追いかけた背 一幕
熱を出して倒れてから二日目。
未だ仕事へ行く許可が下りないので、近場への散歩を提案したらすんなり受理された。
何故仕事以外の外出は許可されるのか。
外出着に着替えるのだが、仕事着以外で外に出るのも久しい様に思う。
箪笥の肥やしに成りかけていた着物を引っ張り出した。
縹の着物と鈍色の帯を合わせ、黒の羽織に袖を通す。
黒手袋を嵌めて根付を着け、匂袋を持ち、髪を整えれば、どこかの若旦那が鏡の中に立っていた。
そう言えば思い出した。
この格好をすると、若旦那といじられるから嫌っていたのを。
折角なのだから冬服を仕立てて貰おうか。
そんな事を考えながら、長い襟巻きを巻く。
腕時計と財布だけ持ち、ブーツを履いた。
昼は外で食べてくる、と断って外へ出る。
平日の真っ昼間に、路面電車の停車駅に並んでいるのは大概年配の御婦人達だ。
その中に若旦那然とした俺が混ざると、どうしても違和感がある。
不幸にも、今日に限って人手が多かったので余計に好奇の目を向けられた。
俺だってそう見られたくて着ている訳ではない。
高い着物でもなければ、裏地を凝っている訳でもない。
俺の嗜好性で服選びをした結果がこれなのだ。
だのに、周囲の婦人達はじろじろ期待外れな値踏みの目を向ける。
いたたまれなくなって、結局降りる予定だった一つ前の駅で下車した。
目的地までは歩き、道中でお茶の店を見つけたので、そこで数種類の茶葉を購入する。
程なくして石造りの建築物が目立つ商店街に到着し、路地裏を進んで行った。
浮かない顔の煙草屋に、店先で水煙管を吹かしている金魚屋の店主。
路肩に並べられた青果市場や古物商。
色褪せた郵便ポストと、屋根が重なりあった暗くて入り組んだ路地。
あちこちに吊るされた裸電球であったり、ランタンなどの灯りを頼りに歩を進める。
中心に外灯がぽつんと立つ広場に辿り着き、『貸本屋佐倉井』に入った。
「いらっしゃー……ええ」
「んだよ」
「いやだってさあ?」
「何だ」
「最近新美君が来てくれないんだもの」
「次は本を返す時に行くって行ってたぞ」
「二週間も先じゃないか! うわあ最初に貸出期限一週間にすればよかった」
そう言って佐倉井は頭を抱える。
「そんなに心配か? あいつの元お兄ちゃん」
わざと悪意を含めた声音で言うと、先までじたばたしていたのがぴたりと止まった。
「そうだね」
まるで祈りか、すがる様な細い声で佐倉井は言葉を紡ぐ。
「生前だけの限られた関係とは言え、唯一無二の弟だったんだ。過去の話とは言え、矢張思い出してもらえないのは辛いよ」
そうか、とだけ短く答え、詫びに先程購入した茶葉を置いていく。
「適当に読書してるから気にすんな」
その場から立ち去ろうと踵を返した瞬間、背後から、君はどうなんだい、と鋭く問われた。
振り向くと、真っ直ぐにこちらを捉える悲しそうな双眸がある。
新美を最初にここへ向かう様仕向けたのも、あいつが弟だと、佐倉井へ宛てた手紙を持たせたのも俺だ。
事実を判っている上で佐倉井が新美に何も切り出さないのは、佐倉井なりの優しさなんだろうか。
「どうもしねえよ……」
醜く足掻いても、後悔ばっかりだ。
俺は店の最奥に陣取り、片端から本を出しては読み耽る。
目的は調べもの。
主に、獄卒の死因に関する論文だ。
獄卒はそこらの妖怪や怪異と性質が異なる。
それは明確な死がある事だ。
妖怪や怪異等は、ヒトが語り継ぐ限り永久にその生を謳歌する。
しかし獄卒はどうあってもいずれ死ぬ。
その条件は、未だ学会で議論されている最中なのだ。
現在有力な仮説は「前世の記憶を回復させる事」である。
俺はそれを信じない。
