獄卒就任記念日: ニ幕

 遠くにノック音が聞こえる。

 寝ぼけ眼でのっそりと起き上がり、壁に手をついて扉まで辿り着いた。

 扉を開くと、フラウさんが底の深い籠を持ってそこに立っている。

「おはよう新美ちゃん。郵便局の制服持って来たから、これに着替えて下にいらっしゃい」

 ふんわりと微笑を浮かべ、三人分の制服が入った籠を手渡された。

「ありがとうございます。……何で採寸しなくても判ったんですか?」

「あら、目測で大体判るわよ? そうそう、お寝間着はその籠に入れて、後で洗濯室まで持ってきてくれないかしら。お勝手の隣の部屋よ」

 朝食の準備があるから、と言い残して足早に去って行く。

 時計を見ると午前五時半だった。

 夕と言葉を起こし、制服を配って、着替え、顔を洗って髪を整える。

 夕は髪が少し長いので、鏡を先に譲った。

 寝癖を直しても癖毛は変わらない。

 リボンタイが曲がっていないか、襟はよれていないか、お互いにチェックを済ませてから階下に向かった。

 二階で、同じ様に籠を持った国木田さんと鳴沢さんに合流する。

「三人部屋は狭くなかった?」

 と国木田さんが冗談混じりに問う。

「快適でしたよ。蒲団が部屋いっぱいに広がるので、合宿みたいで楽しかったです」

 想像したのか、鳴沢さんが横で笑っていた。

 食堂から繋がる洗濯室に籠を置き、ついでに朝食を机に運ぶ。

 今朝はご飯と葱の味噌汁、納豆、鮭と言った和食だ。

 その内に局長と鼓美さんも下りて来て、椅子に座る。

 局長はまだ眠そうだ。

 管理人が不在なのでどうしたのかと問うと、鳴沢さん曰く、いつも自室で仕事を片付けながら別々に食べているのだそう。

 フラウさんも同様で、僕たちが出勤した後で食べているらしい。

 兎も角朝食を完食して、歯を磨いたらいよいよ出勤。

 その前にフラウさんから昼のお弁当を貰った。

 時刻は午前七時。

 煮炊の煙が上る石造りの街を、徒歩で郵便局まで向かった。

 遠くで明け六半を告げる鐘が鳴っている。

 郵便局に到着してすぐ、局長に呼ばれた。

 二階へ上がり、一番奥の執務机に局長が座っていて、こちらに気付くとぱらぱらと書類を捲った。

「おはようございます。局長」

「ああ、朝早くにご苦労様、と言いたい所だが、早速お前らに仕事だ」

 遂に仕事が出来る。

 そう思うと少し気分が高揚した。

 局長は先程から捲っていた書類の中から三枚紙を取って、代表として僕に手渡す。

 書類に目を通し、仕事内容の確認。


 行き先は賽の河原、石積み場。

 子供達へ宛てられた遺族からの手紙の配送、及び現在発生している暴動事件の事前調査。


「? その……ここにある事前調査と言うのは?」

「言ってなかったか。今、刑場で獄卒の傷害事件が増えている。遠方から観察した際、罪人が石で壁を造りそこから投石していたらしい。それの調査だ。まあ行き掛けの駄賃って事だな」

