幕間 藍き金雀児《エニシダ》と『カトレア』

 いくらなんでも、さっきの評はおかしい。取り下げていただかなくては今後の学園に関わる由々しき事態だ。

 そう思い、私たちは教室を出た。見ればエニシダ先生もまだ教室を出たすぐ傍にいらっしゃった。

「――エニシダ先生っ、お待ちください!!」

「おや、どうかなさいましたか? 何か質問でも?」

 それでも、追う時間も惜しく、つい大声を出してしまった。だが、それを責めることもなく、エニシダ先生はその場に立ち止まり、こちらに笑みを浮かべておられる。

 その表情は酷く晴れやかで、私たちの心を余計に毛羽立たせた。

「先の……先のカトレア嬢の評価はどういうことですか! 今すぐ撤回していただきたい!!」

 そう言ったのは誰だったか。だが気持ちは皆同じであった。

『盲目城のカトレア』。それはこの国で語られる、その

首謀者の名だ。

 既に歴史の一ページに黒いシミとして刻まれたその名前に、酷く私たちを動揺させた。

 曰く、その日、あまねく生命は形を変えた。

 曰く、周辺の森全ては魔の地となった。

 曰く、川から流れた死体は、人も獣も――草も木も、区別が付かなかった。

 そんな大事件を起こした本人が、我々に穢れた魔力を向け、そしてこう言い放った。

『――もし私や私の親しい者に手を掛ければ、国から与えられた称号と家名に掛けてお前たちを殺してみせる』

 同年代とは思えない酷く歪んだ笑みで、彼女はそう言って見せたのだ。

 自らの誇りを、力を、全て棄ててもこの学園で学ぼうと誓ったそう我々に、彼女は言い放ったのだ。

 それを言うに事を欠きエニシダ先生――藍き金雀児エニシダと呼ばれ、慈愛と祝福に満ちたその自己紹介を褒め称えたのだ。

 そんなことは在ってはならない。そんなことを、我々が認められるわけもない。

 それが、我々すべての総意だった。

 たとえ、あの『盲目城事件』が意図的であってもなくても、あのような権威と力を笠に着たような物言いを、学園が、まして神殿が祝福するなどあってはならない――


「――なるほど、貴方達のはその程度ということで宜しいですね?」

「……は?」

 ――だが、エニシダ先生は失望したように目を薄く開き、ただそう零された。

 全く意味が分からない。なぜ、何故我々がそのようなことを――。

 そう考えてる間に、一人の女生徒が、血を吐くような喚声かんせいを挙げた。

「お、おっしゃりたい意味が解りかねます! な、何故私たちがそのような目で見られ、賞賛を――……カハっ」

 ――声を上げた女生徒が吐血する。

 それに驚いていると、他の生徒の何人かが同じように血を吐き、他の生徒もその場にうずくまっていた。

「い、いったい何が――」

 そこまで口にして、酷い頭痛に襲われる。

 手首の学生証を見ると、中央に填められた石が酷く光り、胸に下げた魔力除けのペンダントが酷く熱い。

「……ご理解いただけましたか?」

 エニシダ先生の声と共に、ようやく頭痛が消える。周りの生徒も同様に、段々と呼吸が落ち着いていった。

「――せ、せんせい、今のは……?」

「ただの魔力酔いですよ。最も、命に関わりますが。今治療をします。そのままで」

 エニシダ先生が治療のための祝祷を上げ、その場の全員が息を吹き返す。

 特に症状の酷かった生徒には先生自らが汚れる服も気にせずに跪いてポーションを飲ませていった。

「……ここでは少し息が詰まりますね。皆さん歩けると思いますので中庭に行きましょうか」


* * *


 エニシダ先生に連れられて、私たちはすぐ傍の庭園へ向かった。だが、その先で見えたものに思わず悲鳴を上げる。

「ち、『沈黙の魔女』っ」

「静かに。今は彼女もただ休んでいるだけです。そちらの席をお借りしましょうか。私は少し、お茶を分けてもらってきます」

 そういってエニシダ先生は私たちをガゼボへと誘導すると、一人『沈黙の魔女カトレア』の方へと向かっていく。それから二、三彼女たちに話すと、『深層の守護騎士ヨヅキ・ナイトレイド』を引き連れ、こちらへ戻ってきた。

