追いかけた背 二幕

『──伊佐椥隧道を抜けますと、莨上○蟄駅へ入ります。次は、莨上○蟄駅~』

 伊佐椥隧道、までは聞き取れたが、その後に入った駅名がまるで聞き取れない。

 文字化けした文に、無理矢理音を当てた様な音声が流れるばかりだ。

 どこへ逢着するのかと、考えている間にも次第に向こう側の光が強くなる。

 隧道を抜けるとそこは、どこか見覚えのある地方都市であった。

 気が付けば、路面電車だった筈の車内は文明利器の光る無骨なものに変貌しており、乗客も帰路に着いた会社員で溢れている。

 車窓から覗ける車両は鈍色に光り、街中に敷かれた線路ではなく立派な線路を走っていた。

 列車に乗ったのは夕方の筈だが、空は重い黒に染まっている。

 腕時計に目をやると午後十時を回っていた。

 俺が独り困惑している内にも、列車は駅のプラットフォームに滑り込む。

 扉が横に滑ると同時に、どやどやと後ろから下車する人に圧された。

 完全に出遅れた俺は着物の裾に足を引っ掻け、咄嗟に受け身も取れず派手に転倒してしまう。

 独り漫才をやっている俺を余所目に、下車する人々は去って行った。

 ああ糞、と独り悪態を吐く。

 起きあがり、着物に着いた埃や汚れを叩いて払った。

 幸い怪我無く、着物に穴が空いた等と言う損も無かった。

「あの、大丈夫ですか? いや、すみません大丈夫な訳ないですよね……?」

 不意に背後から掛けられた声に驚きつつ振り返る。

 黒い短髪、銀色の双眸、目許に刻印された隈、蒼白い肌、黒縁眼鏡によれたスーツ。

 正しく、俺がもう一人そこに居た。

「「えっ?」」

 すっとんきょうに上げた声も全く同じ。

 奇妙な沈黙がもたらされる。

 互いにまじまじと見詰め合っていたが、端から見れば、同じ顔をした野郎が顔を近付け合っている様にしか見えなかっただろう。

 誰が得するんだそんな絵面。

「──……あの」

 先に口を開いたのは、俺ではない俺の方だった。

「はい」

「ドッペルゲンガーの類いではないですよね?」

「…………そうですね」

 ドッペルゲンガーか。

 確かに同じ自分と遭遇する、と言う点では間違っていない。

「…………ええ、その……何と言いますか」

「はい」

「とっ、取り敢えず、人目のつかない所に移動しません?」

「場所の目星はあるのか?」

「え!? あっ、いやっ、えーっとじゃあ私の家に」

「あっはい」

 真逆の提案に内心引いた。

 自分と全く同じ顔と声を持った輩を、思考回路がぐちゃぐちゃになっているとは言え己の家に招き入れるか?

 こんな得体の知れない奴をわざわざ。

 しかし場の主導権はこちらの俺に渡してしまったので、敢えて流される。

 こちらの俺も随分疲れてるな。

 まるで他者の様な自分に同情するのも不可思議だが。

 駅から出ようとした時、切符がない為に改札機に阻まれる。

 慌てふためく俺を余所に、改札員に事情を話した。

 すると車内で紛失したのだろうと、上手いこと勘違いしてくれ、乗車駅を訊ねられる。

 ここから二駅前、と適当に答え、その分の運賃が提示された。

 財布から小銭を出し改札員に手渡すと、何故か怪訝な顔をされる。

「お客様、このお金はご使用いただけません」

 通貨が異なる?

