獄卒就任記念日: 一幕
今は神無月と言えど八大は暑い。
しかし八寒出身者の感覚だからだろうか。耐え兼ねて袖を捲っていたら周囲の視線が刺さった。
道行く人は皆羽織を着て足袋を履き、コートを羽織ってブーツを履いている。
夜に近かい夕刻だった事もあり、襟巻きを着けた寒がりも見掛けた。
対して僕たちは、袖を捲ったセーラー服とハーフパンツ、帽子に厚手のタイツだ。
八大に入る前、列車の個室で着替えたけれど失敗だったかもしれない。
さりとてそれはそれ、これはこれ。
日が落ちる前に職場へ辿り着かなければならない。
書類の住所を頼りに見慣れない街を進んで行く。
往来には灯が点り、家路につく人達の流れに逆らった。
そうして到着した場所は繁華街から離れた、賽の河原に近い場所だった。
河を越えればすぐ亡者達の刑場に出られる。
直接刑罰に関わる仕事なら当たり前のことか。
その手前には二階以上の建築物が建ち並び、どれも石や煉瓦などで頑丈に造られている。
件の郵便局はその中にあり、赤煉瓦造りの三階建てのどこか古めかしい建物だった。
細長い窓にはまだ光が点っていたけれど、就業時間は過ぎている。
待たせてしまった。
それに漸く気が付いて、血の気がさっと引く。
三人で駆け込む様にして足を踏み入れた。
煉瓦の外見に反して中は木造で、入ってすぐにある受付も古い木で造られている。
家具も木に革を張り付けた物が多い。
年代物の照明器具が、部屋を橙色に染めていた。
受付には誰も居らず、もっと早く行動していれば、と後悔が波の様に押し寄せたその時。
「ああ、いたいた」
受付の方から低い声がして、振り向くと、誰も居なかったそこに長身の男性が立っていた。
白い顔に笑顔を浮かべ、綺麗な稲穂色の髪と藤色の目をした人。
紺と黒を基調とした制服に身を包み、夜になっても崩れていない。
そして背丈が六尺以上ある。
その人は僕たちに歩み寄ると、目線に合わせて屈んでくれた。
「君達が今日学校から送られて来た特待生だね?」
特待生、と言う単語に引っ掛かりを覚えたが、はい、と肯定すると、よかった、とその人は微笑む。
「初めまして、私は国木田凛。ここ八大刑場前第一郵便局の副長です」
「初めまして。新美鈴です」
「初めまして! 僕は津島夕と言います」
「は、初めまして……ぼくは、朝倉言葉です」
「三人共宜しくね。じゃあ局長に挨拶しに行こうか。この奥で待っているから、一緒に行こう」
背筋がぴんと伸びた。
緩んだ緊張が再び張られ、さっきよりも心臓が痛い。
受付の横にある扉をくぐり、その先にある階段を二階まで昇る。
暖房でも効いているのか、上に行く程暑くなった。
階段を昇った先にまた扉があって、それを国木田さんが慣れた様子で開ける。
「事務室」と記された札が揺れた。
机と椅子だらけの部屋を見回す。
ロールアップデスクが二つ向かい合って、それらが一塊ずつ等間隔に置かれ、可動式の椅子が備わっている。
天井に揺れるランプは傘に色がついていた。
細長い窓の外で外灯が仕事をしている。
国木田さんが一番奥の席の前で立ち止まると、礼をして椅子の斜め後ろに立った。
その席に一人男性が座っていて、書類に目を通して判子を押している。
どう見ても残業だ。
「局長」
「あー……ちょっと待ってろ。これだけ纏めたらすぐやる」
国木田さんが声を掛けても振り向きすらしない。
黙々と事務仕事を続けている。
幾つかの書類を茶封筒に入れると、漸く書類の山から顔を上げた。
蒼白い病的な肌色に、黒縁眼鏡の奥に光る鋭い銀の眼孔。目許には濃い隈が刻まれており、ぼさぼさの黒髪には少しの灰がまざっている。
暖かそうな衣服の袖から覗く指や首、手首は骸骨みたいに細くて華奢だった。
