第3話 タマゴちゃんの憂鬱

「なーにやってんだよ、ユーイチくん! 補助翼なんて三日も練習すれば取れるだろうに……情けない」


 声がする上の方を見上げると、天元翔馬が木の上から小鳥遊一を見下ろしていた。どうやらさっきのスズメたちはコイツの射撃で追い払ってくれたらしい。


「おめーらな、少しは飛行の方を助けてくれたっていいだろ……」

悔しさと情けなさのあまりに、つい同級生へ文句を垂れてしまう小鳥遊一。


「いやー無理ですって、このスーツは人間一人分を浮かすのが精いっぱいなもんで、手荷物ひとつも持てやしないんですし」


 その文句に正論で答えたのは天元翔馬の隣に降り立った灰沢猿谷だった。眼鏡をキラリと光らせてドヤ顔でスーツ性能の解説をする。


 微小管繊維スーツは従来の飛行機とは違う動きを可能にした半面、重量の重い大規模輸送などには不向きな技術だった。むしろ一人分の浮力がギリギリなので極限まで軽くする必要があった。


「だいたい何ですか? そんなガチガチなゴーグルなんか付けてたら、視界が狭くなるでしょーに……」


 さらに小鳥遊一の非を追及してくる灰沢猿谷。小鳥遊一にとっては、このじいちゃんの形見のゴーグルは彼にとっては幼少のころより欠かせないものでもあった。けれど、ぐうの音もでない正論でまるで言い返せない。また、頭を守る為のフードもスーツのマント部分には付いてるので、それを装備し忘れたのも彼のミスである。


「そーだよ、落ちるのが怖いのかしらないけど、そんなパラシュートまで背負っちゃってさ。こんな鈍重な装備で鳥に対抗できるわけがないでしょう?」


 天元翔馬が彼の背中の重たいパラシュートを指さす。今の時代にはもう、空中でパラシュートを開いてしまうと鳥たちの恰好の的になるので死を意味するのである。しかし、それでも小鳥遊一が補助翼やパラシュートを手放せないのは、彼の落下に対する恐怖心の表れでもあった。大げさなゴーグルをつけているのも、わざと視界を狭くして下を見ないようにする為でもあった。そう、つまり小鳥遊一は高所恐怖症だったのだ。


「あんさん大丈夫かいな。一人で立てるかの? 全く、これが本番だったらどないなってもんだか……。これからも現場でワイらの足引っ張られるのはごめんでっせ」


 文句を言いながらも小鳥遊一を助け起こしに降りてきたのは藍田群青だった。


「くっ、よせよ……。こんなケガたいしたことない……」


 肩を貸そうとした藍田群青を見栄で振り払う小鳥遊一。ちょうどその時、焼鳥軍が常備している耳の通信機へ演習終了の合図が鳴る。


「撤収するぞ! 貴様らの実力はもう十分にわかった!! 各自は地下へ帰還し、配給のメシ喰って休め! 以上だ!!」


 その合図で兵たちは一斉に地表へ降りて、山道の側のあちこちに配備されている地下出入口のマンホールの中へと消えていく。


「うぇー、またモヤシ炒めとスズメの丸焼きっすかー? もう飽きたんですけどー」


 天元翔馬たちもぶつくさ文句を言いながら地下へと帰っていく。


「ユウってば大丈夫? ホントごめん、助けに戻りたかったんだけどその時あたしは前線で引っ張りだこになってて……。それにしても、まさかあんな雑魚たちに殺されそうになってたとは思いもしなかったわ」


 帰っていった同級生たちと入れ替わり、とぼとぼ歩く小鳥遊一の元に駆け寄ってきたのは前線から戻ってきた卵志帆だった。


「くっ、よせよシホ…………寄んな……」


 実は彼女と小鳥遊一はイトコ同士で、彼が両親を失った後に引き取られた親戚の家で一緒に育った幼馴染だった。しかし、同じ親戚でありながらこうも才能に差があることが悔しくて、今の彼に残った唯一の家族である卵志帆にさえ冷たく当たってしまう。