 つまりこう。

 近寄れない限り、メインの仕事が調査で、出来る事なら手紙の配送を、と言う事か。

「初仕事にしては重いが、やれるか?」

「はい!」

 これを成功させれば、これからの未来もきっと明るい。

 よし、と局長は頷いて、国木田さんに僕たちを預けた。

「国木田、こいつらに郵便物保護銃持たせて、弾の装填から手入れまで教えてやれ」

「畏まりました」

 急に物騒になるのは心臓に悪い。

 確かにここへ来る前、授業で聞いていたけれど、早々に所持する事になるとは。

「三人の申請は緊急性が高いと言う事で許可が下りてね、今日から持っても大丈夫だよ」

 そう言いながら、国木田さんは僕たちを裏に連れて行く。

 倉庫の様な所へ着くと、早速拳銃一挺渡される。

 ホルダーを腰に着け、銃弾の装填を習った。

 学校で射撃訓練は受けている事と、その証明書を確認したら、配送する手紙を白いがま口鞄に詰めて出発。


          *


 刑場へ行くには、まず賽の河原を渡る船頭さんにお願いする必要があった。

 郵便局の裏手に河原へ続く長い階段があり、それを下って行くと船着場に出る。

 そこで人を探すのだけれど、まだ朝早いので人影がない。

 辺りに薄く霧が立ち込めているから、尚更だ。

 湿った船着場を、崖に沿ってずうっと歩いて行く。

 すると、霧の向こうに揺れる人影が見えた。

 走って行くと、やっぱり人が居て船上で準備をしていた。

 内側に捻れた山羊の角、橙色の短髪に、船頭の軽装制服。

 ありがたい。

 走って近づいて行くと、足許の水溜まりに気付かず、足を滑らせた。

 受け身も取れず盛大に転ぶのを予知した三秒前。

「おっと危ねえ……」

 地面に着く寸前で腕を強く掴まれ、ゆっくりと体を起こされる。

 金色に光る目と、白い肌。

「大丈夫かお前。ここは走れる所じゃねえから、今後は走らないでくれな」

「ありがとうございます」

「おうよ。ん? ああお前らそこの郵便局員か。刑場まで行くんだろ、乗せてってやるよ」

 人の良い笑顔を浮かべるその人は、話しながら僕に怪我のないか確認してくれた。

「何で僕たちを知っているんですか?」

 純粋な疑問だったが、相手にはこちらが疑っていると見られたらしく、焦った様な口調で説明する。

「いや、ついさっきそこの休憩所に局長からの連絡が入ったんだ。誰か居たら乗せてくれってな」

 そう言って、奥にある簡素な建物を指差した。

「そうでしたか。僕は新美鈴です。後ろの二人は──」

「津島夕です!」

「朝倉言葉です」

「宜しくお願いします」

「あい判った。俺は馬鹿。馬に鹿と書いて、ましか。宜しくな」


 何はともあれ無事船に乗せてもらい、賽の河原を進んで行く。

「こんな早朝に何をしていたんですか?」

「ん? あー……船の準備ついでに、朝飯食ってた」

 よく見ると、船の端にそれらしき後が残されている。

 何かに巻いていた笹の葉と水筒が隅に寄せられ、笹にはまだ何か残っていた。

「よく、腐れ縁の奴が飯作ってくれてたんだけどな。今はもう居ないから、自分でそれに似せて作ってんだ」

 問わず語りにそんな事を話し始める。

 ふと、黒猫が手にすり寄ってきた。

 さっきまでいなかった筈だけれど。

 夕がお弁当のパンの切れ端で餌付けしようとするのを、言葉が手をしっぺして制止していた。

「珍しいな。そいつ、自ら人に寄るって事がねえんだけどな」

 懐っこくすり寄る黒猫は、よく見れば影の塊が猫の形をしているだけで猫ではなかった。

「この子、猫ではないですよね」

「そうだな。説明はめんどくさいから省くけどな、そいつは普段俺の影に棲んでて、時々出て来る同居人みたいなもんだな」

 何とも不思議な組み合わせの船は、何事も無く河を進む。


 馬鹿さんは僕たちを刑場の手前で下ろし、徒歩で行く様に言った。

「もう少し行ったら投石防御壁がある。そこまで行けば、事情を知ってる奴らが指示してくれるからな」

「判りました。何から何までありがとうございます」

「良いって。畏まられるとむず痒い」

 お礼を言って先に進むと、確かに簡易的な壁が築かれている。

 そこに警備隊が立っていて、僕たちに気付くとこちらに近づいて来た。

「止まってください。これより先警戒域です」

「通してください。八大第一郵便局からご遺族からの手紙を配送しに来ました」

 言うと、先に連絡が来ていたのか快く対応してくれた。

「いやあ今回派遣された学生の獄卒でしたか。これは失礼しました」