「魔女の従者を何故ここにっ」

「私はエニシダ先生に言われ、お茶を淹れに来ただけです」

 エニシダ先生に抗議をするが、亡霊ヨヅキはそれだけ言うとバスケットの中から人数分のカップを取り出し、お茶を入れる。それから一礼して主の戻っていった。

 カップからは薄っすらとラベンダーの香りがした。

「さあ、いただきましょうか。彼女のお茶は絶品ですよ」

 躊躇ためらう我々を尻目に、エニシダ先生はお茶に口を付けた。

 それをみて、私たちも一人、また一人と口を付け始めた。

「……美味しい」

 誰からともなく声が上がる。それをエニシダ先生はお茶菓子も絶品ですよ、と進めてくる。その言葉に一枚取って口に運ぶ。控えに甘く、独特な味のクッキーはとてもお茶に合った。


 粗方お茶菓子がなくなった頃、エニシダ先生が口を開いた。

「……さて、先ほどの答えですが――この中で分かった方はいらっしゃいますか?」

「……はい」

 先程、カトレア嬢の魔力を『穢れた魔力』と表現した女生徒が手を挙げる。

 これは素晴らしい。そう言ってエニシダ先生は彼女に真っ赤な飴玉を渡した。

「貴方は?」

「いえ、その……補助具のおかげですが」

 そう言って彼女は眼鏡を外す。酷く屈折して光る眼鏡は、よくある《魔力視の眼鏡》だった。

 そんな二人のやり取りを見ていた生徒の一人が手を挙げた。

「……あの、先生。話が見えてこないのですが」

「あぁ、そうでしたね。貴方達にもこれをあげましょう。多少癖はありますが、体力を回復してくれます」

 そういって先程女生徒に渡した飴玉を一人一人に渡していく。口に入れたそれはどちらかといえば酸っぱく、先程のクッキーのように独特な味がした。

「先程のあれですが――あれは私の魔力による《魔力酔い》です。最も、よく分かっているかとは思いますが」

 席に着いた全員が肯定する。

 先程気付いたが、ここにいる全員は全員が重度の《魔力過敏症》だ。

 《魔力過敏症》とは文字通り、《魔力》というものに体が酷く反応してしまう一種の体質のことだ。

 その症状は様々で、軽いものは私のように酷い頭痛を起こすものや嘔吐もの、酷いものは先程のように血を吐いたり気管を詰まらせたりする。

 といってもとてもポピュラーな症状であり、扱いも食性に関する中毒症状と同じような扱いを受けている。治療薬も市販されており、申請すれば無料で神殿での治療も受けられる。

 未だその治療方法は確立されていないが、対処法は確立されている。その方法はただ一つ――

「――自分より強い魔力には近づかない。皆さんでしたら小さい頃からずっと聞かされてきたかと思います」

「だったら何で――」

 そこまで言って、気付く。

 ではなぜ、何故――

 私たちを見て、エニシダ先生は満足そうに笑みを深めた。

「そう、皆さんお気付きですね。あれ程の魔力を感じておきながら、何故貴方たちは教室で倒れなかったか。それは彼女が貴方たちを避けて魔力を放っていたからですよ」

「……え?」

 誰からともなく声が漏れる。

 エニシダ先生は先程私たちに渡した飴を、懐かしそうに見つめる。

「あの事件――『盲目城事件』の後、神殿わたしたちはすぐにクロムスフェーン領に向かいました。あれは未曽有の大災害でしたから、それはもう急ぎました。それでも、爆心地であるクロムスフェーン城付近は、酷い有様でした。その場で一番魔術耐性のあるはずの神官たちですら、魔力酔いを起こしていました。症状としては軽いものですが、他の者の半数は魔力過敏症を発症していました」

 過去最多の魔力過敏症同時発症。一般的には最も語られる内容だが、聞く人によってそれは意味を変える。

 現在の治療は、主に魔力を使って行われる。たとえ腕が跳ぼうが足が砕けようが、その人の生命力があれば神殿に行けば新たに生やすことができる。

 だがそれを振るうには、やはり多くの魔力を、強い魔力を要求され――魔力過敏症は、そういった治療魔術にも反応する。

 その為、魔力過敏症患者には効能を高め、魔力を抑えた特別なポーションが使用されるが――

「――我々が持ち寄ったポーションの半数は、普通のポーションでした。最悪、現地での調合もと考えていましたが……残念ながらその素材の採取地点は運悪く爆心地でした。

 既に変異が確認されている森に危険を冒してでも入っても、調査と実証でひと月は掛かります。

 無論、クロムスフェーン領や周辺領内から魔力過敏症用ポーションやその材料の供出もありましたが……やがて、多くの物資と人が枯れていきました。

 更に爆心地周辺には強力な魔力汚染が確認され、私たちは何人もの人々を見捨てながら、治療拠点を後退させました。ですがその間にも何人かの神官が魔力過敏症を発症していきました」

