カレーは生き物 第四章 エーテル場断層 3



          * 3 *



「君は、どうしたいの?」

「……え?」

 そう問われて、わたしは何も答えられなかった。

 悩み事ができると来てしまう、ネオナカノの絶景ポイント。

 住宅街になってるプレートのさらに上層にあるそこは、ホウキなどの飛行具では降りられないようになっているため、訪れる人はほとんどいないわたしの秘密の場所。

 ついさっき違う世界からこの世界に流れ着いてしまったらしい男の子は、せっかく秘密の場所でひとりで過ごそうと思ったのに、着いてきてしまった。

 気持ちが落ち着くここで過ごして、後で役所にでも引き渡すつもりで無視していたのに、どうして悩んでいるかを問われてしまった。

 どう考えても彼の方が大変な状況だ。

 たぶん、突然この世界に来てしまって、いまは右も左もわからないはず。

 それなのにいま彼は、真剣な目でわたしに問うてきてる。

 さっきまで泣いていたまだ少し赤い目にわたしだけを映してる、黒い瞳。

 それに見つめられたわたしは、勝手に語り始めてしまっていた。

「わたしはね、魔法具に選ばれたんだ……」

 それはつい一昨日のこと。

 わたしの家は代々魔法具を受け継ぐ家系。魔法具に選ばれた子は、魔法少女になる。そうしてずっと世界を守ってきた。

 いま魔法少女をやってるママの魔法具に、わたしは選ばれた。

 みんな喜んでくれた。

 わたしも嬉しかった。

 だからわたしは、六歳になったら魔法少女になるんだと、みんな疑っていなかった。

 それなのにわたしは、ふと迷ってしまった。

 とても小さな、本当に小さなわだかまりだったんだと思う。けれど魔法具に選ばれた瞬間に生まれたそれは、もっと小さい頃から魔法少女になるんだとわかっていたはずなのに、拭い去ることができなかった。

 魔法少女になりたいのかどうか、わからなくなってしまった。

「わたしが、どうしたいか?」

「うん」

 問い返してみても、わからなかった。

 魔法少女は名誉ある仕事。誰にでもなれるわけではない役割。魔法具に選ばれることは、嬉しいこと。

 だから選ばれたら、その人は必ず魔法少女になる。

 そう、みんなが思っていた。みんなが考えていた。

 わたしも、そうなんだとずっと思っていた。

「君のお父さんは、なんて言ってるの?」

「パパは……」

 魔法具に選ばれたのは一昨日で、ネオナカノの外に住んでいるパパにはまだ知らせてない。何て言われるのかわからない。

 パパはいま、地上で広い農園をやっていて、ほとんどひとりで忙しく畑の面倒を見てる。

 そのパパが農業を始めたのは、ママと結婚してしばらくしてから。わたしが生まれてからのこと。

 その前のパパは――。

「パパは、わからない。まだ話してない」

「そうなの? どんな人なの? お父さんは」

「パパはね、いまは農業やってるけど、昔は冒険家だったんだって。世界のいろんなところに行ったり、いろんな星を旅して過ごしてたんだ」

「そうなんだ。凄いね!」

「うんっ。パパは凄いの!」

 忙しくてあんまり会えないけど、パパのことは大好き。

 一緒にいられるときは、いつもパパの冒険の話を聞く。話してほしいとお願いする。

 パパは本当にいろんなところに行っていて、わたしの知らないこともたくさん知っていて、話がいつまでも尽きない。聞きたいことがぜんぜん減らない。

 それくらい、パパは凄い人。

「じゃあ君は、お父さんみたいになりたいの? 冒険とか、したいの?」

「……」

 そう訊かれて、わたしはなんとなく悩んでる理由がわかった気がした。

 魔法少女は、その土地を守る守護者。

 近くで起こった事件の解決には出向くけど、あんまり遠くには行けない。自分の住んでる場所を守るのが役目だから、冒険なんて引退するまでできない。

 いま、この世界はとても広い。

 地球だけでもわたしにはまた行ったことのない場所がたくさんあるのに、魔導世界となったいまは、人は宇宙にも自由に行き来できる。知識だけで知ってるだけの場所が、たくさんある。

 そんな場所に行けるようになるのは、魔法少女を引退してから。

 魔法少女を引退できるのは、死ぬときか、後継者が見つかったとき。

 二年後に後を継いでから、最低で十年とか、二十年先の話。

 パパの話を聞く前から、わたしはいろんなところに出かけるのが、知らないものを知るのが好きだった。

 いまいるここを見つけたのも、街を冒険してたときのこと。

 十年なんて、わたしには待てそうにない。

 待ちたくなんて、なかった。

「そうかも知れない」

「うん。そっか」

 にっこりと笑ってくれる男の子。

 ――どうして、そんな風に笑えるの?

