幕間 副学園長グロリオサ・ルドベック
副学園長室をノックするとすぐに低い声で許可が下る。
これから始まる問答に手を濡らしながら、扉を開いた。
中にあるのは、大量の書類が載った庶務机と窓以外全てを覆う大量の本棚、それと窓際に置かれた小さな植木鉢、そしてその中心で不釣り合いに愛らしい羽根ペンを揺らす陰鬱な雰囲気の男だけだった。
入室した私たちを一瞥もせず、中心の男――副学園長グロリオサ・ルドベックは端的に要件を述べる。
「……それで、原因は何だ」
「ま、魔力飽和ですっ」
「……ほう?」
緊張で震えたカランコエの声に、グロリオサの手が一瞬止まり、再び動き出す。
途中何か魔術を行使していたらしく、どこからともなく一卓の机と人数分の椅子が用意された。ご丁寧に人数分のコーヒーカップまで用意されていた。
それぞれが席に着くと羽根ペンが不自然に動き、書類の向こうからサイフォンと魔石が机の上に置かれ、すぐに水が満たされる。それに呼応するように魔石から小さな炎が上がってサイフォンを温める。
やがてサイフォンのお湯が沸騰し始めた頃、グロリオサがこちらの席へと座る。その手には独りでに動くコーヒーミルとどこからか取り出した木べらを持っていた。
動きを停めたコーヒーミルからロートに粗く引いたコーヒーを入れ、ロートを押し込む。浮かび上がるコーヒー豆を混ぜながら、グロリオサは話を続けた。
「そんなに粗悪品を使ったのか?」
「いんや、そうでもないぞ」
一人スキレットからコーヒーカップに酒を注ぐ錬金術課の主任がポツリと呟く。
「確かに端材は端材だけどな、一応素材は中程度。一般使用には問題ないし、まして魔力飽和を起こすようなサイズでもない」
ウィスキーの匂いに酷く眉を顰めながら、グロリオサはカランコエを睨む。
「では術式干渉か?」
「いえ、カランコエ先生の術は遠目からみて問題ありませんでした。魔力量、術式制御、魔術反射、全てにおいて完璧だったかと」
グロリオサの視線に怯んだカランコエに代わり、エニシダ先生が返答しながらシュガーポットとミルクポットを机に置く。カランコエが安堵したように息を吐く。
「だが遠目に見ただけなのだろう?」
「
「……そうか。では本当に魔力飽和と、そういうわけか」
落ちてきたコーヒーを眺めながら、グロリオサが呟く。
書類で狭まった部屋の中にコーヒーとウィスキーの匂いが充満し、しばしの沈黙が降りる。
再びグロリオサが口を開いたのはコーヒーが落ち切った後だった。
「……あれを受け入れたのは早急だったか」
「せんせいっ!!」
「私はもうお前の先生ではないぞ、カランコエ・M・クロムスフェーン」
カランコエが立ち上がり、声を荒げる。だが、グロリオサはそれを一蹴し、カランコエを
無言で差し出されたサイフォンを受け取り、自分とカランコエのカップに注いでいく。それを机に戻すと、残り二人も自分のカップにコーヒーを入れ、グロリオサにサイフォンを戻した。
「実際、事実であろう。私と学園長不在とはいえ、カランコエ、エニシダ両名がいて、今回の事故。私の指示不足であったことは否めないが、それでも事故は起きた。考慮も準備も何もかも足りていない。第一、あれの入学も決まったのは半年前、クロムスフェーン卿から送られてきたデータは七年前のまま。それで万全の準備とは凡そ言えない。いくら本人の魔力操作と精神性が達観していようとな」
何故か再びサイフォンを魔石で加熱しながら、グロリオサはそう呟く。濃厚なコーヒーの薫りが部屋中に満ちていった。
「あれをどうするか――それこそ、また部屋に押し戻すのか、排除するか、拘束するか、そういうことも視野に入れなければならないということだ。
――我々は文字通り戦略級の魔力を相手に生徒を護らなければならないのだから」
「で、どう思う? グラジオラ。正直私は、お前の評が一番気になっているのだがな」
「そ、それは……」
重々しい沈黙の中、グロリオサがカップを置いて私を視る。カランコエの妖精眼とは違う、全てを見通す人の眼が私を射止める。
確かに、カトレアを現状の私達でどこまでコントロールできるかは未知数だ。
無論、この七年間、カトレアが外に出る日を夢見、努力し、研鑽を重ねてきた。その為に魔術学園の講師にもなったし、家から出ることも覚悟してカランコエと二人で彼女の担任を受け持った。
それでも――それでも、まだ、私たちは届かない。
目の前で全てを鯨飲し、受け入れる
正直、足元にも未だ届いてはいない。
「――……何か、勘違いしていないか? 私が言ってるのは
「……え?」
急に掛けられた言葉に間抜けな声が漏れた。
「お前だけはいつも私の珈琲を飲んでくれるからな。その評価が聞きたいんだ」
他の三人のカップを見ながら、グロリオサは話を続ける。
たっぷりの砂糖とミルクを入れたカフェオレを飲んでいるカランコエが別の意味で苦い顔をして、錬金術師の主任は知らん顔をする。エニシダ先生は五杯目の砂糖を入れたカップを混ぜながら微笑んでいた。
「第一、受け入れるのを決めたのはあのクソガキ……失礼、学園長だ。それを俺がどうこうできるわけがないだろう。それに、あれを入学させる時点でそういう話は出尽くしてるからな。後はあれを生徒として、どう対応するかだ」
今の『失礼』は絶対に学園長宛じゃなかった。
だが、グロリオサは今、副学園長として、生徒のカトレアをどうするか、という話をしていた。つまり――
「――カトレアは、まだこの学園にいて、構わないと?」
「……お前がそういうのなら、私もやぶさかではないが」
「い、いえっ! そのようなことは決してッ!! ……てっきり先生はカトレアを嫌ってらっしゃるのかと。先程からカトレアの名前も呼ばれませんでしたので」
「先生はやめろ。私はお前の上司であっても教員ではないのだ。いつまでも学生気分では困るぞ、グラジオラ・M・クロムスフェーン」
昔のように、私のことをジッと見つめ名前を呼ぶ。
そこには一切の敬いも、蔑みもない。全てを誠実に平等に扱う、副学園長グロリオサ・ルドベックその人だった。
「……それに、な」
カップに口を付け、グロリオサ先生は少し気まずそうに目を逸らす。
「まだ私はあれに会っていないのだ、名前で呼ぶのも早計だろう」
「は?」
「彼女は生徒とはいえ未婚なのだろう? まだ社交界に出ていないとはいえ、そういうお年頃だ。それなのに見ず知らずの男に知らぬところで名を呼ばれるなど、不快でしかあるまい」
そう真面目な顔で言いきって、コーヒーカップに口を付ける。
先程の重い空気が一変し、錬金術課主任がゲラゲラと大声を上げて笑い始める。
あ、カランコエ、笑うのを我慢するな。というか笑うんじゃない!
流石に気まずくなったのか、グロリオサ先生は、コホンと咳払いをして私の方を見た。
いつになく真剣な顔に浮かべ、グロリオサ副学園長は私に問う。
「で、珈琲の味は?」
「……そうですね。ではお答えします、グラジオラ副学園長――」
いつも濃くて苦々しい思い出のその味は――
「――とても、美味しかったです」
――今日はいつになく、私の舌に合っていた。
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