3-3 王立魔術学園
ヨヅキが変なことを考えている。そんなことを考えながら少し痛くなった右手を見つめる。
気付かれぬように魔術か何かで治していたのだろうその綺麗で長いヨヅキの指は、知らぬ間に随分と強くなっていたらしい。
そろそろリンゴでも潰せるのではないか、なんて一人苦笑する。
ふと、目端に揺れた黒色に目を移せば、ノアールが私のほうを向いてナァと小さく鳴いた。
私を守るようにヨヅキのいないほうを歩くこの黒猫は、どうやらヨヅキが私を害しているかと心配しているらしい。
だが必要ないと首を振ると、スッと目を細めて、尻尾を揺らす。
おそらく父から送られてきたこの猫はただの猫ではない。多分だが、護衛か監視、あるいはその両方だろう。
ヨヅキもヨミコもそれには気付いているようだが、放置している。つまりは傍に置いても問題ないということだ。なら私は気付かないふりをして、ただの二又猫として、ただ彼女を可愛がってやろう。私の可愛い黒猫と一緒に。
* * *
「カトレア様、もう目と鼻の先ですから頑張ってください」
「つ、疲れた……」
久々に歩いたせいがひどく疲れた。というか普通令嬢というのは歩いちゃいけないんじゃなかった? 等と思いヨヅキを見ると、空いた右手で頭を抱えていた
「まだ屋敷半分も歩いてませんが……」
「噓でしょ……」
屋敷半分、とは私が住んでいたあの城半分ということだ。
大体の距離で書斎と食堂くらい。
小さい頃から書斎が好きで籠っていた私はよくその間を駆け回り、しかもそのうえでバカでかい庭でヨヅキと二人走り回っていた記憶がある。早速学園生活が心配になってきた。
「学園では車椅子を用意しますか?」
「いや……最悪の場合だけ、お願い」
「分かりました」
以前骨を折ったという母に借りて乗ってみたが、半刻もしないうちにお尻が痛くなった。私と似て薄い母も頻繁に分厚いクッションを変えていた。流石にあれにずっとは考えたくない。
「ところでここどこ?」
「領内の教会、その敷地内です。あ、見えてきましたよ」
気を取り直して前を向くと、そこには旅行鞄と思しきものを持った子供たちと、何人かの神官たちが見えていた。
「……あれは?」
「転移陣です。流石にここからではひと月以上掛かりますからね。後彼らはうちの領内からの優秀者です」
「なるほど」
国はいつも人材不足だ。それを補うために我が国はそれぞれ領民に読み書きと算術、最低限の魔術や剣術に関する教育を行なっている。
その中でも選りすぐりの子供たちは領主や国の支援の下、王都や主要都市にある学校に通い、教育を受けられた。私がこれから向かう王立魔術学園もその対象だが、恐らくあそこにいる子供たちは同じ王都、あるいはその近隣の都市の学園に行くのだろう。
そのままヨヅキに手を引かれ、転移陣に近付いていく。
そのなかの一人、少し大袈裟な法衣を身に着けた一人にヨヅキがすっと騎士礼をし、名乗りを上げた。
「カトレア・クロムスフェーン、並びに従者、ヨヅキ・ナイトレイド、両名現着しました。申し訳ございません、遅れましたか?」
「いえいえ、こちらもようやく準備ができたところです。お待ちしておりましたよ、カトレア様、ヨヅキ様」
深く柔らかい皺をさらに深くして、その男はにこりと笑みを浮かべる。
それからヨヅキのほうをじっと見て、その手をヨヅキに向け、魔力を込めた。
「――《汝、その剣を取ることを何と心得る》」
「――《我が主を護るため、ただその全てのために》」
今のは《不殺の誓い》と呼ばれる魔術の一種だ。
転移陣は基本教会の施設内であり、それを利用する間、中の人間はそこを動くわけにはいかない。その為、武器などを持ち込む場合はそれを使えないようにこうして教会のものに《契約魔術》という形で誓いを立てるのだ。
ちなみに、破ると相手の代わりに自分が切れたり潰れたりするらしい。
「……はい、いいですよ。では、お二人も転移陣までお願いを……おや?」
ヨヅキと契約を交わした高位神官らしい男は転移陣へ私たちを誘導しようとして私のほうをじっと見る。
「失礼ですがカトレア様。申し訳ございませんがしまっている使い魔は出してから転移陣にお願いできますか?」
「しまってる?」
そう言われ周りを見るとノアールが私の影からヌッと体を出してきた。