残業そのものを体現しているかの様な風貌だけど、衣服は一切乱れていない。
局長と呼ばれたその男性は僕たちを一瞥すると、開口一番にこう言った。
「お前らそんな薄着で寒くないのかよ」
一瞬間が抜けた。
「寒くはないです。寧ろ少し暑いくらいで」
「そうか」
局長は息を吐くと、気怠そうに椅子から立ち上がる。
「俺はこの八大刑場前第一郵便局局長、藍生千尋。宜しく頼んだ」
「「「宜しくお願いします」」」
改めて三人で頭を下げる。
「よし。今日はもうやる仕事は無い。今から社員寮に行くぞ」
「はい」
「国木田、戸締まり頼んだ」
「分かりました。局長は子供達をお願いします」
郵便局には国木田さんが残り、僕たちは藍生局長について社員寮へ足を運んだ。
郵便局を出てすぐ前にある停車駅で路面電車に乗る。
運賃は局長が支払ってくれた。
車体は鉄色に光り、車窓の外は街頭の灯が水飴の様に溶けて流れている。
一駅だけ乗って降りたら、住宅街と商店に挟まれた歩道を歩いて行く。
停車駅から五分程歩いた所に社員寮はあった。
建てられてから年数が経過しているみたいだけど、石と煉瓦の壁は堅牢だ。
壁面にベランダが並んでいて、その脇を細い煙突が伝っている。
でも不思議と壁にひびがあったり、蔦が這っていない。
木製の扉を開くと広い玄関があって、すぐ脇にある部屋に光が点っていた。
「靴箱は適当に使っていい。施錠はちゃんとしておけよ」
見れば、横に置かれている靴棚には蓋がついていて、施錠の出来るものだった。
二段目の端に靴をしまう。
「あらお帰りなさい千尋ちゃん、それに子供達もようこそ!」
甲高い声が聞こえて振り向くと、そこには外国人の女性が顔を覗かせていた。
ミルクティーの様な髪色が特徴的で、金色の丸い目を持ち、丸眼鏡を掛けている。
髪はレースで綺麗に纏められ、白いワンピースに黒のエプロンに身を包んだ人。
言葉遣いに外国語の訛りがある。
その人がこちらに歩み寄ってくると、局長は帽子を脱いで軽く礼をした。
あの無作法にも見られる局長が。
「フラウさん、今日の晩飯は……」
「今日はその子達の歓迎会も兼ねてるからビーフカレーよ。ふふっ、お腹空いたかしら?」
「空きました。あと眠いです」
局長が大きく欠伸をすると、フラウと呼ばれたその人は、一際楽しそうに笑う。
「まず自己紹介ね。私はフラウ・ゴーテル。ここで泊まり込みで家事をしている家政婦よ。大体お勝手に居るから、お腹空いたらいつでもいらっしゃいな」
フラウ・ゴーテルは、かの有名な童話「髪長姫」に登場する魔女だ。
正確にはそれを模倣したコピーとでも言おうか。
ここは誰かの想像で造られる世界で、偉人のコピーは人の想像した数だけ居る。彼女もその一人だろう。
でも彼女は実際のフラウ──グリム童話初版のフラウに近い。
根が優しくて、ラプンツェルにビスケットの湧く籠を持たせたフラウに。
フラウさんは、こちらへいらっしゃい、と可愛らしく手招きする。
広間を抜けて食堂に入ると、既に先客が二人席についていた。
長い銀髪の愛想がいい男性と、虎毛の様な茶髪の男性だ。
二人は示し合わせたかの様に一斉にこちらを振り向く。
「千尋お帰り~」
と銀髪の人が笑顔で迎えた。
「お、こいつらが今日来るって言ってた奴? ちっちゃくねえか?」
二人共背丈が高く、特に銀髪の人は国木田さんと同じくらいあるのでこうして覗き込まれると気圧される。
局長は慣れろと言ったが、局長も背丈が五尺四寸程なので少し煙たがっている。
「先に俺から自己紹介させてくれな」
毛先が金の黒髪の人が名乗りを上げた。