「いえいえ。そちらこそご苦労様です」

 止められて焦っていた夕が、打って変わって明るい口調で話す。

「それよりも」

 先程まで黙っていた言葉が、不意に言葉を発したので警備員は少し驚いた。

「ここから先はどうやって行くの」

「えっ!? あ、ああ壁の上を乗り越えて行くんですが、少々お待ちください。先に罪人へ知らせなくてはなりませんので」

 判った、と素っ気なく答え、警備員の呼び掛けが終わるのを素直に待っている。

 警備員はすぐに戻って来た。

「お待たせしました。只今完了しましたので、どうぞお進みください。念のため、ここで銃の確認をさせていただきます」

 ホルダーから鎖に繋がれた銃を取り出し警備員に見せる。

 安全装置が作動している事、銃弾が装填されている事等確認して、いよいよ壁を越える。

 やや低い簡素な壁の出っ張りに足をかけて上る。

 上に乗って刑場が見えたその時、突然目の前に巨岩が迫って来て、そこで視界が途切れた。


          *


 はっと目を醒まして目を開けても何も見えず、耳を澄ましても聞こえるのは僅かばかり。

 誰かが手を握っているのは判るのだけれど、それ以外が機能していないのだ。

 判らない時間が経過するに連れ、次第に感覚がはっきりしてくる。

 先程から話しかけているのは夕と言葉で、くぐもって聞こえない返事をすると、声は一層大きくなった。

 視界も段々回復して、ぼんやりとだが像を映している。

「僕、何があったの?」

 自分の声も聞こえる様になった。

「やった!」

 耳許で声の塊が炸裂する。

「鈴が戻った!」

「鈴、指何本に見える?」

 言葉がニ本指を立てている。答えると、緊張が解けた様に息を吐いた。

 ふと部屋を見回すと、無機質で消毒液の刺激臭のする部屋で、僕はベッドに横になり点滴の管が繋がっている。

「ここどこ?」

「病院」

「新美鈴、お前どこまで覚えてるんだ」

 声がした方を向くと、入口に局長が立っていた。

「えっと……目の前に、大きな岩みたいなものが、迫って来た所までです」

「そこまで覚えてりゃ良い方だな。……お前は、上半身ごと岩に潰されたんだよ」

 獄卒に死は訪れない。

 輪廻転生や成仏と言う概念と現象はあれど、死だけはないのだ。

 その職務を全うするまで、何度骨折しようが散り散りに切られようとも、何度でも驚異的な速さで再生して復活する。

 話を聞く限り、僕は三日掛けて漸く回復したらしい。

 被害は僕だけに留まらず、夕は投石で右腕を持って行かれたし、言葉は左足がもげた上右半身の内臓を損傷した。

 あの警備員さんも怪我をして、防壁も壊されたと言う。

 しかしこれだけの被害を、せいぜい十歳程度の子供が起こせるものだろうか。

 身支度を整えながら頭の中を疑問符でいっぱいにしていると、局長から封筒に入った書類を渡された。

「全員で回覧したやつだ。お前も読んでおけ」

 身支度を済ませてから封筒を開け、書類一枚一枚に目を通す。


【賽の河原刑場で発生している暴動事件について】

 現在発生している暴動事件について観測と調査を行った所、原因は罪人ではなく暴徒化した姑獲鳥が騒動を引き起こしたものと結論付けられた。

 現在、当該姑獲鳥を捕縛する為機動隊を派遣している。


 姑獲鳥は難産で死んだ女性が妖怪化したものだが、優しい種族だ。

 現に、子供を引き取り育てている人は沢山居て、夕は姑獲鳥に育てられた。

 それが何故こんな騒動を?

 子供とは言え罪人を守っているつもりなら性が悪い。

 僕たちの仕事は、遺族からの手紙を届け、改心を促進させる助けをするだけ。

 現場に立ち、銃を持たされているけれど荒事が専門ではない。

 だから事前調査と言うのもその為だ。

 戦えない獄卒。金棒を持てない獄卒。

 だから武力による問題解決ではなく説得による問題解決が求められるが、近づいてすぐにやられるのではそれも出来ない。

「局長」

「何だ」

「姑獲鳥の問題解決の為に調べものをしたいのですが、宜しいですか?」

「ああ。ただし就業時間外でな。それと行くならここに行け」

 そして、今日は休日だ、と付け足した。

 そう言って、手帳の頁を破いて万年筆でさらさら書き込んで行く。

 とある住所の記された紙を頼りに石造りの街を歩いた。


       ── * ──

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