4-3 一等学級《クオリティ:ジェム》

 初めて自分で開いた扉の先に広がったのは、見たことのない廊下だった。

 所狭しと並べられた扉たちは使用人室を思い出す。だが、そこに住むのは使用人でも庶民でもなく、これから共に時間を過ごす学友達だ。

 ふと、視線気付いて横を見ると、ヨヅキが私の鞄をジッと見つめていた。だが私が首を振ると、そっと手を取って私をエスコートしてくれた。

 初めての廊下をヨヅキにかれついて行く。何度か階段をグルグルと回り、廊下を曲がった先には見覚えのある顔が待っていた。

「ん? あぁ、来たな二人とも。昨日はよく眠れたか?」

「……グラ姉――グラジオラ先生、おはようございます」

 昨日の調子で姉さまと呼ぼうとして揚がりかけた眉に慌てて言い換える。

 よくよく周りを見れば、時たま生徒がグラ姉さまの横を通り過ぎ、その後ろの部屋へと入っていく。扉の上には食堂の文字があった。

 なるほど、グラ姉さまが眉を顰めたのはそのせいか。

 王立魔術学園では入寮後、入学する前に生徒が公の場でお互いの名を呼ぶのを禁じている。無論、従者や身内は別だが、それは全寮制のこの学校において貴族か庶民か、上級か下級か、主要か辺境かなどを隠し、生徒を護るためだ。

 しかもこれらは入学許可証と共に送られてくる王都神殿謹製の《誓約書スクロール》に署名させられ、入寮時に提出が必須となっている。

 ちなみにこの誓約書、恐ろしいことに誓約書を破られると文字通り体を破られるような痛みが走り、更に王都神殿謹製のものは本人が破るとその度合いによって紙が自動的に破れるようになっている。つまりはそういうことだ。

「あ、なるほど。そういうことでしたか」

「あぁ。昨日お前は眠ってしまったからな」

 《誓約書スクロール》はお互いの合意のもとに行われる簡単な魔術的儀式なので、死者や意識のないものとは基本交わせない。

 つまり姉さまは昨日受け取れなかった私の《誓約書スクロール》を受け取りに来たわけか。

「カトレア様、こちらを」

 ヨヅキから渡された《誓約書スクロール》を受け取り、グラ姉さまに手渡す。

 それを受け取った姉さまはその場で文字を刻むと小瓶を取り出した。

「……それは?」

「ん、これか? 私の血だ。この時期は誓約が多くてな……」

 そう言ってグラ姉さま――いや、は小瓶から血を《誓約書スクロール》に垂らしていく。

 ……確かに誓約書をもらう度に指の腹を切っていては筆が持てなくなるだろうが流石に横着が過ぎないか?

 そう思いながら小瓶を見ていると、底に王立魔術学園の魔術紋が入っていた。なるほど、支給品か。

「うむ、確かに受け取った。ではまた」

「こちらでお食事はされないのですか?」

 魔力の籠った《誓約書スクロール》を持って去ろうとするグラジオラ先生に声を掛けると、

「入寮前は生徒の領分だ。それに、ここではある種教員より寮長のほうが権限が強いからな」

 そう困ったように笑い、その場を離れていった。


 グラジオラ先生と別れた後、私たちもすぐに食堂へ入った。

 食堂内は既に八割がた埋まっており、どこに座ろうか悩んでいると上級生らしき女生徒に話しかけられた。

「あら。昨日振りね、二人共」

 全くもって心当たりがない。そもそも昨日は姉さま達以外とは会っていないはずだが……。

「申し訳ございません。我が主は既に夢現でしたので」

 ヨヅキの謝罪にそういえばそうだったわね、と女生徒がコロコロと笑う。

 それから女生徒は身を整えると淑女の礼をした。その所作は一般的なものではあるが、やんごとなき身分であることを示していた。

「初めまして、可愛い貴女。私は今年の寮長レジデント・ヘッドよ、宜しくね」

「……貴女のような美しい女王の庇護の下にいられること、大変光栄に思います」

 レジデント・ヘッドに略式の騎士礼をする。

 それを見たレジデント・ヘッドはまぁ、可愛らしい騎士さんだわと笑ってくれた。見様見真似の騎士礼は怒られるかとヨヅキを見たが、私に合わせた騎士礼をしていた。

 それから自分たちの席を教えてもらい、ヨヅキに手を牽かれてそちらに向かう。

「……帰ったら、騎士礼についての練習をしましょうか」

 椅子を押すヨヅキの囁きは聞こえなかったことにしたかった。


 しばらくして係らしい生徒がそれぞれのテーブルを回り、食事を配膳していく。何人かの生徒――恐らく庶民階級か従者達だろう――が手伝おうとしては座らされていた。

 全ての席に食事が行き渡るのを確認し、レジデント・ヘッドがグラスを鳴らした。

「名も知らぬ皆様、おはようございます。わたくしは本年の寮長レジデント・ヘッドです。本日から皆様は本学校、そして本寮の一員となりました。これから困ったことがあったら、学年・学級、性別や身分を問わず、私に相談してください」