「俺鼓美茜。ここで一番の最年少だけど、お前らに越された。明日から一緒に働く事になるから、宜しくな。多分俺が教育係任されると思う」
琥珀色の目は向こうが透ける様で、妙に惹き込まれる。
背丈は五尺と七寸。僕たちの中で一番高い夕より少し高い。
「鼓美、お前には任せねえからな」
「うえ~」
そのやり取りに隣で笑いを堪えていた銀髪の人が口を開く。
「俺は鳴沢瑞月。宜しくね」
そう簡潔に纏め手を差し出した。
長い銀髪は下ろされていて、それがさらさらと肩に流れ落ちる。
空色の目がじっと見詰めて来る様は、全てを見透かされている気がして胸が痛い。
僕の目線に合わせて屈んでくれているけれど、背丈は国木田さんと同じくらいある。
手を取って握手を済ませて、僕たちも席につく。
「ねえ千尋、国木田は?」
「戸締まりと消灯頼んで置いてきた」
「じゃあすぐ来るね」
鳴沢さんが言い終わるか終わらないかの内に、玄関から音がして国木田さんも合流した。
これで全員集まったらしい。
フラウさんの食事を完食し、歯を磨こうとしたら食後の後菓子に冷やしたレーズンサンドをもらった。
歯を磨くと、食堂の隣の広間に呼ばれる。
国木田さんによると、管理人が各自の部屋を決定したい、とのこと。
社員寮にも管理人がいるのかと意外に思った。
暖房の効いた広間に行くと、中央の籐椅子に管理人らしき人が待っていた。
寒がりなのか室内だというのに、黒い帽子と紺の袴、薄灰の羽織を着込んでいる。
こちらに気付くと椅子から立ち上がって礼をした。
立ってみれば僕と背丈は同じくらいだったから少し拍子抜けした。
「今晩は。えーっと……あっ、初めまして。僕がここの管理人の東雲と言います。東雲は先代の局長と同じ名字をいただいています。……これでいいのかな?」
黒と白が混ざりあった、まるで虎の様なふわふわとした短髪と、蛍色の目を持った、不思議な風貌の管理人。
宜しく、とお互いに挨拶して、向かい合った籐椅子に座る。
「それでお部屋の事ですけど……」
そう言って管理人は、袂から一枚の図面を取り出して硝子製の天板に置いた。
「これがお部屋の見取り図です。シャワー室と御手洗いが廊下を挟んであって、その先に八畳の居間と、収納として押入れがあります。手狭なので、皆さん個人で借りる事が多いですね」
部屋については、広さに関係なくもう決めてある。
「「「三人で借ります」」」
別段示し合わせた訳ではないが、揃って言い出した事に自分でも驚いた。
「その、家賃を折半出来ると聞いて……」
管理人は目をしばたかせ、暫く固まっていたが、気を取り直して、判りました、と頷く。
「少々お待ちください」
席を外すと、ぱたぱたと走って行った。
管理人が戻ってくると、僕たちに一人一つ鍵を手渡した。
「こちらがお部屋の鍵になります。申し訳ありませんが、僕は仕事が残っているので、お部屋のご案内は出来ません。二階の管理人室にいますので、何か入用の時は管理人室までお願いします」
それだけ言い残して二階へ消えた。
もしかしたら我が儘を言っていたのかもしれない。
思い詰めながら階段を三階まで昇り、鍵に刻印されている部屋番号を頼りに進む。
三階の角部屋が宛てられた様で、部屋に入って一息つく。
順番にシャワーを浴びて、寝間着に着替えたら押入れから蒲団を出し、床いっぱいにぎゅうぎゅう敷き詰めた。
掛布団も出すと布の洪水みたいで、そこに埋もれる様にして蒲団に潜る。
消灯すると、カーテンのないベランダへ続く窓から月光が差した。
今度カーテンを買おうね、などと談笑していたら、静かに睡魔が訪れた。
── * ──
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