「もー、だからやめときなさいって言ったのに……。まだ治っていないんでしょう? 高所恐怖症…………」


 小鳥遊一と同い年のくせに、昔から姉貴ぶって心配性になる卵志帆。この焼鳥軍に彼が参加したのだって最初は反対してたのだが、どうしても参加する意思を止められないとわかると、今度は小鳥遊一を守る為に彼女自身も両親の反対を押し切って焼鳥軍に参加すると言い出す驚異のブラコンっぷりである。


「わかってる……わかってるんだよ! けど、高い所から真下を見るとどうしようもなく足が震えちまうんだよ!! あの時を思い出しちまって………………」


 いつも彼が思い出していまうのはあの飛行機事故の凄惨な場面だった。落ちる瞬間のあの浮遊感や急速に近づいてくる地面。                                  

 そして、人肉の焼ける臭い。それを旨そうに群がっている鳥たちの恐ろしい光景…………。その両親を喰われた光景に逆上して、今度は自分が奇妙な一匹の青い鳥を喰ってしまうという凶行。その記憶がまたトラウマを加速させていた。


 あの後の自分が救助された時の記憶ですら曖昧で残ってないし、あんな見たこともない色をした鳥の存在は本当に現実だったのか確信が持てないし、自分が狂人ではないかと気味悪がられるだろうから誰にも言ってない。


 だが、何故かあの時に生の鳥をバリバリと喰った生々しい感触と臭いだけが頭に焼き付いて離れないのである。いくらあの時のショックと鳥への恨みがあったとはいえ、なんで自分があんな気持ち悪い行為をしようと考えてしまったのか理解できない。おかげで今では普通の鳥肉を見るのも嫌である。


 ※※※


「お、オエエエ…………」


 その後、地下基地内の食堂へと戻った小鳥遊一は再びある危機に迫られていた。

それは食事の問題だった。彼にとっては配給のスズメの丸焼きがとても喰えたものではないのである。その羽根をむしった小さな体が黒焦げになって串刺しにされている姿はなんともグロテスクだった。


 別にスズメの丸焼きはかつての伏見稲荷とかでも普通に食べられていたものらしいが、とても彼にはこれが食えるとは信じられなかった。


 ここ地下巨大避難区画では食料不足が深刻なので、狩った鳥は貴重な肉なのである。この鳥肉の配給を目当てに焼鳥軍へ入隊した者も多い。


 しかし、今の彼にとって鳥肉は思い出したくもないトラウマそのものである。あの時に決意した鳥どもと戦う意思は変わらないが、それを喰うとなるとまた話は別だった。


「全く……、昔はしょっちゅう世界中の鳥どもを喰いつくしてやるとか言ってたのはどこのどいつなのよ。ほら、スズメちゃんだって骨と皮ばかりだけどパリパリで意外とおーいしいよっ!」


 平気な顔でバリバリと喰う様を見せつけてくる卵志帆。その姿はまさに食いしん坊そのものだった。


「……何故お前は平気なんだ……。だって……だってよ! よく考えるとコイツらは人間を喰った後の鳥肉なのかもしれねーんだぜ? つまり、それを今度はおれらが喰うって事は間接的に人肉を食しているという事にぃ…………!!」


 それを想像すると発狂しそうになる小鳥遊一。考えまいとすればするほど気になってしまう。


「そりゃまーそうかもしんないけど、他に食料ないんだし…………。喰われたならその分、喰らい返して栄養を奪い返してやるのが筋ってもんでしょ!」


 小鳥遊一から相当な気持ち悪い話をされても屁理屈で返して、一向に食べる勢いを止めない卵志帆。こんな食いしん坊で何故あれだけ軽く飛べるのか不思議でならない。


「集合! 点呼だ!! 明日に向けての各員に連絡がある」


 結局、地下で栽培しているモヤシしか食えなかった小鳥遊一。そうこうしているうちに食事の時間は終わって、霄香帆隊長からの呼び出しがかかる。


「今日で貴様らの訓練は終わりだ! 次からそれぞれの班は本番の任務に入る!! その任務の内容は主に今だ各地に分断されて避難している同胞の救出だ!!」


 そう言って霄香帆は各班へ任務内容を言い渡してゆく。その作戦は、以前からベータ版スーツの訓練を受けていた焼鳥軍のベテランたち第1~15班が都内へ巣食っている鳥どもへの掃討作戦へ遠征し、第16~30班の義勇兵の新人たちはベテランが敵を引きつけているその間に各地後方の小規模避難区画を見つけて救出にあたる任務だった。