 先生の持った飴が、小さく鳴る。みれば、小さな罅が入っていた。

 それに気付く様子もなく、先生は話を続ける。

「それから……二年後でしょうか。復興の進むクロムスフェーンで、妙な話が流れてきました。曰く、クロムスフェーンが新たに魔術過敏症に対する新薬を開発したので協力してほしいとのことでした。

 初めは驚き――そして憤りました。何故そのようなものがあるなら、さっさと出さないのかと。私が見捨てた人々は何だったのかと。

 それでも、今後その新薬を必要とするものが出るかもしれない。そう思い、私たちはその新薬の臨床を始めました。それから何度も臨床を繰り返し、私たちはその新薬が信用のたるものだと承認しました。

 そして、それからすぐのことです――この『飴玉』が我々のもとに届いたのは」

 そういって先生は新しく注いだお茶に飴玉を入れる。

 スルスルと溶ける『それ』を見て、私たちはようやくそれが『飴』でないことに気付いた。

「これは、実際には通常の飴とは違います。魔力で先程話した新薬を凝縮し、固めたものです。無論、多少食べやすいよう加工はしてありますが、それ以外はほぼ変わりません。

 効能は『魔力による拒否反応の鎮静化と抑制』。未だに魔力汚染の後が残る爆心地付近でこれらは大変重宝しました。

 それを――クロムスフェーンは取引先を神殿に限定、更に領内での使用に関してはほぼ無償で提供するとのことでした」

 クロムスフェーンの魔法新薬。その噂は王都でも広く聞いていた。

 曰く、、クロムスフェーンによって開発され、領内で広く使用されたという。

 だが、領外に卸されるのは酷く少量、しかも大変高価だということで、私たちのような魔力過敏症にとってはちょっとした夢物語として語られていた。

 そんなものが、自領内ではほぼ無償で配られたとは。

「私は、ある日その新薬について、クロムスフェーンの担当者に尋ねてみることにしました。一体、この薬を作ったのは誰なのか、どうしてあの時出さなかったのかと。ただ、クロムスフェーンからは『回答を一日待ってほしい』とのことでした。

 それを了承した翌日、担当者は一人の少女と共に神殿にやってきました。

 その少女と共に担当者を奥に通すと、担当者は一枚の《誓約書スクロール》を出してきました。曰く、ここから話すことに関しては一切の口外不要とのことでした。無論新薬ですからそういうこともあるかと思いサインをすると、担当者はおもむろに話し始めました。

『あの新薬は事件後作成されたものであり、事件後に心を痛めたお嬢様が御作りなられたものです』、と。

 無論、そのようなことをされるのですからてっきり最初はカランコエ先生のことだと思いました。ですからカランコエ様にお礼をお願いします。

 そう伝えたら、隣の少女――ヨヅキさんが酷く怒るのです。

『御作りになられたのはカランコエ様ではない、カトレア様です』、と」

「えっ、カトレア嬢がですか?」

 私たちの驚きに、先生も私も最初は悪い冗談かと思いました、と小さく苦笑した。

「ですが、横にいらっしゃる担当者、ヨヅキさんのお母様が何も言わず、ただこちらを見つめていらっしゃいました。

 ですから、あぁ、これは本当なのだろうと思いました。

 元々、クロムスフェーンの新薬――『』はあの事件後の印象をよくするためにその名が使われているものだと思っていましたからね。まさか開発者の名前であるとは思いませんでしたよ。

 ――ですが、その事件の被害者でもあるはずのヨヅキさんが必死に泣きじゃくる姿を疑うことはできませんでしたよ。

『お嬢様は悪くない。すべて私が悪いんだ』。流石にそこまでやられて疑えるほど、私の眼も悪くはありません」

 先生は静かにカトレア嬢たちの方を見る。彼女を見る先生の目は、どこまでも暖かかった。

 そうして、終業の鐘が鳴る。先生は

「丁度いいのでお開きとしましょう。皆さん、始業の鐘には席に着いているように。あぁ、カップは後で女中に回収させますからそのままで構いませんよ」

 とだけ言って、どこかに行ってしまった。


 僕らはまだ、笑う彼女カトレアから目が離せなかった。

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