 そんな馬鹿な。

 あの列車に乗って来たこちら側は恐らく此岸だ。

 此岸と彼岸は隔てられているとは言え、通貨は同じ円である。

 それが使えないとなると──

「なあ」

「え?」

 もう一人の俺に声をかける。

「済まないが金を貸してくれ」


 何とか駅を通過し、もう一人の自分と帰路に着く。

 蛍光灯の切れ欠けた街灯を頼りに夜道を進む間、もう一人の俺に質問攻めにされた。

 名前、職業、身許の証明、ここに来るまでの経緯。

「一体あんたはどこから来たんだよ……」

「知らねえよ。俺だって知りてえわ」

「取り敢えず話を整理しよう。まずあんたは……平行世界から来た別の俺って解釈していいのか?」

「まあ恐らく、それが適当なんだろうな」

 別世界の自分、とは上手く言ったものだ。

 しかしこちとらいきなり放り出されたんだ。一刻も早く帰りたい。

 地獄へ帰るにはまず、この世界から黄泉比良坂へ繋がる門を捜さねばならない。

 そこから一度黄泉の国へいき、門番の牛頭馬頭に話をつけて地獄に通してもらう必要があった。

 ああ糞。

 こんな事なら『鍵』を作っておくんだった。

 その鍵があれば、そこら辺の適当な鍵穴のある扉に使えばすぐ帰還出来たものを。

 現世に出張する事はないから必要ないだろうと、そう踏んだのが迂闊だった。

 獄卒で特殊な鍵を所有しているのは、職務上現世へ出張する必要のある官士くらいである。

 その他は個人的に所有している程度で、獄卒全体に鍵の所有を義務付けている訳ではない。

「なあ、この近辺に地蔵菩薩や道祖神を祀った社はあるのか?」

「は? ……いやまあ、あるにはあるが」

 この際何でも良い。

 境界のある所に立っている者達を見つけ出せればこちらのものだ。

 何の因果で此岸に来たか知らないが、兎に角帰らせてもらう。

「あっ!? おいこんな時間にどこ行くんだよ」

 此岸に居た俺に引き留められた。

「元居た場所に帰りたいだけだ。邪魔したな」

「いやそうじゃない。今晩は泊まっていけ」

 野郎を家に泊めるとか言う馬鹿を言い出す程度には、余程疲弊していると見える。

「はあ?」

「夜道は危ねえだろ。それに、最近この辺りで強盗殺人があったばっかりなんだ」

 人間としての情からしている事なんだろうが。

 得体の知れない野郎を泊めるのはかなり気持ち悪い。

 暫く押し問答したが、どうあっても相手が引かない気で居るので、諦めた。

 シャワーを借り、これもまた貸し出された服に着替える。

 何しろ俺同士なので寸法が合わない、と言う事は無かった。

 着物を畳んでいると、随分いい物を着ているんだな、と興味深そうにこちらの俺が覗く。

「生きてる世界が違うだけでこうも貧富の差が出るんだな……」

「大したもんでも無いけどな」

 竿に吊り下げるでもなく、床に放置出来る程度には安物だ。

 それにしても、こちらの俺は随分と古びた賃貸に住んでいる。

 しかし築年数が古い、と言う感じではない。

 建築様式が古い、と言った方が適切だ。

 訊いてみるとこれでも新しい建物なのだと言う。

 地獄や黄泉の国は、旧き佳き景観を崩さぬ様敢えて明治から昭和初期の建築様式が採用されているが、ここは恐らく平成初期から中期にかけての安アパートだ。

 カレンダーでもないか、部屋全体をぐるっと見回す。

 部屋の窓際にある文机に、卓上カレンダーが置いてあった。

 何故今まで見逃していたのか自嘲気味になりながら、細かい文字を追う。

「…………なあ、今西暦何年だ?」

「え? 今は2000年だが何言ってるんだ」

 それまで空間に充満していた、違和感の正体を突き止めた。

 ここは平行世界なのではなく、過去の世界だったのである。

 此岸と彼岸の時間の流れに差は生じない。

 従って、此岸が西暦2000年なら彼岸もそうなる。

 しかし俺が居た彼岸は現在西暦2545年だ。

 俺の獄卒としての年齢と、地獄での浄罪期間を考え逆算すると、今年中にこちらの俺が死ぬ。

 恐らく過労死か、過労による衰弱や病死。

 それを阻止する気はない。

 若くして悲惨な死を迎える自分を憐れもう。

 だが過去に干渉すれば、俺が俺として存在出来なくなるやもしれないのだ。

 こちらの俺には、偶然出会った別世界線の俺、として振る舞う。

 そして、自分が正しく死ぬ様見守り時に導こう。

 きっとそれが、俺があの列車に連れ去られた因果なのだから。


「なあ、済まないが電話を貸してくれないか」

「ああ、玄関の脇に固定電話があるから、それ使ってくれ」

 例を言って玄関に足を向ける。

 玄関の壁には窪みがあり、そこに固定電話と電話帳だけが置いてあった。

 どうか通じてくれ。

 そう強く念じながら、ゆっくりと釦を押す。

 数拍の呼応音の後、

 想いは、向こうまで届いた。

 砂嵐の如くザーと掻き消す様な雑音の後、ガタガタッと騒がしく受話器が握られる音。

「もしもし?」

「──フラウさんですか?」

 鈴を転がす様な声を聞けて少し安心する。

 しかし現状は変わっていないのだ。

「どうしたの千尋ちゃん。こんな時間になっても帰ってこない上、此岸の電話番号からかけてくるなんて……」

「すみません」

「千尋ちゃんは、きっと何かに巻き込まれたんでしょう? 断りも無しに家出したりする子じゃないもの」

 鈴を転がす明るい声色には、焦燥や心配と言った後ろ向きの色が混ざっている。

「ご心配おかけしてすみません。事の経緯は省きますが、俺は今此岸にいます。帰る手段も未だ見つかっていないので、明日以降帰り道を捜し、見つけ次第すぐ帰ります」

「あらそうなの……。帰り、待ってるわね」

 信頼から言っているのだろう台詞は、酷く悲しげに響いた。

「必ず帰るので」

「ええ、待ってるわ。帰ったら美味しいご飯作ってあげましょうね」

 正直に言って、一週間以内に帰れる自信はない。

 此岸から彼岸に直接繋がる門を捜してもいいのだが、恐らくその向こうは西暦2000年の彼岸だ。

 それでは帰る意味もない。

 外部から何かの力が加わって連れ去られたのであれば、正しい手順を踏む必要があるのだろう。

 ああ糞。

 早く帰ってゆっくり寝たい。

 現状望みの薄い願いを溢した。


       ── * ──

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る