賽の河原郵便局

あてらわさ

獄卒就任記念日: 序幕

 【河原者】

 読み: カワラモノ

 中世以降、牛馬や人間の死体処理、井戸掘り、清掃、造園、雑芸能などに従事していた者。

 別名: 河原乞食、川原役者。


 教壇に立つ師の声を聞きながら、最後の授業が過ぎて行くのを惜しんだ。

「河原者とは、本来差別的な意味です。しかし今日では、我々獄卒を指す言葉でもあります」

 ちら、と教師が僕を見やる。

 そして咳払いを一つ。

「では新美君。我々がそう呼ばれるに至った経緯を答えてください」

 はい、と返事をして立ち上がると、隣席の友達が、頑張れ、と小声で言った。

「地獄を支え働く獄卒は、黄泉で暮らす人達とは一線を画す存在であり、また、賽の河原を中心として回るので、それになぞらえて河原者と呼ばれる様になりました」

 大変宜しいとのお墨付きをもらい、そっと息を吐く。

 僕達はこれから学校を卒業する。

 地獄に従事する獄卒を育てる訓練校の卒業式が、今日行われるのだ。

 この学校は今回、半年早い卒業を決行する。 

 概ね課程を修了している者から順に獄卒として送り出される。

 十二歳までの初等教育を修了し、この訓練校で中等教育と獄卒としての知識や技能を履修して、十六歳の春に卒業する予定だった。

 事の発端は、先の忘却による人員減少。

 忘却とは、現世に生きているヒト達が彼岸の存在を忘れかける事で起こる世界消滅である。

 ヒトは故人を忘れていくのと同じに、彼岸の存在も忘れられ、現世だけが残りあとは崩れるのだ。

 所詮僕達は空想の世界に生きる、自我を持った空想の住人に過ぎない。

 その忘却がつい最近起こってしまって、その時に獄卒も消えてしまった。

 それを補填する為の卒業式だ。

 僕──新美鈴は、三人の級友と一緒に、一足も二足も先に送り出される。

 全員、定められた課程を修了していて、かつ適性であると判断された数少ない貴重な人員である。

 学校の施設でも一番広い講堂に集められたのはたったの五十人。

 割と大きい訓練校だけど、これは果たして多いのか少ないのか。

 校長先生の祝辞を聞き流し、卒業証書と資格証明をいただき、教室に戻ると担任の先生から贈り物を貰う。

 上等なネクタイだった。

 黒地の手触りがいいネクタイは、高そうなブランドの商標が縫い付けられている。

 教室の子たちから折鶴も握らされ、名誉ある卒業生として盛大に祝われた。

 その日のお昼前には学校を出て、その足で駅へ向かう。

「どうせならマフラーが欲しかった」

 と愚痴を溢す級友の津島夕は、高いネクタイを貰ったのが酷く不服だったらしい。

「でもこれから行くのは八大地獄だから、要らないでしょう?」

 僕がたしなめると、隣で肩を並べるもう一人の級友、朝倉言葉が同調して津島をじろり、と睨む。

 津島と朝倉はまるで対の様な関係で、夕はおしゃべりで大食漢。感情は言葉で伝える。少し長い黒髪と、藍色の大きい目を持つ。

 言葉は無口で沈着冷静。感情は反応で表す。

 白の短髪と朱色の目。

 朝と夜。深い海と広い空。そんな二人だった。

 僕はと言うと、おでこが広く出た、言葉よりも短い黒の短髪と蛍色の目だ。

 そんな事を考えていると、先程からちらついていた雪が徐々に多くなってきた。

 地獄は八大と八寒に別れている。

 八大は炎が包み、八寒は雪に閉ざされている。

 僕達が生まれ育ったのは八寒で、これから暖かい八大で暮らす事になった。

 暖かいを通り越して熱いと専らの噂で、どうしても不安があるのは事実だ。

 雪が酷くなる前に駅舎へと向かう。

 今日は晴れるから傘は要らないと、天気予報士は言っていた。

 八大にある中央駅へ直行する機関車の、大きめな切符を手に握る。

 屋内にあるホームで列車を待っていると、周囲の人からの視線が刺さった。

 早く卒業する、と言う話は周知の事なので仕方ないが、何だか肩に重荷を背負った様で。

 暫くして列車がホームに滑り込む。

 黒と濃い赤褐色を基調とし、金の線が一本入っている機関車は、八寒専用の特注品だ。

 先頭には巨大な雪避けがついており、延々と降り積もる雪を掻き分けて進む。

 停車した勢いで、バサバサと屋根の雪が落ちた。

 扉がシューっと開き、車内の温風が直撃する。

 切符に刻印された指定の個室席を探し当てそこに落ち着いた。

 列車が動き出すのを今か今かと、窓に貼り付く。