それを見た神官はただ、賢い使い魔で助かります、とだけ言ってまたどこかへ行ってしまった。ちなみに、当のノアールといえばボリボリと足を搔いていた。
「お前そんなことできたのか……」
ナー、と鳴くノアールをバッグに収め、ヨヅキと一緒に転移陣へと向かう。
するといかにもそこらの悪ガキ風の子供が苛立ったように私を睨みつける。
「全く、貴族様ってのは随分自由な時間が多いんだな!!」
「スルーズ!!」
ヨヅキが鞘ごと剣を突きつけるとほぼ同時に近くにいた少女が声を荒げる。それから悪ガキの首元に突きつけられた剣を見て顔を青くした。
「も、申し訳ございません騎士様! どうかお赦しください!! 彼は将来有望な騎士候補なのです!!」
「そうは思えませんが? 幼年学校で最低限の礼節も学び取れなかったような愚か者はここで摘み取ったほうがいいでしょう。我が領地の恥となります」
「な、なんだとっ!! 女のくせに……ッ」
おぉ、ヨヅキに剣を向けられながら吠え返した。偉いぞ少年。
今にも首を撥ねそうな一触即発の空気を楽しんでいると先程の法衣の男がこらこらと笑顔を浮かべながら近付いてくる。
と、今度は逆に悪ガキのほうが顔を青くしていき、逆に少女のほうはパッと顔が晴れていく。
「ダメですよ、スルーズ。そのような言葉づかいでは。また舌を抜かれたいのですか?」
「せ、先生」
「それにヨヅキさんもです。騎士たるものがそのように剣を抜いて、手を傷付けるものではありませんよ?」
「手?」
そう言われてヨヅキのほうを向くといきなりピュッといった具合で手の甲から血が滴り、痛みのせいかヨヅキが剣を落とす。よく見るとヨヅキの手には小さなナイフが突き刺さっていた。
私には見えなかったが周辺魔力の残滓から法衣の男がナイフを投げたらしい。
……いや待て。マジでいつ動いだんだ? 魔力の動きが全くなかったんだが……。
ちなみに先ほどまでヨヅキを必死に止めていた少女はヨヅキの甲に刺さったナイフをみて卒倒かけたが、そのままヨヅキの手からナイフを抜いて治療魔法を使っていた。まるで時を戻したように傷が消え、穴の開いた白手袋と薄っすらと赤い血だけがその痕跡を指し示していた。
カチリ、と右手に付けた指輪を回す。
これはマーリンがくれたもので《魔封じの指輪》というものだ。
魔封じとはいうもの正確には私の壊れた魔力の蛇口を占めるもので、10段階あるメモリを回すごとに魔力を解放することができる。
そして中で魔力を練りながら笑顔で法衣の男を見つめた。
「うちの従者を止めていただいたようで、ありがとうございます。ですが些か過激ではないでしょうか?」
「申し訳ございません、カトレア様。何分この老体ですから、ヨヅキ様をお停めするには時間が足りなかったものですから。学園にお着きになられた頃に私からお詫びの品を送らせていただきます――あぁ、それと」
悪びれた様子も見せず笑顔の神官はそのままそっと私の指輪に手を掛けた。
「そのように荒ぶられますと、そこのユーフィルが怯えます。また転移にも影響が出ますからそちらをしまっていただけますかな?」
「……分かりました。こちらも従者の教育不足、申し訳ありません」
「カトレア様っ!」
「ヨヅキ」
私と神官のやり取りを張り詰めた様子で見つめていたヨヅキが声を荒げる。
だがそれを赦さず、ヨヅキを咎めると神官の男はほっほっほと上品に笑い、先の人の良さそうな笑みでこちらを見ていた。
「お互い素晴らしい主従の様ですね。これは今後が楽しみです。では転移を始めましょう。あぁ、誰か布を持ってきてくれますか?」
高位神官の男がそういうと、すぐに傍から厚手の布が渡される。
それからヨヅキの血が付いたナイフをそれで包むと私に渡してくれた。
これはヨヅキの血を私以外に渡らせないための処置で、私に敵対する意思はない、ということだろう。血は多く魔術や呪術の触媒と使われる。それを避けるため、渡された布で拭かず、布に包み、渡したのだろう。
それに礼を言い、ヨヅキに渡す。それを旅行鞄にしまったのを見て、神官たちは転移の準備を始めた。
「それではみなさん、良い旅を。またあちらで会いましょう」
「……え?」
その声が漏れる頃には、既に転移は終わり、王都へ着いていた。
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