現に、佐倉井はある程度の記憶を取り戻している。
にも関わらず未だ地獄に居座っているのだ。
佐倉井は獄卒とは無関係に思えるが、元は獄卒だった。
獄卒は一度地獄へ落ちた元罪人の転生体であると結論付けられている。
しかしその正体は無縁仏だ。
浄罪を終えたはいいものの、現世に自分供養し魂を解放してくれる身内が居ない者。
そう言った奴らを受け入れる為、獄卒として第二の生を再び始める。
この機構は数代前の閻魔大王が設計士した。
無縁仏だった獄卒が、或る時ぱったりとその命を終える現象は、さしもの閻魔大王も予測し得なかった。
いつどこで何が切っ掛けになってどう死亡するのか、誰にも判らない。
判るのは本人だけだが、死人に口無し。
つい数十年前に死んだ先代は、ふ、とした時に電池が切れた様にふっ、と倒れ、そのまま目を醒ます事は無かった。
直前までごく普通に、日常会話をしている最中だったのに。
膝に顔を伏せて、くしゃり、と髪を崩した。
いっそ学会に行きたいが、先代の死が無ければ興味も湧かなかった世界だ。
なら俺は現局長として、先代が守った郵便局を守る。
若しかすると、俺達獄卒は何かの器に入れられた様なものなのかもしれない。
異常な回復速度と蘇生能力。生に執着し特化したこの躯。
それが或るひ或る時、突然電池が切れた様に動かなくなり、その命は終わる。
今までに加算された負荷が散り積もり、或る日突然限界点を迎えて一気にひびが入って壊れる。
今のところ、これが俺が立てた仮説の結論だ。
論文に目新しい発見も無く、収穫は無し。
腕時計に目をやると既に午後四時。今日の所は帰ろうと、出した文献を棚に戻す。
未だに自分の過去を思い出すのも恐ろしいまま、真実に目を背けようとしているのかもしれない。
佐倉井に礼を述べ、帰路につく。
大通りに出て路面電車に乗ると、緩く心地好い睡魔に襲われた。
*
『──佐波、伊佐波隧道に入ります。次は、きさらぎ駅~』
やる気のない車内放送でうっすら目を開く。
聞き慣れない駅名だ。
外に目を向けるも、列車は隧道を走っているのか暗くて何も見えない。
しまった、乗り過ごしたか。
まあ焦っても仕方ない。自業自得である。
次の停車駅で下車し、どこかで公衆電話をかけて帰りは遅くなると連絡を入れておかねばフラウさんが怒る。
車内の暖かさに外していた手袋を装着した所で気が付いた。
待て。
車掌はきさらぎ駅と言ったか?
その前は伊佐波隧道、と。
ずかずかと大股に車掌室へ向かう。
「なあ、聞きたい事がある」
ばんばん、と無遠慮に扉を叩くが返答がない。
どうした事かと室内を扉についた小窓から覗くと、車掌は不在だった。
車掌不在のまま走る列車は停まらず、きさらぎ駅へ突き進む。
うたた寝している間に見慣れない駅に辿り着いけば、そこはきさらぎ駅であった。
そんな事例や釣りは耳ダコが出来る程聞いている。
しかしそれらは此岸から異界入りするパターンであり、今回の様に彼岸から入り込むパターンは聞いた事がない。
車掌は伊佐波隧道に入ったと言った。
ならば今はその隧道の中で、伊佐波はイザナギの妻、黄泉女王を指す。
彼岸から境界へ入ろうとしていると言う事か。
様々に考察している間にも、隧道の向こうの光は強くなる。
そしてとうとう、きさらぎ駅と記された駅名標が視界を横切った。
列車はそこで停車しなかった。
「は?」
思わず素の声が出、思考回路が完全停止する。
列車はそんな事意に介さず、思考がまとまらない俺を一人置いて駆動音を響かせた。
『伊佐椥隧道、伊波椥隧道に入ります~』
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