5-6 魔弾《フライクーゲル》

 身体強化の要領で体に魔力を纏わせ、無理矢理に四肢を動かす。普段あまり動かさない筋線維や骨が軋みを上げるが全て無視して爆心地へと駆け寄っていく。

「姉様っ!! カランコエ姉様……っ!!」

 未だ土煙が待っていて、カランコエ姉様の様子は分からない。それでも、まだうっすらと念話に使った魔力パスが追えるということは、生きてはいる。ただ、問題は――。

 嫌な考えを振り払い、前を向く。ともかくこの煙幕をどうにかしないと。

(いっそ魔力で吹き飛ばす? でもそうするとヨヅキ以外が動けなくなる可能性が……使うか、風魔法を……? いや制御できない場合二次災害に……)

 頭の中で選択肢がグルグルと回っては却下されていく。

(とりあえず中に入ってカランコエ姉様の救出を――)

 そう思い足を一歩踏み出したところで、肩を掴まれる。先行していたグラジオラ姉様だ。

「姉様、早くカランコエ姉様をっ!」

「落ち着け、カトレア。カランコエは既に確保した。私は他の様子を見てくる」

 それだけ言うとグラジオラ姉様はその場を離れていった。

「カトレア様、こちらに」

 ヨヅキの声がしてそちらを見る。すぐ傍で咳をするカランコエ姉様が座り込んでいた。

「姉様っ!!」

 動かない足を無理矢理動かしてカランコエ姉様に駆け寄る。外見上は髪が乱れている以外は特に問題はなさそうだ。ちゃんと腕も足も生えているし、余計なものも付いていない。

「けほっけほっ……あれ、カトレアちゃん? 何でここに」

「とりあえずもう少し離れましょう。状態確認ができません。ヨヅキ」

「はい、カトレア様」

 驚いた様子のカランコエ姉様をヨヅキに運ばせて椅子に座らせる。

 本当は今すぐ服を破り捨てたいが流石に今は人目もある。未婚の姉様が肌を曝すのは宜しくない。

「少し触りますね」

「え、あ、うん。あのね、でも私」

「折れてはない……脈も大丈夫……」

「う、うん、だから、ね? 本当に大丈夫だから」

「ちょっと失礼します」

 一応一言声を掛けてから姉様の胸元に耳を当てる。心拍も、呼吸も、聞こえる限りは問題なさそうだ。後は魔力の流れか。

「えっ、ちょ、ちょっとカトレアちゃん? お姉ちゃんカトレアちゃんが抱き着いてくれるのは嬉しいけどもうちょっと時間と場所を……」

「ヨヅキ、扉を出して。私とヨミコで姉様を診ます」

「か、カトレア、それは……」

 私の願いにヨヅキが動揺する。恐らくあれは非常時の緊急手段なのだろう。だがだとしたら今使わなくてどうするのだ。

 この手は使いたくなかったが、仕方ない。

「ヨヅキ、これはです。いいから早く扉を――」

「カトレアちゃんっ!!」

 急な大声に身が震える。

 カランコエ姉様のほうを見ると、少し怒ったようにこちらを見ていた。

「カトレアちゃん、ちゃんと話を聞いて。私は大丈夫。大丈夫だから、一旦落ち着いて、ね?」

「で、でも姉様、姉さまが、姉様に、怪我、怪我をしてるかも――」

 だとしたらもう一刻の猶予は――

「――いいからこっちを視なさい!」

 カラン姉さまが私の頭を掴んて見つめてくる。

 その瞳を最後に見たのは、いつだったか。

「聞いて……いえ、聞きなさい、。大丈夫。私は、大丈夫。あの程度で傷付いたりしない。あんな程度で変異もしない。貴方が思っているほど、私は別に弱くない」

 色を殺しているはずの眼鏡の奥から、緑の瞳が私を視る。この眼はカラン姉さまがわたしを、私を本気で怒るときの眼だ。

「ち、違うの、ちがうの姉さまっ! そ、そんな、つもりじゃ、わ、私、わたしだって、また……だって、だってねえさまが」

「……カトレア」

 怒られる。そう思って目を瞑る。また、あの緑の炎が私を焼くんだ。

 だが、それ以上カラン姉さまが何かを言うことも、することもなかった。

 恐る恐る目を開けると、カラン姉さまにそっと抱きしめられた。