「お前たちタマゴ班長率いる第22班の初任務はとりあえず、比較的小規模な任務をこなしてもらう。


 先日、とある郊外のビルにて立てこもっている避難民からのSOS信号をキャッチした。ここは君たちに避難民の救出とここの地下基地への誘導を頼みたい」


 霄香帆隊長から任務内容を告げられる小鳥遊一らが所属する第22班。


「頼んだぞ! 班長タマゴ! 副班長ショーマ! 班員のグンジョ―、エンヤにユーイチ!!」


 最後に各員の愛称とともに激励を入れる霄香帆隊長。新人の班はみんなとにかく経験が浅いので成績が高い者と低い者を混ぜてバランスさせていたのでこの構成だった。そうとも知らずに小鳥 遊一は己が熱意を燃やしている。


「ハッ!」


5人揃って敬礼で返す第22班。幼馴染が自分より上官の班長だというは色々と気に入らなかったが、ともかく初任務に参加できるというので小鳥 遊一は嬉しかった。演習は散々だったが、この本番で手柄を上げれば隊長も成績を見直してくれるだろう。そんな野望を抱きつつ、解散して明日の準備の為に寮に戻って眠りにつく小鳥遊一だった。



 ※※※



「ヒューッッ!!」


 翌日、作戦開始の日は快晴の朝だった、山から降りた町付近の上空を飛ぶ第22班がいた。


 微小管繊維の糸を手や足の指先から放出してなびかせながら進む様はまさにクラゲの隊列といった感じだった。


「やーっぱ、演習とは違って、思いっきり飛べるのって気持ちいーなっ!!」


 ショーマが余裕顔ではしゃいでくるくるとアクロバット飛行をしながら進む。


「お、おーい、待ってくれよみんなぁ……!」


 相変わらず補助翼を使って出遅れている小鳥遊一。補助翼をベースにしながらも手足から微小管繊維を放出して必死に漕ぐが、まるで追い付けない。補助翼には皆の分の補給用の微小管繊維の替えも積まれていることもあって重いので昨日よりスピードの出ない有様であった。


 そうこうしてやがて、目的地のビル近くへとやっとたどり着く。そのビルは上階が高層マンションになっていて階下がショッピングモールになっているという駅前の高級住宅だった。しかし、人食い鳥が大量発生した今のこの世界では町もビルも建物はみんな鳥のフンだらけにされて廃墟も同然な荒れ果てぶりだった。


「じゃあねー、補給係クン。君は上空で見張り役として哨戒していてくれたまえ」

 灰沢猿谷が冷静に小鳥遊一を置いていく提案をする。


「せやな、突入はワイらの力にまかせなはれ!」


 その提案に力強く答える藍田群青。


「ごめんね~ユーイチぃ。その替わり、速攻であたしが片付けてきてあげるからしばらくそこで待っててね!」


 いたずらっ娘な笑みで小鳥遊一に置いてけぼりを告げる卵志帆。姉としては弟を危険な目に合わせないつもりだろう。


「ええーッ! そんなぁあッ!!」


 完全なお荷物扱いに抗議の意を顕わにする小鳥遊一。だが、そんな声もまるで聞かずに皆はビルの屋上へとスピードを上げて突入していった。


「ぜやあぁぁぁあぁああっ!!」


 特に卵志帆が本気を出すと物凄かった。屋上にはいくつかの凶暴なカラスの巣があったが、あっという間に微小管繊維の網を編み込んで、手から放出してまとめて捕えてしまう。それは幼少の頃からあやとりが得意な彼女ならではの技だった。


