第6話【函館山】

夜景には少し早い時間に到着したお陰で

まだ、まばらにしか人のいない山頂。

とりあえず日暮れ前の景色を

目に焼きつけておくことにする。

港のほうには船が行き交い、空を見ると

飛行機が着陸しようとしているのか

低い高度でとんでいるのがみえた。


山頂の売店に寄り、夜景でも見ながら

酒を飲もうと思った俺は缶ビールを

3本購入し店を出た。

俺には正直なところ夜景よりも、

ここでビールを飲めるという

事実のほうが大切なのだ。


空いていたベンチに座り、傾きかけた

太陽を見ながらゆっくりとビールを味わう。

グランクラスのビールも美味しかったが

外の解放感の中で飲むビールは

缶であれ格別にうまい。


2本目のビールを飲み干した時

次のゴンドラが到着する。


(あれ?あの人…)

数人の客の中に僕の目を引く

一人の女性がいた。

ニット帽を深く被ったその女性は鼻が

すっぽりと隠れるくらいまでマスクをし

目しか見えていない。それに加えイヤホンを

しているその姿は私に関わらないで!と

全身で言っているようにみえた。


手には小さいバッグを1つだけ

持ったその女性をみて


(旅行客ならもっと荷物多いよな?)


地元の人が、黄昏にでもきたのだろうか。

などと思いながら、買ってきた最後の

ビールの蓋を開けた。


しばらくその女性を観察していた僕は

知らない土地に来た解放感か、

グランクラスから飲み続けている

ビールのアルコールの所為かは不明だが

開けたばかりのビールをベンチに置くと、

彼女の元へと近づいていく。


「すみません!」


当然返事はない。


トントン!

後ろから肩を叩くと、女性は急な訪問者に

体をビクっとさせて振り向き、俺の顔を

まっすぐに見つめている。

暫く見つめられた後、女性はイヤホンを

片方外してくれた。


女性の耳が俺の声を拾える状態に

なったのを確認し


「道に迷って困っているのですが」

とベタな事を言ってみる。


『どちらに行かれるのですか?』

真顔で答える女性。


すかさず僕は適当な事を言う。

「長野の山奥で老人の

ユートピアを探してまして」


さて、何て返してくれるのだろうか?

ちょっと楽しむ俺がいる。

頭上にはやっと降りてきた夜の帳に

つつまれた空。後、半刻もすれば

綺麗な星空へと姿を変えるだろう。

昼の王者と交代で現れた夜の姫も

俺の言葉に笑っているように見える。

目の前には函館の街並みと

ようやく始まったキラキラ輝く街明かり。

女性の背後をぼんやりと見ながら

彼女の口から出る言葉を待ち続けた…

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