 すると肩を引かれて後ろに倒れそうになった。

 不意の事に驚いていると、言葉が僕の肩を軽く叩いた。

「新美ちゃん、窓、冷たいから……」

「……ごめん」

 大人しく座っていると、放送が流れてあと五分で出発する旨を聞く。

 次第に車内は人で一杯になり、切符代の安い三等車の布張りの席は全て埋まった。

 車内に喧騒が充満すると、列車はガタゴトと動き出す。

 遠くで先頭車両が雪を掻き分ける音が聞こえた。

 雪原を滑る様に列車は走る。

 汽笛と駆動音が故郷への別れを告げた。

 もう暫くしたら乗務員さんが切符を見せてくれと巡回してくる頃だろう。

 切符を用意して待っていると夕と言葉も察し、手に握って待っていた。

 恰幅のいい乗務員さんが、改札鋏を片手に三等車まで来た。

 僕達の席まで来ると、制服で察したらしい。わざわざ帽子を脱いで挨拶をしてくれた。

「切符を拝見致します」

「はい」

 三人分の切符を切ると、愛想よく笑う。

「いやあ~噂には聞いていましたが、本当にこんな子供が卒業しているんですねえ。これから頑張ってください」

 思いがけない激励を受け、恥ずかしいやら嬉しいやらで判らなくなる。

 車内の視線を余計に集めてしまったし、前の席に座っていた老夫婦から飴を貰った。

 夕と言葉は、親戚の集まりみたいな空気、と表現した。

 僕は身寄りがいないから、そう言った感覚がよく判らない。

 僕は生まれた時から親が何かも判らなかった。

 夕と言葉も、元々は孤児だと言う。だけど二人には親が居るから、僕は未だに判らないでいる。

 車内販売の人が、甲高い声を上げて車を押して来た。

「旅のお供にお弁当~お菓子~お飲物は如何ですか~?」

 夕は腹の足しに何か買うらしく、財布の紐を緩めている。

 僕達の席を通りかかるのを呼び止めて、荷台を見、あんぱんや大福餅など買った。

 首を回して時計に目をやると、お昼時ではないが少しお腹が空いている。

 夕が食べ始めたのに便乗して、駅で買っていた弁当を開けた。

 お握り三つと、主菜の鮭と、副菜は厚い卵焼き。

 お握りは梅、鱈子、鶏そぼろ。

 駅のお弁当は梅、竹、松、と等級が別れていて、一番下の梅が安い。

 梅でもそれなりに量があって暖かいご飯を食べられる。ので大満足だ。

 それから八寒と言う土地柄もあって、弁当はまだ熱いほど暖められており、必ず汁物も一緒についてくる。

 汁物は野菜多めの豚汁。竹か松ならもっと肉が入っていた。

 これで五百円也。

 僕達三人共同じものを買った。

 景色を楽しもうにも、窓は防寒にカーテンがかかっているので、食べながら配属先の資料に目を通す。


 【配属先: 八大刑場前第一郵便局】

 仕事内容: 亡者への郵便物配達及び観察。

 備考: 亡者に直接干渉する職業柄、金棒等の目だった武器を所持する事が出来ません。故に護身も難しく、比較的怪我の多い仕事となります。


 怪我の多い、と敢えて書いているのは、それなりの覚悟を持っている人材が欲しい為だろうか。

 獄卒は多少怪我をしても無傷と同等だ。

 誰しも等しく備わっている超常的な再生能力で、指の一本でも残っていれば、時間をかけて再生して甦る。

 他にも目を通しておこうかとページを捲ると、言葉に行儀が悪いと制止されてされてしまった。

 ごめん、と一言。

 それなら、とさっさと弁当を食べてしまって、再び資料に目を通す。

 給与や待遇、労働時間に向こうでの衣食住。

 住は社員寮があるから深く考えなくても良さそうだ。

 あくびを一つ。


          *


『…………中央駅~……八大中央駅~車内にお忘れもののないよう、ご注意ください~』

 目を醒ませば、列車は既に終点の駅まで辿り着いていた。

 どうも書類を読んでいる間に寝てしまったらしいけれど、せめて一つ前の駅で起こして欲しかい。

「新美起きた? 鞄持った? 忘れ物無い?」

「大丈夫」

 言葉が頷いて確認する。

 当面の間八寒には戻らないだろう。

 列車の扉が横に滑ると、全く味わった事のない空気に包まれた。

 これが八大の空気。

 凍って張りつめた八寒の空気と訳が違う。

 息を吐き、プラットフォームの石畳に足をつけた。


       ── * ──

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