1章 盲目城の少女《カトレア》

1-1 盲目城の少女《カトレア》

 『カウント』という概念がある。

 『カウント』とは「一つの魔術を完成させるにあたって、それを定義するための言葉群」のことだ。

 例えば、野に風を吹かせるとする。

 ただ、「風よ吹け」と唱えれば、風は吹くだろう。

 だが、それではそのものの魔力量や技量によって、山々を吹き飛ばす暴風にも水面を揺らすそよ風にもなり得る。

 しかも、技量が低ければ低いほどそれは顕著であり、同じ「風よ吹け」という文言であっても、毎度その風量が変わってしまっては意味がない。

 そこで、『カウント』の出番だ。

 今の呪文では「風よ/吹け」という二節での詠唱となっている。それを更に細分化し、「風よ/荒れ狂い/吹け」や「風よ/大地の草花を/揺らせ」といったように、より詳しく指定することでそれを制御する。それが『カウント』の概念だ。

 前述のとおり、『カウント』は術者の技量が低い場合や精密な指定を行なうためにより多くの詠唱を必要とし、逆に術者の技量によってはそれを省略することができる。この省略のことを『短縮詠唱クイック』と呼ぶ。

 この『短縮詠唱クイック』は本来正確な『カウント』を後方で唱え、大規模な戦闘に際しそれを行使する職業であった魔術師たちが戦争終結後、冒険者と呼ばれる人々と共にダンジョンや戦闘に向かう際、より効率的に魔法を行使するために多用され始めた技術である。

 とはいえ、そんなことは当たり前にこなしてきた貴族界隈では詠唱を省略する『短縮詠唱クイック』よりも、より正確な『カウント』を唱える『節詠唱スペルカウント』のほうが必須とされているが。


『まー、声の出せない僕からしたらどっちでもいーよねー』

 いい加減このを書き飽きてきた私は一人念話を飛ばす。

 どうせ外に出ることもなければ魔術を口にすることもない私からすれば、今学んでいることはとりあえずの教養であって、別に何かするためのものではない。

 正直学ぶ必要性も感じないが、かといって何もないこの部屋で他にやるべきこともやりたいこともありはしない。だから――

「――だからといって、そう空中をクルクルしていいというわけではありません、カトレア」

 不意に掛けられた声に顔を向けると、さっきまでそこにいなかった私の従者ヨヅキが少し怒ったように立っていた。

『だって声も出ないし外にも出ないし……別に良くない? 社交界デビューの予定もないでしょ?』

「それとこれとは話が別です。淑女たるもの、この程度の教養は当たり前で――……それより、念話のボリューム落としてください。心臓が痛いです」

『あぁ、ごめんごめん。ところで今日のおやつは何?』

「プディングです。でもカトレアが頑張ればチーズケーキにします」

『うーん……悩ましい』

「今すぐ席につかないならおやつはなしです」

『はーい先生』

 流石におやつ没収は悲しい。

 大人しくヨヅキの脅迫めいれいに従って席に着いて、浮いていたものを元に戻す。

 それから魔導書を開いてノートに書き写しているとヨヅキが空のカップに紅茶を注いでくれる。

「で、何か分からないことはありますか?」

『うーん……ヨヅキの美しさの秘密くらいかな』

「しばらくチーズ系はなしにしましょうか」

『嘘嘘ごめんって! 今日のは正直簡単だから別に問題ないよ』

「ならいいです。今日のスコーンはラズベリージャムです。はいあーん」

『あーん……んーっ! おいし~!!』

「それはよかったです。あ、そこの魔法陣書き間違えてますよ。それじゃあ天使式です」

『悪魔と一緒に呼べた方が便利じゃない?』

「…………そうですね。ちゃんと動くならいいですけど」

『うん。なら大丈夫』

 口に残ったスコーンを紅茶で流し込み、一日中書いていた魔方陣を床に並べる。

 それから血を一滴零してふと大事なことを思い出した。

『そういえば今っていつの何時?』

「何故ですか?」

『いや正確な星座が知りたくて』

 サンドイッチをお皿に取り分けていたヨヅキが少し怒ったように向き直る。

「前にもダメって言いましたよね?」

『だって正確にって――』

「簡単にとも言いました。というか再現星座があるんですからそれを参照して下さい」

『はーい……別に出るわけじゃないのに』

「……何か言いました?」

 静かにしゃがんだヨヅキが少し寂しそうな声を出す。

 それがどうしようもなく悲しくって、慰めるよう頬にキスをする。首枷に付いた短い鎖がジャラと音を立てて揺れた。

『なんでもないよ――それより卵サンドは?』

「ありますよ。今日は鳥と一緒のやつです。はいあーん」

 一口サイズの小さなサンドイッチをヨヅキから食べさせてもらって陣に血を垂らす。それからヨヅキと手を繋ぎ額を合わせる。

『それじゃ、やろっか』

 遠い天窓から刺した光が、私たちを照らしていた。

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