2章 国創の魔法使い《マーリン》

2-1 国創の魔法使い《マーリン》

 薄ら暗い天窓から覗く淡い碧瞳へきがんは、いつの間にかなくなっていた。


 あまりの出来事に困惑していると突如として扉が開く。

 思わず身構える。だがそこにいたのはヨミコだった。

『ヨミコ今が――』


「――お嬢様、申し訳ありませんが出掛けます」


 ――あまりにも衝撃的な一言。

 あの一件以来、外に出るその一切を禁じ、禁じられてきた。

 それを一番知っている彼女から放たれたその一言は私を動揺させるには十分だった。

 だが、いつにもなく焦ったその姿に、私が言葉を挟む余地などない。


 私が考えをまとめている間にも、ヨミコは部屋を操作し、最低限の旅支度を整えていく。

 どこからか出てきた旅行鞄に荷物を仕舞しまい、一方で私を軽装へ着替えさせる。

『……ヨヅキを起こさないの?』

「あの子は足手纏いになりますし、先ほどより深く寝るように魔術を掛けました」

 普段なら部屋に変化があった時点で目を覚ますヨヅキが一向に目を覚まさないことに違和感を覚えてはいたが、いつの間にそんなことをしていたのか。おそらく部屋を操作し始めたときだろう。

 ふと部屋の違和感を感じてヨミコを見る。

 いつも以上に真剣なその顔は酷い脂汗が流れていた。

 それもそうだ。いくらヨミコも部屋を操作できるとはいえ、ただの使用人メイドのヨミコが部屋の模様替えと服や鞄の出し入れを魔術的に行使し、同時に私の着替えをさせている。明らかにヨミコのキャパシティを超えている。

『ヨミコ、私やっぱり……』

「さあ、できました。少しショートカットしますよ」

 それだけ言うと、ヨミコは私を抱きかかえ手を叩く。途端足元がなくなり、鞄と共に落ちる。文字通り声にならない悲鳴をあげ、落ちていく。

 それからすぐにふわりと抱き留められる。

 恐る恐る目を開けると、ヨミコはちょっと自慢気にこちらを見つめていた。

「……ふぅ、上手くいきました。初めてでもなんとかなりますね」

(いくら娘を人外にしたからってこんなドッキリはたちが悪いんじゃないかな!?)

 念話とともにヨミコを睨みつける。だが、ヨミコは小首を傾げて私を降ろしそれから納得したように手を叩く。

「ここは部屋の外ですので念話は使えませんよ。魔導記まどうきなら使えますのでそちらをご利用ください」

 魔導記とは、指先に魔力を集中させ指先で記した後の空間に対し文字や図形を浮かび上がらせる――要は魔術を扱うための技術だ。まさかそれをコミュニケーションのために使うとは。

 ヨミコのトンデモ提案に頭を抱えていると、不意に風が吹く。

 風。人工のものではない、自然の風。どこか青く美しい草花を彷彿とさせるその風に、少し嬉しくなってしまう。

 それに靴。久々に履いた気がする。懐かしい革靴の堅い感触が、全体重を持って足裏に感じられる。少し丸みを帯びすぎなデザインだが、それもまた懐かしい。

 おおよそありふれたその感触は、私にとってとても新鮮だった。


「――ジョう様、オじょウさマ。申し訳アりまセんが、少し避ケてもらエますか?」

 どこかキリギリスのような人の声に後ろを向く。そこには、キリギリスの足が生えた男が立っていた。

(キリギリス……てことはオルヴァーか)

 オルヴァーは御者コーチマンだ。普段からよく私を乗せた馬車を運転していた。小さいときこっそり飴をくれた。確かキリギリスと一緒になって触角とキリギリスの前肢と中肢が生えたと聞いた。

 キリギリスオルヴァーの後ろからは蟻の触角が生えた子たちが三人付いていく。彼らも巻き込まれたフットマンたちだ。

 キリギリスの言うことを聞く蟻たち、とはどうにも奇妙な眺めだが、それを作ったのが自分だとなると笑えない。

「お嬢様にゃんだか痩せましたかにゃ? 去年の仕立服がもうぶかぶかですにゃ」

 後ろから猫の腕に抱き着かれる。ヘッド・ハウスメイドのアデリーナだ。

 城内の猫は黒か白の単色だったはずだからおおよそ野良猫とでも遊んでいたのだろう。彼女はよく仕事をサボって私と遊び、その度にサボりがバレてヨミコに怒られていた。

 ちなみにこのニャーニャーいう語尾はオリヴァーとは違いキャラ付けらしい。

 久々に会った飼い猫に呆れつつも喉を撫でてやると、アデリーナは嬉しそうに二股の尻尾を揺らした。


 しばらくアデリーナとじゃれていると準備ができたらしく、ヨミコが戻ってきて抱き上げられる。

『歩け……』

「どうせ歩けなくなりますし急いでますので」

 酷い。まだ書き途中だ。

 そんな抗議むなしくそのまま馬車の中に入れられる。

 窓の外では蟻の従僕たちアント・フットマンズがこちらに頭を下げ、アデリーナは尻尾と肉球を楽しそうに振っていた。

 ヨミコが座席に座ると同時に御者側の壁を二度叩き、馬車が出る。どうやら本当にどこか行くらしい。

 おいてきた召使達と寂しがり屋の私の従者ヨヅキのことが心残りだが、ヨミコが判断したことだ。まず間違いはない。


(にしてもどこに向かうのかな)

「さあね。それは僕にも分からないかな」

 窓の外に吐いた独白に返事が返り思わず振り向く。

「やあカトレア――」

 深淵を称える碧い瞳が――

「――迎えに来たよ」

 ――こちらを見通していた。

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