 わたしは不思議に思った。

 自分の方こそいま大変なときなのに、見つけたときには泣いていたくらいなのに、いまはわたしに笑いかけてくれる。

 そんな彼のことが、わたしはわからなかった。

 だからそんな彼に、訊いてみたいことができた。

「ねぇ。もし人類があと千年で滅びちゃうとしたら、どうする?」

「千年って、凄く先の話だよね?」

「うぅん。そんなことはないよ。貴方が元いた世界ではどうかわからないけど、この世界だと寿命はあんまり関係ない。生きたいだけ生きることも、無理なわけじゃない」

「そうなんだ。凄いねっ。……それなのに、千年で滅びちゃうの?」

「うん」

 それは少し前に、エジソナと話していて聞いたこと。

 魔法や魔術があって、科学も発展して、人は何百年でも生きることができるようになった。もしかしたら千年でも、それ以上でも生きることは不可能じゃなくなった。

 でもエジソナは、あと千年くらいで人類は滅ぶと言った。

 いろんなことが便利になって、世界からは飢える人はいなくなった。やろうと思えばほとんどのことができるようになった。

 けれどいまこの世界は、魔導世界以前よりも子供の生まれる数が減っている。旧世界よりも子供を持ちやすい環境が揃っているのに、減ってしまっている。

 五百年後には、新しく生まれる子供はゼロになるという。

 そしてどんなに長寿の人でも、五百年も生きればやりたいことは全部やってしまう。その後は何事にも飽きて、死を選ぶか、ただ生きてるだけの時間になる。

 五百年後に生まれた子供が五百年生きた後、死ぬか惰性で生きるだけになる。そのとき、まだわずかに生存してる人はいても、人類は滅びる。

 エジソナはそう言っていた。

「わたしが千年後も生きてるかどうかはわからないけど、もう終わりが見えてる世界で、やらなくちゃいけない仕事を与えられたとしたら、貴方はどうする?」

「んー。わからないよ。そのときになってみないと」

「そうだよね……」

 思ったような答えが返ってこなくて、わたしはうつむいてしまう。

「さっき言ってたみたいに、君はお父さんみたいになりたいんじゃないの?」

「うん、それは、あるかな……」

「できたらやりたいことも、やらなくちゃいけないことも、両方できるんだったら、それでいいんじゃない?」

「……それは、難しいんだ」

「そっかぁ」

 わざとらしく眉根にシワを寄せて、うなり声を上げて考え込む男の子。

 なんとなくその様子がおかしくて、少し笑いそうになってしまう。

「僕じゃやっぱり、わからないや」

「うん……」

「でも、でもね? 僕は思うんだ」

「なにを?」

 優しく微笑んだ男の子。

 夕日で茜に染まるその子の顔は、どこか大人びていて、でもその笑みは可愛らしいくらいで子供で、わたしの目は彼から離せなくなる。

「僕は君に、笑っていてほしい。僕は君が笑ってる顔が見たいんだ」

「……」

 何も言えなかった。

 答えが見つからないんじゃなくて、彼の笑顔に、彼の言葉に、わたしは何も言えないくらいに、胸の奥が熱くなっていた。

 ――なんで、なのかな?