「屋上にあった巣はあらかた駆除した。ショーマくん、グンジョ―くん、エンヤくん、このまま突入するわよ!」


 網で捕えた鳥たちを容赦なく地面に叩きつけて絶命させる。そのまま屋上に降り立った彼女は部下を率いて屋内へと勇ましく突入した。


「ヒューっ! やっぱタマゴ隊長すげーっ!! 了解っス!」


 それに続いて突入する、天元翔馬、藍田群青、灰沢猿谷の三人。それを遠目で見ていた小鳥遊一も着陸して追い付こうとするが、ビルに近づいたところで思いっきり高い所から下を見てしまい、高所恐怖症の発作を起こしてしまう。


「クソっ…………こんな時に……! 震えが止まらない……」


 結局、その発作が収まるまではハンググライダーの補助翼でビルの周りを周回する羽目になった小鳥遊一は完全に置いていかれた形になった。


「誰かいますか!? いたら返事してください!!」


 卵志帆たちは声を張り上げてマンション内に生存者がいないか捜索する。しかし、マンション区画には誰もおらず、どんどんと階段を降りて一番下のショッピングモールの階まで降りてきてしまっていた。


「見付けた! 人だ!!」


 まず第一生存者の老人を発見したのは視力の高い天元翔馬だった。他の三人も急いでショッピングモールの階下の踊り場へと階段を飛び降りて駆けつける。


「ご無事ですか!? もう大丈夫ですよ!」


 卵志帆は老人の手をとって呼びかける。その老人はかなりやつれたお爺さんで、服も擦り切れて汚れきったボロしか着ていなかった。今までずっとこのショッピングモール内で暮らしてたのかと思うと心が痛む。


「あ……ああ……、なんでお前たちがここに来た……?」


 けれど、その老人の反応はどこかおかしいものだった。そして、もう一つ何か奇妙なことに、よく見るとこの老人は片足を鎖で柱につながれていたのである。まるで犬が逃げないようにつないでおくみたいに。


「え? 救助信号を出したのはあなたなのでは…………?」


 予想外の反応に戸惑う灰沢猿谷。さすがの彼でもこの状況の理解に頭が追い付いていないようだった。


「今すぐここから逃げるんじゃ! 誰もあのお方には敵わない! アンタら喰われるぞ!!」


 その瞬間、ショッピングモール内に羽の音が響き渡り、尋常じゃない数のカラスの大群にとり囲まれた。即座に卵志帆は直観で理解した。自分たちは”釣られた”のだと。


 だが、いくらカラスの知能が霊長類レベルに賢いからといって、人間を鎖で繋いだり、無線機を操ったりまで出来るとは思えなかった。


 では、一体誰がこんな人間捕りの罠をしかけたのかという疑問が頭の中をかすめる。


「くっ……! これのどこが比較的小規模な任務だって言うのよ!! 仕方がない、総員戦闘開始!!」


 けれど今はそんな事を考えている場合ではなかった。カラスの大群が第22班めがけて嘴を矢のように突きたてながら、猛スピードで押し寄せてくる。


「あああああああっっっ!!!!」


 物凄い早業で微小管繊維ワイヤーの網シールドを前方に張っていく卵志帆。一羽一羽をワイヤーで弾き飛ばしてゆく。かなりの量の返り血と羽根を彼女は一斉に浴びるが、班員の皆を守る為に一歩も退こうとはしない。


「うろたえないで! アナタたちは班長のあたしが必ず守る!!…………」


 そう彼女が言って振り返った直後だった。一瞬のうちに天元翔馬、灰沢猿谷、藍田群青の三人は後方の別の方角からの鳥の羽根の矢によって射貫かれていた。それも鳥の爪や嘴から身を守り、弾丸ですら跳ね返す強度のある微小管繊維スーツの装甲を貫いてである。まさか、敵自らの羽根を抜いてそれを鋭い矢のように飛ばしてくるなんて、そんな攻撃手段をとってくる鳥なんて今まで聞いたことがない。


「あ…………、う……」


 全身をハチの巣にされた三人は悲鳴を上げる暇も無く崩れ落ちていった。折り重なって血の海に沈んでゆく。飛び散った鮮血が卵志帆の顔へとかかった。


「そん……な……そんなっ…………!」


 あまりにあっけない最期に言葉を失う卵志帆。


「……ぐ……貴様らぁああああああああああっっっ!!!!」


 逆上した卵志帆は敵を討とうと、矢の飛んできた方角へと突っ込んでいった。

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