 レジデント・ヘッドの声はこの広い食堂の中でもよく響く。

 どこかに拡声器や音響反射の魔道具でもないかと探ってみたが、そういったものは見つからなかった。魔力の流れから魔術を使っているわけでもない、彼女だけの魔法だった。

「それでは皆さん、グラスを持ってください」

 その号令に皆自然にグラスを手に取る。私もそれに従った。

「名も知らぬ新たな同胞に、乾杯!」

「「「「乾杯!」」」」

 誰ともなく皆が合唱し、食事を始める。

 朝食にしては少し多かったが、それでも全てが美味しかった。

 周りを見ても各々が好きなようにして食事を進めていた。

 それから中央に置かれたパン皿が空になる頃にはお腹がいっぱいになっていた。

 残った料理をヨヅキにあげようかと思っていると、対岸からの視線に気付く。

 みると、クロムスフェーンの神殿で一緒になったユーフィルが余った料理をじっと見つめていた。

「ユフィ、食べる?」

「えっ、あっ、カト、えっと、お嬢様そんな」

 急に名前を呼ばれたのに驚いたのか私に気付いて驚いたのか、ユーフィルはあわわあわと手を振り回す。それから顔を赤くしながら「いただきます……」とお皿をもらってくれた。

 ユーフィルが余りを食べてる間、ヨヅキが注いでくれた紅茶を楽しむ。

 それからユーフィルが食後の祈りを捧げると、丁度寮内に音が響く。時間を知らせる魔道具時知らせの鐘だ。

 それに合わせてレジデント・ヘッドが声を上げた。

「さあ皆さん、食事の時間は終わりです。急ぎ各教室へ向かってください」


* * *


 その声に各々が席を立ち、食堂を出ていく。周りが疎らになったのを確認して私とヨヅキも食堂を出た。

 丁度寮を出たあたりで後ろから声を掛けられる。振り向くとユーフィルが息を切らして追ってきていた。

「ユフィ大丈夫?」

「だ、大丈夫です! ……あ、あの、先程はありがとうございました。そ、その……昨日は緊張で、あんまり食べれなくて……」

 そう言いながらユーフィルは顔を赤くする。

 確かにあの量は私には多かったが、普段体を動かすようなことをしていた人達には少ないだろう。どうせヨヅキに食べてもらうつもりだったのを話すと、今度は申し訳なさそうにヨヅキの方を見る。

 ヨヅキはただ、ただ私は別にあれで足りましたから、と素っ気なく返事を返す。

 その返事に安心したのかユーフィルはほっと息を吐く。

「とりあえず、歩きながら話そっか」

「あ、そうでした! ……すみません引き留めてしまって」

 また頭を下げようとするのを止めさせて一緒に校舎へと向かう。

 道中は主にユーフィルの話を聞いていた。

 曰く、クロムスフェーンの教会でヨヅキを止めたあの高位神官が管理する孤児院で暮らしており、あの悪ガキ、スルーズと一緒にそれぞれ王都に出てきたのだとか。

 ちなみに、スルーズは王立魔術学園ではなく、王立騎士学校に入ったらしい。

「……だから一人で寂しかったんですが、カト、えっと……お嬢様がいらっしゃいってとても良かったです」

「僕もユフィと一緒に学校に行けるとは思わなかったから嬉しいよ」

 私が囁くとユフィが顔を赤くしてヨヅキが半目になる。

『いや嘘は言ってないよ、実際初等学生だと思ってたし』

『そういう話ではありません』

 ではどういう話なのか。

 深いため息を吐いたヨヅキと私を見て、ユフィは不思議そうにこちらを見上げていた。小動物のような可愛らしさに少し茶化してみる。

「アイコンタクトだよ、僕とヨヅキは心と心で繋がってるからね」

「ただの念話です」

 速攻でネタバラシされた。だがそれを聞いたユフィはだからお嬢様は私の名前を呼んでも平気なんですね、と一人納得していた。

「あー……それは違うかな」

「え? ち、違うんですか?!」

 みるみる青くなるユフィを大丈夫だからと宥めて話を続けた。

「実はあの誓約書って抜け穴があるんだよ」

「抜け穴?」

 そう、あの《誓約書スクロール》には抜け穴がある。

 それは、ということだ。

 普通貴族は領民は自らを支えるもの、として教育される。実際私も引き籠もる前からそう教わってきたし、引き籠もった後もその後もヨミコからそう教わっていた。

 また、あの事件の後、できうる限り領民に還元できるように様々な研究を続けていたのだ。そんな私にとって自己の領民とはある種、家族よりも親密な関係となっていた。

 そして、《誓約書スクロール》に掛かれた『家族』とは別に血の繋がりを示すものではない。養父母や義兄弟、そして恋人や婚約者も含まれる。

 それを拡大解釈すれば、『クロムスフェーン領のユーフィル』を呼ぶくらいのことは別にどうということはなかった。

「――まあ名前をそのまま呼ぶと流石に引っ掛かるだろうから、今は『ユフィ』が限界だけどね。」

「なるほど……」

 私の話に感心したように頷くユーフィルがこちらをチラチラと見ている。

 そして意を決して口を開こうとしたのをヨヅキがスッと抑えた。

「解釈の拡大は一石二鳥、ましてや心に決めたからと言ってできるわけではありません。クロムスフェーンの代表者であるなら、そういったことは慎みなさい」

「ご、ごめんなひゃい」

 その声色にもう無茶をしないと判断したヨヅキがそっと手を放す。

 少しシュンとしたユーフィルの頭をヨヅキがすっと撫でる。

「そう落ち込むものではありません。カトレア様にはカトレア様の、、それぞれの価値観があります。貴方は貴方なりに努力しなさい」

「は、はいっ! ……って、えっ?! なんでヨ……っ、騎士様が私の名前を!?」

 混乱するユーフィルにヨヅキが悪戯っぽい笑みを浮かべる。どうやらユーフィルはヨヅキのお眼鏡に叶ったようだ。

「さあ遅れますよユーフィル。カトレア様もです」

「またっ!? ちょっと待ってください騎士様!!」

 スタスタと歩いていくヨヅキにユーフィルを追い掛けていく。

 前を歩くヨヅキの背中は、どこか遠く、そしてとても楽しそうだった。

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