなかったが、
中は綺麗に掃除されている。
窓辺には小さな花と写真が立てかけられており、
そこには幸せそうな夫婦と男の子の姿が写っていた。
「…ああ、この家に来てからの記憶が曖昧だったが、
どうやらなんともなっていないようだ。
マリーおばさんが二日前に活けてくれた花もちゃんとある。
やっぱり家が破壊されたのは夢だったんだなあ。」
そう言いながらも、
フィリップは嬉しそうにドアを開けて家の中を確認する。
その様子を眺めつつ、
内心私はドキドキだった。
実は、フィリップがここに来る数分前に
私の魔力をフルに使って大規模な修復工事を行ったのだが、
どうやら工事の跡にフィリップは気づいていないらしい。
…ヨカッタ、ヨカッタ。
そうしているうちに、
フィリップは二階へと向かう。
私たちも同じように彼に同行するが、
廊下の先の彼の部屋を見て私たちは息を飲んだ。
…そこには、壁一面に貼られた
ミュージシャンのポスターがあった。
そのジャンルは様々で、
ロカビリーやロック、ポップスに演歌と多種多様だ。
そして、これが多重世界のあらゆる場所から
持ってきたものだということは一目でわかった。
「ようこそ、私の王国へ。」
どこか、冗談めかして微笑むフィリップ。
そこには騎士の顔でもやつれた顔でもない、
純粋に趣味を楽しむ男の子の顔がそこにはあった。
「騎士団の中のわずかな時間を縫い、
私は古今東西からあらゆるジャンルの楽譜や楽器を集めました。
幸いにして、生物や環境に影響を与えるものでなければ、
道具を持ち帰ることは可能だったので収集ができたのです。」
壁際のガラスのケースの中に大事そうに収まっていたのは、
銀色に輝くエレキギターであり、よく見れば、
床に置かれたアンプやドラムや電子ピアノなど
多重世界の楽器はほとんど揃っているように思われた。
「両親も亡くなり、王族の護衛をする中で、
唯一の安らぎがこれでした。
多重世界の中で共通する芸術。
辛い毎日の中で音楽の世界だけが
私を癒してくれたのです。」
楽器の群れの中へと歩き出すフィリップ。
「その中でも、
この楽器が私の性に一番合っていました。」
思い出にふけりっつ、
フィリップが取り出したのは一枚のタンバリン。
そしてフィリップは部屋の中央に立つと、
突然、楽器をバシバシ鳴らしながら、
手を振り、足をステップさせ、
ソウルを込めた全力の歌を彼は歌った。
はたから見れば、
どう考えても異質な舞でしかないのだが、
フィリップはどう見ても真剣そのものであり、
飛び散る汗と情熱がふんだんに盛り込まれ、
ジャンルも歌詞もなんだかわからないながらも、
何かが伝わってくることだけは十分に感じた。
そうして、最後の得体の知れない一節を歌い終えると、
フィリップはシャツを汗で濡らしながら、
満面の笑みでこちらに聞いた。
「どうでしたか、少し疲れていて、
2割程度しか実力が発揮できませんでしたが。」
…これで2割かよ。
私は目のやり場に困っていたが、
姫様はなぜか涙ぐみながらこう言った。
「…素晴らしい曲でした。
何十ものハーモニーが奏でられ、
まるでオーケストラを聴いているようです。
これはもっと大衆に評価されるべきものだと
思いましたわ。」
え。理解しちゃうの?そこ。
それを聞いたフィリップは
少し迷うような表情をした後、
おずおずと姫様に聞いた。
「…あの、死にゆく私の最期の願いで恐縮なのですが、
この音楽をたった一度で良いので、
多重世界のどこかで…
公の場で歌わせていただきませんか?」
それに、姫様は大きくうなずく。
「ええ、あなたの寿命は少ないですが、
命を最後に燃やす場は
こちらでご用意させていただきます。」
そして、涙ぐみながらも
姫様はフィリップの手を握りこう言った。
「フィリップ、あなたのような
優れた音楽家に会えてよかった。」
おずおずと笑みで返すフィリップ、
ついていけない私。
フィリップの背後の死神クソ爺は
まるで上手にリズムをとるかのように、
軽快に鎌を振り回し続けていた。
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