「……大丈夫。大丈夫よ、カトレア。大丈夫。大丈夫だから」

 私が何も言えないように、わざと強く抱きしめられる。規則正しい呼吸と、停まっていない心音が、段々と私を安心させてくれる。

「ねえさま……」

「大丈夫。大丈夫だからね、カトレア……」

 私を抱き締める姉さまは、とっても温かかった。


* * *


「んぁ……?」

 握っていた何かが手を離れたのを感じて目を開ける。

 ここは……室内? さっきまで外の演習場にいたはずだが。

 とりあえず体を起こそうと思ったが……駄目だ、動かない。

 ヨヅキに……あれ? ヨヅキがいない。ヨヅキ、よづきは――

「あれ? もしかして起きちゃった?」

「……ねえさまぁ」

 ヨヅキがいないせいか、弱気が声に出る。

 そんな私に苦笑しながらカラン姉さまはベッドの横の椅子に座り、手を繋いでくれた。あったかい。

「大丈夫だよ、カトレアちゃん。ヨヅキは授業中でいないだけだから。ほら、魔力パスを辿ってみて? ちゃんと繋がってるでしょ?」

 ヨヅキとの魔力パスを、強く意識する。その先にはちゃんと、ヨヅキがいた。

 ヨヅキも気付いたようで念話を飛ばしてくる。

『……カトレア様? 今行きますから待ってて』

『ダメです。ちゃんと授業を受けなさい。カトレアちゃんの傍には私がいるから』

『……分かりました』

 カラン姉さまに怒られて、ヨヅキはこちらに来るのを諦める。

 でもヨヅキがいないのが寂しくて、カラン姉さまの手を強く握る。姉さまは何も言わず、私の手を握り返してくれた。


 暫く姉さまの手を抱いて丸くなっていたが、リンゴを向くからと手を取られてしまった。

 それが嫌で駄々を捏ねたら代わりにと、姉様のと同じ大きさの人形の腕を取り出してきたので慌てて手を放す。

 代わりに布団の端を抱きながら、思ったよりスルスルと皮を剥く姉さまを観る。

 よく切れないものだなぁと見ていたが、よく視たら皮と皮を薄っすら魔力で繋いでいた。別にそこで見栄を張らなくても。

 それからもう一個をウサギの形に切って、お皿に並べていく。

 ピョンピョンと少し大きめのお皿で跳ねるウサギは、私が熱を出したときに姉さまがよくやってくれた人形劇だ。小さい頃、熱を出してはいつも姉さまにせがんでやってもらった。

 その内の一匹を捕まえて、齧りつく。シャクシャクと小気味好こぎみよい音を立てるリンゴからは姉さまの匂いがした。

 寝っ転がったままリンゴを齧る私に姉さまは行儀悪いよ、と苦笑する。

「ほらカトレアちゃん、ちゃんと体起こして? ……そういえばカトレアちゃん、ちゃんと体動く?」

 リンゴを食む手が一瞬止まる。

 その隙を見逃すカランコエ姉様ではない。

「――カトレアちゃん。体、起こして」

「……ヤダ」

「ヤダじゃなくて、できないんでしょ」

 眼鏡の奥の瞳が緑に燃える。モゾモゾと布団を動かしてベッドに潜り込んだが、すぐに姉様に布団を剝がされてしまった。

 布団の中、所々痣あざうごめく私の身体を見て、姉様が目尻を上げる。

「……やっぱり」

 今、私の身体をうごめいているのは一種の治療魔術。本人の意思や意識に関係なく、肉体が一定以上のダメージを受けた時に自動的に発動し、魔力が尽きぬ限り肉体を修復していく、どちらかと言えば祝福や呪いといったものに近しいものだ。

 貴族の間では割とポピュラーな魔術で、膨大な魔力を持つ私の場合、指が弾け跳んでもすぐに生えてくるし、腕の二、三本程度ならしばらくすれば生えてくる。

 それをなるべくバレないようにゆっくり使用していたのだが、カランコエ姉様にはバレてしまったようだ。

「おかしいと思ったの。カトレアちゃんずっと魔力で手足を動かしてたし、身体強化も使ってないのにヨヅキとグーちゃんに着いてきたから。初めは動揺して魔力が揺れてるんだと思ったけど、落ち着てリンゴ食べててもずっと魔力が揺れてるんだもの」