 自分が大変で、他の人のことなんて考えていられるはずがない男の子。

 それなのにわたしの悩みを見抜いて、問うてきてくれた彼。

 彼の中には、わたしの知らないものがある。

 そう思えた。

 彼の中に、わたしは未知の場所を発見した。

 それをわたしは、知りたいと思った。

 笑ってほしいという願いは彼のわがままだと思うけれど、でもわたしにとっても望んでいることだった。

 嬉しいことでも、望まぬことに、押しつけられたことに、流された役割に、わたし自身を委ねたくはなかった。

 いつでも笑っていられるように、やりたいことをやりたい。

 本当に千年で滅んでしまうかも知れないこの世界で、終わりが見えてしまっているここで、わたしは最後まで笑って過ごしていきたい。

 そして、この男の子のことを知りたい。この子に笑顔を見せ続けて生きたい。

 ――わたしは、この子のことが好きだ。

 そう思えた。

 そう思えたことが、嬉しかった。

 だから自然と、わたしの頬には笑みが零れてきた。

 もうママに言う返事は決まった。迷う必要はなくなった。

 わたしは、この男の子と一緒に生きていく。それをいま、わたし自身が決めた。

 それが魔法少女という、他の人が決めた答えじゃなく、わたし自身が出した答え。

「わたしはロリーナ・キャロル。友達になりましょ。貴方の名前は?」

 笑顔を向けながら名乗って右手を差し出すと、さっきまでの勢いはなくなって、恥ずかしがるように夕日の色よりも顔を赤くする彼。

「僕は、音山克彦」

 恐る恐る差し出された手を、無理矢理握って握手する。

 さらに赤くなった顔が面白くて、嬉しくて、わたしはさらに笑う。

「うん。よろしくね、克彦。いまから貴方は、わたしの一番大切な……、友達だから」

 ――好きだよ、克彦。

 その言葉は恥ずかしくて言えないけど、彼のことが、自分よりもわたしのことを見てくれる彼のことが、わたしは好きになっていた。



            *



 顔に降りかかる水滴の感触に、雨でも降ってきたのかと思って僕は目を開ける。

 すぐに見えたのは、高空よりも抜けるような、海よりも深い色を湛えた、碧。

 よく知っているその色は、いまは揺らいでいた。

「克彦!」

 声とともに僕に抱きついてきたロリーナ。

「うっ。ちょっ、ロリーナ。痛い。全身が、痛い……」

 何でかわからないけど、身体中が痛くてたまらない。まるで身体がバラバラになってしまいそうだ。

「痛いなら、生きてるってことでしょ! 少しくらい我慢しなさいっ」

「う、うん……」

 涙が出てきそうな痛みに耐えて、僕の胸に顔を埋めて肩を震わせているロリーナの金糸のような髪を、優しく撫でる。

 視線に気がついて周りを見ると、指で涙を拭っているカグヤさんと、微笑みを浮かべてるミシェラさんがいた。

 それからもうひとり。

「キーマ」

「うん。パパ」

 嬉しそうな、でもつらそうな笑みを浮かべたキーマは、やっぱり泣いていた。

「パパがいなくなっちゃうかと思ったんだから!」

「うぐっ」

 突撃するようにロリーナと顔を並べてすがりつくキーマに、身体の痛みが倍増する。

 そこに至って、やっと僕はこうなる前にやっていたことを思い出した。

「マナブラックホールは?!」

「もう消えたよ。ほら」

 僕の胸から顔を上げて、涙を拭ったロリーナが指さした方向には、微かに黒い空間の亀裂が、いままさに消えようとしているところだった。

 もう黒い穴は、そこにはない。

「そっか。僕は、成功したんだ」

「うん。克彦はマナブラックホールを消せたんだよ」

 まだ涙を零してるロリーナは、でも笑ってくれる。

 金糸のように美しい髪。

 僕を映している碧い瞳。

 笑みをくれる優しい顔。

 ――僕はやっぱり、この笑みが好きだ。ロリーナが好きだ。

 そんなことを、いま改めて思う。

「本当に、無茶するんだから!」

「ゴメン。迷惑かけてばっかりで」

「いいよ。生きて戻ってきたから、許して上げる」

 優しく笑むロリーナは、また僕の胸に顔を埋めた。

「あたしは、いっぱい迷惑をかけてる。ゴメンね、克彦パパ」

「いいよ、キーマ。僕だってロリーナや、たくさんの人に迷惑かけてるし、世話になってる。その分はちゃんと返していけばいいんだ。それにキーマは、僕の子供なんだから」

「うんっ!」

 少しは痛みが治まってきた上半身を起こし、僕はキーマを抱き寄せる。

「あたしは克彦パパと、ロリーナママの子供だから。だから、これからも、よろしくお願いしますっ」

「大丈夫だよ、キーマ」

「うん。わたしもこれからはちゃんと、キーマの面倒見るよ」

「ん!」

 嬉しそうに笑むキーマ。

 僕はロリーナと、キーマが浮かべる笑みに、同じ笑みを交わし合った。

 ――本当に、今度こそ終わったんだ。

 キーマが生まれたことで始まった今回の事件。

 それがいま、ちゃんとすべて終わったことを、僕は意識した。

「よかった……」

 そうつぶやいた瞬間、僕の意識は遠退いていく。

 安心した途端に、疲れがどっと襲ってきて、意識を保つことができなくなっていた。

「お休み、克彦。いまはゆっくり休んで」

「うん……」

 ロリーナがかけてくれた言葉に本当に返事ができたのかどうか。

 安らかな気持ちで、僕は意識を手放した。




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