 姉様が私の身体に触れて、術式を無力化する。

 途端全身に激痛が還ってきて気絶しそうになるが、新たな痛みがまたはしりそれを赦さない。

「んくぅ……ッ」

 なんとか意識を集中させて再構成しようとするが、痛みでうまく頭が働かない。汗と涙で濡れる視界の先でカランコエ姉様が褪めた瞳でこちらを見下ろしている。

 どこかでヨヅキの声が聞こえた気がした。


 何度か気絶と覚醒を繰り返して、私はようやく魔術の再構成を完了させ、起動する。ダラダラと額を流れる脂汗が、不快で不快で堪らなかった。

「……ん? 終わった?」

 横で本を読んでいたカランコエ姉様がニッコリとこちらを見る。その眼には先程まで掛かっていた眼鏡はない。

 なるべく距離を取ろうとしたが、体がうまく動かない。魔力で無理矢理動かそうとすると、姉様の瞳が少し揺れて私の魔力が霧散する。

「こーら。それに怒ってるんだから使わないの。ほら、体拭いてあげるから」

「こ、こないでっ」

「カトレアが悪いことするからでしょ? ほーら捕まえたぞー?」

 面で撃ちだした魔力も当たり前に霧散させて私のことを捕まえる。抵抗するにも体がうまくいうことを聞かない。

 そんな私を無視して姉様は私の服を脱がしていく。途中、何度か魔力を投げつけてみたが、当たり前のように無効化されるので大人しくそれに従う。

 動けない私から服を剥ぐその手付きは酷く慣れていた。

「ちょっと冷たいからねー」

「ひぅっ」

「はいはい動かないでね」

 突如冷たい何かが私の背中を襲う。暫くもぞもぞと抗っていたが、それが濡れタオルだと気付いて動くのを止めた。

 姉様が静かに私の身体を拭いていく。時折触れる指先がくすぐったい。

「……ねえ、カトレアちゃん」

「はい、姉さま」

「もう、あんなことしないでね」

 姉さまの言葉に魔力が揺れる。わざととぼけて何のことです? と言いたら首の後ろを摘ままれた。

「分かってるんでしょう? さっきとか、私に駆け寄ってきたときみたいに、何も魔術を使わないで体を動かすのはやめて」

「……分かりました。もうしません」

「私は真面目に言ってるの!」

 姉様の語気が強まり、体が強張こわばる。

 それに気付いて姉様は小さく謝りながら溢れた魔力を収めていく。

「カトレアちゃんが、魔術を使うのが怖いのは分かる――いえ、わからない、分からないけど……それを躊躇う気持ちを、理解できるとは言わないけど、そう考えるのは分かるわ。私も……は、視たから」

 私に服を着せながら、姉様は悔しそうに呟いた。

 あの日、あの時――姉様はまだ、学生だっただろうか。首席で卒業できると喜んでいたのを思い出す。

「あの時、私は何もできなかった。領民にも、使用人にも――カトレアちゃんにも」

「それはっ」

「……いいのよ、カトレア。グラジオラ姉さんは、使用人に慈悲を与えられたのにね。私は……怖くてできなかったのよ。死にたいと、もう楽になりたいという人たちに、私は、私は……っ」

 ぽつりぽつりと涙が零れ、私の服を濡らしていく。

 いつも朗らかに笑っていた姉様の顔が、ぐちゃぐちゃに崩れた。

 私の服を掴む拳が、強く握られていく。

「それに、カトレアを、まだ七歳だった貴方を、私は、私たちは、あんな、あんな部屋に閉じ込めるなんて、そんなひどいことを……っ。それに、皆貴方をまるで悪者みたいにッ!!」

「姉さまっ!」

 私の叫びに、姉さまが溢れた魔力を収めていく。

 それからごめんなさいね、と言って無理矢理に笑みを作っていった。

「だから……だからね、カトレアちゃん。私は、私たちは貴方を護ると決めたの。

 たとえ誰か何と言おうとも。たとえ誰が何をしようとしようとも。たとえそれが――――貴方であってもよ、カトレア。」

 淡い緑の瞳が、深い緑で燃えていく。強い決意に満ちた視線が、私の視線を縫い留める。

「だから、これだけは約束して。この先、何かがあったなら――貴方は魔術を使うことを躊躇わないで。怖がらないで。さっきみたいに無理矢理魔力だけで解決しようとしないで、ちゃんと魔術も併用して。もし何かあったとしても、それは全部私が――私たちが、全部解決するから。邪魔するものは、私たちが全て切り捨てるから」

 燃えるような深い緑が私を見据える。

 一切の虚言を赦さない姉様の《妖精眼》が私の瞳を貫いて、大きな楔となって心に突き刺さる。

「その為に私も、グラジオラも――こうして教師になったんだから」

 そういってカランコエ姉様は静かにわらう。

 すべてを些事だと切り捨てて微笑む姉様に、私は肯定するしか術を持たなかった。

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